ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆で子ども能初稽古~謡初め~初詣(その3)

2011-01-31 13:37:21 | 能楽
金曜日から三日間、伊豆に行って参りました。

当地に伝わる「鵺ばらい祭」を見て、沼津で結婚式に出演し、さらにお稽古のため。なんだか飲みっぱなしの三日間ではありましたが~ (^_^;)

そのご報告の前に、先週のお稽古の話を終わらせねば~ ; 。;

午後からは伊豆でのお稽古~。子ども能の主役を勤めるみーちゃん(小6)とそのママ、今年から武士役を勤める ひとちゃん(小4)のパパとママが、子ども能のほかに謡と仕舞のお稽古をしてくれています。



で、この日が今年のはじめての稽古というわけで、謡初めをすることにしました。1年前はまだみんな謡えなくて、ぬえが一人で謡ったものですが、いつの間にかみなさん上達されて…子どもたちもちゃあんとシテ・ワキを分担して謡いましたし、なんと仕舞まで披露することができました~。やんや やんや

ををっ! 一人はなんと無本で謡っていますね~。ま、『鶴亀』のワキなんで たった4句しかないんですが、それでもちゃんと覚えて謡初めに臨もう、という心意気が頼もしいし、うれしいじゃありませんか!

ちなみに地謡の人員が少ないのですが…ママたちはしっかり子どもたちが謡う様子を撮影するのに忙しかったのでした~ (^◇^;)

さて時は移って先日の金曜日。当地伊豆で毎年行われている「鵺ばらい祭」を見てきました。これ、ずっと見たいと思っていたんです。「ぬえ」としましては一度見ておかねばなるまい。

なんで伊豆で鵺? かと申しますと、鵺を退治したとされる源頼政の奥さん…あやめ御前という方が、当地の出身ということになっていまして、そんな関係から始まった催しであるようです。頼政ご本人ではなくその奥さんの出身地だから、鵺退治とは直接は関係ないのですが、またこの「鵺ばらい祭」で上演された「鵺おどり」にも あやめ御前は登場しないのですが…まあ、これとは別に初夏には盛大に「あやめ祭」が開催されていますし、あやめ御前~頼政~鵺という全体の人間関係(?)を視野に納めて いおいろなイベントとして結実しているのですね。

この日はかなり寒かったですが…それをものともせずに、まず弓道の試射が行われていました。これも頼政が鵺を射て退治した(そのあと郎党の猪早太が九刀刺して絶命させた)という『平家物語』の記述にちなむものでしょう。



的は…あわれ鵺の絵でした。南無阿弥陀仏~(・_・、)



もう、ぬえはグッサグサに矢が立ってをりました~
(画像が悪くてすみませ~ん)

伊豆で子ども能初稽古~謡初め~初詣(その2)

2011-01-28 11:22:16 | 能楽
で、そのあとは守山八幡宮を抱く守山に登ってみました。小さな山なんだけど、登るのは結構キビシイとは聞いたことがありましたが、たしかに少々きつい山道ですね~。

で、山頂から見た景色がこちら!



伊豆というところは山ばかりですけれども、このあたりだけは「田方平野」といって三島から大仁あたりまで平野が広がっています。向かい側に見える山稜を越えると伊東など東伊豆方面ですが、その山が始まるところに平家の目代だった山木兼隆が屋敷を構えていました。平治の乱のあとこの伊豆に流罪になった頼朝は当時14歳。その後20年を過ごした伊豆では地元豪族の歓待を受けて、割とのんびりと暮らしていたようですが、治承4年(1180)、高倉宮(以仁王)の宣旨を受けてついに平家討伐のために挙兵したのでした。

その第一目標が山木兼隆。この画像では眼下に守山に抱かれて北條の舘がありましたから、そこから出発した頼朝軍はすぐ目の前の山木館を攻撃したことがわかります。直線距離にして2~3kmしかないんじゃないかなあ。

8月17日の決行当夜は三島大社の夏の祭礼の日にあたり、山木館の郎党が参詣に出払った隙を突いて頼朝は奇襲攻撃を掛けたのですが、『吾妻鏡』や『源平盛衰記』にはこの挙兵についていろいろと逸話が残されていて興味深いです。

いわく、奇行で知られる僧・文覚が道ばたに落ちていた髑髏を頼朝の父・義朝の遺骨だと言って頼朝に見せて頼朝に挙兵を決意させようとしたり、同じく文覚は、なおも挙兵を渋る頼朝のために伊豆から1週間で都(当時は福原)に駆けつけて後白河法皇から院宣を取りつけたり。

