ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼・大島中学校で能楽ワークショップ

2016-01-23 02:15:11 | 能楽の心と癒しプロジェクト
。。というわけで昨年の活動について 今さらながら遅れに遅れてご報告申し上げます。

ええと。。4月の宮城県・塩釜市の塩竈神社での奉納上演や 伊豆の国市子ども創作能の鎌倉公演まではご報告したっけ。。 この頃も上演のほかに いろいろな事がありました。特筆すべきは3月末に東京・渋谷区松涛の観世能楽堂が閉館したことでしょう。ぬえも ほかの多くの観世流の能楽師同様、このお舞台で初舞台を踏み、初シテもここで迎えましたし、いくつかの難しい曲の披キも多くはこちらのお舞台で勤めさせて頂きました。

ぬえの師家として観世能楽堂での公式の最後の公演は3月19日にありましたが、なんと ぬえはその日の公演で上演された2番の能のうち、2番目の能『邯鄲』の地頭を勤めさせて頂きました。 ということは! ぬえの師家としての観世能楽堂での最後の公演の、そのまた最後の上演曲で これまた まさかまさかの最後まで声を出していたのは ぬえなのでした! お~~っ! (ちなみにこの『邯鄲』の上演が終わって楽屋で師匠にご挨拶申し上げたところ「地謡、良かったよ」と大変珍しく 師匠からお褒めのお言葉を頂戴しました!)

が、それだけでは終わらない。

この翌々月、師家の月例会は会場を移して同じく渋谷にあるセルリアンタワー能楽堂で開催されました。新しいけれどちょっと狭い能楽堂ですけれども、それでも師家の催しとしてこの能楽堂を使用するのはこの日が初めて。ところが、その新しい会場での最初の出番。。能の上演の前にある仕舞のうち、一番最初の曲『嵐山』を ぬえが舞うことになっていました。

。。ということは、新しい会場で口開けをしたのも これまた ぬえだったのです!。。単なる偶然ですけれどもね。

この頃は母が亡くなって一人住まいになった老いた父と同居するために実家に引っ越しをするのに大忙しの頃でもありました。気仙沼の教室に行くとき、レンタサイクルを借りて 母の葬儀の際にお花を大量に供えてくださった気仙沼の友人たちにご挨拶してまわったり。もうあれから1年近くになるのかあ。

さて次に特筆すべきは「能楽の心と癒やしプロジェクト」として、はじめて行った学校での能楽ワークショップです。これは7月14日に、気仙沼の大島中学校で行わせて頂きました。

考えてみれば ぬえの被災地支援活動のきっかけは、震災前に石巻と気仙沼で行った学校公演だったのです。これが、このとき宮城県の小中学生は大変に印象が良くて。鑑賞態度や挨拶の励行など、ともかく素晴らしいな、と思いながら学校公演を終えたのですが、それからしばらくして東日本大震災が起こって。。あの子たちはどうしているだろう、と思ったのが最初で、それで被災地での活動をはじめたのです。

その後の被災地での活動はご報告の通りで、避難所や仮設住宅、仮設商店街、寺社への奉納、近来は公営災害住宅んどで能楽の上演や能楽ワークショップを行ってきましたが、じつは ぬえが 思っていたこと。。学校公演の際に見たあの子たちが元気でいるかどうか、は いまだにわからないままではあります。。

もうそれは無理な話で、震災からまもなく5年を迎えようとする現在、ぬえが学校公演で出会ったあの子たちはみんな卒業して進学してしまっているはずなのですから。

それで、せめても、それらの学校での現在の在校児童・生徒に能楽ワークショップを行うことは ぬえの目標のひとつでもありました。。。が、学校でのワークショップ開催は なかなか難しい問題もあって。。これまで実現できずにいました。

それがこの度、気仙沼の市民の協力者の尽力によって、教育委員会や校長会にお願いして、ついに気仙沼市立大島中学校でのワークショップが実現したのでした。

大島中学校という名の通り、この中学校は気仙沼市内ではなくフェリーで30分ほど行った「大島」にある唯一の中学校です。この日は学校の全面的なご協力を頂き、フェリーの乗船料をご負担頂いて、5~6時限目にあたる13時から90分ほどの間、全校生徒48名に能について知って頂く機会を頂きました。

