同じ16日、ぬえのラスト・ミッションは夕方からロサンゼルスの日本人コミュニティの文化サロンでの能楽ワークショップでした。
会場となったのはこの文化サロンのホストでもある吉見(きちみ)愛子さんの邸宅。
吉見さんはロサンゼルスで茶道や着物の着付けを教えておられるほかに、このような文化サロンを定期的に行っておられ、いわば日本人コミュニティの文化面での中心的な役割を担われているお一人です。
なんでも、講談師としての一面も持っておられる、とのことですが、かつては22歳で本田宗一郎氏の協力を得て北・中南米13,000km単独オートバイ旅行をしたり、と 多才なだけでなく冒険家でもあったのですね。
この日のワークショップでは吉見さん宅の美しいホールを会場に、参加者に能面や能装束の体験をして頂いたほか、謡の体験から能の詞章の解釈、そして日本人の感性の話題にまで、かなり面白い話が出来たのではないかと思います。
参加者は日本人ばかりでなく、着物を着て参加したアメリカ人女性の姿もあって、辞書を引き引き ぬえの解説(もちろん日本語)に賢明に聞き入っておられたのが印象的でした。「もう少しゆっくり話してくださ〜い」(; ;)ホロホロ
終わってから昨日買ったタクトでちょっと遊んでみました。
ドゥダメルさんに似てるー?
かくして ぬえのロサンゼルスでの仕事は終わりました。10年ぶりのアメリカでの出演は、能ではない他ジャンルとの共演という試みの催しでした。能楽師としては師匠にお許しを頂き、流儀に届け出をして出演する実験的な試みということになりますが、結果的には能楽師としての自分に幅を与える有意義な機会となったと思っています。
。。とくに Baliasiさんとの競演は刺激的でした。ふだん、当たり前なのであまり意識してこなかったですが、「プロ意識」というものの価値をまざまざと見せられて。リーダーの千絵さんとは、昨年ぬえの教え子の子どもたちの出演もあった関係で今回も滞在中に この問題や後進の指導についてよく話し合いました。若いのに確固としたとした信念があって指導する姿は美しいと思います。
こういう試験的な試みの公演は、ぬえも若いうちにはやりたくて仕方なかったし、先輩のお手伝いという形でツレなどの役で経験したことも何度かありますが、当時の自分があのまま そんなことばかりを思って進んでいってしまったら、能楽師としては崩れてしまっていたことでしょう。いま、能を守りたいと思うようになった自分にとって、この試みは「能」であるままに、現代にあって発展する可能性がたくさんあることに気づく良い機会になったと思います。
小鼓の望月左武郎さんから、昨年の能楽堂公演の前に「今回は ぬえさんに能のカラをうち破って欲しいと考えているんです」と言われて、言下に「そんなことをするつもりはありません」と拒否した ぬえ。でも ぬえは能楽堂公演からチェロを入れた「イロエ」を舞っていました。それは、ぬえ自身は能の「イロエ」の型から離れず、能に忠実に舞っている意識はあったからで、主催者の要望によって入った谷口さんのチェロは、その能の「イロエ」に、いわば笛の代わりとなって、いや、あるいは能の笛以上に見事に ぬえが思う「イロエ」の世界観を彩ってくださったので、ぬえ自身にも違和感や拒否反応は起きず、あくまで「能を舞っている」という ぬえの意識にゆらぎがなかったからです。
ところが先日 東京でこのロサンゼルス公演の打ち上げパーティーがあったのですが、そこで望月さんからこんなことを言われました。「ぬえさんは結局チェロと一緒に舞ったでしょう? あの瞬間に僕は やったー! って思ったんですよ。能のカラから抜け出しましたね」
。。そういうことでしたか。。
