ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

奇想天外の能『一角仙人』(その20)

2007-07-30 22:40:43 | 能楽
さて実演の解説に戻りまして。

<楽>の最後、四段目からは一人で舞っていたシテは大小前(岩屋の作物の前)で舞上げ、地謡「糸竹の調めとりどりに」と中左右、打込、ヒラキという舞上げの定型の型をします。

以下、地謡に合わせて再びツレから酌を受け、ついにシテは酔い伏すことになります。

地謡「糸竹の調めとりどりに。さす杯も。度々巡れば。夫人の情けに心を移し。仙人は次第に足弱車の。巡るも漂ふ舞の袂を片敷き臥せば」

このところも いろいろな型があるようで、ぬえの師家では酌はないのが本来の型のようです。その場合はシテはまず正へ少し出て、ツレへ向きヒラキ、角へ行きながら葉団扇を左手にとって、左へ廻り、萩屋の作物の前にて小さく廻って、葉団扇を顔にかざして枕扇をしながら安座をする、というもの。と言っても ぬえもこの型を実見したことがありません。やはりツレの酌がないとお客さまに分かりづらいし、シテが酔った感じも表現しにくいのでしょう。

師家の型でツレから酌を受ける場合は「さす杯も」のあたりでツレへ向いて下居、ツレは立ち上がってシテの前へゆき酌をするのです。シテは酌を受けると立ち上がって、あとは上記の通り角へ行き葉団扇を左手にとります。

もっとも今回の ぬえは師匠が以前に工夫した型で、ツレから二度酌を受けて、葉団扇は右手に持ったまま正面に向いて立ち上がり、先まで出てから左へ廻り、脇座少し低めの位置で小さく廻りながら葉団扇を左手にとって枕扇をすることにしました。安座は、どうしようかな? 装束の膝が割れてしまうから下居でもよいとは思いますが。。いずれにしても小さく廻るところで酩酊の感じを出すわけで、ここで ふらふらな演技をするワケです。あ、それなら ぬえ、得意。(;^_^A

地謡「夫人は悦び官人を引き連れ遥々なりし山路を凌ぎ。帝都に帰らせ給ひけり。

この頃、囃子方の後方にずっと待機していたワキツレの輿舁は、退場するツレに輿を差しかける準備をしています。

シテが酔いつぶれたのを見届けたツレは、さっさと橋掛りへ行き、ワキもそれに従います。橋掛り一之松でツレは一瞬立ち止まり、そこにワキツレが輿を差しかけて、あとは一同は一気に幕の中に消え、シテだけがぽつんと舞台に取り残されます。

先日、今回のツレを勤めるKくんと二人で稽古していたら、Kくんはこう言っていました。「この夫人は刺客なんだから、いっそのこと酌をする酒に毒を盛ってしまえば。。」

なるほど。それならば酌をすると見せかけてシテを ぐっさり、という手もあるワケだ。

。。そうしたら剣をもう一本作らなきゃならないけど。(T.T)

奇想天外の能『一角仙人』(その19 剣=いまだ製作中。。<下>)

2007-07-29 01:08:34 | 能楽

鞘の部材を朴の木にしたのはやはり正解でした。この木は檜材と同様に柔らかくて彫るのに都合が良いし、何といっても目が積んでいて、カンナで削るだけでツルツルに仕上がるのです。

剣の刀身にゆがみが出ないように慎重に仕上げの削りをし、そこから型紙を起こして、刀身がぴったり納まるように今度は鞘を削り、削っては刀身を合わせて見て、また鞘を削って微調整を繰り返し。。最後に鞘の内側を磨き上げて、二枚の板から削りだした鞘を合わせて貼り付けます。をっ? 今回はまぐれか、素人ながらついに鞘もほぼ満足のゆく出来に仕上げる事ができました。

タイトル画像がそのシテ用の剣で、まだこれから塗装の作業が残っています。塗装の作業はもう始めていますが、ホントは漆と金箔で仕上げたいところですが、もう手間が大変だし技術もないので、カシューと金メッキ風スプレー塗料にしました。

カシューを塗るのは ぬえは少し経験があって、薄く塗っては研ぎ出し、また薄く塗って。。を繰り返すとツルツルの仕上げになります。金メッキスプレーは最近売り出されたもので、今回初めて使ってみたのですが、ははあ、こりゃイイね! かつて金色の塗装といえばプラモデル塗装用などのラッカー塗料が最も金箔に近い色合いが出せたのですが、しょせんマガイモノ風の色にしかならなかったのに、このスプレーはまさに金箔に肉薄するニュアンスの色。木地に直接吹き付けると吸い込まれてしまって金色がくすんでしまう事もわかったので、クリアラッカーで下地をつくってその上に金色を吹きつけ、さらにその彩色の保護のために下地を侵さないクリア塗料をコーティングします。まだまだ塗装には時間を掛けるつもりですが、出来映えはまあまあ良いものになる予感。

ぬえがこのような小道具を製作するようになったのには、能楽師の先輩から以前いろいろと薫陶を受けてコツや注意点を伝授されたからです。ぬえとは他門に属する先輩なのですが、能楽師でありながら、まあほとんど職人状態で、いろんな小道具やら、ご自分の趣味の道具なんかを次々と作っておられます。自宅に漆塗りのための「室(むろ)」まで設えていて、こういうのは一種の才能(か、もしくはオタク。。)で、ぬえもこの方から教えられて驚くことばかり。気さくな方なので ぬえはこの方を「師匠!」とお呼びして親しくお付き合いさせて頂いております。今回の「狩野川薪能」では地謡として参加してくださる事が決まったので、今からこの剣をお見せするのが楽しみ。

…ところで今日は伊豆の国市でのお稽古だったのですが、そこでショッキングなお話を聞きました。

この薪能のお世話をしてくださっている方の一人が。。じつは元は日本の伝統工芸の職人さんで、それではとても食べてゆけず、ついにその道を断念して転職されたのだそうです。ずっと懇意にさせて頂いていながら、そういう事情があったとは知りませんでした。ここにも伝統文化の担い手のともしびが一つ消えた。。

前回の書き込みで日本刀が完成するまでに多くの職人さんの手が加えられているのだ、ということを記しましたが、一方以前の書き込みの記事 なりたい職業ガイド~能楽師・狂言師~『ポプラディア情報館』 で日本刀の刀鍛冶が今や困窮を極めていることもご紹介しました。ということは。。今回 ぬえは日本刀を作る職人さんの一つ、鞘師のお仕事をマネしてみたワケですが、刀造りの中で花形と言える刀匠でさえ困窮しているとすれば…鞘師やそのほかの職人さんたちは職業として成り立っていない可能性も。。

日本刀も能も、それを作るのは日本人でなければ どうしても不可能な部分もあると思います。「美しい日本」を標榜するのであれば、せめて伝統文化を継承しているプロが食べられない状態だけは改善してほしい。そうでないと。。将来日本の文化がなくなってしまう。

奇想天外の能『一角仙人』(その18 剣=いまだ製作中。。<中>)

2007-07-28 02:16:24 | 能楽
龍神の剣は終始抜き身でしか使われないし、柄の細工もほどほどでも実演上は差し支えはないのですけれども、まあ、本当は時間を掛けて納得できるような出来映えにはしたい。。しかし問題になるのはシテの剣なのです。

