ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

群馬県で学校公演

2010-11-27 01:05:49 | 能楽
昨日・今日と2日間、再び学校公演で群馬県に行って参りました。藤岡市の市立平井小学校と安中市の市立九十九小学校の2校です。

どちらも高崎市の周辺の市で、ぬえにとっては高崎にお稽古場があるため馴染みの深い土地柄ではありますが、いろんな面を見つけた2日間ではありました。

まずは藤岡市。この日埼京線のダイヤが混乱したため新幹線に乗り遅れてしまった ぬえは、後続の新幹線とタクシーを乗り継いで学校に到着しました…

この日は珍しく後見のお役だったのですが、ははあ、正面に座る子どもたちの反応がよく見えて楽しかったです、いや、楽しかったなんて不謹慎かもしれませんが、『安達原』の後シテの鬼女が正面の方へ出ていくと、もうそのあたりの子どもたちは阿鼻叫喚の大騒ぎで…(^◇^;) こう、素直な反応が返ってくると、演者としても うれしくなってきますですね~(^^)V

この日は上演後の質疑応答でも「舞台上で失敗したらどうするんですか?」なんて…素直過ぎる質問が出て、応対に出たシテは困りながら答えていました。うん、質問というのはこういうストレートなものが良いですよね。楽屋で後かたづけをしていた ぬえもこの質問を聞いて、思わず吹き出してしまいました。(^_^;)

翌日の安中市…同じ高崎の周辺でありながら、これほどまでに景色が違うのかと驚いた、いやはや、素晴らしい自然に囲まれた学校でした。あ、その学校自体もとってもモダンな…デザイナーが作った学校という趣の建物だったのですが、遠望できる山々の、それはそれは不思議な景観…出演者の中からも「これは…日本じゃないみたいですね」という感想が漏れていました。

タイトル画像は公演終了後に高崎駅に向かうバスの中から撮った、そんな山塊の夕暮れの風景です。これだけでも感動モノですね~

もう一つの画像がこれ!



この画像の中…真ん中より少し右側にあるギザギザの山がおわかりになります? もうちょっと拡大した昼間の画像がこれです。



この画像では左側に写っている、これが妙義山だそうで、この土地の人にとってはシンボルのような存在のよう。公演した小学校の体育館の壁に掲げられた応援歌の中にもこの山は歌い込まれていました。

高崎から高速道路を右に折れると雄大な赤城山が姿を現しますが、この妙義山も、高崎から少ししか離れていない場所なのに、こんなにインパクトのある山の偉容が迫ってくるなんて… ぬえが通う伊豆にも「城山」という奇岩の山がありますが、それにも匹敵する驚異の風景! こんなところに住む子どもたちは想像力が豊かになるでしょうね~

ちなみにこれが学校の前から撮った周辺の光景…。のどかな中にも、遠くの不思議な山々が不思議な力を発し続けているようです…



伊豆で思い出しました。先日伊豆にお稽古に行った時に頂いた山芋… これ見て! 全長は120cmもありました。



ああ、なんて自然ってすごいんでしょう。ぬえは生まれも育ちも東京なんで、故郷というものがないんですよねえ。こういうところに住む子どもたちがうらやましい…(・_・、)

子ども能…大成功で終了しました~(その8)

2010-11-25 02:18:07 | 能楽
いよいよ子ども能の経過説明も最終回!なんと兼隆は敗北を表すために側転をしてくれます。



これ、去年の初演の時には兼隆役は運動神経バツグンの礼智(現・中1生。今年も子ども能の地謡に参加)が居たために、彼に相談して「何かみんながビックリするような事はできない?」と聞いたところ、側転ができる、という事でこの型に決まりました。いや、最初はバック転を…みたな話まで出たのですが、舞台や稽古で事故やケガは絶対に起こさない、という ぬえのポリシーもありますので、側転に落ち着きました。ところがそれ以来、「私も側転できるよ~」「来年は側転やりたい」と、兼隆役が一挙に注目を集めてしまいまして、遠回しに ぬえに次の兼隆役の要求が来ること、来ること。(^_^;) いや、子ども能の配役はジャンケンで決めるんですから、ジャンケンの腕を磨いておいてね。



そうして負けた兼隆に源氏の兵が縄を打ちかけて連行します。なんだかこの縄をかける役が不思議に子どもたちに大人気らしくて…なんでですか??(゜_゜;)

かくして子ども能は盛会に、立派に上演することができました。
ん~、9月の敬老会での上演の100倍は良かったんじゃないかと思います。子どもたちのママの一人からは「過去最高の出来だったのでは…?」というメールを頂きました。もう11年続けている子ども能の過去をどこまでご存じかな~? という気もしないではないですが、じつは ぬえはそれと近い気持ちでおりました。

これまでの大きなホールでの上演と比べて、神社の神楽殿での上演はどうも都落ちしてしまったような気分も最初はあったのですけれども、いざ実際に上演してみると、ぬえにはとっても居心地がよかったです。

なんと言っても玄人能の前座のような立場での上演では なにかと窮屈で、たとえばママたちも子どもたちの浴衣の着付けを済ませて楽屋に送り出したら、あとは楽屋からはシャットアウトで、観客に徹するしかありませんでしたが、こういう場所ではむしろ人手が足りないので、ママたちも幕の手伝いから、果ては後見として舞台に出ることまでやって頂きました。ホームビデオも、本来能楽公演であれば許されないのですが、神社の祭礼となると規制は難しいので、事実上はみなさんそれぞれお子さんの勇姿をカメラやビデオに収められたのだろうと思います。

そういうママたちからの感想なのか、「子どもたちが真剣に演じているんだから、もっとマジメに見て頂ける環境の中で上演させてあげたい」という感想も寄せられましたが、舞台上にいた ぬえにはそれほど気にはなりませんでしたね。

酔客も多くて、境内で撮影したママのビデオの音声には喧噪ばかりが入っていて、謡も囃子も遠くの方で鳴っているばかりだったと思いますが、まあ、それはそれとして、ぬえが舞台の上から見た印象としては マジメに見てくださったお客さまも多かったように思いますし、なにより市民に愛された上演だったと思います。これが 子ども能の本来あるべき姿だったんじゃないかなあ。

