被災地での上演場所としてもう一つ忘れてならないのは、地元の寺社での奉納上演です。
プロジェクトでは信心の厚い地元の住民さんの要望によっても神社やお寺で奉納上演をして参りましたが、折を見つけては自分たちからも進んで奉納のお願いをしてきました。
見知らぬ土地に足を踏み入れて活動する場合には土地の神様にご挨拶するのは能楽師としては至極当然な行動でして。。これについてはいろいろ申したいこともあるのです。仏さまは全国チェーン(?)ですから申すまでもないのですが、神様についてはかなりナイーブな面もありまして、いわく初詣なども含め神社でお願い事をしない、とか、午後5時を過ぎたら神社には立ち入らない、とか。。
あまり細かいところまで言いだすときりがないので割愛しますが、たとえば伊豆で教えている小学生たちにも、神社のお祭りなどの機会に上演させて頂く機会があれば、子どもたちにも必ず神様にご挨拶させていまして、子どもたちには二礼二拍手一拝の作法も玉串奉奠の作法も教えています。そして神様にご挨拶する時には「上演が成功しますように、とお願いするんだよ」と言うのです。あれ? ついさっき神様にお願いするものではない、と言ったばかりなのに。。でもね、土地の神様には「郷土愛」があるので、地元の子どもたちが神様に奉納するので失敗がないようにお守りください、というのは間違いではないのです。ぬえは信仰はないけれど信心はある、と日ごろから言っているのですが、能楽師の多くが ぬえと同じような気持ちを持っていると思います。
さてこのようなわけで被災地でも機会があれば土地の神社で、自分たちが活動するご挨拶をするとともに、土地の平安や住民さんが幸せになるように見守って差し上げてください、という気持ちを込めて奉納上演をさせて頂いております。
さて実際の奉納上演の画像がこちら!
これは石巻市の住吉神社で年始の時期に奉納しました。震災の翌年で、仮設住宅で年越しイベントを行った翌日。。つまり元日の朝に舞囃子『高砂』を奉納上演しました。奉納上演なので裃を着用して勤めています。
こちらも石巻の牧山零羊崎(ひつじさき)神社での奉納です。牧山は湊小学校の裏山にあたる場所で、活動の初期に拠点としていた湊小学校避難所を見守るように建ち、この地区の人々から崇敬されていた神社での奉納が実現できたのは震災から2年後のことでした。
このほかにもいろいろな神社やお寺で奉納させて頂きました。画像は上から気仙沼市の御崎神社、塩竃神社、再建なった閖上湊神社での奉納で、タイトル画像は登米市の横山不動尊での奉納です。
こちらは石巻市の門脇地区を見下ろす。。被災地のシンボルともなってしまった鹿島御児神社の大鳥居のもとでの奉納。昨年の震災の日の奉納上演です。この大鳥居は地震にも耐えたのですが、老朽化のためとうとう今年に建て替えのため撤去されてしまいました。
朝の連続ドラマ「おかえりモネ」でも紹介された登米市の「森舞台」こと「登米伝統芸能伝承館」。東北にもここや中尊寺の境内に建つ白山神社に立派な能舞台があります。
あと、変わった場所での上演といえば。。
有名な陸前高田市の「奇跡の一本松」の前での奉納上演。一本松は結局枯死してしまってレプリカに置き換わり、今では巨大な防潮堤に囲まれた「高田松原津波復興祈念公園」の一部となっています。
(撮影:前島吉裕氏)
気仙沼の地福寺でのお盆送りの行事。地元ボランティア団体「ともしびプロジェクト」さんによる蝋燭の明かりでの幻想的な上演で、これにヒントを得てプロジェクトでも似たような活動を始めました。
上は大崎市のプラネタリウムでの上演と、石巻市の栄光教会での上演です。そのほか気仙沼の美術館や公民館でもパソコンで星空を投影しながら、また能とは別にクラシック音楽家に演奏をお願いしてロマンチックなイベントを企画したりしました。能の上演以外に機材も必要でしたが、このあたりは笛の寺井宏明さんの得意分野で、また能楽情報誌「花もよ」を編集する小林わかばちゃんに投影される星空の解説をして頂いたり、簡易的ではありますが被災地でプラネタリウムと音楽、そして能の美しいイベントが出来上がりました。
このあたりからですかね、「復興の支援」から「普通に文化芸術を楽しめる市民生活の再建」に活動の目標が少しずつシフトされていったように思います。でもそれは、たまに訪れるよそ者だから思うことで、仮設住宅で医療支援などを続ける住民ボランティアさんの活動を見ていて、現実はそんなに簡単なものではなかった、と思い知らされることにもなりましたが。。
気を取り直して、こんな画像も。
こちらは気仙沼大島の大島中学校でのワークショップのひとコマ。ちゃんと面の扱い方を教えたうえで様子を見ていたら。。子どもたちの発想は面白いですねー
こちらは福島第一原発事故で町ぐるみで避難した福島・双葉町の住民さんたちが暮らす埼玉県・加須市の「騎西高校避難所」での炊き出しの様子です。炊き出しには2度ほど携わりましたが、このときはご覧のように外国人ばかり50名による炊き出しでした。炊き出しはそれほど大変な作業で、廃校を利用した避難所で炊事施設があり、これだけのボランティアさんが集まってはじめて可能になるのだと実感しました。このときは ぬえは上演ばかりでしたが、寺井さんは何でもできる人で、炊き出しでも活躍していました!