シテは最初から剣を左腰に下げているから鞘も作らなければならないし、また『一角仙人』の能でシテの剣の拵は見所から丸見えで、そのまま<楽>を含む演技のすべてを演じることになるので、剣の造作もあまり素人じみていては能自体が興ざめになってしまうし。

まず柄。これはシテが正面を向いた時に目立つものなので、姿よく作りたい、という思いはありました。また龍神の剣の柄とは別のデザインでないとおかしいし。ところが剣というものは日本ではあまり作例がなくて、モデルとなるべき剣の拵の画像はついに見つけることができませんでした。仕方なく師家所蔵の剣の拵をよく思い出しながら、細かい細工を彫刻刀で施していきます。う~~ん、それでも今回はまあまあ程良いレベルに到達したと思います。

ところが問題となるのは鞘で、この製作はおそらく難易度が高いであろう事は最初から予想されていました。これは。。素人が作れるものだろうか。。正直に言えば、シテの剣の製作を始めた当初から、これが完成に至るというそのビジョンも心の中で組み立てられずにいながら、しかたなく製作を発進させてしまった。

およそ日本の伝統産業というものは分業制で成り立っているものがすこぶる多く、日本刀はその最たる物と言ってよいでしょう。玉鋼を造る大鍛冶。刀身を鍛え上げる小鍛冶。それを研いで刀身を完成させる研師。鞘を造る鞘師。その鞘に漆を塗る塗師。柄を糸で巻く柄巻師。小柄・笄・目貫を造る白銀師、鍔を専門に造る鍔師。。これら多くの職人の手を経て、日本刀は完成されるのです。

分けても鞘は、ひと振ずつ個性を持った刀身をそれぞれピッタリと収める鞘を彫り上げる、という完全オーダーメイドの木彫技術です。帯刀している時にはガタつかず、いざ抜刀する時はスルリと抜ける。。よく考えれば神ワザですな。そういう専門家の技術を短時間でマネしようっていうのだから。。

当初、刀身と同じ檜材で鞘を作り始めたのですが、これは失敗で、刀身のようにカンナを使って材木の中から物を削り出すのには檜は優れているけれども、コイツはその中に何かを納めるために木材をくり抜く、という作業に対しては頑強に抵抗するのです。。

ここで思い出したのは、日本刀の鞘はほとんど「朴の木」から造られている事です。早速部材の調達をホームセンターから銘木店にシフトしました。銘木屋さんは数寄屋造りの床の間の珍しい床柱やら欄間の彫刻なども扱うお店で、この職人さんとのやりとりは面白かったです。

「あの~、お宅では朴の木、扱っておられます?」
「おう、あるよ。」
「演劇の小道具で刀の鞘を造ろうと思うんですが、こういうサイズの材はありますか?」
「ナニ?角材?そんなもの扱った事ないな。切り出すだけならしてやるぜ」
「はあ。切って下さるんで? そいつぁ ありがてえ。で、値はいくらするんで?」
「アリがタイなら芋虫ゃクジラ、てえんだこの唐変木め。やった事ねぇ事に値段が付けられるか、てぇんだ。てめえの方から予算を言いな」
「おぅおぅおぅ。銘木屋だけに唐変木とはうまい事言うじゃねえか。黙って聞いてりゃイイ気になりやがって。こちとら江戸ッ子でぇ。予算は数百円だ。これでウンと言わなきゃ張っ倒すぞ」
「上等じゃねぇか。こちとらこの稼業で おまんま食ってんでえ。千五百円でイヤなら他を当たんな」
「お?大きく出たねえ。この すっとこどっこい。よし、その気っぷが気に入った。その値段で買おうじゃねえか」
「まいどあり~」
「どういたしまして~」

。。一部脚色がされている事を予めお断りさせて頂きます。(^◇^;)

奇想天外の能『一角仙人』(その17 剣=いまだ製作中。。<上>)

2007-07-27 11:26:21 | 能楽

昨日は ぬえが在住する区が行ってくれる健康診断に行って来ました。久しぶりにバリウム飲んで眼底検査をして、採血して。。あ~この採血ってのはいくつになっても慣れませんな。。「あ、目を閉じないでくださいね~」「え~~。。」「どこか違うところを見ていればいいんですよ。はい、ちょっとチクッとしますよ~」。。もう心臓バクバクです。ずいぶん以前に採血された時に、ついその様子を見てしまって。。自分の腕に突き刺さった針から小さなガラス容器に吸い出されていく、その濃い紅色の血を目撃した時は。。失神寸前でした。血ってのはダメです~

さて健康診断は案外早く終わり、そのためにスケジュールを一日を空けていた ぬえは、自宅に帰って少し事務作業をして、あとは深夜まで『一角仙人』に使う「剣」を作っておりました。なかなか時間を十分にとって製作に専念できる日はなくて、ついつい先延ばしにしてしまいがちな作業ですが、もう来週は8月。そろそろ公演準備も追い込みに掛かる頃合いです。

そんなワケで昨日の午後はずう~~っと、カンナ、彫刻刀、ヤスリ、紙ヤスリ、木工用ボンド、それからラッカー塗装のスプレーと格闘しておりました。ある程度シテの剣が完成するメドもたってきました。一時はどうなることかと思ったが。。

『一角仙人』ではシテと二人の龍神と、合計三本もの剣が登場するのです。そして、ぬえはすでに子方の龍神用の剣は一応完成させていまして、それが今回のタイトル画像です。

先月、伊豆の国市の大仁小学校で「古典芸能教室」というものが開催されまして、そこで「狩野川薪能」に向けて地元の子どもたちが稽古を積んできたその成果を「中間発表」致しました。このときに『一角仙人』も一部分だけ上演したので、この日までにシテ、龍神がそれぞれ使う剣は一応の完成を見ておかなければならず、なんとか急ごしらえで龍神の剣は完成、シテの剣も鞘はまだ未完成だったので抜き身だけはなんとか間に合わせて作り上げました。

この剣、薪能当日は師匠家から拝借しても良いのですが、やはりシテと龍神がそれぞれ剣を持って三人で戦う曲なので、打ち合わせた剣が傷つくのは多少なりとも避けられません。そしてまた今回の薪能では龍神役が地元の小学生なので、申し訳ないが能楽師の子弟と同じように「道具や装束をいたわりながら舞う」ことまでは望めず、また子方にも当日に自分が使う剣を稽古段階から使い慣れていてほしい、との思いもありまして、思い切って今回はシテ、龍神二人のために、計三本の剣を自作することにしたのです。

一昨年、やはりこの「狩野川薪能」で『鞍馬天狗』の後シテを勤めたときにも羽団扇を自作しましたが、今回はその苦労にも倍加した苦難の連続でした。

まず刀身の製作から始めたのですが、その材質を安価な杉材にしたところから失敗は始まりました。木目が粗い杉材は、どうしても細かい細工には合わず(いえ、素人の ぬえには不向きだったのかも。。杉材で立派な彫刻を作る方があるのでしたら。。ごめんなさい)、いろいろ試した末、やはりこういう細かい細工を施すには檜材が一番適しているとわかりました。檜ってのは能面の部材として有名ですが、柔らかくて、目が積んでいて彫刻がしやすい特徴を持っています。おかげでカンナだけで刀身の単純な形を削り出すことは容易でした。

