楽屋の話が出たので、震災10年を機に ぬえたちプロジェクトが被災地で慰問上演してきた場所の数々を振り返ってみました。
震災当初はご存じの通り被災した住民さんは避難所で生活しておられたので、ぬえたちの上演も必然的にそこになりました。
避難所にも大小いろいろありましたが、ぬえたちが上演したのはもっぱら公立の小中学校の体育館でした。これはその後の仮設住宅での上演でも感じた事なのですけれども、ぬえたちプロジェクトの活動は意外にスペースを必要とするので、小さな避難所や集会所を備え付けていない仮設住宅では活動は不可能でした。一人だけでフレキシブルに活動するマジシャンの慰問ボランティアさんが ぬえたちの倍は公演回数をこなし、ホテルに企画を持ち込んでディナーショーまで行っておられるのを見て羨ましく思っていました。
さて避難所は、当時活動の主な拠点であった石巻の場合震災の年の10月末に解消され、ぬえたちの活動場所は仮設住宅の集会所と仮設商店街に移りました。この時期が一番長くて、活動のほぼすべての期間は仮設住宅と仮設商店街で行ったといえます。
仮設住宅では2度、年越しイベントを企画しました。こちらは住民さんと「紅白歌合戦」を観ているところ。
仮設住宅はプレハブで割とどこも同じ造りでしたが、ときには個性的な建物もありました。一方この頃から女川や気仙沼、釜石などへ活動の場所も広がりましたが、仮設商店街はそれぞれ個性的でじつに楽しい上演場所でした!
ときには仮設商店街の「売り出しイベント」に協力させて頂くこともありまして、なんと我々のためだけに「能舞台」を作って頂いたことも!!
で、こちらは同じく商店街のイベントで、地元アイドルのショーのために用意されたステージ・トレーラーの上での上演です。さすがに面をかけたままステージによじ登るのは無理で、そういう難しい状況はしばしばあります。そういうときはお客様の前で面を掛けるところをお見せしてからの上演になります。
震災当初はご存じの通り被災した住民さんは避難所で生活しておられたので、ぬえたちの上演も必然的にそこになりました。
避難所にも大小いろいろありましたが、ぬえたちが上演したのはもっぱら公立の小中学校の体育館でした。これはその後の仮設住宅での上演でも感じた事なのですけれども、ぬえたちプロジェクトの活動は意外にスペースを必要とするので、小さな避難所や集会所を備え付けていない仮設住宅では活動は不可能でした。一人だけでフレキシブルに活動するマジシャンの慰問ボランティアさんが ぬえたちの倍は公演回数をこなし、ホテルに企画を持ち込んでディナーショーまで行っておられるのを見て羨ましく思っていました。
さて避難所は、当時活動の主な拠点であった石巻の場合震災の年の10月末に解消され、ぬえたちの活動場所は仮設住宅の集会所と仮設商店街に移りました。この時期が一番長くて、活動のほぼすべての期間は仮設住宅と仮設商店街で行ったといえます。
仮設住宅では2度、年越しイベントを企画しました。こちらは住民さんと「紅白歌合戦」を観ているところ。
仮設住宅はプレハブで割とどこも同じ造りでしたが、ときには個性的な建物もありました。一方この頃から女川や気仙沼、釜石などへ活動の場所も広がりましたが、仮設商店街はそれぞれ個性的でじつに楽しい上演場所でした!
ときには仮設商店街の「売り出しイベント」に協力させて頂くこともありまして、なんと我々のためだけに「能舞台」を作って頂いたことも!!
で、こちらは同じく商店街のイベントで、地元アイドルのショーのために用意されたステージ・トレーラーの上での上演です。さすがに面をかけたままステージによじ登るのは無理で、そういう難しい状況はしばしばあります。そういうときはお客様の前で面を掛けるところをお見せしてからの上演になります。