ん~、それにしてもぬえは どうしてあの場でマイクを握って新規の子ども能参加者を募集しなかったかなあ! 実際には子どもたちの装束の着付けで時間いっぱいで、それほどの余裕はなかったのですが、あの場で参加者の募集をしていたら、きっと多くの子どもたちが参加してくれたでしょう。それほど みなさん、喜んでくださったと思います。その手応えはたしかにありました。

これからも子ども能は、こうやって、市民の身近にあって、市民に愛される存在であり続けよう、と心に誓った ぬえでありました。

ともあれ、出演した子どもたちはお疲れさまでした~。稽古もがんばったし、ちゃあんと成果を出してくれましたね~。(^^)V ママたちも何かとご心労ではありましたでしょうが、あの出来ならば満足して頂けたであろうと思います。これからも子ども能をよろしくご贔屓くださいまし~ m(__)m

韮山竹灯籠まつり・その後

2010-11-24 03:31:10 | 能楽
秋も暮れになりつつある先日、伊豆の稽古のついでに再び韮山の「江川邸」に行ってみました。

先日見に行った「韮山竹灯籠まつり」は、それはそれは幻想的で、これはちょっと東京では見られないイベントでしたね~。その時、ふだんは公開されていない江川邸の内庭が公開されていたのですが、竹灯籠まつりのあと、しばらくの期間は昼間も内庭を公開する、という情報を得て、これを見に行ったのです。

江川邸については前述しましたが、代々の伊豆代官であった江川家の屋敷であり、代官所も併設されていたらしいです。幕末には江川英龍という人物を輩出し、この人はペリー来航に対抗して江戸湾防御のために幕府が「台場」を建造した、その責任者だった人で、この江川邸には「江川塾」も置かれ、ここでは台場に設置する大砲を操るための砲術を中心として西洋思想や技術を教えていたそうで、佐久間象山などもここの門下生なのだとか。

そんな、幕末の歴史の中で大きな意味を持っていた場所ではありますが、さて昼間に内庭を歩いてみると…ああ、紅葉の色が深まってきて、良い感じですね~



竹灯籠まつりの時にススキと一緒に飾られていた竹灯籠もまだ残されていました。



こちらは斜面に竹灯籠をたくさん置いて「滝」を表現した場所。あ、こんなちょっとした小山に造られていたんですか? 竹灯籠に灯されて浮かび上がった様子は巨大な斜面に見えましたが…不思議な効果があったのですね~



池には鴨が遊び、なんとものどかな風景です。



ところが、ふだんから資料室のような形で公開されている米倉の中をよく見ると、なんと東京のお台場の見取り図が飾られているではありませんか!



強力な要塞…という感じだったんですね。お台場。それほどペリー艦隊の来航は脅威だったのですね。お台場は今は遊ぶところ、みたいな感覚で東京の人は見てしまいますが…

それでも当地の子どもたちは修学旅行で東京に行くと、必ずお台場に連れて行かれて江川英龍の銅像を見に行くんですって。…すいません、ぬえは英龍の銅像がお台場にあることさえ知りませんでした…。今度見に行ってみよう。

子ども能…大成功で終了しました~(その7)

2010-11-22 02:03:48 | 能楽
ああ、どうも風邪を引いちゃったらしいです…咳が止まらない~、ノドが痛い~(×_×;)
でも先週は師家の月例公演で仕舞『鵜飼キリ』、とゆ~、まあ元気この上ないお役がついておりまして、そのあとお弟子さんの おさらい会もありました。メチャクチャになるのかと言うと…かえってドスの利いた(?)声が出て、結果的に調子が良かったりします…

さて、なかなか進まないけど、子ども能のご紹介~

頼朝軍の突然の襲来に慌てふためく兼隆邸。宿直の武士は太刀をおっ取って奮戦します。



んで、武士同士の戦いが繰り広げられるのでした。切り組の第1組目は葵(源氏=6年生)と一依(平家=3年生)。



源氏の武士は白い袴に白い鉢巻。一方の平家は紺の袴に鉢巻はナシです。鉢巻の有無は、源氏が軍装を整えて山木館を襲撃した一方、平家軍は不意を突かれて戦いの準備をしていない、という表現です。細かいところですが、こういう表現が能らしいところで、ぬえは割と深くこういう設定を考えて台本を作っています。



続く2組目は百恵(源氏=6年生)VS しおん(平家=6年生)。百恵はお姉ちゃんに連れられて子ども能に参加してから、経験はもうずいぶん長くなりました。最初はホント、幼い感じでしたけれど、ずいぶん大人になったなあ、と感じます。



3組目は海帆(源氏=6年生)と亜里沙(平家=6年生)。二人ともどちらかというと のんびり屋さんタイプの子ではないかと思いますが、見よ!、この鋭い眼光。亜里沙は今回の子ども能の出演者募集を始めた時に真っ先に申込をしてくれました。楽しんでくれているのは なにより嬉しいですが、この眼光で、教えた甲斐があったなあ、と思います。



そうしてついに頼朝と兼隆の一騎打ち。


子ども能…大成功で終了しました~(その6)

2010-11-18 02:09:47 | 能楽
子ども創作能は、もう11年目を数えるのですが、作品もすでに3作目になるんですね~。

今回の演目『伊豆の頼朝』は、去年初演を迎えたのですが、その時は主役・準主役を勤める小学6年生がほとんど男子ばかりという、ちょっと子ども能の歴史の中でも異例の年でありました。やっぱり台本というものは、その主役候補の子どもたちの顔ぶれを見て考えるところが大きいです。それで去年は能『正尊』をベースにして新作の台本を作りました。…ところがヘンなところがマジメな ぬえ…題材が平治の乱のあと伊豆に流刑になった頼朝が挙兵するところ、と決まって、『吾妻鏡』や『源平盛衰記』を調査したまではよかったんですが…頼朝が読み上げる後白河法皇からの院宣の本文を、どうしても子ども用に易しい文章に作文する…というか改変することができなくて、『吾妻鏡』そのままの文章を6年生に謡わせちゃいました…これは酷だったかも。それでも頼朝役に決まった「瞭」は、立派に勤めを果たしました。子どもに助けられちゃイカンです…

それと、頼朝軍に敗れる平家の伊豆目代の山木兼隆。どうやって敗戦を表現するかに悩んで、その役に当たった「礼智」に特技を聞いたところ、側転なら楽勝、との答えでした(!)。能では考えられない型ですけれども、それならっ てんで型にしてしまいました。結果はお客さんのどよめきが起きる大成功の演技でした。子どもに助けられちゃイカンです…

それでまた今年。事情もあって稽古が少なかった理由もあって『吾妻鏡』の院宣はカットしましたが、なんと今年の6年生は女子ばっかりでした(!)。去年作った型は男子を想定していたので「側転」でもよかったのですが…女の子がやるかなあ??