ただ、檜という木は柔らかすぎて、ちょっとチャンバラには不利かなあ。。

奇想天外の能『一角仙人』(その16)

2007-07-25 23:31:44 | 能楽
このように現代人として能を演じるときには、ときには定められた型であっても脚本たる謡曲本文と照らしてみて演じにくい場合もあるのです。そのためか、型附にはかつての「上演控え」として、先人の演者の工夫が書き留められている場合があります。『一角仙人』では次のような記載がありました。

<楽>を相舞に舞い、シテが少しずつ遅らせて舞う型。シテはツレの舞を見ており、初段あたりに両手にて左膝をかかえ見とれる心。初段ヲロシより立ち上がり、ツレ大左右にて此方へ来る時に二、三足ツレの方へ出て見、それより角の方へ向いて団扇を上げ、これより相舞になる。二段目前の拍子、ツレの二つ目の拍子のところより拍子を踏み出し、数はツレより一つ少なく六つ踏む。あとの拍子はみな一つ遅らせて、数も一つ少なく踏む。定座のところの一つ拍子はツレの一つあとへ踏む。三段ヲロシはシテ丈ツレへ向き見て居り、ツレ正へ出るところへ進み行き、右手を上げ、ツレの右肩へ手を掛けんとする。ツレはかまわず角へ行。シテは手を下ろしながら少し下がり、跡より角へ行く。四段目は入れ替わりツレは地頭へ行き着座。

ここではシテはツレの足拍子とズラして踏むのではなく、ツレの拍子よりも一つ遅らせて踏み出し、一つ数を減じて二人が同時に踏み終える。。つまり二人が踏む足拍子の音は少しもズレることはなく、拍子を踏む足だけがシテとツレでは逆になる程度の違いです。この記述だけでは判断しにくいところですが、拍子を踏むところがほとんどズレていないので、舞の中の基本的な型もシテとツレは合わせて舞っているのでしょう。しかしこの「上演控え」は。。『一角仙人』の小書「酔中之舞」とほとんど違いがないのですよねえ。。

今回ぬえが調べた範囲では、最近それに則って上演されている事が確実な型附や上演控えの記載も上記とほぼ同じ内容でした。そして、どの型附にも、今、『一角仙人』が上演されるときに多く見る事ができる、シテが1拍分だけツレより遅れて拍子を踏み、全体の足音がズレる舞い方はハッキリとは確認できませんでした。

思うに、現在の『一角仙人』の<楽>の特殊な演じ方は、あるいは小書「酔中之舞」の型の解釈が次第に拡大されて、さらにそれが小書が付けられていない場合にも適用されるようになってきたのかも知れません。足拍子を踏む拍数をシテが遅れてズラしながら、それでもシテはツレよりも一つ拍子の数を減じることで二人が同時に踏み終わる「酔中之舞」の舞い方を、シテの足拍子の数を減らさずに、最後までツレとズレる踏み方に変えるのは、演者の工夫としては自然に発想できるはずだと思うので、この踏み方はそうした工夫が現在広まったのかもしれません。

問題は、この曲の場合小書の有無による演出の差異が事実上なくなってきていることでしょう。しかし常の(小書なしの)演出では、戯曲上シテはツレの舞につれて舞うだけで動作は知らないはずなのにもかかわらず、シテはツレと入れ替わって舞うだけ。あるいはシテはツレの舞の途中から参加するにせよ、まったく同じ型、同じ足拍子で相舞する、という型がつけられていて、一方小書の演出が脚本とうまく整合するとなると、常の場合の上演であっても小書の型を部分的に流用する、ということが演者の工夫としてなされ、それが実演してみて具合がよかったために次第に固定化されていったのかもしれません。台本を研究して稽古を進める演者にとっては演出の整合性は大問題であるし、まして上演頻度がもともと少ないこのような曲では、シテにとっては次にいつ舞う機会が訪れるかわからず、台本との整合があり、かつ目を見張る演出効果が期待できるこの型が『一角仙人』のスタンダードの型へと変化していったのかも。

じつは能の中ではこのような例は細かい部分的な型まで挙げれば相当数あって、たとえば型附には「替の型」の扱いになっている型が、現在ではこちらの方が普通になって、常の型が「替え」と化し、もしくは廃絶同然となっているものも少なからずあったりします。

奇想天外の能『一角仙人』(その15)

2007-07-23 19:47:46 | 能楽
『一角仙人』の<楽>は、シテの型はかなりの幅で演者が自由に工夫してよい事になっています。

でも もちろん、自由に舞ってよい、とは言っても基本的におさえておかなければならない点はいくつかあって、それを踏まえて型を工夫しなければなりません。たとえばシテの舞はツレの舞を見てそれにつられてマネをするのであって、シテ自身は舞を知らないこと。シテはツレの美貌に心引かれていること。そしてシテは舞っている途中で舞うことを面白がって、最後は我を忘れて舞うこと。

シテがツレの舞につれてマネをする、という点については、まず最初にツレが<楽>を舞い出し、シテはそれを見ているだけで、シテは舞の途中から立ち上がってツレと一緒に舞い始めます。またシテはツレの型を見ながらそのマネをする、という立場ですから、常にツレの型には少し遅れて舞い、型もやや少なく、また型を殺して舞います。さらに数多く踏む足拍子もツレとは外して踏みますが、ここが『一角仙人』の<楽>をもっとも特徴づけている点でしょう。足拍子がズレながら舞が進んでゆくのはとっても面白いものですが、かと言ってその外れた足拍子があまり多すぎてもうるさくなってしまうので工夫のしどころです。

シテがツレに心を寄せている点については、ツレに寄り添って舞いながら、シテは次第に感情を抑えられなくなって、直接ツレに触れようとしたりします。これは型附には一切書かれていませんね。近来演者の工夫によって始められた工夫かもしれません。型としてはシテが舞を途中でやめてツレをじっと見つめ、ついにツレの肩に手を触れようと小走りに進みますが、ツレに身をかわされて、再び舞い始める、などの型をします。もっともこの「ツレが身をかわす」というのも、ツレはあくまで基本的な<楽>の型のままで、そのタイミングを見計らうことで表現するのです。このあたりの型はシテによってかなり突っ込んだ型をする方もおられるようですね。ぬえは実見したことはないけれど、ツレの胸に手を掛けたシテもあったのだそうです。あまりやりすぎてしまうと下品になるし、兼ね合いが難しいところだと思います。

<楽>を舞う中でシテは次第に舞うことを楽しみだして、型もだんだんとツレに合うようになって、またツレよりも少し先に舞うようにもなって来ます。ここに至ってシテは舞のコツをつかみ、ツレのことも一時忘れて身体を動かすことに熱中し出すわけです。一方ツレは冷静に舞っていて、シテが我を忘れて舞い始めるのを見ると、そっと舞をやめてかたわらに退き、シテの様子をつぶさに観察したりします。

それにしても『一角仙人』の<楽>は、最近になって演者の工夫がかなり取り入れられて、型附とはずいぶん変わった演じられ方をしているようになってきたと思います。以下に型附に記された基本的な? 型をご紹介しておきましょう。

ツレが<楽>を舞うときシテはそれを見ている。初段(または二段)に立ち上がり、ツレと入れ替わり舞う。ツレはシテと入れ替わり地頭前に行き下居。

。。なんとこれだけです。基本的な型としてはシテはツレと一緒にさえ舞わない。ただし、これとは別に「相舞」で舞うやり方も記されていて、それは以下のようになっています。

