今年に入ってはじめて3日間の休暇をとって茨城県・鹿島市に来ています。今回はネット環境がない(!)ので、なんとかインターネットカフェを見つけて、そこから書き込みをしている、というお粗末さです。。
観世十郎元雅の作として現在認められているのはわずかに『隅田川』『弱法師』『盛久』そして『歌占』の4曲で、これからして元雅の人物像というか、その作品世界の全貌を推し量ろうとするのは非常に難しいでしょう。また元雅には有名な多武峰様の実馬・実甲冑の演能の記録もあり、現代人の感覚から簡単には当時の演能の実態に迫るのもまた至難と言わざるを得ません。
ところが、ぬえは元雅が30代なかばで亡くなった事実を知ってから、ぐっと彼に興味を持ちはじめました。そうなると。。『隅田川』や『弱法師』のような深い人生への洞察をきわめたような曲は、彼が20代に書いた可能性さえあるわけで。いったい、どんな人生を歩んできた人なんでしょう。
元雅の父・世阿弥は、若い頃に足利義満に認められてからもそれにあぐらをかくことなく研鑽を怠らないで、経験に裏打ちされてついに世界でも最も古く、それでいて高度な演劇論を構築した、その偉業は ぬえも意義を差し挟むようなものではありません。必ずしも幸福だったとは言えない人生だったとしても、当時としては長寿だった世阿弥が生涯ロマンチストであり続けた(と思う)ことを、その作品は物語っているように思います。しかし ぬえは、元雅が残した作品のその深さに惹かれるのです。この世には抗えないものも存在していて、人間は否応なくその力に巻き込まれて苦しむ。。『弱法師』も『盛久』も最後はハッピーエンドに作られているのだけれども、それだけではない深いテーマは、もっと作品の内部に潜んでいると思います。そう考えたとき ぬえは『歌占』に、やっぱり人間が抗えない神の存在というものが描き出されているように感じて、ああ、やっぱり元雅の作品らしい。。と気がついたのでした。
昔の人はみんな神の存在を心から信じて畏怖や敬意の念を持っていました。それが、世阿弥の作品の中の神は、たとえば『高砂』にしろ『弓八幡』にしろ、人間を祝福するために、それを目的として登場する(ワキ・紀貫之の馬を倒して彼に神罰を与えるかのような『蟻通』にしても、シテの蟻通明神は最後には馬を蘇生させ、貫之の和歌の才能に感激したために現れたのだ、と述べていますし)。。いささか西洋的?な描かれ方なのに対して、元雅の描く神仏はずいぶん様子が違いますね。
『歌占』ではシテ渡会に神が与えた神罰は、三日間の地獄体験、というすさまじいものでした。そしてこの曲では、神から授かった特殊能力であろう歌占いによって自らの運命が左右されるという数奇な体験が描かれています。刑死の直前に奇跡を起こして信心深いシテの命を救う清水観音が描かれる『盛久』にしても、父に捨てられた悲しみから盲目となりながら、信仰のために日参した天王寺で偶然にも父に巡り会う『弱法師』にしても、どこか神仏は威厳を持って、人の手の届かないところから人の運命を左右する存在です。そしてその力はときには心から人が願う望みを叶えてくれないことだってある。。『隅田川』はそう言っているようです。
神仏の気まぐれによって人間はその生死さえ左右されてしまう。なんだか現代人が困ったときに神頼みをするときに、やはりどこか半信半疑であるのと同じ気持ちのような。信じる者は必ずしも救われるわけではなく、どうしても動かすことのできない「運命」からは逃れられない。そのときに人はどう対処するのか、という事が元雅の一連の作品の中で描かれているような気がします。
なんだか、こういう能を書く人は幸せだったのかなあ。。? もちろん元雅が悲運の大夫だったのは有名なのですが、現在にまで残されたこういう曲は、まだ座の活動が活発だった時期に書かれたのだろうと思いますし、そう考えると、自分の運命を予感していたかのような作品を残した彼って。。やっぱりスゴイ。。というか、不思議な人だなあ。。