望月さんが ぬえに期待していたのは、能の定められた謡や型から逸脱して奇抜なことをやってみなさいよ、という、能に対する理解や知識はないままに自分の作品に能面・能装束を着けた能役者を「彩り」に添えたいと謀る現代の演劇や映像の関係者(こういう事はよくある)からの悪魔のささやきと同じものだったのではなくて、能楽師でありたい、というぬえの信念は尊重したうえで、「多様な芸術がある現代にあっての能の可能性を、能楽師として探るべきだ」ということだったのですね。。
そういえば若い頃は勇壮な和太鼓で米国人を驚かせた望月さんは、その後「打たない間」の力強さに惹かれて能の囃子の勉強をして、現在は小鼓奏者です。そして望月さんが礎となって現代に数百もあるというアメリカ国内の太鼓集団の現状を「必ずしも和太鼓になっていない。。」と憂いている方でした。ぬえよりひと廻りもふた廻りも大きく伝統芸能を見つめる望月さん。この方に出会っただけでも ぬえにとって今回の公演に出演した意義はあったのです。
さて現地ロサンゼルスについては、日本人コミュニティの支援体制の強力さと文化の継承の確かさに衝撃。。全食事に日本食が差し入れられ、衣装デザインから着付け、ヘアメイク。。すべて現地の専門家がボランティアで参加。稽古場でも公演会場でも、楽屋の隅々にまで心の行き届いたサポートを目にしました。出演者についても、まず日本舞踊チームの大活躍は、昨年の東京での能楽堂公演に出演した専門家の演技と比して、匹敵する、とは言わないまでも、少なくとも見劣りする、ということはありませんでした。
が、わけてもメイちゃんの才能を発掘してきたのはコミュニティの共同体としての結束のなせるわざでしょう。東京公演の谷口さんの演奏が素晴らしく、ぬえとしても今回もチェロとの共演を楽しみにしていたのですが、あいにく谷口さんはスケジュールの都合でロサンゼルス公演には出演不可。主催者からは「今回はチェロなしで組み立て直すことになると思います」という宣言も聞かされていました。が、その後「すばらしい中学生が見つかった」との報が。中学生??? 未熟、経験不足を心配し、不安なまま渡航したのはBaliasiの千絵さんも同様だったそうですが、どちらもメイちゃんの演奏には大満足! メイちゃんについて詳しくは前の記事を参照ください。
そのほか ぬえに親身に面倒を見てくれた厚子さん、震災のときのアメリカ軍の活躍についてお礼を申し述べる機会を与えてくださった禅宗寺さま、稽古場から太鼓の貸し出しまで応援くださった浅野太鼓さん、そしてもちろん主催者の松浦靖さん。感謝の言葉は尽きせません。大変貴重な機会を頂きましたことを、関係者一同のご尽力に感謝申し上げます。
【この項 了】
会場となったのはこの文化サロンのホストでもある吉見(きちみ)愛子さんの邸宅。
吉見さんはロサンゼルスで茶道や着物の着付けを教えておられるほかに、このような文化サロンを定期的に行っておられ、いわば日本人コミュニティの文化面での中心的な役割を担われているお一人です。
なんでも、講談師としての一面も持っておられる、とのことですが、かつては22歳で本田宗一郎氏の協力を得て北・中南米13,000km単独オートバイ旅行をしたり、と 多才なだけでなく冒険家でもあったのですね。
この日のワークショップでは吉見さん宅の美しいホールを会場に、参加者に能面や能装束の体験をして頂いたほか、謡の体験から能の詞章の解釈、そして日本人の感性の話題にまで、かなり面白い話が出来たのではないかと思います。
参加者は日本人ばかりでなく、着物を着て参加したアメリカ人女性の姿もあって、辞書を引き引き ぬえの解説(もちろん日本語)に賢明に聞き入っておられたのが印象的でした。「もう少しゆっくり話してくださ〜い」(; ;)ホロホロ
終わってから昨日買ったタクトでちょっと遊んでみました。
ドゥダメルさんに似てるー?
