ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その3…石巻での稽古と。。ラジオ局へ!)

2012-08-30 02:02:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
住民ボランティアさんの宿舎でしばらく休ませて頂いてからそれから石巻駅前の観光協会にお邪魔しました。

石巻観光協会さんには毎度助けて頂いています。思えば最初は飛び込みで「ここでお能をやらせてくださぁい!」と叫んで、かなり怪訝な顔をされながら、なんとか許して頂いて。。そこからのお付き合いですね。ぬえたちの活動は毎度そうですが、最初は「能を上演したいんですけど。。」と申し出て、かなりドン引きされて。(^◇^;) それでも上演して終わると、いつも大変喜んで頂いて、「また来てくださいね?」なんて言って頂けます。そうしたところから段々とお付き合いも広がっていって。。活動の場所として仮設住宅をご紹介頂いたり、関係者のご自宅に泊めて頂いたり。本当に石巻のみなさんには感謝ですっ!

今回もまず石巻観光協会さんに場所をお借りして、今回の上演曲『松風』の稽古に取りかかりました。

『松風』は過去にも石巻で上演したことはあったのですが、ぐっと短くした省略版での上演でした。これをもう少しだけ。。限度はありますが、できるだけ内容を損ねない形で上演したい、というのが ぬえの思いでした。愛する人を待ち続ける『松風』のシテの姿。。これは被災地で上演するには微妙なところではありますが、むしろ純粋に愛する、信じる心が哀れで美しい曲だと思うのですよね。前回石巻にプラネタリウムを出現させる「星と能楽の夕べ」という自主公演を持ちましたが、これと心は同じ「文化の復興」という ぬえが考える、これからの被災地での活動のひとつの方針の一環であります。芸術を芸術としてそのまま自然に楽しむ。。もう石巻もそういう段階に入ってきつつあると思います。そして上演する側も、あんまり考えすぎない。ぬえはこのブログでは(その方が説明には便利だから)「被災地」という言葉を使っていますが、現地では決して使わない言葉です。

こうして『松風』を今回は上演するのですが、ある程度本式に上演したい、ということで、白水衣を着た前シテ(?)から上演を始め、物着をちゃんと行うことにしました。で、この物着の後見を、ぬえたちの活動をずっと…それこそ半年以上応援してくれ、また同行して協力もしてくださっている石巻市民の相澤利喜子さんにお願いする、というのも今回の活動のひとつの重要なポイントでした。いや、アマチュアさん…どころか謡や仕舞の稽古の経験もない方に、シテに長絹を着せ、小立烏帽子を着付けさせよう、というんですから無謀もいいところですが、ひとつには相澤さんのプロジェクトへの貢献や、これまで活動をご一緒にしてみての印象で、相澤さんならできるかも、と ぬえは考えたのでした。

こういうわけで、ここで行った稽古とは相澤さんへの物着の稽古です。もちろん相澤さんには手順を書き記したプリントや舞台の様子を納めたDVDなどの資料をあらかじめ送ってありまして、この日は相澤さんがこの資料を見てちゃんとシミュレートできているのかを見ることと、立ち居ふるまいなどが丁寧にできるか、を見たりアドバイスを加えるなどしました。

いや、実際、ぬえが見込んだだけの事はあって、相澤さんはご自宅でもよく研究を重ねていたらしく、後見の仕事をよくこなせるようでした。やっぱり。

さて稽古もうまく完了したところで石巻駅前で ぬえたちがお気に入りのお店でランチ。ここ、居酒屋さんなんですが、昼間はランチもやっていて、安くて(←ここが大切)、そのうえ美味。堪能したところでTさんと相澤さんにはラジオ石巻との打合せに行って頂き、ぬえは夕方の上演に取りかかりました。

そうしたところで本日の最も大きなイベント、災害FM放送「ラジオ石巻」に出演するためにスタジオへ。

このラジオ生出演は、もちろん ぬえたちのプロジェクトの活動として初めてのことです。とはいえラジオ石巻さんには昨年の活動のかなり早い時期からお世話になっていました。プロジェクトの活動の宣伝を放送の途中で流して頂いたり、イオンモールでの公演の際にはラジオ石巻の女子アナウンサーさんが司会を務めてくださったり。

そんな事から、前回の活動で、はじめてプロジェクトとしての自主公演、それもプラネタリウムを石巻に出現させる、という意欲的なプログラムを持って石巻に入ったものですから、ラジオ石巻さんにもその説明をし、宣伝をして頂いて。。こうしているところから、それでは次回は直接スタジオにお邪魔して、自分たちの声で市民に訴えかける方がよろしかろう、ということになったのでした。