挙兵を決意した頼朝は数少ない手勢を各地の豪族に派遣して、加勢を呼び掛けたのですが、派遣を前にして有力な郎党を一人ひとり居室に呼んで「お前だけを信頼している」とそれぞれに言ったり。

はたまた、挙兵の当夜に派遣された佐々木兄弟が舘に帰らず、頼朝は佐々木の裏切りと計画の発覚を恐れましたが、周囲から決行の延期を勧められると、翌18日には幼少の頃から観音像を祀る習慣を変えたくない、と反対したり。

史実はともかく、面白い話がたくさんあって興味は尽きないです。またこうやって現地を見ると、その時の状況がよくわかります。いや、面白いですよ。たとえば北條の居館は遺構が発見されて現在発掘調査中です。



ここに立ってみると不思議な事を発見。伊豆から大きく見える富士山が、なぜか北條居館からは見えないのです。狩野川をはさんで対岸に小さな山があって… どうしてこの地に居館を定めたのでしょうかね? 守山のを背にした場所で、居館を築くには防備には有利な地形だとは思いますが、そういう地形はほかにもあると思うし。

伊豆で子ども能初稽古~謡初め~初詣

2011-01-24 14:28:34 | 能楽
日曜日は伊豆で子ども能のお稽古がありました。

去年の11月に神社の秋祭りで子ども能を上演してから、早くも2ヶ月半が経っていたのですね~。その上演が割と評判がよかったらしく、来月の初旬に同じく神社の…今度は「梅まつり」での再演が決定しました!

それでその公演に向けてお稽古を開始したのですが。今回はなんと たった2回の稽古だけしか日を設けませんでした。まあ出演者はほぼ11月と同じだし台本も同じ。そのうえ秋の公演が終わって、それぞれご家庭のスケジュールもありますから、このように突発的に決まった催しのために、あまり子どもたちを何度も稽古で拘束しない方が かえってスムーズに稽古が進んでいく、と判断したのでした。

いや、根を詰めて稽古するよりもかえって良かったかも。「稽古日が少ないから、みんな ちゃあんと予習してくるんだよ~」と あらかじめ呼び掛けておいた甲斐もあって、みんな謡も型もしっかり出来ていました。なんとこの日は たった1時間で稽古は終了! 武士の戦いの場面では、11月よりもかえって緊張感があって良かった子まであって、あら不思議。この子たちは同じ市内とはいっても ずいぶん離れたところに住んでいる子たちなので、一緒に稽古したとも思えず…やる気が芽生えて、舞台勘というか…コツのようなものもつかんだのでしょうね。画像はその稽古の模様ですが…うまく撮れませんでした~(T.T)

結局、突然の呼びかけで2月の上演が決まったのですが、前回の出演者からご家庭の予定と合わずに残念ながらキャンセルとなったのは わずか1家のみでした。…その1家の子が、子ども能の中では重要な役を勤めていたので、一時は心配もしたのですが、代役となった子…ひとちゃん(4年生)がしっかり役を覚えてきてくれて、この日の稽古でもまったく破綻なく役をこなしました。ん~驚異的!

ひとちゃんは子ども能のほかにも ぬえについて個人的に稽古をしているので、能に対する素養も生まれていただろうし、ご父兄もおうちでよく稽古をつけてあげていたものと見えます。…それでも この役について ぬえが稽古してあげたのは去年の年末のわずか1回だけでしたから、それにしては良く出来すぎ。頼もしいぞっ

お稽古が終わって会場を出てみると、そこにはさすが温泉場だけのことはあって「足湯」があります。足湯はこの近辺だけで3カ所以上ありますし、なんと市内の大仁地区では駅前ロータリーの中に足湯がある! で、子どもたちはしっかり足湯につかっていました。(^◇^;) ぬえもちょっと一緒に話をして、それから午後に予定されている謡曲教室までしばらく時間があったので、あちこち行ってみました。

まずは海! 伊豆長岡から車で15分ほど走ると三津の浜辺に出ます。ここは沼津市になるんですね。ぬえが良く通っている伊豆の国市には海がありませんが、ちょっと走ると駿河湾の静かな海が広がっています。ここの漁港で日曜日だけ開かれている朝市にかろうじて間に合って、干物を買いました~。

それからまた長岡に戻って、頼朝が崇敬した「守山八幡宮」に初詣に行きました。正月も20日を過ぎてからの初詣とは遅いにも限度というものがありますが、子どもたちの健康や子ども能そのものの安泰を願って、当地の神様に初詣することはあらかじめ心に決めていたので、ようやくそれを果たすことができました。