意外や反応はすさまじくて、舞台上での側転やりたさに兼隆役が一番人気だったようです。結局 兼隆役に決まったのは ぬえが普段からお仕舞の稽古をしている 珠里(みさと)で、ん~、彼女は去年から ぬえに「側転できるよ~!」ってアピールしてましたな… 珠里は当日の上演本番では、とんでもない大声で謡って、あれで一挙に舞台が締まりました。おい、その声…稽古で聞きたかったぞ…

といううちに、山口宏子さんから子ども能の写真が送られてきました。せっかくだから、台本の説明とともにご紹介してゆきましょう。

治承4年8月。折しも三島大社の祭礼の夜、伊豆目代・山木兼隆の邸の兵もことごとく参拝に出払った折に、兼隆は宿直の侍をねぎらうために酒宴を催すよう命じます。



一方、高倉院と後白河法皇の度重なる宣旨によって挙兵した頼朝が登場。



伊豆山神社・三島大社。そして分けても源氏の氏神たる都・男山八幡宮をはるかに拝して戦勝を祈願した頼朝は、一路山木館に急ぐのでした。


韮山竹灯籠まつり

2010-11-17 01:13:44 | 能楽
くく~っ、忙しくて更新がままなりません~(×_×;) 子ども能のレポートもまだ楽屋に集合したところまでしか書けていないのに~。しかし今日も申合2カ所、その間に会合もあり、帰宅したら子方の稽古…ああ、1日がなかなか終わらない…

そんな中、週末に伊豆のお稽古に行ってきました。東京で催しを終えてから…この催しでは ぬえは副地頭だったのですが、お地頭の力量により、久しぶりに良い地謡になったと思います。良い舞台に一役として参加したときの至福…これは何物にも代え難いです…それを終えてから東名高速をひた走り、伊豆に到着して、子ども能の出演者のお母さんと飲みに行って (^◇^;)、その日は宿泊して翌日朝からの稽古に臨みました。

この日の稽古も満足できる出来で、ああ、お母さん方もだんだん上手くなってきたねえ! 子どもたちも仕舞の稽古をしているのですが、やっぱり段々と形になっていくのを見るのは嬉しいことです。どちらもまだまだ初心の曲を稽古しているのですが、その先にある、深刻だったり、重厚だったり、ひたすら儚げに美しい曲だったり…そういう深いテーマのある曲に早くいざなってあげたいです。

さてこの日、江川邸という市内の名所で「韮山竹灯籠まつり」が開かれていて、拝見に伺いました。

江川邸は当地の代官・江川家の屋敷で、国の重要文化財に指定されています。江川家は すんごい家で、代々の伊豆代官の家であることもさることながら、幕末のペリーの来航に対抗して東京湾に築かれたお台場の建造責任者で、そこに据え付けた大砲も鋳造した36代英龍(ひでたつ)という著名人があります。当地の小学生の修学旅行は東京に行くと、お台場にある英龍の銅像に連れて行かれるんだとか…(^_^;) そのうえ明治初期には「韮山県」が作られ、なんと東京の一部までその支配下だった、という… 世が世であれば ぬえも韮山県民(たぶん)。

その江川家の邸宅で催された「竹灯籠まつり」は、去年初めて行われた新しい催しです。…が、驚きました。あまりの美しさに。何千本という竹を切ってキャンドルを入れて飾るその壮観。手間も大変だったでしょうに。



こちらは「滝」をイメージしたようです。斜面に置いた多くの竹灯籠…



竹灯籠の向こうに江川邸の母屋の姿も…でもその前の灯籠をよく見ると



ををっ、「I らぶ IZU」と書いてあったんですね~



出口にアンケート用紙があったので、来年は出演させてください~、と書いておきました。

このイベントを見に来た子どもたちとも会えたし、楽しい1日でした~ (^^)V

子ども能…大成功で終了しました~(その5)

2010-11-13 01:56:49 | 能楽
東北地方の学校公演も無事に終了しました。あ~東北の美しさというのは…この世のものとも思われないほどですね~。

さて子ども能の話題…ええと、郷土芸能の「三番叟」のレポートからでしたっけね。

稚児が勤める三番叟…顔にお化粧をしては面裏が傷むなあ…と つい心配しちゃう ぬえですが、しかし、三番叟を稚児(…実際に演じていたのは中学生くらいに見えましたが)が演じる、というのは何か意味があるように思います。ふだんの能の舞台の上では大人の狂言方が演じているのを見なれてしまっていますが、稚児は神の使いと考えられていますし…

以前このブログで書いたと思いますが、現行の能楽の中の三番叟が、まず直面で「揉之段」を舞い、そのあと舞台上で黒式尉の面を掛けて、それ以後は老人に扮して「鈴之段」を舞う、というのはいかにも不自然で、本来は「揉之段」と「鈴之段」は別の役者が勤めていたのだろうと推察することができます。

しかし、翁と千歳の関係のように、能の『翁』の中の千歳の役が、老体の神の出現の前に若者が露払いとして舞台を清めている、という図式は考え得ても、まさかこれを稚児が勤める可能性は考えたことがありませんでした。「三番叟」を「翁」のモドキと考える説に倣うならば、やはりここは三番叟とは別の役者…若者の露払いが「揉之段」を勤めていたはずなのですが、これが稚児となると、上演するうえではとくに不都合はないにしても、その役の意味はかなり違ったものになるでしょう。

能の「三番叟」では、さきほどまで(若者として)「揉之段」を勤めた役者が、黒式尉の面を掛けてからは「この色の黒い尉が…」と、最初から老人であったかのような発言をします。当地の民俗芸能の「三番叟」も、黒式尉を掛けた稚児が、ほぼ同じ文句を謡うのです。

こうなると、当地に「三番叟」がもたらされたのは「揉之段」と「鈴之段」を一人の役者が勤める現代の能楽『翁』の形式が整った後の時代の事だと考えられるように思います。ところが、若者だと思いこんでいた「揉之段」を勤める役者を稚児が担当することは、「鈴」が神鈴であり、天上の神がそれを「三番叟」…農耕の神に授ける場面だ、という見方もできるのではないかと。