ラジオ石巻さんとは事前に打ち合わせをして、こちらはこの時点で石巻に到着している ぬえとTさんの二人に加えて、相澤さんにも同席して頂き、市民として石巻の人々に語りかけて頂くことに致しました。

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その2…まずは宿舎へ)

2012-08-29 02:53:10 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてそんなわけで始まった第9次支援活動ですが、もとより今年の3.11…震災から1年を過ぎたその月末に、とうとう災害ボランティアセンターから発給されていた「災害派遣等従事車両」の制度も廃止になりまして、それ以来交通費の節約のためにETCの深夜割引制度を利用することになり、活動のために東北に向かう、少なくともその往路は深夜に東京を出発して終夜運転して現地に向かうことになりました。

今回は ぬえと笛のTさんとが同じ車…「レイちゃん2」で向かう事になっていたのですが、あいにく出発のその日はTさんは何カ所かの仕事を掛け持ちする超多忙なスケジュールで、一方 ぬえは夕方頃には終わる稽古の予定がひとつだけでしたので、渋るTさんを説得して、この日…8月9日の深夜に東京を出発しました。。もちろんTさんは運転は免除。車中じゃゆっくり眠れないでしょうけれども、ともかく休んで頂いて、そして翌日からは みっちり働いて頂こう、という ぬえの魂胆は残酷ですかあ?(^◇^;)

久しぶりに東北道を一人でずうっと運転しました。まあ、プロジェクトの活動ももう9回目ともなると、その間にはそんなことも5~6回はあったと思いますが。。でも、意外に往路は終夜運転していても、不思議に眠くてつらい、ということはほとんどありませんでしたね~。ぬえが もともと睡眠障害、ということもあるかとは思いますが。帰りは大変で、やはり滞在期間いっぱいに活動してからの帰京は疲労困憊。。SAのたびに仮眠、なんてこともありますが。。

【8月10日(金)】

早朝。。というわけでもなく朝食どきくらいに石巻に到着して、いつもの牛丼屋さんで朝食。2ヶ月前にも活動の冒頭に立ち寄った店で、そのときは いきなり震度4の揺れが起きてびっくり。まだ続いているんだ。。と思いながら、顔色ひとつ変えない店員さんにまた驚いたものでした。今回は地震もなく無事に「朝食セット」を頂いて、それからひとまず今夜のお宿に顔を出すことにしました。

今回は、参加能楽師が3人(気仙沼からは4人)ということで、宿泊所には地元の住民ボランティアさんのご自宅に泊めて頂くことになっていました。毎度お世話になっている「チーム神戸」さんも、たまたまこのときに神戸から来るという学生ボランティアさんを受け入れるために事務所「ふれあいサロン」はいっぱいで、別のルートからご紹介して頂き、また前回6月の活動の際にもご挨拶だけはしておいた、渡波の住民ボランティアさんに泊めて頂くことになりました。

こちらにも大変親切にして頂いて、「早朝に到着なら、どうぞどうぞ休憩・仮眠においでください」とあらかじめ仰って頂いて。。そうした事もあって、観光協会さんにお邪魔したあとはこちらの宿泊所にとりあえず荷物を置きに行きました。

リーダーさんは ぬえらの顔を見るなり「挨拶は抜きで!こっちの部屋を自由に使ってください。さあ、まずはゆっくり休んで!」と言ってくださって、ありがたく仮眠を取らせて頂きました。いや~~快適~~

。。って、そのお部屋がトップ画像なんですけどね。
。。ん? ゴチャゴチャ雑然でわけわかんない? これはみんな支援物資やこの住民ボランティアさんの活動資材です。ぬえたちが寝たスペースはこの横。



ほらあ? こんな快適なスペースが! 寝袋持参したのにマットレスが用意されてるなんて信じられないほど幸運!