最後はラジオ番組への生出演の様子です。被災地ではコミュニティラジオ局が震災当初から情報発信に大きな力を発揮しましたが、その後「災害FM」として認可を受けて新しく開局するなど、東日本大震災では30の災害FM局が作られたそうです。
プロジェクトでは信心の厚い地元の住民さんの要望によっても神社やお寺で奉納上演をして参りましたが、折を見つけては自分たちからも進んで奉納のお願いをしてきました。
見知らぬ土地に足を踏み入れて活動する場合には土地の神様にご挨拶するのは能楽師としては至極当然な行動でして。。これについてはいろいろ申したいこともあるのです。仏さまは全国チェーン(?)ですから申すまでもないのですが、神様についてはかなりナイーブな面もありまして、いわく初詣なども含め神社でお願い事をしない、とか、午後5時を過ぎたら神社には立ち入らない、とか。。
あまり細かいところまで言いだすときりがないので割愛しますが、たとえば伊豆で教えている小学生たちにも、神社のお祭りなどの機会に上演させて頂く機会があれば、子どもたちにも必ず神様にご挨拶させていまして、子どもたちには二礼二拍手一拝の作法も玉串奉奠の作法も教えています。そして神様にご挨拶する時には「上演が成功しますように、とお願いするんだよ」と言うのです。あれ? ついさっき神様にお願いするものではない、と言ったばかりなのに。。でもね、土地の神様には「郷土愛」があるので、地元の子どもたちが神様に奉納するので失敗がないようにお守りください、というのは間違いではないのです。ぬえは信仰はないけれど信心はある、と日ごろから言っているのですが、能楽師の多くが ぬえと同じような気持ちを持っていると思います。
さてこのようなわけで被災地でも機会があれば土地の神社で、自分たちが活動するご挨拶をするとともに、土地の平安や住民さんが幸せになるように見守って差し上げてください、という気持ちを込めて奉納上演をさせて頂いております。
さて実際の奉納上演の画像がこちら!
これは石巻市の住吉神社で年始の時期に奉納しました。震災の翌年で、仮設住宅で年越しイベントを行った翌日。。つまり元日の朝に舞囃子『高砂』を奉納上演しました。奉納上演なので裃を着用して勤めています。
こちらも石巻の牧山零羊崎(ひつじさき)神社での奉納です。牧山は湊小学校の裏山にあたる場所で、活動の初期に拠点としていた湊小学校避難所を見守るように建ち、この地区の人々から崇敬されていた神社での奉納が実現できたのは震災から2年後のことでした。
このほかにもいろいろな神社やお寺で奉納させて頂きました。画像は上から気仙沼市の御崎神社、塩竃神社、再建なった閖上湊神社での奉納で、タイトル画像は登米市の横山不動尊での奉納です。
こちらは石巻市の門脇地区を見下ろす。。被災地のシンボルともなってしまった鹿島御児神社の大鳥居のもとでの奉納。昨年の震災の日の奉納上演です。この大鳥居は地震にも耐えたのですが、老朽化のためとうとう今年に建て替えのため撤去されてしまいました。
朝の連続ドラマ「おかえりモネ」でも紹介された登米市の「森舞台」こと「登米伝統芸能伝承館」。東北にもここや中尊寺の境内に建つ白山神社に立派な能舞台があります。
あと、変わった場所での上演といえば。。
有名な陸前高田市の「奇跡の一本松」の前での奉納上演。一本松は結局枯死してしまってレプリカに置き換わり、今では巨大な防潮堤に囲まれた「高田松原津波復興祈念公園」の一部となっています。
(撮影:前島吉裕氏)
気仙沼の地福寺でのお盆送りの行事。地元ボランティア団体「ともしびプロジェクト」さんによる蝋燭の明かりでの幻想的な上演で、これにヒントを得てプロジェクトでも似たような活動を始めました。
上は大崎市のプラネタリウムでの上演と、石巻市の栄光教会での上演です。そのほか気仙沼の美術館や公民館でもパソコンで星空を投影しながら、また能とは別にクラシック音楽家に演奏をお願いしてロマンチックなイベントを企画したりしました。能の上演以外に機材も必要でしたが、このあたりは笛の寺井宏明さんの得意分野で、また能楽情報誌「花もよ」を編集する小林わかばちゃんに投影される星空の解説をして頂いたり、簡易的ではありますが被災地でプラネタリウムと音楽、そして能の美しいイベントが出来上がりました。
このあたりからですかね、「復興の支援」から「普通に文化芸術を楽しめる市民生活の再建」に活動の目標が少しずつシフトされていったように思います。でもそれは、たまに訪れるよそ者だから思うことで、仮設住宅で医療支援などを続ける住民ボランティアさんの活動を見ていて、現実はそんなに簡単なものではなかった、と思い知らされることにもなりましたが。。
気を取り直して、こんな画像も。
こちらは気仙沼大島の大島中学校でのワークショップのひとコマ。ちゃんと面の扱い方を教えたうえで様子を見ていたら。。子どもたちの発想は面白いですねー
こちらは福島第一原発事故で町ぐるみで避難した福島・双葉町の住民さんたちが暮らす埼玉県・加須市の「騎西高校避難所」での炊き出しの様子です。炊き出しには2度ほど携わりましたが、このときはご覧のように外国人ばかり50名による炊き出しでした。炊き出しはそれほど大変な作業で、廃校を利用した避難所で炊事施設があり、これだけのボランティアさんが集まってはじめて可能になるのだと実感しました。このときは ぬえは上演ばかりでしたが、寺井さんは何でもできる人で、炊き出しでも活躍していました!
最後はラジオ番組への生出演の様子です。被災地ではコミュニティラジオ局が震災当初から情報発信に大きな力を発揮しましたが、その後「災害FM」として認可を受けて新しく開局するなど、東日本大震災では30の災害FM局が作られたそうです。