もっと資料がなければ確実なことは言えないのですけれども、なんだか新しい発見をした、伊豆の「三番叟」ではありました。

さて正午をまわると子どもたちが集まってきます。み~んな新調した「子ども能Tシャツ」を着て。そうして、すでにその手には「綿菓子」やら「鮎の塩焼」やらが握られていました。(^◇^;) そうそう、すでに前日に実行委員会さまより露店で使える金券チケット100円券が100枚、子どもたちにプレゼントされていたので、それを前日に分配したのだった。出店に郷土芸能…子ども能が初めて出会う環境ですが、なぜか不思議と似合ってる… じつはこの日の子ども能の開演時刻の決定には ずいぶん調整が必要だったのです。それというのも、神社の秋祭りは地区で屈指のイベントなのだそうで、子どもたちは ずうっと楽しみにしているんだそうです。子ども相撲(女の子は腕相撲らしい)への出場を楽しみにしている子は、それが朝から催されるもので、それに出れないんじゃ子ども能には参加しな~い、なんてマジに言われました。(O.O;)

かくして、午後の催しとなった子ども能は滞りなく進行し、おそろいのTシャツを着た子どもたちは記念写真におさまり、それから着物に着替えて、1時30分の開演時刻を待つことになりました。

東北地方~学校公演(その2)

2010-11-10 08:20:18 | 能楽
ぬえ@福島市です~

東北地方の学校公演、2日目は郡山市立熱海中学校という学校でした。ん~中学生ともなるとずいぶん大人っぽい感じです。それでも狂言はとっても楽しんでくれたようで、能も真剣に見ている姿が印象的でした。質疑応答もとっても活発だったようです。場合により質問がまったく出ない、ってことも学校公演ではたまにはあるのですが、今回はみんな元気のよさが気持ちよいですねっ!

…ところが ぬえはこの旅行の機会に、師家の来年の番組の解説を書いたり、事務仕事をこなそうと考えていて、それを昨夜から始めたものですから、楽屋にまでそれを引きずっちゃって…なんだか楽屋でも空いた時間はメモ用紙と電子辞書とにらめっこという有様でした。公演の前に行われたワークショップなどは見れなくて残念!

それにしても…東北は美しすぎです。
これは一昨年に、それこそ2週間も学校公演で東北を廻ったときも、それよりかなり以前になりますが、秋田の大館で催しがあったとき、翌日は珍しく自由解散になっちゃって、ぬえはレンタカーを借りて、十和田湖から青森まで走ってみたのですが、あまりの自然の美しさに のたうちまわるぐらい(?)感動したものでした。

今回も、ちょうど紅葉のシーズンを迎えようとしている山形県~福島県と廻ってきたわけですが、その美しさと言ったら… これなら、日光などの紅葉の名所に行って渋滞にはまるぐらいならば、東北で のんびりと紅葉を見て、ゆっくりと温泉につかる方がずうっと贅沢かもなあ、なんて思いました。





ん~…携帯が古くて、キレイに写りません~

旅行に持っていくPCもない状態だし…(今日はホテルのレンタルPCを使用)、少しはIT浦島太郎から進歩していかないとなあ…

ところで今日は郡山での公演のあと、当地に近い、というんで出演者一同、『安達原』の舞台~「陸奥の安達原の黒塚」に行ってきました。
こちらがその写真!



ダメダメです…

阿武隈川の河原にあった黒塚には大きな杉の木が立っていました。そのすぐそばに観世寺というお寺があって、ここには鬼婆が住んでいた、といわれる岩屋があります。



そのうえ「出刃洗いの池」なるものまで…



…ああ、もうほとんどわからない画像になってしまいました。

当地に伝わる話としては、鬼婆を退治した祐慶が、その死骸を葬ったのが黒塚で、さらにその供養のために鬼婆が住んでいた岩屋を取り込んで寺を建てた、ということだそうです。
つまり「鬼こもれり」と言われた黒塚は鬼婆の棲家ではなくて、墓だということになります。塚。ですからね。

ところでここではこの物語、奈良時代の事件ということになっていました。能『安達原』では祐慶に従うワキツレがさきほどの三十六歌仙のひとり平兼盛の歌を本歌として「恐ろしやかゝる憂き目をみちのくの。安達が原の黒塚に。鬼こもれりと詠じけん。歌の心もかくやらんと」と謡いますし、またシテの鬼婆自身も糸尽くしの歌のロンギの中で『源氏物語』の夕顔の物語にちょっと触れますから、舞台に設定された時代は平安後期頃と考えるのが自然だと思います。祐慶という人も平安時代に実在した人のようですね。
当地の伝説ではこれを奈良時代の事件に設定して、兼盛の歌などは後世にこの事件が巷間に流布して詠まれた、となるわけです。どちらも物語に現実感を帯びさせる工夫があって、それが微妙にズレているところが面白いと思います。

今日も学校公演があって、そのあと東京に戻ります。子ども能についてはそれからご報告申し上げます~

東北地方~学校公演

2010-11-09 00:12:00 | 能楽
子ども能のご報告も半ばですが、ただいま学校公演のために東北に来ています。今日は山形県・米沢市の「塩井小学校」というところで狂言『盆山』と能『安達原』を上演してきました。先日の子ども能に引き続いての小学生相手の公演なわけですが、意外やこれがとっても積極的な子どもたちがいる学校で、ぬえはしきりに感心しっぱなし。

まずは「挨拶」ですかね。どうも学校をあげて挨拶を励行しているようですが、それ以上に自発的な挨拶がしっかりできている感じです。…それもそのはず、上演前の校長先生のご挨拶からして、すでに違っていました。まずは子どもたちに、舞台の設営をしてくれた会社へ、そしてこれから能を上演する ぬえの師匠ほか能楽師へ感謝をこめて「ありがとうございます!」と挨拶させたこと。ぬえも学校公演は何度も足を運んでいますが、演者だけでなく舞台設営の裏方さんにまで感謝の意を述べられ、それを子どもたちに伝えさせた校長先生はいまだここが初めてでした。

その「裏方さん」に、「いま校長先生はみなさんにも感謝するよう子どもたちに言っていましたね…こんな事、はじめてじゃないですか?」とそっと言ってみると、「なんだか…うれしいですね」と答えていました。