それでもボランティア宿泊の人数が多いときは、この奥の押入も使うことができますっ



こちらはリーダーさんの事務室ね。さすが整理整頓が行き届いています。清潔。



。。ぬえたちも感覚が変わってきたかなあ?? 皮肉でなく快適だったんですけどね。

。。でもこのご自宅も津波で被災したのです。壁が真新しいベニヤ板張りなのはそのため。ここで渡波の海岸からは200mくらい離れていますかね。。それでも津波はこの家の1階を呑み尽くしました。住民ボランティアさんは、半壊状態だった家をこの状態にまでなんとか戻して、ご自身は地域のために奔走、しかも(ここが大切)他県から来るボランティアの宿所として自宅を開放しておられる。。これは並大抵の気持ちではできないことだと思います。

いや。。それはともかく。。 いまの ぬえはまずお休みなさ~い。。(-_-)゜zzz…

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その1)

2012-08-28 17:20:20 | 能楽の心と癒しプロジェクト
去る8月10日より13日にかけて、「能楽の心と癒やしプロジェクト」では第9次支援活動として石巻市内、石巻市雄勝町、気仙沼市内、気仙沼大島にて能楽の上演を行うことで被災地の応援に行って参りました。

今回はぬえと笛のTさんのプロジェクトメンバーに加え、久しぶりにワキ方のNさん、初参加の太鼓方Oさんもゲスト参加してくださり、本格的な能楽の公演を行える体勢で活動することができました。

ところが、今回はちょうど活動の時期が夏祭りの季節に当たりまして、仮設住宅などでの活動というよりは、むしろこの夏祭りイベントへの参加という形での上演となりました。初めて活動に参加してくれたOさんには是非 仮設住宅での活動で住民さんとのふれあいをして頂きたかったし、またワキのNさんも、以前気仙沼の児童劇団へのワークショップで演技指導に絶大な力を見せてくれたのですが、今回はそういう場面もなく、それぞれの力量を示すには不利な条件だったと思います。

しかしながら、昨年夏はまだまだ震災の直接的な影響が大きくて、軒並み中止になった夏祭り。この復活は地元の住民さんたちにとっても悲願であったでしょうし、復興のひとつの到達点であろうと思います。そのイベントに参加できたことはプロジェクトにとっても名誉と考えるべきでしょう。そして現実的には2度に渡って花火大会の前座イベントへの出演ができ、これは我々にとっても印象深い活動になりました。さらには災害FM「ラジオ石巻」への生出演、先日心にしみるお礼状を頂いた女川町の仮設住宅の住民さんへの表敬訪問、初の自主公演+支援物資のバザーを行うなど、プロジェクトとしても目新しい活動があり、ひとつの新しい段階に進んだような思いがありました。

また今回は能楽師が最大4名も参加したため、宿泊場所を探すのに苦労しました。とくに気仙沼では市内最大のイベント「みなとまつり」の復活ということで、本吉町や唐桑も巻き込んで気仙沼市全体が大盛り上がり! 各地から人が集まるために宿泊施設も満員の状態で。。ところがこれは前述の気仙沼の児童劇団「うを座」の関係者の方がご協力くださり、呉服店の店舗に宿泊させて頂きました。ありがたや~。また石巻では前回ご挨拶だけ申し上げた住民ボランティアさんのご自宅に泊めて頂きました。どちらも大変なご厚意を頂き、深謝申し上げます。

収支の面からいうと、今回は参加能楽師が多かったために交通費が大きな支出になりました。しかし参加者がそれぞれ深夜割引制度を利用して高速道路の通行料を節約してくれたり、また一部の交通費のプロジェクトからのの支出を辞退して頂いたり。。いろいろな面で協力を頂きました。また活動の直前に佐藤仁重さんが率いる「女性だけの写真展」のオープニング・パーティーに ぬえが招待され、そこでプロジェクトの活動を説明、募金をつのることをお許し頂き、久しぶりに活動資金の協力を頂くことができたのは望外の幸でありました。

それでも活動費の残余は、現実的には、これほどの規模で活動を行えるのはわずか あと1回分しかありません。。今回の活動のご報告を申し上げるに先立ち、今後も息長い支援活動が続けられるよう、みなさまの善意をお願い申し上げる次第です。

【お振込先】
三菱東京UFJ銀行
練馬光が丘支店(店番622)
普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

明治神宮さまよりご返礼

2012-08-26 22:56:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
8月上旬、第9次の東北地方支援活動に出かけた ぬえらプロジェクト一行ですが、前回(よく考えればその前の活動でも)活動の場においてセンシティブな方は影響を受けることもある事がわかり。。我々自身についても、ちょっと難しい事も生じてしまったのです。まあ。。あれだけの人が亡くなったのですから、そういう事もあるでしょう。。現実に、現地でもずいぶん変な話も聞いてきました。

いえ、ぬえ自身の健康に問題が生じたり、事故に遭ったり。。そういうことはなかったのですが、周囲には明らかな影響がありまして。こんな事もあって、ぬえにアドバイスを下さった方もあり、前回の活動が終わってから ぬえは明治神宮に厄よけのお祓いを受けに参りました。