相舞のときはシテは二段目より立ち上がり、三段目と四段目の二カ所でツレと入れ替わり舞う。

これまた型としては普通の相舞としか読むことができません。つまりツレと型が合うわけで、これではシテは「ツレのマネをして舞う」という設定からは矛盾が起きてしまいます。じつは伝わっている型附の中にも、現代人として演じるには、そのままでは戯曲上おかしい点がある場合もあるのです。

奇想天外の能『一角仙人』(その14)

2007-07-21 09:36:48 | 能楽
『一角仙人』の<楽>は、前述の通りツレが舞を見せ、次第に気分が盛り上がってきたシテがそれをマネて舞う、というもの。しかしその演じ方は、かなり演者の自由に任されています。面白いことですが、がんじがらめに歩く歩数まで決められているかのように思われがちな能の演技は、じつはかなり自由だったり、アバウトだったりすることがあります。

たとえば、サシ込・ヒラキという、必ずワンセットで演じる能の中では基本的な二つの型があります。サシ込は前進しながら扇を前方に向けて出す、という型で、この型は前方を指し示す積極的な動作ですが、型としては「前進する」「右足で止まりながら扇を前方に向けて出す」という動作が決められているだけで、(あとの型の都合により制約を受ける場合を除き)、前進する歩数も決められていない場合がほとんどで、それは歩数まであらかじめ決めておくよりも、このサシ込によってシテの感情の表出をどう表現するか、の方が むしろ重要で、そのためには型にある程度の余裕、というか振幅のようなものが必要だからでしょう。

一方、サシ込の直後に行われるヒラキという両腕を拡げながら後ろに下がる型は、厳密に動作が決められていて、左足から三足下がりながら、とくに二足目をピークにするように両腕を拡げ、三足目では手足とも基本の直立状態の構エに戻ります。しかしこのヒラキそのものには意味はなく、むしろその前にある型=右手を前に出す動作を含んだ積極的な型=を収束させるためにある、言うなれば従属的な型で、積極的に、すなわちリアルな感情を持って前進したサシ込を、ヒラキは再び象徴の世界に冷静に収束させる作用があるわけで、従属的であるというその性格のためにヒラキは規格的であり、その意味では自由度はまったくないと言えます。

しかし、それではどの場面でも、ヒラキをするところではまったく同じ動作をしていればよいかと言うと、それはあり得ない話なのです。今言ったようにヒラキは積極的な型を収束させるためにある従属的な型ですから、その前にある型によって、収束する具合は当然変わってきます。羽衣の天女の役などで「ふんわり」と前方に扇を出して、春の景物を「発見」した場合と、鬼神の役などで目の前にいる相手に対して殺意を持ちながら「決めつけた」場合とでは、当然その処理が異なるのです。

羽衣の「発見」に対しては「感慨」という感情がヒラキに込められるのがふさわしいでしょうし、鬼神の「決めつけ」に対しては「凝視」あるいは「威圧」という感じでしょう。前者のヒラキでは両腕の力を抜いて、それでも長絹の広袖が、まるで鳥が翼を広げるかのように「ふわり」と拡がるように、腕の先まで開くのがよいでしょうし、後者では大股でメリハリをつけて下がり、身体を半身に使いながら、両腕は肘を強く張って直線的に上げ下ろしをし、最後も腕が下がりすぎず、扇の先端が相手の方へ向いている、という動作がふさわしいはずです。

このように、従属的な型でさえ実は大きな演技の振幅があって、それはほとんど型附には記載されていないのです。型附に書かれているのは「ヒラキ」という三文字のみ。。そこにどう息吹を与えてゆくか、というのが役者の仕事であり使命でもあるワケです。

となると逆に、積極的な型のオンパレードという能もあって、こういう能、たとえば『正尊』や『烏帽子折』では、型の自由度はぐっと増したりします。これらの曲にある「斬組」と呼ばれる、いわゆるチャンバラですが、これには型は決められていません。型附に書かれているのは。。「工夫あるべし」だけ。(^◇^;)

『一角仙人』でシテが舞う<楽>は、やはり「斬組」と同じぐらいの自由度を持った舞かもしれません。基本的な舞の手順は何通りか決められていますが、これまた型附には「工夫」の文字がありますし、演者によって、また上演のたびごとに型は工夫されてずいぶん違っていたりします。

奇想天外の能『一角仙人』(その13)

2007-07-20 15:49:20 | 能楽
「楽」とは舞楽を模したとされている五段構成の舞で、中国人の役が舞うことが多い舞です。舞い手は足拍子をとてもたくさん踏み、また演奏の上では他の舞とは一拍分だけ拍子当たりが前倒しになっているところが面白く、それが異国風なのでしょうが、実際には作曲上に舞楽との関連はまったくなく、能オリジナルの舞と言ってよいでしょう(先行芸能からの移植かもしれませんが。。)。

『一角仙人』ではツレ旋陀夫人がシテに舞を見せ、シテは酒の酔いがまわってくるにつれて興じて立ち上がり、ツレのあとを追って一緒に舞う、という趣向で、ツレが主導する、という珍しい舞い方をする能です。

このように二人以上の役者が一緒に舞うことを「相舞」(あいまい)と言います。ほとんどの相舞はシテとツレが舞うことになり、意外に曲目は多くて、『二人静』『小袖曽我』『三笑』『東方朔』などがありますが、『鶴亀』『嵐山』など子方またはツレ同士が相舞を舞う曲もあります。ところが、相舞というのは「合い舞」なのであって、本来複数の役者が同じ動作をぴったり合わせて舞う、というものなのに(上記の例はすべて型を合わせて舞います)、『一角仙人』だけは わざと型をズラして舞うのです。

すなわちツレ旋陀夫人は、もとよりシテの籠絡をもくろむ刺客ですので、シテに酌をして酒を勧め、今度は酒の肴にと舞を見せ、シテは最初はほろ酔い気分でツレの舞に見とれているのですが、そのうち酔いがまわってきて興に乗じてツレのマネをして舞い出すのです。しかし仙境に住む仙人であるシテは舞というものを知らない。そこで、ツレの舞を見よう見まねで、その後をついて行くのです。

これは実は、相舞の曲としては演者にとっては大変ラクだったりします。なんせ相舞は型が「合う」ということが正否の根本的な条件なもので、これを個性の違う二人(あるいはそれ以上)の役者が合わせて舞う、ということは大変な稽古量が必要になるのです。直面で舞う『小袖曽我』は例外として、ほとんどの曲では役者は能面を掛けていて、お互いの姿が見えないのですから。。

だから、相舞の稽古では精密に、精密に、そのうえに精密に、型のタイミングを合わせる打ち合わせをしておきます。「笛がこの譜を吹き、その次の息継ぎを聞いたら右手を上げ始めて、ここで笛の音程が落ちるところで足をカケて。。」 舞の型が美しいかどうか、よりも、まず合っていないと相舞はとても見れたものではないので、役者はそのタイミングの取り決めに従って、それに外れないように舞うことになるのですから、これは能を舞っている当日も、舞にノルとか、のびのびと舞うとか、そういうものとは全く無関係で、ガチガチに決められた枠の中に冷静に自分を嵌め込んでいく、という作業です。