やっぱりね~気持ちなワケですよ。「ああしろ、こうしろ」と指導するだけならば誰にでもできるだろうけれど、校長先生が率先して感謝の心を表そうとするから、子どもたちもついてくるのでしょう。もちろん終演後も子どもたちから「ありがとうございました~」の大合唱。

公演ですが、今年初めての試みとして狂言も上演することになりました。『盆山』は盆景を盗み出そうとして持ち主に見つかったシテが(舞台上では本名で呼ばれる)、犬やサル、果ては鯛のマネまでさせられる、というもの。垣を破るノコギリの擬音や、鯛の「鳴き声」に子どもたちは大騒ぎ~。狂言が終わったところで短い休憩時間を取ったのですが、子どもたちは「タイ、タイ!」と言いいながらトイレに走っていきました。

能の『安達原』も、何といっても間狂言の面白さが子どもたちには大うけで毎年上演曲に選んでいるのですが、それと後シテの迫力との対比が面白かったようです。なんだか狂言方に人気を持って行かれたかな~とも思いますが、子どもたちには楽しんでもらえたかも。

こうしたワケで、とっても良い気持ちで小学校をあとにした ぬえたち一行。今夜は福島県の郡山に宿泊しています。
持参できるPCがなくて、ホテルのロビーのPCを使って書き込み~

…そうしたら、今日のシテを勤めた ぬえの師匠家の若先生が通りがかりました。
今日の学校の子どもたちは良かったですね~。先生もしっかりしていた、と ぬえが話すと、今回の学校公演(11月中に12校を廻ります)では、そういう指導がしっかりした学校が多いんですよ、とのこと。

なんだか楽しみになってきました。本日は東北学校公演のご報告まで~

子ども能…大成功で終了しました~(その4)

2010-11-08 02:07:27 | 能楽
明日から3日間、東北~関東北部で学校公演に出かけてくる ぬえでございます~

さて子ども能の当日は快晴で、少しだけ雪を頂いた富士山もみごとに映えて見えました。開演時刻は午後ですので、子ども能のお手伝いをお願いした能楽師のみなさまには、それまでの時間をちょいと市内観光を楽しんで頂くことにして、伊豆の国市の最高峰・葛城山に登って頂きました。

とはいえ もちろん登山をさせたのではなくて、山頂までロープウェイが通じているんです。ここから見渡す駿河湾・淡島・沼津・箱根。富士山はまさに絶景。不思議なことに伊豆から富士山が見えるのは秋~春までに限られていまして、4月を過ぎるとなぜか富士山は霞に隠れて見えないんですよね。この日は富士山もよく見え、また気温もさわやかで、葛城山頂からの眺望はさぞや素晴らしかったと思います…と人ごとのように言うのも、ぬえは上演準備があるので、能楽師のみなさんをロープウェイ乗り場までお連れして、あとは昼食を召し上がって頂いてからタクシーで楽屋に来て頂くことにして、ぬえはひと足早く楽屋に行ったからなのでした。



ちなみに昼食も ぬえお勧めのお店をご紹介しました。ここがまた…とろろ麦飯屋さんなのですが、これが美味しいのよね~

さて楽屋となったのは神社のお隣の保育園。まさに子ども能の楽屋には うってつけでした。(^◇^;) そのうえこの日は神社の祭礼とて、出店もた~くさん出ていまして、お客さんも大勢集まっておられます。ぬえの昼食は、この出店の焼きそばに決定。(;^_^A

上演の準備を進めながら、午前11時に上演される、この神社に伝わる「三番叟」を拝見しました。

じつは子ども能が今年から民間レベルの催しになった際に、一番の問題となったのは上演の場所なんです。まさか大きなホールを借りる費用なんてありませんし、もし借りることができても宣伝費もないので、お客さまに来て頂くことは不可能…そこで実行委員会さまの提案で、市内の神社のお祭りの場での上演となったのです。

それだけではなくて、当地にはいくつかの神社に、江戸時代から伝わる郷土芸能の「三番叟」が今でも残されていて、祭礼の際に上演されるのです。この「三番叟」に「子ども能」をぶつけて上演する、というのが実行委員会の計画なのですね。

「三番叟」は古くから当地に伝わっているわけですが、それは当地に金山があったことが大きく関係しています。伊豆には金山がいくつかあって、江戸時代には金山奉行が幕府から派遣されていました。どうもそれが当地に能を持ってきたようで、能から民俗芸能へと形を変えて、それぞれの神社に「三番叟」という形で残されている、ということのようです。

で、その「三番叟」なのですが、ふむ…詞章は『翁』…というか、やっぱり『三番叟』と同じようですね。小鼓三挺に大鼓、という囃子の編成も『三番叟』と同じ。ただ、笛は能管ではなく篠笛のようでしたが。

そうして特徴的なのは、登場した三番叟の役と面箱持ち…なのか千歳なのかの役が、子どもが勤めていることです。しかも二人とも顔に化粧をして、そうしてそのうえに舞の後半部(『三番叟』で言う鈴之段)では、その白塗りの顔の上に黒式尉のような面を掛けるのです(!)。

子ども能…大成功で終了しました~(その3)

2010-11-07 02:40:01 | 能楽
陽もとっぷりと暮れてようやく申合も終わり…ところが神主さまからお言葉を頂きまして、出演の子どもたちに成功祈願のお祓いをしてくださるという!

じつは、もうずいぶん以前から、神主さまにお祓いのお願いはしていたのです。やっぱり神前で子ども能を披露するのですから、神様へのご挨拶がなくてはなりません。子どもたちはそのつもりはないかも知れないのだけれど、この子ども能は神前への奉納でもあるわけで。

ところが、お祓いについては未定のままで申合を迎えてしまいました。そのうえこの申合の日にはすでに祭礼は始まっていまして、神主さまとはこの日もお話はできましたが、やはりかなりご多忙なご様子。そして「お祓いは無理です」とも言われてしまったのでした。

まあ、それならそれで、子どもたちと拝殿に上がって神様にご挨拶だけはしようと思ったのですが、子ども能の申合をすべて終わらせ、かなり夕闇が濃く迫ってきた頃。そのとき神主さまから「この時間なら翌日の準備はすべて済ませましたので、お祓いを致しましょうか…」との願ってもないお言葉を頂きました。舞台の掃除をしたり、一生懸命に舞台を勤める子どもたちを見てくださったのかもしれません。