こんな経験もしたので、8月はじめ、第9次の支援活動の前には ぬえとお囃子方Oくんは活動の安全祈願のため、これまた明治神宮にお祓いを受けに参りました。。この時、ご祭主さまが奏上された祝詞のすばらしさ。

ぬえたちはプロジェクトの活動の安全を祈願して、その旨を受付の巫女さんにお伝えしたのですが、さてご祈祷の際にご祭主さまが唱えられた祝詞は、昨年三月十一日の東日本大震災の発生から説き起こし、ぬえたちプロジェクトの活動の安全祈願はもとより、国の復興にまで筆を進めされた超大作(?)でした。これだけで3分近く奏上にかかったのではなかろうか?

こうして今回、8月の第9次支援活動に向かったのですが、それも先般無事に終えることが出来まして、これからその活動のご報告をさせて頂くところなのですが。ともあれ問題も事件も事故もなかった今回の活動の終了を受けて、先日 ぬえは舞台の合間にまたしても明治神宮にお礼参りに行きました。

考えれば東北支援活動の前には準備や交渉のために東京でなすべき事をだいぶ棚上げにしておりまして、活動を終了して帰宅してから、もう大忙しになってしまいまして。それでお礼参りには行きたかったのですが、ついそのままに。。それでも、ある日の催しが終わったところで、あ、今日はまだ時間があるな、明治神宮もここからならほど近いな、と考えて、それで終演後に急遽 明治神宮に参拝したのでした。

そんな事でしたから参詣はひどい有様で、まずコンビニでお菓子を買い、便箋もないので奉納の奏上文もありあわせの用紙を使って。。それでも活動の成功への神仏の寄与を思う ぬえは、紙こそありあわせの用紙でしたが、神前に菓子を奉納する奏上文を、30分以上掛けてその上に書き上げました。これまでの活動で事故も病気も起こさなかった事への感謝。ご祭主の心のこもった祝詞に感動したこと。この日は受付の巫女さんにお菓子とこの奏上文をつけて神前にお供え頂くようお願いし、とくにお祓いは受けず、拝殿で礼拝をして帰宅しました。

こうして数日後。。ぬえ宅に明治神宮より封書が届けられました。。それがトップ画像で、神前にお菓子を奉納しました、という「受納証」というものです。ああ、ありがたいですね~。神官さんたちのお志。

ぬえは10月にも松島と女川町へ支援活動に参る計画なのですが、その活動の前にも、やはり明治神宮にお祓いを受けに行こうと思います。。あ、まずは8月の第9次支援活動のご報告をしなきゃ、ですね~~。

決算報告書(6/18~21)

2012-08-24 10:22:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第8次被災地支援活動(2012年6月18日~21日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 135,780円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     銀行口座募金(ボラ扱い)      5,000円
     吉谷潔社中より(ボラ扱い)     4,000円        収入計  177,280円
                           内訳:ボラ 144,780円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費   30,258円
     (高速道路通行料         14,100円)
     (ガソリン代           16,158円)
    ◎宿泊費   16,800円
     (チーム神戸ふれあいサロン     9,000円)
     (小林わかば宿泊費         7,800円)
    ◎印刷費   12,700円
     (プログラム印刷費         12,700円)
    ◎通信費    3,550円
     (プログラム送料           3,550円)
    ◎雑 費    800円
     (ビデオテープ            880円)       支出計   64,188円

 【収支差引残額】                         残額    113,092円
                           内訳:ボラ 80,592円 ギエ 32,500円

※注※
・プロジェクトの活動にかかる資金はすべて募金によって賄われている。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。
・ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階にあると考え、現在は募金者の要望によるものは受け入れるが、プロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・今回の宿泊は現地関係者ご多忙のためチーム神戸事務所「ふれあいサロン」を拝借。1人1泊1,000円。
・食費については例の如く旅行がなくても掛かる費用であること、遊興との誤解を招くこと、酒食の区別がつきにくいことから自費負担とした。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・今回は被災地における初の自主公演「星と能楽の夕べ」開催に伴い、チラシ類の印刷・送料が支出の大きな部分を占めたこと、また震災から1年を過ぎて現地の状況も変わり、宿泊費の負担が生じたことが特徴的である。今後もこの傾向は顕著になることが予想され、また高速道路についても被災地支援団体の優遇措置が廃止され、一般客と同じ通行料金が掛かるようになった。プロジェクトの活動は資金面で困難に直面することが予想される。高速道路の深夜割引制度を利用するなど活動の方法にも工夫が必要だが、あらためて資金的援助をお願い申し上げる次第である。