考えてみれば、本当は先週初詣に来るはずだったんだよなあ。インフルエンザに罹ってしまいまして、それは叶いませんでしたが、ようやく今年初の伊豆を満喫したのでした。

師家所蔵 オープンリールテープのデジタル化大作戦!(その4)

2011-01-17 21:25:17 | 能楽
熱が出ました~ つらかった~ 週末は台無しでした…。楽しみにしていた 伊豆の「どんど焼き」を見に行く計画も断念。(T.T)

さてさてオープンリールですが、こうして重宝がられて録音された音源もやがて時代の趨勢によってカセットテープなどの別のメディアに取って代わられ、オープンリールデッキさえも納戸の奥にしまい込まれる運命を辿ることとなりました。

今回発掘調査したのがこの聞かれなくなったオープンリールテープで、調査にあたってリストを作るところからスタートしたわけですが、結果は昭和30年が最も古い録音…と前述したのですが、昭和27年の『石橋』の録音が出てきました。昭和27~30年といえば、師家としては戦災で品川にあった高輪能楽堂を失い、また現在の 東京都渋谷区にある師家の稽古舞台も建っていない頃ですから、ご苦労が多かった時代ではないかと思いますが、それでもそんな当時にこれほど録音にバイタリティが傾注されていたのですから、やはりテープデッキというものは夢の機器の登場であったのでしょう。

さて録音されていた内容ですが…これは大変に貴重、重要なものばかりだと言えると思います。ちょっと例を書き記してみますと…

『石橋』大獅子(昭和27年)
『融』十三段之舞(昭和30年)
『鸚鵡小町』(昭和31年)
『高砂』八段之舞(昭和31年)
『三輪』誓納(昭和33年)
『乱』双之舞(昭和33年)
『姨捨』(昭和41年)
『木賊』(昭和43年)
『鷺』(昭和43年)

ここまでは ぬえにとっては先代の師匠(故人)がシテを勤められた音源ですが、よくまあ これほどまでに大曲がズラリと並んだものだと思います。

一方、ぬえの今の師匠がおシテを勤められた曲の音源もいくつかありました。

『翁』(昭和31年)
『望月』(昭和32年)
『道成寺』(昭和33年)
『富士太鼓』現之楽(昭和40年)
『融』十三段之舞(昭和40年)

昭和31年~40年ということになると、ぬえの今の師匠が15歳~24歳という計算になりますね。…え?? 師匠ってば高校生の頃にすでに『翁』『望月』を勤められたのです?? (@_@;)

…まあ、現在とはまたいろいろと事情が違ったのでしょうが、それにしても若い頃に重い曲を次々に勤められたのはお家の跡取りとしての自覚も、父親…先代の師匠の教育も相当に強く発揮されなければ実現しないでしょう。…そういう家の事情や方針ということもまたあるのですが、そのほか ぬえはこの上演曲を見て、今より決して公演回数が多いはずはなかった当時の、それでも現代をはるかにしのぐような能楽界の活気みたいなものを感じます。

師家所蔵 オープンリールテープのデジタル化大作戦!(その3)

2011-01-10 01:05:05 | 能楽
やっと久しぶりの話題に帰ってきました。この正月はこの作業でた~いへんでした~。

前回はオープンリールテープデッキは、はじめて個人が自分の目的に合わせて自由に音声を記録することを許す画期的な機会だった、というところまでお話ししたと思います。これは演じた端から消え去っていってしまう、という舞台芸術や音楽の宿命を根元からひっくり返す革命的な技術で、世阿弥の言う「離見」を簡単に実現できてしまう事を知った当時の能楽師たちの驚きは想像に難くない。…これにお金を惜しむ事はできなかったでしょうね~

今は音声どころか動画も数万円もしないホームビデオカメラで気軽に撮影できるようになり、隔世の感ではありますが、科学技術の進歩というものは少しずつ、少しずつ、進歩してゆくのですね~。先代の師匠が…いや、そのまた先代がおられた頃にビデオがあったなら…。その芸を拝見したかったな~、と思う ぬえでした。

そう言えば ぬえが書生に入門した当時、DVDはまだなく、ようやくビデオが普及した程度だったと思います。まだビデオカメラは高価で、とても自分の稽古を録画することはできませんでしたが、能楽堂にはカメラが設置され、楽屋に置かれたビデオデッキで自分が勤めたお役を録画することは、当時すでにできました。ぬえも書生に入門したときに、そんな事情から自分用のビデオデッキを買って、能楽堂で録画した自分の舞台を見て反省・研究するように師匠から勧められたものです。

