ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

大槌町から気仙沼へ

2018-08-27 08:26:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ちょっと時間が経ってしまいまいましたが、その後の報告です。
 
初めての大槌町での活動は町内・安渡(あんど)地区の公民館で行われました。
新しく、モダンな公民館でしたが、じつは安渡地区はもともと海に近い場所にあって、震災時も被害が大きかったようで、公民館も津波の被害を受け、この建物も震災後に再建されたものだそうです。
 
上演曲は「羽衣」で、初めて活動する場所では必ずこの曲を上演することにしております。
終演後は恒例の体験会も行い、楽しい催しとなりました。











(撮影:新宮夕海氏)
 
終了後に宮城県・気仙沼市に移動。
 
今回は旧知の住民さんの「ゆかぽん」家に泊めて頂きました。
高台に建つ住居の裏には広い旧家があって、ここに泊めて頂いたのですが、震災当時はこの家が臨時の避難所になり、その状態が長期化するにつれて「みなし仮設」(賃貸アパートなど自治体が建設する仮設住宅ではないが、被災者が生活する場所として認定された施設)となっていたとのこと。
 
気仙沼での活動は久しぶりですが、なんとこの日、ゆかぽんが呼び掛けてくれて、これまでにプロジェクトの活動に支援頂いたみなさんが集まってくださり、お庭でバーベキュー大会になりました!
 
仙台でお勤めしている ゆかぽんの長女と、盛岡で大学生活を送る長男もお盆で帰省して、なんとも賑やかなパーティーになりました。二人ともプロジェクトの能楽体験に参加したことがありますが、当時はたしか小中学生。。もうあれから7年も経ったのだもんね。
 
。。が、話題はやはりいつの間にか震災のことに。
分けてもこの夜、集まった方のうちのお一人から、震災関連死についての重い重い体験談を伺う事になりました。
 
詳しくここに内容を書くことはできませんが、震災の犠牲になった両親の跡を追ってしまった少年の話。。あまりにも重く、悲しい。生き残った命を「死なせてしまうのは もう見たくない」と、この話者さんは締めくくりました。
 
。。
 
じつは ぬえは震災の体験談というものを ほとんど聞いた事がありません。
実際に被災地の瓦礫や倒壊した建物を見には行くんだけれど、その惨状を見て決意を新たにして避難所や仮設住宅に向かいます。
しかしプロジェクトの活動は被災した住民さんに楽しんで頂くことを目的としているので、そこで被災体験を伺うことはありません。宿泊したときなど、住民さんと膝をつめてふれ合う場面で断片的な体験談を伺うことが何度かありましたが。。
 
それだけに、この夜に聞いた少年の死の話はショッキングでもあり、7年経っても 当事者にしかわからない重い心の傷を、この街は抱え続けているのを実感しました。
 
震災の記憶の風化がかつて言われ、今はそれさえ話題に上らなくなった昨今ですが、伝えてゆくべき事もまた、あるのだと思います。

風の電話

2018-08-15 10:18:33 | 能楽の心と癒しプロジェクト
怒濤の被災地支援活動をすでに終え、東京に帰る途中です。
今回もいろんなものを見、聞きして、内容の濃い活動となりました。
かいつまんで、にはなりますが、ご報告申し上げようと思います。
 
8月10日、大槌町の町役場で笛の寺井宏明さんと、能楽写真家で 今回の大槌町での活動をコーディネートしてくれた新宮夕海さんと現地集合で落ち合い、実際に大槌町での活動を受け入れ、各方面との調整や準備に奔走してくださった佐々木慶一町議さんや、その佐々木さんを紹介頂いた藤原勝志ともお会いして、翌日の上演内容や段取りの打合せをさせて頂きました。
 
が。。この集合時刻にまだ余裕があった ぬえは、集合の前に もう3度目になった 大槌町にある「風の電話」に行ってきました。ぬえにとっても亡くなった大切な人に会う貴重な場所。。
 
ところが、「風の電話」のすぐ下には。。1年前に ぬえ自身も着工をこの目で見た三陸自動車道が完成していました。
開通はまだのようでしたが、もうすぐここをビュンビュンと車が疾走するのですね。。


 
もういくばくもなく、亡き人と語り合う静かな時間は失われてしまうのでしょう。
そうして、建設された三陸道は土盛りされて、もう「風の電話」から大槌湾の海は見えなくなってしまっていました。。
 
もうひとつ、大槌町には有名なものがありまして、それが「ひょっこりひょうたん島」です。
 

 
大槌湾に浮かぶ小島で、正しくは「蓬莱島」、もしくは弁財天を祀っているので地元では「弁天島」とも呼び習わしているのだそうです。
 
昔のテレビの人形劇番組に出てくる小島のモデルになった、とも言われていて、この名前でも有名なのですが、実際にはこの島が人形劇のモデルなのかは不明で、台本を書いた井上ひさしさんが東北の出身で、代表作の小説『吉里吉里人』との関係が思われる「吉里吉里」という地名が大槌町にあることからの連想なのかもしれない、とのこと。
 
そんな「ひょっこりひょうたん島」ですが、じつは ぬえはもう何回かこの大槌町を訪れているのに なぜか一度も目にしたことがありません。
 
それがこの度は場所を教えていただき、そのうえなんとこの島は堤防で陸続きになっている、という情報まで得て、それならば、と島に行ってみることにしました。
 
藤原さんの案内でついにたどり着いた島は。。あれ? 以前に写真で見たのと少し印象が違うような。。
 

 

  
じつはこの島は震災の時に津波が超えて行ったそうで、そのときに灯台も弁財天を祀る祠も壊れてしまったそうで、それらは震災後に再建されたのだそうです。
灯台の形が以前と変わったのか、津波によって島が削られて形が変わったのか。。

鵜住居復興スタジアム

2018-08-11 00:18:47 | 能楽の心と癒しプロジェクト
遠野を出ていよいよ最初の活動場所である岩手県・大槌町に到着しました!
 