観世十郎元雅の作として現在認められているのはわずかに『隅田川』『弱法師』『盛久』そして『歌占』の4曲で、これからして元雅の人物像というか、その作品世界の全貌を推し量ろうとするのは非常に難しいでしょう。また元雅には有名な多武峰様の実馬・実甲冑の演能の記録もあり、現代人の感覚から簡単には当時の演能の実態に迫るのもまた至難と言わざるを得ません。
ところが、ぬえは元雅が30代なかばで亡くなった事実を知ってから、ぐっと彼に興味を持ちはじめました。そうなると。。『隅田川』や『弱法師』のような深い人生への洞察をきわめたような曲は、彼が20代に書いた可能性さえあるわけで。いったい、どんな人生を歩んできた人なんでしょう。
元雅の父・世阿弥は、若い頃に足利義満に認められてからもそれにあぐらをかくことなく研鑽を怠らないで、経験に裏打ちされてついに世界でも最も古く、それでいて高度な演劇論を構築した、その偉業は ぬえも意義を差し挟むようなものではありません。必ずしも幸福だったとは言えない人生だったとしても、当時としては長寿だった世阿弥が生涯ロマンチストであり続けた(と思う)ことを、その作品は物語っているように思います。しかし ぬえは、元雅が残した作品のその深さに惹かれるのです。この世には抗えないものも存在していて、人間は否応なくその力に巻き込まれて苦しむ。。『弱法師』も『盛久』も最後はハッピーエンドに作られているのだけれども、それだけではない深いテーマは、もっと作品の内部に潜んでいると思います。そう考えたとき ぬえは『歌占』に、やっぱり人間が抗えない神の存在というものが描き出されているように感じて、ああ、やっぱり元雅の作品らしい。。と気がついたのでした。
昔の人はみんな神の存在を心から信じて畏怖や敬意の念を持っていました。それが、世阿弥の作品の中の神は、たとえば『高砂』にしろ『弓八幡』にしろ、人間を祝福するために、それを目的として登場する(ワキ・紀貫之の馬を倒して彼に神罰を与えるかのような『蟻通』にしても、シテの蟻通明神は最後には馬を蘇生させ、貫之の和歌の才能に感激したために現れたのだ、と述べていますし)。。いささか西洋的?な描かれ方なのに対して、元雅の描く神仏はずいぶん様子が違いますね。
『歌占』ではシテ渡会に神が与えた神罰は、三日間の地獄体験、というすさまじいものでした。そしてこの曲では、神から授かった特殊能力であろう歌占いによって自らの運命が左右されるという数奇な体験が描かれています。刑死の直前に奇跡を起こして信心深いシテの命を救う清水観音が描かれる『盛久』にしても、父に捨てられた悲しみから盲目となりながら、信仰のために日参した天王寺で偶然にも父に巡り会う『弱法師』にしても、どこか神仏は威厳を持って、人の手の届かないところから人の運命を左右する存在です。そしてその力はときには心から人が願う望みを叶えてくれないことだってある。。『隅田川』はそう言っているようです。
神仏の気まぐれによって人間はその生死さえ左右されてしまう。なんだか現代人が困ったときに神頼みをするときに、やはりどこか半信半疑であるのと同じ気持ちのような。信じる者は必ずしも救われるわけではなく、どうしても動かすことのできない「運命」からは逃れられない。そのときに人はどう対処するのか、という事が元雅の一連の作品の中で描かれているような気がします。
なんだか、こういう能を書く人は幸せだったのかなあ。。? もちろん元雅が悲運の大夫だったのは有名なのですが、現在にまで残されたこういう曲は、まだ座の活動が活発だった時期に書かれたのだろうと思いますし、そう考えると、自分の運命を予感していたかのような作品を残した彼って。。やっぱりスゴイ。。というか、不思議な人だなあ。。