かくして ぬえのロサンゼルスでの仕事は終わりました。10年ぶりのアメリカでの出演は、能ではない他ジャンルとの共演という試みの催しでした。能楽師としては師匠にお許しを頂き、流儀に届け出をして出演する実験的な試みということになりますが、結果的には能楽師としての自分に幅を与える有意義な機会となったと思っています。
。。とくに Baliasiさんとの競演は刺激的でした。ふだん、当たり前なのであまり意識してこなかったですが、「プロ意識」というものの価値をまざまざと見せられて。リーダーの千絵さんとは、昨年ぬえの教え子の子どもたちの出演もあった関係で今回も滞在中に この問題や後進の指導についてよく話し合いました。若いのに確固としたとした信念があって指導する姿は美しいと思います。
こういう試験的な試みの公演は、ぬえも若いうちにはやりたくて仕方なかったし、先輩のお手伝いという形でツレなどの役で経験したことも何度かありますが、当時の自分があのまま そんなことばかりを思って進んでいってしまったら、能楽師としては崩れてしまっていたことでしょう。いま、能を守りたいと思うようになった自分にとって、この試みは「能」であるままに、現代にあって発展する可能性がたくさんあることに気づく良い機会になったと思います。
小鼓の望月左武郎さんから、昨年の能楽堂公演の前に「今回は ぬえさんに能のカラをうち破って欲しいと考えているんです」と言われて、言下に「そんなことをするつもりはありません」と拒否した ぬえ。でも ぬえは能楽堂公演からチェロを入れた「イロエ」を舞っていました。それは、ぬえ自身は能の「イロエ」の型から離れず、能に忠実に舞っている意識はあったからで、主催者の要望によって入った谷口さんのチェロは、その能の「イロエ」に、いわば笛の代わりとなって、いや、あるいは能の笛以上に見事に ぬえが思う「イロエ」の世界観を彩ってくださったので、ぬえ自身にも違和感や拒否反応は起きず、あくまで「能を舞っている」という ぬえの意識にゆらぎがなかったからです。
ところが先日 東京でこのロサンゼルス公演の打ち上げパーティーがあったのですが、そこで望月さんからこんなことを言われました。「ぬえさんは結局チェロと一緒に舞ったでしょう? あの瞬間に僕は やったー! って思ったんですよ。能のカラから抜け出しましたね」
。。そういうことでしたか。。
望月さんが ぬえに期待していたのは、能の定められた謡や型から逸脱して奇抜なことをやってみなさいよ、という、能に対する理解や知識はないままに自分の作品に能面・能装束を着けた能役者を「彩り」に添えたいと謀る現代の演劇や映像の関係者(こういう事はよくある)からの悪魔のささやきと同じものだったのではなくて、能楽師でありたい、というぬえの信念は尊重したうえで、「多様な芸術がある現代にあっての能の可能性を、能楽師として探るべきだ」ということだったのですね。。
そういえば若い頃は勇壮な和太鼓で米国人を驚かせた望月さんは、その後「打たない間」の力強さに惹かれて能の囃子の勉強をして、現在は小鼓奏者です。そして望月さんが礎となって現代に数百もあるというアメリカ国内の太鼓集団の現状を「必ずしも和太鼓になっていない。。」と憂いている方でした。ぬえよりひと廻りもふた廻りも大きく伝統芸能を見つめる望月さん。この方に出会っただけでも ぬえにとって今回の公演に出演した意義はあったのです。
さて現地ロサンゼルスについては、日本人コミュニティの支援体制の強力さと文化の継承の確かさに衝撃。。全食事に日本食が差し入れられ、衣装デザインから着付け、ヘアメイク。。すべて現地の専門家がボランティアで参加。稽古場でも公演会場でも、楽屋の隅々にまで心の行き届いたサポートを目にしました。出演者についても、まず日本舞踊チームの大活躍は、昨年の東京での能楽堂公演に出演した専門家の演技と比して、匹敵する、とは言わないまでも、少なくとも見劣りする、ということはありませんでした。
が、わけてもメイちゃんの才能を発掘してきたのはコミュニティの共同体としての結束のなせるわざでしょう。東京公演の谷口さんの演奏が素晴らしく、ぬえとしても今回もチェロとの共演を楽しみにしていたのですが、あいにく谷口さんはスケジュールの都合でロサンゼルス公演には出演不可。主催者からは「今回はチェロなしで組み立て直すことになると思います」という宣言も聞かされていました。が、その後「すばらしい中学生が見つかった」との報が。中学生??? 未熟、経験不足を心配し、不安なまま渡航したのはBaliasiの千絵さんも同様だったそうですが、どちらもメイちゃんの演奏には大満足! メイちゃんについて詳しくは前の記事を参照ください。
そのほか ぬえに親身に面倒を見てくれた厚子さん、震災のときのアメリカ軍の活躍についてお礼を申し述べる機会を与えてくださった禅宗寺さま、稽古場から太鼓の貸し出しまで応援くださった浅野太鼓さん、そしてもちろん主催者の松浦靖さん。感謝の言葉は尽きせません。大変貴重な機会を頂きましたことを、関係者一同のご尽力に感謝申し上げます。
【この項 了】