早速拝殿に上がると、神主さまの祝詞、そして玉串奉奠が行われました。玉串は主役の子どもたち二人を指名して…ああ、これは ぬえも入って、先生と教え子の主役二人、ってのもアリかなああ、とも後では考えましたが、ぬえはやっぱり市民じゃないから、こういう時にはなんか気後れをしているんですかね。

ここにて解散。すでに午後7時近くになっていました。囃子方と夕食をともにしたり、東京から遅れて到着する能楽師を迎えに行ったりと、なかなかこの日も多忙でした。

明けて翌日の11月3日…薪能の本番は快晴に恵まれました。

朝、当地の観光協会の方から電話があり、ぬえが送ったプログラムを50枚ほどコピーして今日のお客さまに配ります、と連絡がありました。

すでに観光協会のイベントからは離れた 子ども創作能ですが、このように子ども能をやっぱり心配してくださっています。ありがたいことです~

子ども能…大成功で終了しました~(その2)

2010-11-06 08:15:12 | 能楽
さて翌日に本番の舞台を迎える大仁神社。まずすぐ近くのホテルにチェックインしてから神社に到着してみると、ははあ、お祭りの準備も整いつつあるようで、境内には提灯が吊され、神楽殿にも紅白幕と大漁旗のような派手な緞帳が掛けられ…能の雰囲気とはちょっと違うかな~、とはちょっと思いました…この時まではね。

やがて学校も終わって午後5時の集合時刻に、だんだんと子どもたちが集まってきました。まずはみんなで舞台を雑巾がけ~。

じつはこの、子どもたちによる舞台の雑巾がけは ぬえがずうっと以前からやりたかった事なのです。自分たちが使う舞台のコンディションを整える、というだけではなくて、舞台に敬意を表することが大切です。ぬえも能楽堂以外の催しでシテを勤めるときは、できるだけ自分で雑巾がけをすうようにしていますが、公演準備やスケジュールの問題で無理なこともしばしば。

しかし、海外の大学などで講義をし、最終日に公演をするような場合には、これは必ず時間を取って自分で舞台を拭きます。靴で舞台に上がる文化の場所ですしね~。このときは 一人で舞台を拭き掃除すると、大体2時間は掛かってしまいますが…もうヘトヘト。(×_×;)

今回は ぬえも拭き掃除に参加しましたが、まあ22人も参加者がいるので10分も掛からず磨き上げることができました。

おっと、この舞台掃除の様子が「道の駅・伊豆のへそ」の駅長さんブログに載っていますね~

道の駅・伊豆のへそ 駅長ひとりよがり

実行委員会さまからは「前日に舞台掃除はやっているよ?」とは言われましたが、まあ大概は白足袋ですり足をする能の演技のためには もうちょっと念を入れて拭いた方がよい事の方が多いです。案の定この時も子どもたちの雑巾は真っ黒になって、それはそれで大歓声が起きるという…なんで?

そうしているうちにお囃子方も会場に到着してくださいまして、ここで kyoranさんデザイン、願成就院さまご揮毫の 新・子ども能Tシャツを配りました! あ、そうそう、知事さんの公聴会の席を退出して すぐに ぬえは願成就院さまにお伺いして、Tシャツを1枚お届けさせて頂き、翌日に子ども能が本番を迎えることのご挨拶を申し上げました。

さてはじめてお囃子方をお迎えして本番さながらの申合が始まりましたが…これがめちゃくちゃになりまして。(O.O;)(o。o;) 

緊張からかなあ、あるいは最後の稽古から10日も経っているので、感覚が鈍ったか…とくに地謡が2度に渡って文句を間違えて、その度になんと申合が中断する、という有様でした。かく言う ぬえにも責任があり、その間違いをとっさに修正できなかったのはイケナイねえ。この夜は翌日の本番に備えて、台本をもう一度完璧になるまで覚え直しをしなければなりませんでした。(;>_<;)

タイトル画像は、毎度子ども能を応援して頂いている地元「伊豆日日新聞」に、翌日載った子ども能の記事。またしてもの1面トップ、しかもカラー写真入りです! …おっと、ぬえの名前が見出しに載ってる…恥ずかしいので、そこは伏せてご紹介させて頂きます~(・_・、)

子ども能…大成功で終了しました~(その1)

2010-11-05 00:56:32 | 能楽
さてさて、とうとうその日がやってきましたよ。
11月3日、伊豆の大仁にある大仁神社の秋祭りの中で上演された 子ども創作能『伊豆の頼朝』ほか ぬえの教え子の小中学生…および幼稚園児 (^◇^;) の発表の場!
まずは大成功とご報告させて頂きましょう!

まあ、毎年子ども能の終了後は「大成功」と書いている ぬえではありますが、長いこと 子ども能に携わっているお母さんの一人がこの上演のあと ぬえに言ったように、今年の子ども能は過去最高の出来だったのではないかと思います。言葉はハキハキ、地謡は驚異の大音量。そうして、お客さまに愛された上演、って感じがしましたね。

子ども創作能『伊豆の頼朝』は昨年が初演だったのですが、この時は主役を演じる6年生やそれに準じる役は、ほぼ全員が男の子だったのです。そんなことも念頭に置いて ぬえは台本を書いたのですが、この男の子たちはその後み~んな卒業して中学生になってしまいまして、子ども能を辞めるか、あるいは地謡として後輩の小学生のサポート役になりました。そんで、今年の参加者は、な~んと女の子ばっかり! 台本の前提として、男の子の運動神経が期待されていますので、さてどうしたものか…

ところが実際に装束を着せて上演してみると、意外やこれが似合うんですよね。宝塚かいな。いやいや、それとも感じが違うのですが、小学生が演じると割と中性的な感じも出て、なんというか、去年の迫力とはまたちょっと違って、はんなりとした、ふわっとした…一生懸命演じているのだし、また言葉も明瞭、声量も申し分なかったのですが、それも加味したうえで、なんだか去年とまた違った、不思議な魅力が醸し出されたように感じます。

ともあれ順番にご報告しますね~

子ども能上演の前日…2日はお囃子方もお招きして大仁神社で申合の予定になっていました。平日なので学校が終わってから、午後5時が集合時間です。

午後も早々に現地に到着した ぬえは、子ども能に使う道具のうち現地で預かって頂いている物を取りに行きがてら、県知事さんの公聴会に、ほんの短時間ですか傍聴に参りました。ん~、ぬえは市民でも県民でもないんですが (;^_^A