ところが『一角仙人』だけは、ツレは決められた型をきっちりと舞い、舞を知らないシテはその規範に乗ろうとしながら、あっちを外し、こちらにはみ出し、しながら舞うワケです。型が「合う」必要がない相舞、というのは『一角仙人』以外にあるかしらん? 今回の狩野川薪能での上演では、ツレ旋陀夫人は ぬえとは他門のKくんが勤めます。今日、彼と待ち合わせて「楽」の稽古をしたのですが、同じ観世流だというのに、やはり師家が違うと型も微妙に違うところがありました。本来、相舞の曲ではこれでは上演には無理があるのですが、それでも他門同士で相舞を舞うこともあって、そのときはシテ役の者の型にツレが合わせていく事になります。同門の役者同士でさえ個性によって舞を合わせるのに苦労するのに、型が違う役者同士が合わせるとなると、これは筆舌に尽くしがたい難題。しかし『一角仙人』ではその苦労がないのです。

それでも、定型の舞の型をどう外すか、というシテの工夫も必要ですし、合っていない型を横で舞われながら、自分はそれにつられないように きれいにまとめて舞を舞わなければならないツレも大変かも。

奇想天外の能『一角仙人』(その12)

2007-07-18 22:54:25 | 能楽
ワキ「仰はさる御事なれども。ただ志を受け給へと。夫人は酌に立ち給ひ。仙人に酒を勧むれば。

と、ワキはツレ旋陀夫人の方を向き酌を促し、シテも「げに志を知らざらんは」とツレへ向きます。そして続く地謡で酒宴の場となります。

地謡「夕べの月の盃を。夕べの月の盃を。受くるその身も山人の。折る袖匂ふ菊の露。打ち払ふにも。千代は経ぬべき。契は今日ぞ初めなる。

地謡となってツレはすぐに立ちますが、この時にはすでに酒の瓶を携えている心です。持ち物が扇であれば扇を開いて平らに持ち、また唐団扇であればそのまま平らに持ちます。ツレはシテの前へ行き下居、このときシテも葉団扇を平らに持って左手を添えますが、これは酒を受ける盃の心。ツレはシテの葉団扇の上に唐団扇(または扇)の先を付け、団扇を次第に縦にしながら高く上げて、瓶の中の酒をシテの盃に注ぎます。お狂言でもよくある型ですが、いや実際に酒瓶を持ってこのやり方で酒を注いだなら、バケツ一杯分ぐらいありそう。その点お狂言では床几の蓋を盃代わりにして受けることがあって、酒を注ぐこの型とは妙にマッチしていたります。

酒を注がれたシテは葉団扇を口に当てて、それから縦に団扇を上げて、左手を離して両手を下ろします。これで酒を飲んだ、という意味です。このあとシテはもう一度ツレの酌を受け、今度は飲み干さずに、両手で葉団扇を平らに持ったままツレの面を見ています。ちょっとほろ酔い加減で美人に見とれちゃうんですね。

このところ、微妙な差異ながら、いろいろな演じ方があるようです。一つ目をガバと飲んでしまって、すぐお代わりを催促するようにシテが葉団扇を平らに持って、それを見てツレが二度目の酌をする、とか、一度目を注がれてからツレを外しやや正面の方へ向き、しげしげと盃の中を見てからゆっくりと飲む、とか。面白いやり方としてはその一度目の酒を飲んだら正面の方へ向きながら安座してしまって、それから面のみ ゆっくりとツレへ向け、シテとツレとのどちらからともなく再び向き合うと、シテはおずおずと葉団扇を前へ出し、ツレはそれを見て二度目の酌をする型で、酒なんて飲んだことのない仙人は、一度目の酌ですでに酔いつぶれそうになりながら美人を うっとりと見つめて、ツレも まんざらでもない様子で、二度目の酌は夫婦のように しみじみと酌をする、という感じでしょうか。

やがて夫人は酒の肴に舞を見せます。

まずツレは立ち上がって正面に向きツレ「おもしろや盃の」と謡います。ちなみに『一角仙人』の能でツレが声を出すのはこの一句のみ。続いて地謡がそれを受けて美女の舞を描写します。

地謡「面白や盃の。巡る光も照り添ふや。紅葉襲ねの袂を共に翻し翻す。舞楽の曲ぞおもしろき

この地謡の間にツレはごく簡単な舞を見せます。型としては中にてヒラキ、サシ分ケ、ヒラキという程度。そして大小前で立拝して<楽>という舞を舞い始めます。

この<楽>がこの能の前半部分のクライマックスです。

奇想天外の能『一角仙人』(その11)

2007-07-17 22:23:17 | 能楽
シテ、ツレ、ワキ一同が着座してさて会話が始まるのですが、これまた ちょっと珍妙なやりとりなのです。意図的にそう作られているのだろうけれど。。

ワキ「只今思ひ出だしたる候の候。これは承り及びたる一角仙人にてましますか。
シテ「さん候これこそ一角と申す仙人にて候。さてさて面々を見申せば。世の常の旅人にあらず。さも美しき宮女の貌。桂の黛羅綾の衣。さらに唯人とは見え給はず候。これはいかなる人にてましますぞ。
ワキ「先に申す如く。踏み迷ひたる旅人にて候が。旅の疲の慰めに酒を持ちて候。ひとつ聞し召され候へ。
シテ「いや仙境には松の葉を好き。苔を身に着て桂の露を嘗め。幾年経れども不老不死のこの身なり。酒を用うる事あるまじ。
ワキ「仰はさる御事なれども。ただ志を受け給へと。夫人は酌に立ち給ひ。仙人に酒を勧むれば。
シテ「げに志を知らざらんは。鬼畜には猶劣るべしと。

最初にワキが、シテの奇妙な姿を見て「ははあ、そういえば一角仙人というお方があると聞きましたのはあなた様のことですか」と聞き、シテは、まあこれは普通に「さよう、私が一角でございます」と答えるのですが、もう気持ちはそぞろで、美しい官女の素性を聞かないわけにはいかない。。すぐにそれを問うのですが、これまたワキは全然違う話をします。

「さっき申しました通り道に迷った旅人です」。素っ気ない。そしてすぐにワキが言うことには、「旅の疲れをみずから慰めるために酒を持っております。おひとついかが?」一夜の宿を借りたその返礼に酒を勧めるのです。じつはまだ一角仙人は「宿を貸してあげよう」とは言っていないのですが。それどころか乞われて姿は現したものの、ここまでの経緯では仙人は「人間の交はりあるべき処ならず。とくとく帰り給へ」という拒絶のスタンスから離れてはいないはずなのに。

しかしすでに何年も人間を見たことのない仙人にとって、突然の美女の訪問は頭の中に大混乱を来たし、会話の論理を超越しちゃったのでしょう。酒を勧められたシテは「いやいや」と、不老不死を獲得したその身を誇らしげに語ります。美女の前でちょっと自慢をしたかったのかも。でも、よく考えると仙人が最初に持った疑問~この旅人たちはどういう身分の者なのか、なぜこの仙境に迷い込んできたのか~には ワキは一切答えようとしていないのです。それなのに

シテ 人間の交はりあるべき処ならず。とくとく帰り給へ
     ↓
ワキ さては天仙の栖やらん。まづまづ姿をまみえ給へ
     ↓
シテ この上は恥づかしながら我が姿。旅人にまみえ申さん

