前シテの装束は いわゆる山伏出で立ちで、直面、兜巾、襟=紺または縹色、着付=無紅厚板または大格子厚板、白大口または色大口、水衣(縞水衣にも)、縫紋腰帯、篠懸、小刀、山伏扇、刺高数珠…というもの。
ちなみに観世流では山伏姿の時には左手を左腰にて…ちょうど小刀のあたりにあてる独特の構エをすることになっています。なぜ山伏だけがそういう特殊な構エをするのかわかりませんが、たしかに山伏の持つ武張った感じが出る構エです。
シテは地謡を聞きながら橋掛リを歩み行き、ちょうど終わるところで舞台の常座にてサシ込ヒラキをしてトメます。
シテ「月は古殿の燈火を挑げ。風は空廊の箒となつて。石上に塵なく滑らかなる。苔路を歩み寄辺の水。あら心すごの山洞やな。
「古殿」は「古びた建物」で、甍が破れているため月が燈火のように部屋の中に射し込む様子。「空廊」は細殿または渡殿をさす「廊」に人気のないこと。風が吹き渡るのを箒に例えて荒れ果てた草庵を表します。「石上」は意味を解しかねますが、普通に考えて「石畳」「敷石」で良いかも。…いずれにしても「僧正」のおわする所とは思われない草庵のイメージですから、やはりこのワキは修行三昧の僧と考えた方がよいと思います。
こうして前シテが草庵を訪れて、以下ワキとの問答になります。
シテ「いかにこの庵室の内へ案内申し候。
ワキ「我禅観の窓に向ひ。心を澄ます所に。案内申さんとは如何なる者ぞ。
シテ「これはこのあたりに住居する客僧にて候。我すでに身まかるべきを。御憐みにより命助かり申す事。返すがへすもありがたう候。この事申さん為にこれまで参りて候。
ワキ「これは思ひも寄らぬ事を承り候ものかな。命を助け申すとは更に思ひも寄らず候。
シテ「都東北院の辺にての御事なり。定めて思し召し合はすべし。かばかりの御志。などかは申し上げざらん。この報恩に何事にてもあれ。御望みの事候はゞ。刹那に叶へ申すべし。
この問答は面白いですね。シテはワキに命を助けてもらったことを謝していますが、その事件そのものについてはまったく触れられていません。そうして、その事件についてはついに明かされることなく中入になってしまうので、これだけを見たお客さまは「?」と思ってしまうはず。
ちなみに、謡本の中ではついに明かされないその事件ですが、能では間狂言がしっかり解説をする(→間狂言の内容については後述します)ので、能の舞台ではお客さまは「ああ、そういうことだったのか」と納得されるはずです。
このような展開は、能の中では稀ですね。ぬえはこの『大会』という曲を見て、能と間狂言との関係についていろいろと思うところがあります。…というのも、多くの能で前シテと後シテとの間をつなぐ間狂言ですが、そのお言葉を舞台で聞いていて、「はて?」と思う事が多いのです。
ちなみに観世流では山伏姿の時には左手を左腰にて…ちょうど小刀のあたりにあてる独特の構エをすることになっています。なぜ山伏だけがそういう特殊な構エをするのかわかりませんが、たしかに山伏の持つ武張った感じが出る構エです。
シテは地謡を聞きながら橋掛リを歩み行き、ちょうど終わるところで舞台の常座にてサシ込ヒラキをしてトメます。
シテ「月は古殿の燈火を挑げ。風は空廊の箒となつて。石上に塵なく滑らかなる。苔路を歩み寄辺の水。あら心すごの山洞やな。
「古殿」は「古びた建物」で、甍が破れているため月が燈火のように部屋の中に射し込む様子。「空廊」は細殿または渡殿をさす「廊」に人気のないこと。風が吹き渡るのを箒に例えて荒れ果てた草庵を表します。「石上」は意味を解しかねますが、普通に考えて「石畳」「敷石」で良いかも。…いずれにしても「僧正」のおわする所とは思われない草庵のイメージですから、やはりこのワキは修行三昧の僧と考えた方がよいと思います。
こうして前シテが草庵を訪れて、以下ワキとの問答になります。
シテ「いかにこの庵室の内へ案内申し候。
ワキ「我禅観の窓に向ひ。心を澄ます所に。案内申さんとは如何なる者ぞ。
シテ「これはこのあたりに住居する客僧にて候。我すでに身まかるべきを。御憐みにより命助かり申す事。返すがへすもありがたう候。この事申さん為にこれまで参りて候。
ワキ「これは思ひも寄らぬ事を承り候ものかな。命を助け申すとは更に思ひも寄らず候。
シテ「都東北院の辺にての御事なり。定めて思し召し合はすべし。かばかりの御志。などかは申し上げざらん。この報恩に何事にてもあれ。御望みの事候はゞ。刹那に叶へ申すべし。
この問答は面白いですね。シテはワキに命を助けてもらったことを謝していますが、その事件そのものについてはまったく触れられていません。そうして、その事件についてはついに明かされることなく中入になってしまうので、これだけを見たお客さまは「?」と思ってしまうはず。
ちなみに、謡本の中ではついに明かされないその事件ですが、能では間狂言がしっかり解説をする(→間狂言の内容については後述します)ので、能の舞台ではお客さまは「ああ、そういうことだったのか」と納得されるはずです。
このような展開は、能の中では稀ですね。ぬえはこの『大会』という曲を見て、能と間狂言との関係についていろいろと思うところがあります。…というのも、多くの能で前シテと後シテとの間をつなぐ間狂言ですが、そのお言葉を舞台で聞いていて、「はて?」と思う事が多いのです。