が、この当時…まだビデオはソニーのベータ方式が主流でした。…というか、最初にビデオデッキを発売したのがソニーで、その採用した方式がベータだったのですね。それに当時 能楽師はみ~んな飛びついて、ベータのビデオデッキを買ったのです。

その後、ソニー以外の後発の家電メーカーが結託してVHS方式のビデオを発売し、ようやくビデオデッキが普及して価格が下がって、ベータ方式はVHSに負けて姿を消したのでした。…いま伊豆の ぬえの教え子の小学生たちに「ベータ」「VHS」なんて言ってもわかんないよな~。なんせヤツら、21世紀生まれだったりしますから。(__;)

ともあれ、能楽師はこのベータからVHSへのフォーマットの推移に衝撃を受けたのでした。(^◇^;)

能楽堂のビデオデッキもいつの間にかVHSに替わり、み~んな、それまで撮り貯めたテープをダビングしてVHSに移し替えたのでした。今と違ってアナログのダビングですから、ダビングにはいちいち上演時間と同じ時間が掛かるうえ画質も落ちるのですが、みんな泣く泣くおうちで毎夜2台のデッキと格闘していたのです。

それから時代はデジタルになり…今度はVHSからDVDへのダビングという作業が能楽師を待ち受けているとも知らずに…(T.T)

でもね、ぬえなんかまだ軽傷の方です。ある日師家の大掃除のときだったかな…不要品を処分する作業をお手伝いしていたときに見たものは…それはそれは巨大なビデオデッキでした。それもベータの。差し渡し…そうだなあ、幅は50cmじゃ済まなかったかも。おそらくビデオデッキというものが最初に発売されてから いくばくも時間が経っていない、初期のデッキなのだと思います。さすがの ぬえもこれには驚きました。その機器が当時いかに高価だったのかに思いを馳せ…それ以上に、この頃から撮り貯めたビデオを、その後VHSに直し、さらにデジタル化し…気が遠くなりそう。

それでも、お気持ちはよくわかります。それほど我々にとって、自分の舞う姿を客観的に見ることは、希求されてきた思いなんですよね。

これは動画のことですが、それどころか音声の記録なんて考えられなかった時代に、突如現れたオープンリールはさぞ能楽師に衝撃を与えたことでしょう。

師家月例公演の申合

2011-01-08 02:03:51 | 能楽
今日は師家の月例公演の申合でした。

この正月は、前述の師家所蔵オープンリールをデジタル化する作業に追われて、なんとも忙しい日々を送っておりました。ちなみに元旦の深夜には師家の600年前の出身地…丹波篠山で恒例の「翁神事」が行われましたが、今年は ぬえは当番に当たっておりませんで、自宅で正月を過ごしました。

翌2日は師家の謡初めで、チビぬえも仕舞で初参加させて頂きました。…こうして能楽師は正月早々は公式行事があっていろいろと落ち着かない感じですが、それから本格的な正月休みになります。今年はお弟子さんのお稽古が正月6日から始まったので、まあ正月休みは3日間ですか。その間はずっとパソコンを駆使してオープンリールから起こした音源の調整やらCDへの焼き込みやら、インデックス作りやらで連日深夜まで作業しておりました…なんか疲れた~

で、今日が師家の初会の申合。久しぶりに能に触れた、って気分に能楽師がなる瞬間です。でもまた、年のうちで最も注意を要する日でもあるのですが…

なんだか不思議なようですが、毎年 正月を迎えてから最初の舞台…ことにその申合では 普段ではあり得ないようなミスが出ることがありますね。なんでだろう…舞台に対する「勘」みたいなものが、正月をはさんで弛むと言うか…。

考えてみれば、さすがに年末…クリスマスを過ぎれば暮れが迫りすぎて催しはできにくいもので、そうなると舞台としての仕事納めは12月20日過ぎあたりまで、という事になるでしょう。そうして正月の最初の催し…大概は月例公演になるわけですが、その申合が年始の最初の能ということになります。今年の場合は今日…7日でしたから、舞台のブランクは2週間強ということになります。ん~、ブランクとしては特別に長いわけでもないんだけれども。

しかも前述のように謡初めや、ぬえの師家の場合は元旦の深夜に「翁神事」があったり、と、結局 年末年始といえども毎週 能を上演している計算です。

それでも…なぜかなあ、正月の最初の能の申合では、ミスが出ることがありますね。そうでなくても なんだか声がうまく出ないとか、足がうまく動かなくて焦る、というような事があります。正月をはさんで、能の催しこそなくても、お弟子さんのお稽古がないとか、本当に謡や舞から遠ざかるのはこの時期しかないので、そういう影響かもしれません。

