「みなし仮設」というのは、地方自治体が建設したプレハブの仮設住宅ではなくて、民間の賃貸住宅に入居した被災者を支援するために、その住宅を仮設住宅とみなして賃料を自治体が負担する制度なのだそうです。Oさんの場合、まだ小さいお子さんがいらっしゃるご家庭だそうなので、なるほど、仮設住宅ではちょっと酷ではありますね。一律にプレハブ住宅に住むことを強要しない柔軟な制度に拍手。ぬえは仮設住宅のしつらえについてあまり良い印象を持っていないので。。
ちなみに通常は2年間で仮設住宅も撤去になります。この住居が自立支援のために造られたものだから。それでも年齢等の事情によっては仮設住宅が解消されれば 深刻な事態に陥る方もいるわけで、不幸にして、しかし現実でもあるそういう世帯のために、神戸では「復興住宅」というものが建てられました。ここは2年間で自立できなかった被災者が無期限で住み続ける事ができる住居なのですが。。実態を教えて頂いた ぬえはまたまた絶句。。2年間の間に雇用を確保して生活を再建するのは急務だと思います。
先日、静岡県・三島の友人(昨年4月から自費で支援活動を敢行。彼らの活躍なくして今の ぬえはありません)とこの問題を話していて、いわく「今回の震災は阪神淡路の時と比べられない。神戸は大都会であり、近くに大阪もあった。東北はもともと過疎化・高齢化が進み、シャッター通り商店街も目立っていた。石巻はまだ都会だけれど、市街から離れ、産業基盤さえ失われた小さな漁村の高齢の被災者に、復興のために立ち上がれ、と言うのも酷な話で、広い地域で産業・生活の再編成が必要ではないか」。。とのこと。
この時はなるほどもっともな話で、ぬえも首肯したのです。そうして それまでに ぬえが聞いた仮設住宅の自治会長さん。。多くは高齢の、ぬえらの活動の受け入れもしてくださった方々が語られる現地の現状もそれを裏打ちするようなものでした。
ただ、高齢化や過疎という問題はあっても、あれだけの災害に遭った古里の復興の何もしないわけにはいかないのではないか。。今の ぬえはそんな事も考えています。震災から1年が経って、再建の努力が。。そりゃ最大限努力している方も多いと思いますが、もう少し強くこちらに伝わってきても良いんじゃないかな。。とも思うこともあります。デリケートな問題なので誤解や言い過ぎも恐れますが、災害の不幸の時点で止まっているわけにはいかないです。全国からの支援に対して、いつか胸を張って「こんなに立派な町になりました!」と言って頂きたい。そのとき、はじめて全国のボランティア戦士も自分たちの活動を誇りに思えるでしょう。そんな日が来ることを願っています。
そんな折もおり、宮城県では仮設住宅の設置期間を2年ではなく3年に延長した、というニュースが飛び込んできました。英断です! ぬえも出来るだけ長く支援活動を続けて行きたいと思っています。ぬえらが出来る事といったら住民さんに楽しんで頂くことぐらいしか出来ませんけれどもね~
さて東松島市・矢本の運動公園に建てられた広大な仮設住宅群。ここの集会所が今回の訪問の最後の公演地になります。
木村健人さんが打った「般若」面。。あまりに膨大なその面を展示するスペースを作り、ぬえらも扇などの展示品を飾って、まずは公演準備に入ります。やがて住民さんも集まって来られて、この日は能『菊慈童』を上演しました。
その後、囃子の体験コーナーがあって、それからいつもならば住民さんに装束を着る体験をして頂いたり、囃子の体験をして頂くのですが、今回はこの矢本では木村さんに能装束を着付けてみることにしていました。
矢本は木村さんの地元で、知人もお出でになっているだろうこの公演で木村さんに装束を着て頂くのは良いことだと思いまして。石巻まの仮設商店街での公演にわざわざ来て頂き、ぬえに声を掛けてくれたところから、あれよあれよという間にこの日の公演に至りました。東松島での活動の足がかりを築いてくれた木村さんに、せめてもご恩返しですね。
ちなみに通常は2年間で仮設住宅も撤去になります。この住居が自立支援のために造られたものだから。それでも年齢等の事情によっては仮設住宅が解消されれば 深刻な事態に陥る方もいるわけで、不幸にして、しかし現実でもあるそういう世帯のために、神戸では「復興住宅」というものが建てられました。ここは2年間で自立できなかった被災者が無期限で住み続ける事ができる住居なのですが。。実態を教えて頂いた ぬえはまたまた絶句。。2年間の間に雇用を確保して生活を再建するのは急務だと思います。
先日、静岡県・三島の友人(昨年4月から自費で支援活動を敢行。彼らの活躍なくして今の ぬえはありません)とこの問題を話していて、いわく「今回の震災は阪神淡路の時と比べられない。神戸は大都会であり、近くに大阪もあった。東北はもともと過疎化・高齢化が進み、シャッター通り商店街も目立っていた。石巻はまだ都会だけれど、市街から離れ、産業基盤さえ失われた小さな漁村の高齢の被災者に、復興のために立ち上がれ、と言うのも酷な話で、広い地域で産業・生活の再編成が必要ではないか」。。とのこと。
この時はなるほどもっともな話で、ぬえも首肯したのです。そうして それまでに ぬえが聞いた仮設住宅の自治会長さん。。多くは高齢の、ぬえらの活動の受け入れもしてくださった方々が語られる現地の現状もそれを裏打ちするようなものでした。
ただ、高齢化や過疎という問題はあっても、あれだけの災害に遭った古里の復興の何もしないわけにはいかないのではないか。。今の ぬえはそんな事も考えています。震災から1年が経って、再建の努力が。。そりゃ最大限努力している方も多いと思いますが、もう少し強くこちらに伝わってきても良いんじゃないかな。。とも思うこともあります。デリケートな問題なので誤解や言い過ぎも恐れますが、災害の不幸の時点で止まっているわけにはいかないです。全国からの支援に対して、いつか胸を張って「こんなに立派な町になりました!」と言って頂きたい。そのとき、はじめて全国のボランティア戦士も自分たちの活動を誇りに思えるでしょう。そんな日が来ることを願っています。
そんな折もおり、宮城県では仮設住宅の設置期間を2年ではなく3年に延長した、というニュースが飛び込んできました。英断です! ぬえも出来るだけ長く支援活動を続けて行きたいと思っています。ぬえらが出来る事といったら住民さんに楽しんで頂くことぐらいしか出来ませんけれどもね~
さて東松島市・矢本の運動公園に建てられた広大な仮設住宅群。ここの集会所が今回の訪問の最後の公演地になります。
木村健人さんが打った「般若」面。。あまりに膨大なその面を展示するスペースを作り、ぬえらも扇などの展示品を飾って、まずは公演準備に入ります。やがて住民さんも集まって来られて、この日は能『菊慈童』を上演しました。
その後、囃子の体験コーナーがあって、それからいつもならば住民さんに装束を着る体験をして頂いたり、囃子の体験をして頂くのですが、今回はこの矢本では木村さんに能装束を着付けてみることにしていました。
矢本は木村さんの地元で、知人もお出でになっているだろうこの公演で木村さんに装束を着て頂くのは良いことだと思いまして。石巻まの仮設商店街での公演にわざわざ来て頂き、ぬえに声を掛けてくれたところから、あれよあれよという間にこの日の公演に至りました。東松島での活動の足がかりを築いてくれた木村さんに、せめてもご恩返しですね。