…とは言っても今夜は大槌町に到着しただけで、本格的な上演活動はあさってから始まります。今日は同地の受け入れ協力者さんにご挨拶し、おいしいお食事をご馳走頂きました!
 
さて大槌町に向かう途中にも、いくつか震災以来見守り続けてきた遺構のその後を見てきたのですが、今回ぜひともご紹介したいのが釜石市の鵜住居(うのすまい)地区に完成なった「鵜住居復興スタジアム」です。
 
釜石市の中心部からは少し北上した場所にある鵜住居地区ですが、ぬえらプロジェクトは何度か被災旅館での活動を行いました。はじめて当地を訪れたのは震災の年の年末。この時は宮城県と比べて、岩手県の復興は半年遅れているな。。と感じたものですが。
 
ところがその後、ぬえが見てきた限りでは岩手県の復興は どんどんと進められました。防潮堤問題ひとつとっても、岩手県では「作るべきところには作る。不要と住民さんが決断したところは建設を諦めて潔く撤退する」というように、ぬえの素人目ながら、ブレない基準をもって貫き通して、震災から7年目の、それにふさわしい復興が進められてきたのだ、という実感が感じられます。
 
さてこの鵜住居復興スタジアムですが、2~3年前にはじめてこの計画を聞いた ぬえはビックリ仰天でした。なんせ。。実際に津波が襲って被災した小中学校の建物を取り壊した、その跡地にスタジアムを建設し、東京オリンピックの前年。。つまり来年に日本で行われるラグビーのワールドカップの試合会場に誘致しよう、というのですから。
 
そして。。その後この計画は実現し、つい先日、テレビのニュース番組でスタジアムの完成が報道されました。
 
まさか、の展開。ぬえもこの機会にスタジアムを見に行ってみました。
 
ふうむ、すごいなあ。
正直言って、東京のスタジアムのような壮麗はないのだけれど、あの学校跡地がこうなるとは。。
 
そのスタジアムが震災当時どうなっていたのか。
ここで ぬえが2011年の終わりに撮影した画像をお見せしましょう。
 

 

 


「○」「スミ」は生存者の捜索作業がすでに完了した場所であることを、後続の捜索隊に知らせるために書かれたサインです。

。。これほどひどい状況だったのが、いま外国人のサポーターをゲストとしてお迎えしてワールドカップを開催する施設に変貌を遂げる日が来るとは。。
 
ちなみに、そのとき被災した「鵜住居小学校」「釜石東中学校」ですが、震災当時は日頃の避難訓練が効を奏して いち早く避難して、1名の犠牲者も出さなかったそうで、「釜石の奇跡」などといわれました。


それがこれほどに震災後に復興を遂げるなんて。
素晴らしいことです。

悟道の里山

2018-08-09 19:38:54 | 能楽の心と癒しプロジェクト
台風と並走しながら東北に向かいましたが、風も雨もそれほど厳しくはなく、それでも8時間掛かってようやく遠野に到着しました!
 
大槌町での活動は明後日で、明日は現地に入るだけの予定ですが、思うところもあり、また長旅で疲れた様子で現地入りするのもどうかと思うので、さらに1日早く岩手県に入り、今夜は遠野の「悟道の里山」に泊めて頂くことにしました。
 
ここ「悟道の里山」は、石巻のご出身で解体業のほかレストラン経営など多方面で活躍される真野孝仁さんが震災の犠牲者の慰霊の意味を込めて遠野に建設された施設で、誰でも拝礼できるように わざわざ無宗派として建立した寺院を精神的な支柱にして、この地方独特の「曲り家」(の形式の巨大な建物)を中心に、森あり、池ありの広大な施設です。
 

 
真野さんは震災当時にバイクを駆って石巻市内の在宅避難者の救済に当たったりの奔走をされたそうですが、その後この施設を建設され、この日は久しぶりにお会いできるかと思ったのですが、なんと広島の豪雨の被災地に行っておられるとか。。残念。
 
さて昨年の開山式には ぬえも奉納上演させて頂きましたが、鎮魂のための施設にとどまらず、文化の発信基地として いろいろなイベントも行われています。
 
その「悟道の里山」が来月に1周年を迎えるそうです。
 

 
あいにく ぬえはこの日は東京で舞台があり参上できませんが、真野さんとは「いつか石巻で鎮魂のための本格的な能楽の上演をしよう!」と話し合っております。
その日が来ることを心から願って、今日はここに鎮座された仏さまに手を合わせて、ありがたく投宿させて頂きます。

大槌町へ

2018-08-09 11:14:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
3.11に名取市・閖上を訪れて以来、久しぶりの東北地方支援活動に出発しました。お盆ですもん。
 
。。が、まさかの台風と並走しての北上になるとは。。
またしても「嵐を呼ぶ男」になってしまうのか。(←迷惑)
 
それにしても。。
 
常磐道で福島県・楢葉や大熊・双葉あたりを走りながら周囲を見ると。
原野と化した田畑。。
扉や窓も失われて廃墟となった家屋。。
草原にポツンと滑り台やブランコが立つのは小学校の校庭か。。
 
あれから7年半。
長崎の原爆の日に、「罪の深さ」を思う。。