と、すでにシテはワキの言いなり。そして酒を勧められると、

ワキ 酒を持ちて候。ひとつ聞し召され候へ
     ↓
シテ いや仙境には松の葉を好き。。。酒を用うる事あるまじ
     ↓
ワキ ただ志を受け給へと。夫人は酌に立ち給ひ。仙人に酒を勧むれば
     ↓
シテ げに志を知らざらんは。鬼畜には猶劣るべし

と、これまたワキの術中にみごとに引っかかりました。根が素直というか、なんだか憎めない仙人で、この曲を最後まで見たときに、なんとなく微笑ましく後味が悪くないのも、こういったシテの造形が悪人としては描かれていないところに その原因があるのでしょう。

奇想天外の能『一角仙人』(その10)

2007-07-16 20:27:02 | 能楽
ま、ともあれ木々が真っ赤に紅葉しているインドの山中で ひとり孤独に庵に住む一角仙人のもとに、突然現れた旅の一行。仙人もさぞや意外だった事でしょう。

ワキ「いかにこの庵の内に申すべき事の候。
シテ「不思議やここは高山重畳として。人倫通はぬ処なり。そも御身はいかなる者ぞ。
ワキ「これは踏み迷ひたる旅人なるが。日も山の端に暮れかかり。前後を忘じて候なり。一夜の宿を貸し給へ。
シテ「さればこそ人間の交はりあるべき処ならず。とくとく帰り給へとよ。
ワキ「そも人間の交はりなきとは。さては天仙の栖やらん。まづまづ姿をまみえ給へ。
シテ「この上は恥づかしながら我が姿。旅人にまみえ申さんと。

呼びかけられたシテの言葉として、「何事にて候ぞ」や「こなたの事にて候か」ではなく「不思議や」と答えるところに、仙人が本当に長い長い時間を一人きりで過ごしていたことが想像されます。それどころか、相手が自分と同じような神仙の類ではなく人間である、と知ると拒否反応さえ起こしています。

それでもワキは負けずに(なにせ特殊任務があります)仙人との会見を望み、シテも根負けしたのかついに姿を現す事になります。このへんのやりとりも面白くて、シテが「人間の交はりあるべき処ならず」と言っているのにワキはまるで聞いていないかのように「まづまづ姿をまみえ給へ」と答え、するとシテもあっさり「この上は恥づかしながら我が姿。旅人にまみえ申さん」と応じてしまうという。。 恐ろしげな風貌の仙人ですが、どこか間が抜けているような、憎めない個性を持っています。このシテの造形は、おそらく作者が意図的に描いているものなのでしょう。

ここに至ってシテはついに作物を出てその姿を現します。

地謡「柴の枢を押し開き。柴の枢を押し開き。立ち出づるその姿。緑の髪も生ひ上る。牡鹿の角の。束の間も仙人を。今見る事ぞ不思議なる。

地謡の文句の中に「髪の毛が逆立っている」というような表現がありますが、ちょっと『蝉丸』を意識して作られた詞章かもしれません。

この上歌の中でシテは作物から出るのですが、型附によれば シテは右手に葉団扇を持っているために左手だけで作物の扉を開けて出る事になっています。でもこれは団扇を折り返して持つか、逆手に持って両手で扉を開ける方がやはり丁寧でしょう。

前述したように、扉を開けて半身を萩屋の外に出すときにツレの旋陀夫人の姿を見ることになっています。「誰が訪ねてきたのだろう」と不審に思いながら小屋の外に出てきたところ、思いがけず上臈の姿の美人を見てビックリ。しばらく見とれている、といった風情で、シテとしてはこの間、ツレに目を留めている時間をどう取るかが大切な型どころ と言ってよいでしょう。

作物を出たシテはワキに向いて少し出て着座し、ツレ・ワキもそれと同時に下居します。シテが座る位置は作物の「側」となっていますが、萩屋の作物が脇座にある場合はその扉の少し前のあたり、笛座に置かれている場合はシテは正面に少し出て、脇座の手前あたりに座ることになります。

じつはこのシテの着座位置はかなり重要で、ここで座ったら、もう楽の中でツレに見とれてそのマネをして舞うために立ち上がるまで位置を変えられないのです。あまり舞台の真ん中に近寄って座ってしまうとツレが楽を舞う際に大いに邪魔になってしまうし、かといって脇座に近づき過ぎると、シテであるのに見所から見づらくなってしまう。なかなか気を遣うところです。

ところでシテは作物を出ると、すぐにワキに向かって着座してしまいます。型附には「両手にて扉を閉めても」と替エの扱いで扉を閉める場合もある事が記されているのですが、ここは絶対にシテは扉を閉めなければなりません。扉を開けっ放しにしてしまうと、あとで後見がこの扉を閉めるタイミングがないのです。いや、閉めるのは不可能ではないけれども、後見の動作はとても不作法に見えてしまうでしょう。かといって扉を開けたままでは楽の中も、龍神の登場にもかなり邪魔になります。やはり作物が多く持ち出される『一角仙人』では、できるだけスペースを十分に確保しておきたいところ。扉は必ずシテが閉め、そして着座の位置に気を付ける。。なんだかシテは動かない割には気ばかり遣わなければならない役です。

奇想天外の能『一角仙人』(その9)

2007-07-14 20:58:57 | 能楽

この曲の専用面「一角仙人」という能面は、この曲自体あまり頻繁に上演される曲ではないせいか、作例があまり多くありません。そして、そのことがまさに原因になっているのだと思いますが、あまり良い作品がないのです。まあ、『一角仙人』のシテは あまりカッコよい人物とは言えず、美しい官女の姿に見惚れて、そのあとを のそのそとついて歩いて舞のマネをしてみたり、酒に酔い伏して神通力を失ったり、あげくに自分が岩屋にとじこめた龍神たちに散々追い回されて逃げ出すのですから。

それでもこのような風采のあがらない人物だから、面も下品で良いか、というと、そうとも言えないのです。楽を舞う、龍神と死闘を繰り広げる、という目立った場面に、また作物からはじめて姿を現すその風貌に、どこか存在感がないと、戯曲そのものが成立しない、というか。

この画像は ぬえ所蔵の「一角仙人」の面で、狩野川薪能の当日もこれを使います。現代の作ですが、強さと品格のバランスが取れた、とても良い面だと思います。いまから使うのが楽しみ~~

なお「一角仙人」の面の自体が少ないことは前に述べましたが、そのためか「一角仙人」の面以外にも「真角」や「怪士」、「淡男」という面を代わりに使うこともあるそうです。これらの面には角がないのですが、これらの面を使う場合には「挟角」という角を別に用意して、これを額に取り付けるのだそうです。残念ながら ぬえは実見したことがないので、どのように取り付けるのかよく知りませんが。。黒頭に縫いつけるのか、はたまた「挟角」という名の通り、面の額に噛むように取り付けるのか。。

