ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

ワキ方の流儀について(その4)

2006-08-05 21:34:23 | 能楽
おワキの話題で思い出したのですが、これはお流儀には関係のない話ですが、ぬえが感心したお話を一つ。

最近の舞台で『鉄輪』が出まして、ぬえはなんとなく楽屋の机に向かってみんなが支度をする様子を眺めていました。おシテもすでに後見の手によって装束の着付けが終わり、また『鉄輪』にはシテのほかには ぬえが装束の着付けの手伝いをするようなツレなどの役もなく、すでに初番の能の地謡のお役を勤め終えた ぬえには『鉄輪』ではするべき事もなにもなく、楽屋の人手を見てお幕を揚げるのを手伝うかな…と漠然と考えていました。

やがて休憩時間が終わり『鉄輪』の開演時刻となります。ぬえはシテ方の楽屋にいたので、隣のワキ方の楽屋ではおワキとワキツレが、これまた装束を着付け終えたところを見ていました。そのうちに囃子方が各楽屋に挨拶をしながら鏡の間に向かいます。鏡の間ではシテはすでに鏡に向かって、あとは面を掛けるだけになっています。囃子方に続いてワキや間狂言も鏡の間に参集して、すべての役者がお互いに挨拶を交わして、囃子方は「お調べ」を始められます。ぬえも鏡の間に向かいましたが、鏡の間はもう出演する役者でいっぱいで、また幕を揚げるための人でも足りていたようだったので、シテ方の楽屋に戻りました。

やがて「お調べ」も終わり、囃子方が舞台に出て行ったようでした。すると。。ここでなぜかおワキが楽屋に帰って来られました。「?」と思った ぬえは、すぐに気がつきました。『鉄輪』ではおワキは能の後半にしか登場しないのです。能ではたいていの場合まずおワキが登場する場合が多いので、ぬえもついついそんな気持ちでいたところに、おワキが帰って来られたので意外に思ったのです。

おワキが開演前におシテやほかの出演者に挨拶をするために鏡の間に行き、みんなが舞台に出たところで自分の出番まで待つために楽屋に戻ったところまでは納得した ぬえでしたが、さてそうなるとまた疑問が。このおワキはすでにお装束を着けられていたのです。出番までまだ30分ちかくはあるでしょうから、能が始まってから装束を着けられても充分に間に合うはずなのです。そして装束を着けられて鏡の間に向かわれたからこそ、ぬえもこのおワキがそのまま舞台に出られるのだ、と早合点したのです。

早速 ぬえはこのおワキに、開演前の挨拶というのは必ず装束を着ていなければならないのかどうかを聞いてみました。答えは「いや、そんな事もないんだけど。やっぱり装束を着て挨拶する方がていねいかなと思って。。」。考えてみれば開演前にする挨拶のときに、すぐには舞台に登場しない人もおられるわけで、その時に一人だけ紋付とか胴着で挨拶するのはいかがなものか、と思われたのですね。やはりこれから舞台に出るぞ、とみんなが気分を高めている場なのですから、そこに普段の気持ちを持ち込まない、というのは常識で、それを考えた上で装束を着て挨拶に臨まれた、これはひとつの見識でしょう。まあ、すべてのおワキがこういう人ばかりではないけれども、そう考えておられる方がある事もあるんですね。