と言うのも、子ども能の準主役・平家の山木兼隆役のみーちゃんのママである りんちゃんが、この公聴会で発言者の一人として参加する、と聞かされていたからです。りんちゃんは当地の温泉旅館「ゑびすや」さんの若女将さんで、伊豆の観光業に携わる立場として、知事さんに現状の説明や、これからの方向性などについてお話をされるのだそう。

ぬえが公聴会の会場に到着したときには、すでに りんちゃんの発言は終わったあとでしたが、その後知事さんの発言のときに りんちゃんが話された内容がわかりました…なんと 子ども能のお話をされていたんですね。そのほかにも伊豆の国市で能を中心に据えたイベントがいくつか催されていること、歴史のある当地だからこそできる、能を観光の切り口のひとつとして捉えていることなど、積極的にお話しされていたようです。

また知事さんも意外にも能に造詣が深くて、「能や謡曲(注=謡曲という単語が出てくるだけで、能に対するある程度の知識は推察できますね~)には日本語の美しい表現がたくさん出てくる」「源氏物語も平家物語もその中に出てくる」「そういう素晴らしいものを、子どもの頃から学ぶことは本当に意義があることだ」とまあ、子ども能を絶賛、と言って良い評価をしてくださいました。そのほかにも「ただ、現代人にとって謡曲の言葉は非常に難解に思えてしまう。この点をうまく克服できればさらにすばらしい事ができるのではないか」など、示唆に富んだご意見もあって、ぬえは感心して伺っていました。

そうこうしているうちに時間も過ぎ、申合の準備を始めなければならず、知事さんのお言葉の途中ではありましたが、公聴会を退席して神社に向かいました。

タイトル画像は兼隆役の みーちゃん。カッコいいです~ (撮影:山口宏子)

→りんちゃんのブログ「若女将のほんわか寄り道日記 ~伊豆長岡より」

子ども能…お揃いのTシャツが完成しました~(その4)

2010-11-02 05:38:31 | 能楽
ミクシイで最初にkyoranさんが提示してくださったTシャツのデザインがこちら! ね? すごいですね~、ぬえにはこんな才能はありませぬな~



それで早速にkyoranさんに子ども能のTシャツのデザインをお願いすることにしました。その時は、このデザインをもう少しシンプルな方向に進めていけば、すぐにイメージ通りのデザインが完成する、と思っていたのです。これが9月初旬のことです。そして2ヶ月後、完成したTシャツのデザインがこちら!



まさに最初のデザインをシンプルにした、その通りのものが出来上がったわけですが、ここまでの道のりは本当に長かったです。「えと。。もう少しこういう感じで…」と ぬえがkyoranさんに申し上げるたびに、むしろかえってkyoranさんのデザインは ぬえが思う方向とはどんどん離れて行ってしまうような感じで…。「あ、と。。こうではなくて、もう少しこう…」「こうですか?」「あ、いや、それとも違うな…こっちをこんな感じで…」「それではこれ?」「あ…さっきの方がまだ…いっそ、こうしてみては?」「こういうイメージかな」「う~ん…」

いえ、悪いのはkyoranさんではなくて ぬえなんです。ぬえの中に完成予想図のしっかりしたイメージがあるワケではなくて、出来上がってきたデザインに「それも違う、あれも違う」と言うばかりなんで… 要するに、これ! と「気持ちがピッタリと合うデザイン」が提示されてきたら「ああ、それ頂きます」という、はなはだ受け身の身勝手なお願いだったわけで…それに振り回されたkyoranさんは、なんと…60通りものデザインを ぬえに送り続けなければなりませんでした(!)。

ミクシイなどにも何度も書いているけれど、よくまあ…kyoranさん、怒り出さなかったものです。謝礼さえも出せない完全ボランティア状態なのに、ぬえが言うことといったらダメ出しばっかりなんですから…。 これがプロであれば、こういう仕事は、本来は絵コンテのようなものを作ってデザインを発注して、あとは細かい修正だけで たちまちに完成するものなのだそうですね。これは後で聞きました… ところが ぬえに絵心はなし。なんせミクシイで「絵心なしコミュ」に入っているくらいですから。あっはっは。(T.T)

もう、デザインを作ってくれるkyoranさん任せで「なにか良いデザインない~?」と寄りかかっちゃう始末…。そのくせ、今後10年は子ども能を続けて、その参加者のユニフォームにしよう、今の薪能Tシャツを超える物を作ろう、という欲求だけは強いのですから、妥協はできず…まさに始末に負えないです。すみません…こういう事に不慣れなものでご迷惑をお掛けしてしまいました…

結局、遠回り、遠回りをさせてしまってkyoranさんがたどり着いたのが、最初のイメージをベースにしてシンプルにまとめたものになったワケです。

でもむしろ、この背中のデザインではなくて、胸のワンポイントのデザインが良いのですよ! こちらは完全にkyoranさんのオリジナルのイラストの本領が発揮された「鵺」のデザインで、よく見ると後ろには伊豆の山や川が描かれてあるんです。これは大成功でしたね!



kyoranさんには、格安のプリント業者も検索してご紹介頂いてしまい、もう、何から何までやって頂いちゃった…。そうして出来上がってきたTシャツですが、これがとっても良い出来なんです! これなら今後10年、子どもたちに引き継いでゆく「子ども能」のユニフォームとして十分に納得できるものです。

もう今日から ぬえは伊豆に入りまして、今日は子ども能の申合、明日が大仁神社秋祭りの中で本番を迎えます。Tシャツは今日、集まった子どもたちや関係者にお配りして、明日はみんながこのユニフォームを着て参集することになります。いよいよ新生した「子ども能」の旗揚げ公演です!

本当に献身的なご協力を頂き、ご迷惑を掛け続けてしまったkyoranさんには、大功労者として、ここで改めまして御礼を申し上げます。また関係各位…背中の「能」の文字をご揮毫くださった願成就院のご住職さま、子どもたちにTシャツを配るために制作費用の大部分を援助頂いた主催者「能友の会」のみなさまにもご協力とご支援に感謝申し上げます。子どもたちは明日の本番で、舞台の上でそのお返しをしてくれる事だろうと信じております!