結果ですけれども、やはり宮城県の子どもたちは素晴らしい! みんな懸命に舞の稽古い取り組んでくましたし、面や楽器の体験でも希望者が多くでて、それだけじゃない ユーモアまでみんな心得ていて。面や楽器を触らせるには、取り扱い方などきちんと教えるのですが、それを逸脱することなく、不作法にふざけることもなく、それなのに なんかみんな楽しんじゃうのね。















それを端的に表すのがトップ画像で、女面と般若を顔に当てた生徒二人がお互いに見つめ合っているところ。「面は大切に扱って。触ってよいのは面紐を通すための穴のところしか持ってはいけない」と指導したのですが、それはちゃんと守りながら、女性の心情の極端に違う二つの面を表した能面を顔に当てて、それでお互いに見つめ合う。。ぬえはこれを見て笑っちゃいましたけれども、鋭いメッセージ性も感じられますよね。こういうことを とっさに考える生徒さんの洞察力や想像力ってスゴイと思います。

母、一周忌法要

2016-01-20 01:02:11 | 雑談
ご無沙汰しております ぬえです~。

母が急逝して はやくも1年が経とうとしています。

このブログも放置しっぱなしで。。
いえ、母の死のショックが原因ではなく、その後 老いて一人残された父の介護も兼ねて父と同居するために ぬえの家族ごと実家に戻りまして、その引っ越しの際の多忙と、そのどさくさに資料があちこちに分散したり 見あたらなくなったり。。 あれやこれやと思い悩んでいるうちにご報告の時期を逸したイベントも数多く。

そんな事情にはお構いなく押し寄せてくる舞台などに追われて、ついブログの執筆から足が遠のいてしまいました。

本日、母の一周忌の命日を前に、法要を相済ませまして、ようやくいち段落することができました。
なんだか、あっという間の1年でしたね~。
昨日は東京でも久しぶりの雪が舞い、交通はだいぶ混乱したようでしたが、今日はうってかわって素晴らしい晴天に恵まれました。
じつは今年、母の一周忌だけでなく、祖母の13回忌にも当たっていたため、今日は2つの法事を併せて執り行うことになりまして、親戚も多く集まって にぎやかな。。って言っちゃいけないか、昔話に花が咲きました。

母の死の直後、ぬえの周囲では いろいろと不思議な出来事も起こったのですが。。 敏感な方からは「急なことだったので、お互いに混乱しているみたいですが。。もっと高いところに行けるようお祈りして差し上げるしかないと思います」ともアドバイスを頂きまして、どうかなあ、結局 自分の舞台の時に着ている装束の下に形見の品を身につけたり、そっと遺影を目立たぬように置いて被災地で舞ったり。。そんな事のほかは どちらかというと努めて母のことは考えないようにしていたかも。冥福は祈っていましたが、それ以上のことは出来ないし、当初 ぬえはだいぶ狼狽してしまったので、それは母も望まないだろう、と考え直したり。

いま、ぬえは亡き母が使っていた部屋を使っています。ここは実家にいた当時、もともと ぬえが使っていた部屋でもありますが。。 いろんな事を思い、かえって頭からその思いを追い出すように、葛藤は続きながら、いつの間にか平安な日々に戻った、今日はそんな思いを持っています。うん、自分がこれほどマザコンとは思ってもみなかったです(笑)

そんなこんなで、ようやく これを機会にブログを再開しようと思っています。

思えば、自分の能の舞台でも、伊豆の子どもたちの舞台でも、被災地での活動でも、これまでの休止期間中にご報告は山のようにあるかも~。

あまりにもタイムラグが大きすぎて、しばらくの間は 今さらそんな時期の話題?? と怪訝に思われるかもしれませんが、ぬえの活動を記録しておくためにも、またその当時にお世話になった方々への恩義を尽くすためにも、細々ながら昨年のご報告から再開していきたいと思います。

ご迷惑の段、まことに申し訳なく、お詫び申し上げながら、改めまして今後ともよろしくお願い申し上げます~ m(__)m