短い夏休みが終わって早速。。今日から3日間、師家では恒例のお装束の虫干しが始まりました。はぁぁぁぁぁ~~はやく来年の夏休みが来ないかなっと。(。_゜☆\ベキバキ(~_~メ)
虫干しとは土用の入りから立秋に掛けて衣類や書籍を干して梅雨の間にこもった湿気を取り除く、という年中行事(?)で、今年の夏土用は7月20日~立秋前日の8月7日までに該当したのですが、師家では実際には能の催しがないお盆の時期に行っています。
虫干しの作業は多岐に渡っていて、装束自体を舞台の梁に張ったロープに吊るして干すのはもちろんの事ですが、この機会に装束の補修、畳紙の修理、お装束蔵の整理も行います。それにしてもこの分量。。どうしても3日間ではお装束蔵の中のすべてのお装束を干すのは無理で、毎年「この慳貪の中は来年に廻そう。。」と泣く泣く虫干しを諦めるお装束もあります。平安時代には衣替えは年に7回もあったそうですから、それから考えたら能装束の種類は少ないんだ! と自分に言い聞かせないと身体が動きましぇん。。
※慳貪=けんどん。左右に切り込みを入れてフタや戸をはめはずし出来るようにした箪笥。そばやの出前が持つ「岡持」と構造は同じようなものですな。
まあ、虫干しの楽しみと言ったら、普段の公演ではお目にかかれないような古い良いお装束に触れられる事ですかね。お装束の中には、古くてとても上演には耐えられないけれども、細かいところまで贅を尽くしているお装束があったり、とても品の良いもの、良い仕事で丹誠を込めて織られているもの、あっと驚く大胆で奇抜な意匠のもの。。いろいろなお装束があり、またそれぞれの畳紙には面白い来歴が書いてあったり。見ていて嬉しくなってくるお装束がたくさん!
ぬえは面と同じく、自分の公演ではお装束の取り合わせにはかなり凝る方でして、自分でもコツコツと買い揃えてはいるけれども、とてもそれでは足りずに、公演のときには師匠から多くのお装束を拝借しなければなりません。普段の公演でも地謡に出ていておシテが着ているお装束を眺めていると、時には「あ!そうか。このお装束があったか!これを秋に勤めるあの曲の時に拝借させて頂いたら。。」なんて考えたりしています。ま、そのお装束の年代などから、1=間違いなく拝借できるもの、2=絶対無理、3=うまくいけば。。といろいろな段階はあるんですけれども。(~~;) だから虫干しの時はお装束を一堂に拝見できる絶好の機会なんです。ときどきは師匠のご子息から「このお装束狙ってるでしょ。これは無理だよ~~」なんて機先を制されたりもしますけれども。。
あとは。。そうですね。やはり昔のお装束に込められている職人さんの「意気」みたいなものを感じるられるのが虫干しの良いところかな。お装束というものは戦前と戦後のそれとでは全く別物、と言って良いぐらいに違うものなんです。技術の確かさ、意匠の力強さ、そして何と言ってもお装束に込められている「心遣い」。。ヘンな例えかも知れないけれど、我々を取り巻く品物は、日用品や食品のようなものにいたるまで、普段の生活の中でどんどんとイミテーションに取って代わられている。でも徐々に、ゆっくりと置き換わっていくと、イミテーションである事にさえ気がつかなくなるんですよね。こういう仕事をしていると、なんだか文化そのものがニセモノに代わって行きそうで。。怖さはいつも感じています。なんだか現代のものばかりを使っていると、芸までニセモノになっちゃいそう。。だからこういう機会に良い品物に触れておく事は、自分を見失わないためにも良い事なのでしょう。
ただ、もう少しお装束が軽いともっと嬉しい。。