さて舞台に戻って、引廻しを下ろした後見が引くと、シテは見計らって謡い出します。

シテ「瓶には谷漣一滴の水を納め。鼎には青山数片の雲を煎ず。曲終へて人見えず。江上数峯青かりし。梢も今は。紅の。秋の気色はおもしろや。

このシテの謡のあいだに、橋掛りに立ち居た、または後見座にクツロいでいたツレとワキは静かに舞台に入り、ツレは角の手前、ワキは常座の先に止まって作物に向きます。

それにしても。。この能は、短い曲の割には風景が細かく描写されていると思いますが、反面なんだか現代人から見るとおかしな描写もありますね。

さきにワキが「着きゼリフ」で「ここに怪しき巌の陰より。吹く風香ばしく。松桂の枝引き結ひたる庵あり。もしかの仙境にてもや候らん。」と述べていますが、「怪しき巌」とは もちろん大小前に据えられた岩屋の作物の事を指し、この台詞から「諸竜を悉く岩屋の内に封じ込めて候間。数年雨下る事なし。」という、この特殊部隊が目標にまごうことなく到着した事が印象づけられ、さらに深山幽谷の片隅に忽然と発見された人の気配の不気味さをうまく表現しています。

このワキの詞はよく出来ていると思いますが、それに対してシテの方は。。「江上数峯青かりし。梢も今は。紅の。秋の気色はおもしろや」。。う~~ん、インドの秋かあ。。ぬえは以前、12月に南インドに公演旅行に行ったことがあります(あのインド洋大津波の当日でした。。)が、真冬でも気温は30度あったじょ。

現代人はインドに秋や、ましてや紅葉などない事は知っていますが、この能が作られた時代には唐土も、ましてや天竺も想像するしかない遠い遠い辺境だったのですね。シテやツレの装束などを見ても、どこか日本的な香りが漂う能『一角仙人』。でも日本的なのは能の中の場面設定であって、それを作者の想像力不足と考えるのは早計だったりします。なんせこの能は舞台が進行してゆくにつれて、能の中でも破格な演出のオンパレードなのですから。。よくまあ、こういう演出を考えついたもんだ。。

奇想天外の能『一角仙人』(その8)

2007-07-13 00:36:02 | 能楽
まずは前回の訂正。

名宣リを舞台正中で謡った場合は、ツレ・ワキの一行はこの「道行」の間に橋掛りに移動します。いよいよ仙境に到着し、一角仙人が住む萩屋を見つけることになります。

。。と前回書いたのですが、名宣リが舞台で謡われた場合に「道行」もそのままずっと舞台で謡われる事があります。。といういか師家の型ではそれが本来だった。(^_^;) 

さて「道行」が済みワキが「着きゼリフ」を謡うと、舞台は一転 一角仙人が住む仙境へと変わります。

ワキ「いづくとも知らぬ山路に迷ひて候。ここに怪しき巌の陰より。吹く風香ばしく。松桂の枝引き結ひたる庵あり。もしかの仙境にてもや候らん。暫くこのあたりに徘徊し。事の由を窺はばやと思ひ候。

「道行」を橋掛りで謡った場合、または「道行」の間に一行が舞台から橋掛りへ移動してきた場合は、この「着きゼリフ」は正面に向いたまま謡い、一同そのまま立ち居てシテが謡い出すのを待ちます。一方「道行」を舞台で謡った場合は、この「着きゼリフ」のあとにワキが「まづかうかう御座候へ」という文句を足して、それを聞いたツレは右に廻って後見座にクツロギます。このときワキツレはツレが後見座に行くまで輿をさしかけて、それから囃子方の後ろに着座し、これ以後ずっとここにいて、のちにツレが幕に引くときに再びその頭上に輿をさしかけるまで待機することになります。ワキは後見座でツレの隣にクツロギます。

「着きゼリフ」を謡った一行がその居所を定めると、後見が萩屋の引廻しを下ろして、ここではじめてお客さまの前にシテが姿を現します。

シテは「一角仙人」という、額に角が生えたこの曲の専用面を掛け、黒頭を戴いています。装束は無地熨斗目または小格子厚板を着付に用い、縷水衣をその上に着、木葉腰蓑を腰に巻き、左腰には剣を帯びて、右手に木葉団扇を持っています。面白いのはこのシテ、木葉づくしの装束であることで、団扇や腰蓑に木葉がつけられているのはもちろんのこと、水衣にも木葉を付けたりします。もう、およそ人間界とは縁の遠い、自然の中に埋没しちゃった、という姿。そういえば萩屋にも蔦がからまったりしていますね。ただ、作物の蔦や水衣にまで木葉を付けるのはセンスが問われるところで、あまり付けすぎると説明的に過ぎてしまったりします。ぬえは、作物の蔦や水衣の木葉は不要、木葉腰蓑も普通の腰蓑にちらほら、と木葉を散らす程度の方が良いのじゃないかな~、と思っていますけれども。

なお、このシテの装束の色合いは細かくは決められていませんが、演者には暗色が好まれますね。濃い紺地の小格子厚板とか黒の縷水衣とか。やはり美しいツレ官女との対比として、シテはできるだけ胡散臭い方が舞台効果は出るでしょう。不気味な、というのとはちょっと違うと思いますが、要するに『一角仙人』の能の前半部の見どころは「美女と野獣」の世界であるワケで、キッチリと典雅に舞うツレに対して、シテは のそのそとその後を見よう見まねでついてまわっている、というイメージの方が曲柄には合うはずなのです。

シテがキレイには舞わない。ここがこの曲の特異なところで、そこがまた曲の魅力の一つでもあるのですから、ま~~世の中はワカラナイものです。。

奇想天外の能『一角仙人』(その7)

2007-07-11 21:14:55 | 能楽
何事もなくツレ・ワキツレ・ワキが登場しますが、一行が止まって正面に向きワキの名宣リとなる場所は演者によって違うようで、舞台に入って正中で止まる場合と、橋掛り一之松で正面に向いて名宣リとなる場合とがあるようです。

このあたり、ワキとツレとではどちらの役が優位なのかを考えるとちょっと面白いところですね。ワキとツレではやはりワキの方が役として優位で、それはワキがシテと対立する役であるのみならず、おワキの流儀を代表してその曲の一役を担うのに対して、ツレはあくまでシテの助演者という立場だからです。だから『一角仙人』の能の戯曲の上ではツレはシテと相舞をする重要な役であり、また帝王から派遣された特殊部隊のカナメがツレであって、ワキはそのボディガード的な役割であっても、この一行が幕から登場するときに「お幕」と後見に合図を送って幕を揚げさせる権利は、ツレではなくてワキにあるのです。

ところが、一行がどこで止まるのか、それはシテ方の型にワキが合わせることになります。「お幕」と言って幕を揚げさせるのがワキであっても、ワキ方からツレへ「舞台の正中で名宣ります」と指定はされず、ツレの方から一之松、あるいは正中と止まる位置を指定して、その通りに止まって頂くようワキにお願いすることになっています。ツレであってもシテ方の役者がおこなう型におワキはおつきあいをして下さるのです。役の優劣、という事とはちょっと違う、面白いしきたりだと思います。

さて正中(あるいは一之松)で一行が正面に向いて止まるとワキが名宣リを謡います(以下掲出する詞章は、今回の狩野川薪能の際の配役に従って、シテ=観世流、ワキ=下掛り宝生流の文句とします)。