                                           以上
  平成24年8月24日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)

↓領収証は次頁以下に添付









伊豆の国市「子ども創作能」、第一回源頼朝挙兵祭公演。すばらしいっ

2012-08-22 02:07:43 | 能楽
石巻・気仙沼での活動を終え、すぐに申合、稽古能、そして伊豆の国市の子ども創作能の公演、新潟での催し、師家の月例公演の申合。目まぐるしくも充実した日々を送っております。ただ。。この暑さが。。え??オリンピックってもう終わったんですかっ??

先週金曜日に催された子ども創作能は、伊豆の国市・韮山の時代劇場野外ステージで開催された「第一回源頼朝挙兵祭」の公演でした。大河ドラマの影響もあって、源平の合戦がにわかに注目を集めていますが、じつは静岡県の伊豆の国市は源平の戦いの口火が切られた場所なのです。

平治の乱に敗れた源氏は一門の多くを失いましたが、当時14歳だった頼朝は当地・伊豆の蛭ヶ島に流罪となりました。ここで20年余りを過ごした頼朝でしたが、以仁王から全国の源氏に向けて発信された平家討伐の宣旨や後白河法皇からの命を受け、とうとう挙兵することになります。

このときの、頼朝が平家の伊豆目代・山木兼隆を討ち取った事件を舞台化したのが 子ども創作能『伊豆の頼朝』で、その、まさに挙兵の日。。8月17日に合わせてここで開かれた「頼朝挙兵祭」のイベントのひとつとして『伊豆の頼朝』が上演されたのがこの催しでした。いうなれば800年あまりの歳月を隔てて、そのときの有様を再現する、というロマンチックな催しです。

で、成果はかなり上質な舞台となりました!先日大挙10名の新規参加者を獲得した子ども創作能ですが、頼朝や兼隆、北条時政に政子。いずれも演じた子は子ども創作能の経験も長く、演技も安心して見ていられましたが、今回 特筆すべきは地頭のケイゴでしょう。いつもは地謡の後方に着座して、囃子と合うように誘導したり、間違えたらすぐに修正するなどしている ぬえですが、今回の公演では地謡にも信頼を置いていたので ぬえは後方に座ることなく、中入での装束の着替えなどをする程度で、子どもたちだけの力で舞台は進行してゆきましたね~。短いとはいえ20分の上演時間の創作舞台。これを囃子に合わせてまるまる全部の地謡を謡う小学2年生は日本広しといえどもケイゴただ一人だろう。

で、まずは前日に同じ会場で行ったリハーサルの様子から~。新人さんも増えて、なんと地謡が18人!! こりゃ上級生は速成して早く立ち方にまわってもらわないと会場によっては地謡が座るスペースが。。





こちらは当日の楽屋風景です。サキべ~かわい。



ユイぴもかわい。



カホちんも。



リサべ、顔流れてる。。



足袋を合わせるイケメン イチイ。



舞台の前に緊張するみなさま





ステージでは勝ちどきを上げるところからスタートです



また今回は頼朝に関係する仕舞や舞囃子も小中学生に舞ってもらいました。子どもたちといえども、能に携わっている以上、やはり古典の曲にも親しんでもらうのも大切と考えて、中学校に進級した子や、まだ立ち方のお役を与えられない小学校低学年の子には折に触れて仕舞を勤めてもらっていますが、今回の大きな舞台に向けて、高校生と中学生に舞囃子を勤めてもらい、また まだ子ども創作能では立ち方の役を与えられない低学年の子には比較的易しい仕舞を演じてもらいました。

こちらは2年生中心の仕舞『安宅』。あ~、みごとにバランバランだ~



こちらリサべとサキべ仕舞の姉妹。。あれ? 姉妹の姉妹。。いやいや仕舞の姉妹『二人静』



カホちんの舞囃子『七騎落』。カッコよす



もう高校生になったアスカの舞囃子『盛久』。小6のとき ぬえがシテの『一角仙人』で龍神(子方)を勤めてもらいました。あのときは稽古で苦労して、叱られて、泣いて。。今ではこんなに立派になりました!出来もダントツ!