最後になりましたが、kyoranさんがご自分のイラストを紹介されているサイトをご紹介させて頂きますね(とってもかわいい能楽イラストがあります)。

能楽イラスト+++

…おっと、「お手伝いのページ」に今回のTシャツ制作のことがすでに書かれていましたね!
そうだ、ぬえは、このTシャツとは別に、これまで出されてきたkyoranさんのデザイン…胸の「鵺」のデザインを自分の専用のトレードマークにしようと思っているんですよ。…ふだん楽屋に持っていく紋付などを包む風呂敷にこのマークを入れたり…最近はPCを利用して簡単にプリントできますしねっ…みなさん、どれがいいと思う??

ミクシイをご覧になれる方は、kyoranさんのプロフィールや日記を見て頂くことができます。

kyoranさんプロフ

ぜひぜひ!kyoranさんのイラストをご覧くださいまし~ m(__)m

子ども能…お揃いのTシャツが完成しました~(その3)

2010-11-01 02:42:15 | 能楽
昨日は新潟で催しがあって一日がかりでしたが、今日は久しぶりにな~んにも予定ナシ。でも、もう明々後日に迫った子ども能のための準備に追われていました。ぬえ自身が舞う「装束付き舞囃子」の『井筒』のために装束を出したり、子ども能の道具、その後見に抜擢したママの袴、子ども仕舞の扇…それから、これまでとは違って神社の祭礼の中に割り込ませて頂いての上演ですから、協力してくださる囃子方が神社で移動する便宜もこちらで整えなければならないのですが、実行委員の方々は、え~、何というか、偉い方々なんで、スリッパを用意してください、とは ちと言いにくい… ぬえが100均で買いました~(^◇^;) あとは子どもたちへのご褒美やら、待ち時間の間に楽屋で食べさせるためのお菓子とか… ぬえって何屋さん? (;^_^A

さてTシャツの件ですが、「子ども能」の指導を10年も続けている間に、だんだんと周囲の環境も変わってきまして…正直に言って、毎年「狩野川薪能」の実行委員会の方からは「来年は続けられるか分からないよ…」というお話はずっと聞かされておりました。それでも ぬえの知らないところで努力を傾注してくださって、途切れることなく上演は続いてきたのですが… 一度は本当に「ゴメン。来年は中止にします」というところまで来たのです。忘れもしない、一昨年の年末も押し迫った頃、子ども能の「反省会」の中で、それまでなぜかじっと黙り込んでおられた実行委員会の方から、最後に挨拶として飛び出た言葉… ぬえはその反省会の冒頭から、微妙に不穏な雰囲気を察しなかった訳ではないですが、さすがに決定事項として突きつけられると、目の前が真っ暗になりました…

その日は泊まってその翌日、葛城山の山頂にある葛城神社に参拝して、いつの日にかの再興を祈願しましたが、もう、この景色もこれで見納めかも知れない…と思うと、居たたまれない気持ちにもなってきます。なんだか長い間ずうっとベンチに座ったまま、誰も通りかからないままに、いつも持ち歩いているICレコーダーで野鳥の囀りや虫の音、風の音なんかを録音してみたり…

そのまま迎えた正月は、喜びも何も、なあんにもない正月でしたね。ところが正月も半ばに差し掛かった頃、実行委員会から突然に連絡を頂きまして、「能の催しを復活させたから」とのこと。あまりに唐突すぎて 訳が分かりませんでしたが、いろいろお話をまとめて見るに、どうやら催しとしての採算よりも、子ども能がこれまで成してきた成果を重視して頂き、これを出発点にして能の催しを再構築してくださったようなのです。これは嬉しいお言葉でしたし、何より ぬえは飛び上がって喜びました。

ただし採算面の都合によって切り捨てなければならなかった事もあります。まずは「薪能」ではなくなったこと。これは全国的に見ても薪能は減る一方で、なんせ経費が文化会館のようなホールで上演する場合の倍額かかるのです。雨天の場合の代替会場として、やはりホールは押さえておかなければならないし、野外に仮設の能舞台や見所の椅子、さらには受付、仮設トイレを建設し、交通手段も考えなければならず… それで当地でも、城山(じょうやま)というもの凄いインパクトのある岩山や、狩野川のせせらぎをバックに上演する、あの最高のシチュエーションの「狩野川薪能」を諦めて、「狩野川能」というホール能として再出発することになりました。

このとき、なんですね。ちょうど薪能からホール能に変わった時に、時を同じくして「薪能Tシャツ」もストックをほぼ使い果たし、それならばもう「薪能」ではない新生の催しなのだから、この機会に「子ども能」だけのためのTシャツを作っては? というお母さんからのアイデアが出されたのです。

とはいえ、その時にはそれ以上の盛り上がりは見せず終わってしまいました。

それからたった1年の間に すったもんだの経緯があって、子ども能それ自体が中止に追い込まれて…それは ぬえもここに書きたくもないような思いもしましたが、今年は主役を勤めるんだ!という子どもたちの要望も強く、「ご好意」により、子ども能は能楽公演とは離れる事とはなりましたが、これまで通り上演を続ける事になりました。ありがたや~(・-・)

今回は大きなホールではなくて神社の秋祭りに神楽殿での上演…存続はできても これで子ども能の出演者も半減か? と危惧したのですが、意外や20名以上の応募者を得て、しかも去年までのメンバーはほぼ全員顔を揃えています。(゜_゜;) おお、そうか。また一緒にがんばる~? は~い!(^^)V …ってなワケで、今年も子ども能の稽古を始めたのでした。例年と比べ、かなり遅いスタートではありましたが…

そうしたら、またしてもお母さん方から、「今度こそ本当にすべてが変わったのですから、ユニフォームのTシャツを新調したらどうでしょうか?」という…これは今度は強いメッセージとして ぬえに響いて参りました。よし、やってみるか!

…こうして新調することになったTシャツ。ところが ぬえはこういう事をやった事がありませんで、う~ん う~んと困ったあげく、ついにネットで どなたかTシャツのデザインを作ってくださいませんか~? (・_・、) と、公募まがいの事をしてみたのです。

そうしたら…これはミクシイに載せたメッセージに対して頂いた応募でしたが、kyoran(きょうらん)さんとおっしゃる方から思いがけずエントリーがあったのです。これを見て、まずは ぬえもビックリ。具体的なイメージの案まで頂いたうえでの応募で、これならば! と、すばらしい成功が直感されました!

すぐに kyoranさんにご助力のお願いを致しましたが…まさか その後、ぬえはkyoranさんに、あんなにご迷惑を掛けることになろうとは…(T.T)