ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

ワキ方の流儀について(その6)

2006-08-09 20:09:39 | 能楽
このところ毎日、あちこちのお舞台のお手伝いに飛び回っています。先日は神奈川県での催しに出勤していましたが、そこでは能『隅田川』が出て、地謡に出ていた ぬえは、おワキの流儀によってやはり演出効果に違いが出るこの曲にまだ触れていない事に気がつきました。この曲の冒頭のおワキの名宣リの部分がお流儀によって違いがあるんです。

ちなみに観世流の本ではこのように書いてあります。ワキ「これは武蔵の国隅田川の渡し守にて候。今日は舟を急ぎ人々を渡さばやと存じ候。またこの在所にさる子細あって、大念仏を申す事の候間、僧俗を嫌はず人数を集め候。その由皆々心得候へ」。。この詞章は観世流の本によりますから、すなわちおワキの福王流でもほぼ同じ文句を語られます。

ところが、東京ではむしろ福王流よりも聞く機会が比較的多いと思われる宝生流では以下のような名宣リの文となっています。ワキ「これは東国隅田川の渡し守にて候。さてもこの渡りは、武蔵下総両国の境に落つる川にて候が、この間の雨に水気に見えて候。大事の渡りにて候程に、旅人の一人二人にては渡し申す間敷く候。人々を相待ち渡さばやと存じ候」

。。二つのお流儀の詞章のもっとも大きな違いは、宝生流のおワキが「大念仏」について触れていない点なのです。それほど大きな違いではないと思われる方もあるかもしれませんが、『隅田川』という能が子を求める母の悲しい物語だと知らずにご覧になるお客さまにとっては、福王流のように能の冒頭で悲劇の結末を予想させる文言が提示される場合と、宝生流のように能の中盤でワキツレが対岸の人だかりを訝しんでそのわけをワキに問い、そこで初めてワキがこの土地で亡くなった子どもの事を語り出す場合とでは演出効果はおのずと異なるでしょう。どちらが優れているとは言えない問題だとは思いますが、宝生流のおワキの場合は、このワキの語リによって、見所のお客さまもシテとともに初めてこの土地である事件が起こった事を知る事になるのです。

なお、『隅田川』ではワキツレの役柄がおワキのお流儀によって違っています。宝生流では「東の者」で、都からの帰り道にこの川に着いたところで、福王流では逆にワキツレは「都の者」でこれから東国に下る途中なのです。ところがこの役柄の違いによって、じつはワキツレの装束は両流でまったく違うのです。宝生流ではこのワキツレは都から遠く離れた東国の住人だという事で、素袍上下の姿、福王流では「都人」ですから品格を重んじて白大口に掛素袍という仰々しい出で立ちになります。

しかしながら。福王流の場合、この仰々しい出で立ちがかえって舞台の邪魔になったのでしょうね。現在では福王流のワキツレでも宝生流と同じ素袍上下の姿で登場します。なるほど掛素袍ではワキよりも「良い」格好になってしまうし、渡し船に乗った場面でシテの後ろに座した時も、能の終盤で子方が舞台に登場したときも、どうも掛素袍に白大口の姿は目立ちすぎるかもしれませんね。

それから『隅田川』ではおワキの語リが能の重要な場面になりますが、宝生流のおワキはこの「語リ」の最後の部分で福王流にはない言葉「ただ返す返すも母上こそ、何よりもって恋しく候とて、弱りたる息の下より念仏四五遍唱へ…」がありますね。死の間際まで母親を恋い焦がれていた子どもの姿。そしてその「語リ」が語られる場には、まさに子どもの最期に間に合わなかった母その人がいる…あまりに残酷なこの場面を、いかにも効果的に盛り上げる優れた脚本だと思います。


。。明日から2日間の夏休み~~