そんな中、子どもたちは楽屋でウノ大会になってました(装束着いてんのに)。「だって、これならアンタたち静かになるから、ってママに渡されたんだもん」。。ああ。。正解かもしれない。。



で、子ども創作能『伊豆の頼朝』の本番。まずは頼朝が登場。手に持っているのは後白河法皇からの清盛追討の院宣、のつもりですが、じつは ぬえ所蔵の「平家納経」のレプリカです。いかにもバブリーな品ですが、古書店で新品を1万円で売っていたのを発見して即決購入。(バブリーな発売当初の販売価格は16万円。。)



地謡。ヨシノ、キリっと座っています。将来有望。



北条政子も出陣の戦勝を祈って守山八幡宮の神前で舞を奉納します。史実とは違うけどね。



地謡の2列目、みーちゃんとユウちゃん。ユウちゃんは10月に頼朝役を勤めることが決まっています!



さて頼朝が挙兵したことを知らず、三島大社の祭礼に郎党が出払っていて警備が手薄な平家の目代・山木兼隆とその手勢。モノトーンな装束の感じがいかにも勧善懲悪の敗者ですが、狙ったわけではなく。。(浴衣は各自の好みに任せてあるので)



ををっ!来ましたよ、頼朝の軍勢。。といっても頼朝、北条時政、さっきまで政子だった子(?)。史実ではこの三人は山木館の襲撃には加わっていませんけどね。次回の公演から新人さんを特訓して大軍勢にするつもり。



にらみ合う両軍。このあと頼朝が矢を射るのですが。。あんまり飛ばなかったな~。





で、両軍入り交じっての死闘が繰り広げられます!



なんとステージを降りての奮闘。会場を春に下見に行って、ちょいとアイデアがふくらみました。



最後は頼朝と兼隆の一騎打ち(史実とは違いますが。。)!



勝った頼朝は誇らしげに舞い納めるのでした。



楽屋に戻って、囃子方の先生からの講評も頂き。。



最後はこれ! 恒例の「はい、おすまし」ポーズで決めました。



なんとも暑い日で子どもたちも大変だったと思いますが、ついこの前の8月初旬に催された花火大会での公演より数倍良かったのではないかと思います。ぬえからは久しぶりに300点満点をつけてあげました~

今回も東北の被災地への支援物資を山のように提供くださった保護者のみなさまにも、無事石巻や気仙沼から頂いたり、自分で買ったおみやげをお渡しすることができました。

今年は子ども能が出演させて頂く機会が多い年ですが、中でも今回の公演が年間を通じて最も大きな舞台でした。仕舞も舞囃子も盛りだくさん!。我ながらよくここまで稽古したと思いますが、なんたってもの凄い吸収力を持った年代の子どもたちだもんね~。打てばちゃあんと響く。伊豆の子の、そのがんばりが ぬえは大好きです。教えられたり、驚かされる事の方が多いくらい。

さあさ、次の舞台に向けて またみんなで走りだそうぜ~

活動報告書(6/18~21)

2012-08-20 02:23:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第8次(注1)被災地支援活動(2012年6月18日~21日)


 〔活動報告書〕

【趣旨】
 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒しプロジェクト」の4名(※注2)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、すでに2011年8月15日、9月26日~30日、12月24日~2012年1月1日、2月10日~13日、3月9日~12日、5月2日~4日の6度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、仙台市および大崎市にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田・寺井とゲスト出演の太鼓方・吉谷潔氏は、能楽評論家小林わかば氏、ピアニストの御子柴聖子氏とともに去る6月18日より21日の4日間に渡り宮城県・石巻市および女川町の計5カ所にて能楽の上演を行いました(※注3)。とくに今回は、小林氏の協力によりはじめて被災地での自主公演「星と能楽の夕べ」が挙行できたこと、同じく初めて女川町での活動が実現し、予想外の成果を挙げることができたこと、さらに石巻市の民生委員主催の敬老イベント「福祉のつどい」に参加したり、また秋には松島での活動に招待を受けるなど、プロジェクトの活動が被災地の要請によって招聘されたことるようになった事が特筆され、近来稀に見る多大な成果を挙げることができました。また今回はかねてプロジェクトの活動を応援してくださっている石巻市民の相澤利喜子さんが全行程に渡って参加してくださり、プロジェクトの活動にご協力頂きました。さらに三島市の厚志家・小平輝朋さまよりお預かりした冊子の支援物資を女川町の仮設住宅にお届けすることができましたことをご報告申し上げます。