ワキ「これは波羅奈国の帝王に仕へ奉る臣下なり。さても此国の傍に仙人あり。鹿の胎内に宿り出生せし故に。額に角一つ出でたり。これによりてその名を一角仙人と号す。またさる子細あつて。龍神と威を争ひ。仙人の神通を以て。諸竜を悉く岩屋の内に封じ込めて候間。数年雨下る事なし。帝この事を歎き思し召し。いろいろの計り事をめぐらし給ひ候。ここに旋陀夫人とて並びなき美人の候を。道に踏み迷ひたる旅人の如く。仙境に分け入り給はゞ。かの夫人に心を移し。神通を失ふ事もやあるべきとの宣旨に任せ。旋陀夫人を御供申し。只今かの仙境に分け入り候。

名宣リにて彼ら一行がじつは帝王から派遣されて一角仙人を堕落させる密命をおびた特殊部隊である事が明かされます。一角仙人という人物の存在。その出生の秘密。龍神と争って彼らを岩屋に閉じこめてしまったという仙人の神通力。雨が降らずに困った帝王が編み出した奇想天外な策略。。どこをとってもメルヘンの世界です。巨大な作物が次々に舞台に運び出されるのを目の前にしたお客さまを前にして、いざ登場してきたのは輿をさしかけられ、官女の装束を身にまとったツレと、それにつき従う官人という、豪華絢爛な宮廷人の行列であり、さらにワキが口にするのはこんな奇妙奇天烈な物語。。ショー的というか、視覚重視のこんな能もあるのです。

さて名宣リが済むと引き続いてワキは帝都を出て仙境に向かう「道行」を謡います。

ワキ「山遠うしては雲行客の跡を埋み。
ワキ/ワキツレ「松寒うしては風旅人の。夢をもやぶる。仮寝かな。
「露時雨。漏る山陰の下紅葉。漏る山陰の下紅葉。色添ふ秋の風までも。身にしみまさる旅衣。霧間を凌ぎ雲を分け。たつきも知らぬ山中に。おぼつかなくも踏み迷ふ。道の行方はいかならん。道の行方はいかならん。

名宣リを舞台正中で謡った場合は、ツレ・ワキの一行はこの「道行」の間に橋掛りに移動します。いよいよ仙境に到着し、一角仙人が住む萩屋を見つけることになります。

奇想天外の能『一角仙人』(その6)

2007-07-10 01:56:59 | 能楽
さてようやく作物が舞台上に出揃ったところで、ツレ・ワキ・ワキツレが登場します。帝王から派遣され、一角仙人を籠絡してその神通力を消滅させる使命を帯びた特殊部隊の一行の顔ぶれは、まず旋陀夫人という官女(ツレ)を先頭に、その左右に一歩下がってツレに輿をさし掛ける輿舁(ワキツレ)二人、それより少し下がって護衛の官人(ワキ)の四人です。すでにこの最初の登場人物が舞台に現れる場面だけでかなり豪華な舞台づらになります。

ツレは連面(小面)を掛け、鬘の上に天冠を戴いています。着付にはツレなので銀の摺箔、緋大口に唐織を壺折りに着ています。手に持つのは唐団扇か鬘扇の両用とされています。そのツレに輿をさし掛けるワキツレは直面に紅入厚板、白大口の姿。輿は作物の一種で、本当ならば御神輿のように官女がその中に入って腰掛けている輿を数人の人夫が轅(ながえ)をかついで運ぶものを、能ではその輿の屋蓋の部分だけを作り、輿舁がそれを左右から高くかざして貴人の上に日傘のようにさしかけて、貴人の役は実際とは違って橋掛りを自分の足で歩かねばなりません。(^_^;) 最後に登場するワキは直面、紅入厚板、白大口まではワキツレと替わりませんが、そのうえに法被を着、剣を左腰に指して、手には男扇を持っています。

まあ。。場面設定がインドであるにしては、この一行が身につけている装束はどう見ても日本のそれですね~。ツレの持ち物はさすがに鬘扇よりも唐団扇を使うことが多いようですけれども、それでもどうしても日本風の装束の取り合わせに見えてしまうことを嫌った演者の工夫により、最近ではツレは唐織をやめて舞衣や単法被といった「薄絹」の印象がある装束を着たり、さらにそのうえに「裲襠」(りょうとう)という、貫頭衣のような舞楽装束を着ることもあります。

さてこれほど豪華な作物が舞台に持ち出され、きらびやかなワキ・ツレ一行が登場する割には、ところがこの一行の登場の場面で囃子方は、意外や登場を演出する演奏をまったく打たないのです。

普通、ワキやワキツレの一行が登場する場面では「次第」や「一声」が演奏される事が多いのですが、それは登場したワキが発する第一声によって決められています。拍子に合い、同文の七・五文字の謡を繰り返し、さらに七・四あるいは七・五字のトメの句を謡う「次第」謡をワキが謡う場合には囃子方はやはり「次第」と呼ばれる拍子に合わない登場案楽を演奏します。またワキが五・七・七・五文字前後からなる拍子に合わない四句を謡う「一セイ」を謡う場合(さらに七・五・七・五文字の第二テーマ~二ノ句~を続けて謡う場合もあり)、あるいはサシと呼ばれる拍子に合わず文字数が定まらない散文調の謡を謡う場合は、囃子方は「一声」と呼ばれる拍子に合ってノリのよい登場音楽を演奏します。

登場した役者が拍子に合った謡を謡う場合は登場音楽は拍子に合わずに演奏し、また役者が拍子に合わない謡を謡う場合は囃子方はノリのある登場音楽を奏する、というのはちょっと面白い発想ですね。ちなみに「一声」の場合拍子に合わせて打つのは大小鼓だけで、お笛は「次第」の場合も「一声」のときも、どちらも拍子には合わないアシライの譜を吹きます。

また登場したワキが最初に謡うのが節のついた謡ではなく、「これは諸国一見の僧にて候」などと詞(コトバ)による名宣リを謡う場合は、「名宣リ笛」と言って、大小鼓は何も打たずに、お笛だけが叙情的な譜を吹きます。『一角仙人』ではワキが登場して最初に謡うのは「これは波羅奈国の帝王に仕へ奉る臣下なり」という詞ですから「名宣リ笛」が吹かれるはずのように思えますが、じつはそうではありませんで。

「名宣リ笛」というのは演奏上の制約があるのです。これが演奏されるためには、まず登場した役者がワキであること。それが最初に謡い出すのが詞による「名宣リ」であること。ここまでは『一角仙人』でもクリアしているのですが、もう一つ、ワキを含めた登場人物が複数である場合には、ワキ一人だけが舞台に入って謡うこと、という条件があるのです。

たとえば『熊野』や『朝長』のようにワキの僧がワキツレの従僧を伴って登場する場合、「名宣リ笛」に導かれるように橋掛りに登場したワキはそのまま舞台に進みますが、このときワキツレはワキに従って舞台に入るのではなく、橋掛りに控えて座るのです。「名宣リ笛」ではワキが舞台に入ったところで笛はトメの譜を吹きますが、この時にワキは笛に合わせて足遣いがあり、ワキツレが橋掛りに控えるのはこの儀式的な足遣いを際だたせるためでしょう。

ところが『一角仙人』ではワキは上に書いたとおり「名宣リ」を謡うのですが、ところがこのワキは舞台上の役割の設定としてはツレの警護にあたるボディーガードであって、いうなればツレが「主」であり、ワキが「従」の立場になるのです。従ってワキはツレより一歩下がって登場するのであり、ツレをさしおいて舞台に一人で入って足遣いをすることができず、そのために「名宣リ笛」が演奏されることもない、という事になります。