能の世界の言葉ではないけれど、誰だったか、芸について こんな事を言っておられましたね。ご存じの方もあろうと思いますが、

1日稽古を休めば神様にわかる。
2日稽古を休めば自分にわかる。
3日稽古を休めば観客にわかる。

…そういうものかも知れません。ぬえの場合は、舞に関しては、修業時代にある程度までは身体を作ったと思いますので ここまでは思いませんが、謡は確実にこの通りです。2日も声を出さないでいると こわくて舞台には行けない~

ところが今日の申合は良かったように思います。とくに『翁』の千歳と三番叟かな。とても型が切れていて。ミスも出なかったし、今年はみなさん年始からアクセル全開ですね~! ぬえもこの申合の前日からお弟子さんの稽古を通じて声を出してコンディションを整えていたので、少なくとも発声に不安はありませんでした。

今年も良い舞台が勤められますように~。

あけましておめでとうございます

2011-01-01 03:15:47 | 能楽
あけましておめでとうございます
新年を寿ぎ、皆様のご多幸を祈念申し上げます。

この正月でこのブログも5周年を迎えさせて頂くこととなりました。最近は時間に追われてあまり更新も ままなりませんで心苦しい限りですが、折々に能の作品研究もしていきたいと思っております。
今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます~m(__)m

今年の ぬえは、5月に師家の月例公演で能『大会』を勤めさせて頂くのが当面の目標で、いまその演出について、師匠と相談させて頂いたり、作品の読み込みを行っているところです。

そのほかにも楽しみにしている舞台は多いのですが、折々に触れてゆきたいと思います。

伊豆で行っている「子ども創作能」…指導も もう今年で12年目を数えるのですが、昨年より ぬえが自主的に企画に携わるようになり、新しいTシャツを作ったり、会場を神社の神楽殿という、市民により近い場所で上演するようになったり…収穫の多い1年でした。ぬえが本当にやりたかった事がようやく出来るようになった実感を、幸せに思っております。
今年はすでに2月に「子ども創作能」の再演が決まりまして、子どもたちとの楽しい稽古も始まります!

それから ぬえが教えている謡曲仕舞教室の生徒さんの発表会を6月に計画していまして、生徒さんたちも去年のうちから稽古に邁進しております。晴れ舞台ですからね~ みなさん頑張ってくださいまし~!

あとは千葉県・野田市で行っている能楽講座「和のおけいこ講座」。毎月1回、とっても趣のある日本建築の邸宅をお借りして開いているこの催しも、この正月で30回目を数えるに至りました。毎回ビデオを見ながら能の解説を行うのですが、とっても評判が良くて、参加者からは 見どころがわかりやすいので、能の公演の開演前にやったらいいんじゃないか? とまで言って頂いておりますが、まあ…開演前ではネタばれになっちゃいますし、時間的にも難しい問題はありますが、能に興味を持って頂けるのでしたら考えていかなければいけない事ですね。

ちなみに ぬえ、能の1曲1曲について、面白い話題はたくさん持っていて、毎回の「和のおけいこ講座」や、普段の生徒さんのお稽古でも話題に困ることはありませんね~。…たとえば『竹生島』『経正』という、観世流で謡の稽古の順番がなんとなく決まっていますが、この曲の稽古のときには ぬえは、経正が竹生島に参詣した時に起きた「奇跡」のお話をします。この2つの曲はたまたま稽古順が隣り合っただけなんですが、この話題は稽古をしている生徒さんに喜んで頂けるようですね。また『羽衣』では、謡本に出てくる「白の天女と黒の天女」というお話をします。…こういう、日本人の想像力のスゴさ…そうしてそれを日本人がずっと「常識」として考えてきたのに、現代人にはまったく受け継がれていないお話は、ぬえ自信も初めてそれを知った時には本当に驚いたものですし、きちんと解説していかなければならないと考えています。

あ、『羽衣』で思い出しました…
もう今さら、かもですが、元朝の今朝、ぬえの師匠が舞う『羽衣』がNHK教育テレビで放映されます。

早朝6:35より。ぬえも地謡の前列で参加しておりますが、おワキ・お囃子方、そうして地謡のリーダーとも名人が揃う豪華な上演。収録は12月に行われたのですが、いや~緊張した『羽衣』でした~

そんなこんなで、また慌ただしく年が明けました。
改めまして今後ともよろしくお願い申し上げます~ m(__)m