※注1 プロジェクトの発足は3011.8.15の活動後でありますが、今回より2011.6.29~7.2まで八田が石巻市で行った活動まで遡って活動歴と数える事に致しました。
※注2 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただしスケジュールの都合により狂言方2名は今回は欠席。
※注3 今回の上演場所は①石巻市・立町復興ふれあい商店街・ピ-スボートセンターいしのまき②石巻市・栄光教会付属幼稚園③女川町・おながわコンテナ村商店街④女川町・町民野球場仮設住宅・集会所⑤石巻市・湯殿山神社で催された「福祉のつどい」への出演の5箇所。

【活動記録】
 6月18日(月)
八田・寺井・吉谷 終夜走行にて石巻に到着。レストランで朝食を摂っている最中に震度4の地震。いまだに続く余震と、慣れてしまったのか、まったく動じない店員に驚く。まだ朝も早いため馬っこ山、門脇・南浜地区、大川小学校、河北町の長面地区を視察し、市内に戻って観光協会さま、ラジオ石巻さまにご挨拶。ついで今回の宿舎をご提供頂いたボランティア団体「チーム神戸」事務所「ふれあいサロン」へ。リーダーの金田真須美さんと旧交を温めて、二階にてしばし仮眠。

午後、金田さんのお計らいで昼食を頂き、明日の公演会場である石巻栄光教会さまへ移動。「星と能楽の夕べ」公演のための機材の仕込み。石巻栄光教会の小鮒實牧師さまのお計らいで、幼稚園の運動会のリハーサル前日、改修工事中にも拘わらず、会場となる幼稚園のホールでの仕込みをお許し頂きました。のみならず牧師さまには「星と能楽の夕べ」の広報宣伝にもご協力頂き、上演に対しても多大のご支援を頂いた。改めて御礼申し上げる。

この日に翌日の公演のリハーサルを行う予定だったが小林氏東京でのスケジュールがつかず、翌日の開演前に行うことに変更。また事前に10月に松島での活動を打診されていた関係者が来訪され、この日にご挨拶と簡単な打合せを行う。

 6月19日(火)
八田のみ早朝起床して住吉神社、日和山を視察。朝食後、小林氏も合流して最初の公演会場である「立町復興ふれあい商店街」(仮設商店街))へ。次第に天候が悪化する中、屋外での上演が基本だった商店街での公演は断念し、石巻商工会の佐藤洋一氏の計らいで、能の上演会場を新装なったピースボートの事務所「ピースボートいしのまき」に変更。事前の宣伝により商店街に集まったお客さまのために寺井氏、吉谷氏によって囃子のミニ講座を商店街で開き、八田と小林氏はその間に「ピースボートいしのまき」にて『羽衣』の上演準備を整え、正午に「能楽の心と癒やしをあなたに」公演を無事挙行。

午後、石巻栄光教会へ。ピアニスト御子柴聖子氏も到着してリハーサルを開始。午後6時30分よりプロジェクト初の被災地での自主公演「星と能楽の夕べ」を上演。小鮒牧師の挨拶、星空投影と解説(小林氏)、ピアノ演奏(御子柴氏)、羽衣上演(八田・寺井・吉谷)
  ※この日台風の影響により石巻市内の沿岸部に「避難勧告」が発令される。会場の石巻栄光教会は勧告地域ではなかったものの、チーム神戸金田真須美さんの指示により、「避難指示」が発令された時点で公演は中止とし、我々プロジェクトメンバーは避難所の支援活動にあたる事となるが、結局公演は無事終了。小林、御子柴両氏はこの日のうちに帰宅。

 6月20日(水)
朝、前日のピースボートでの上演が地元紙「石巻かほく」に報道される。それにより公演観覧の問い合わせが多く入り、それに対応しながら、台風の影響で道路が冠水し通行止めの道路を避けて苦労しながら女川町に到着。正午より「おながわコンテナ村商店街」(仮設商店街)にて能『羽衣』を上演。
※この公演では商店街の花屋さん「花友」さんのご協力を頂き、お客さまに花束をプレゼントした。

公演後、地元の方のご好意により町立病院のレストランで昼食をご馳走になる。高台にある病院も津波被害を受けた由。ここから見下ろす女川町中心部の壊滅的な様相も、次第に片づけが進んでおり、すでにマリンパルおながわの建物も撤去されていた。

午後4時より女川町民野球場仮設住宅にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演を女川町の社会福祉協議会スタッフの方のご協力によって挙行し能『羽衣』を上演。お客さまは集会所に入りきれないほど、数十人集まってくださった。終演後は囃子のミニ講座、装束の着付け体験を行い、支援物資を集会所にお渡ししてこの日の活動を終了した。

 6月21日(木)
朝、石巻市の湯殿山神社へ行き、10時に開演の山下地区民生委員さんの主催の敬老会の催し「福祉のつどい」に出演。

出演時刻は11時頃の予定だったので、公演準備の時間に、前日「石巻かほく」をご覧になって公演の観覧を希望された方を楽屋にご招待し、簡単な能楽講座を行う。面を打つご趣味を持った方も見えられ、有意義な時間。公演自体も100名の独居老人がお客さまで、大変賑やかな催しとなった。

終演後、石巻市内の関係者にご挨拶をして帰京の途に。
帰途、福島県南相馬市を視察。この2ヶ月前に警戒区域を解除された地域は瓦礫の撤去もまだほとんど行われておらず、上空には放射線を測定する? ヘリコプターが旋回する有様。警戒区域の検問まで行ってから福島市まで戻り、東北道にて帰京した。

【収入・支出】
プロジェクトの活動はすべて募金によって行われております。募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

これにより今回の活動資金は前回活動繰越金 168,280円(内訳:ボラ 135,780円 ギエ 32,500円)および銀行口座等への新規の募金となります。銀行口座への募金はボラ扱いとみなされる(5,000円)があったほか、今回活動参加者の吉谷潔氏社中より(4,000円)の提供がありましたので、これらの総額 177,280円(内訳:ボラ 144,780円 ギエ 32,500円)となりました。

頂いた募金の使途につきましては別紙「決算報告書」にて改めてその内訳を明示致しますが、今回の活動終了時で残額 113,092円(内訳:ボラ 80,592円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。関係者各位に対し、厚く御礼申し上げます。

これに対してプロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費につきましては「災害派遣等従事車両証明書」の制度廃止(瓦礫の第一次撤去作業のみ対象としては存続)に伴い、高速道路の通行料は全額がプロジェクトの負担となりました。これに鑑み、交通費節約のため、少なくとも東北へ向かう往路は深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するようにしました。

宿泊につきましても今回はボランティア団体「チーム神戸」のご厚意により石巻市内被災地区の同団体事務所施設に1人1泊1,000円にて寄宿させて頂きました。また参加者のすべての食費はそれぞれ個人的に支出する方針を堅持しております。

 これにより今回も支出の内訳は記録用ビデオテープ、などの事務雑費のほかはもっぱら交通費(高速バス代+ガソリン代)と少額の宿泊費に限られることとなりましたが、今回特徴的だったのは公演プログラムの印刷費、およびそれらの送料がかかったことです。これは初めて被災地において自主公演を行ったためで、これは今後とも傾向が続いていくと考えております。ゲスト出演の方の活動についてのプロジェクトとしての負担は、ご本人とそれぞれ相談のうえ下記のような対応とさせて頂きました。ご出費を願わなければならない場面も多く、ご迷惑をお掛けしましたことを深謝申し上げます。

 小林わかば氏 交通費は自己負担。宿泊費(ビジネスホテル1泊)はプロジェクト負担。
 御子柴聖子氏 石巻市で活動をされているので、プロジェクトとしては活動の場を提供するという意味で協力。交通費等は自己負担。

なおゲスト能楽師の吉谷潔氏は福岡市在住ながら、東京でのスケジュールに合わせて参加頂きました。よって福岡~東京間の往復の航空機代、活動前後の東京での宿泊等多大な負担を頂きました。のみならず前述のように社中の方々からの活動支援金を携えられ、様々な滞在中の場面で負担を頂きました。この場にて厚く御礼申し上げます。

前述の通り収支差額として 113,092円(内訳:ボラ 80,592円 ギエ32,500円)が出ました。これは今後の被災地訪問の活動資金として活用させて頂きます。前述の通り今後の活動には資金的に困難な状況が予測されます。引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして活動回数の勘定を、団体としての発足以前に実質被災地で活動を行った昨年6月から数えることと改めたため第8次となる今回の支援活動では、まずもって被災地での初の自主公演「星と能楽の夕べ」の上演が画期的でした。これはプラネタリウムの星空の投影の下で謡や能を楽しむ、というもので、アイデアそのものは小林わかば氏の発案により、同氏はすでに東京にて星空投影の下で謡を楽しむ催しを成功させ、またプロジェクトに宮城県大崎市のプラネタリウムでの催しを提案され、本年2月に「星と能楽の夕べ」として実現に至りました。

今回の石巻市での催し「星と能楽の夕べ」はプロジェクトとしてのアイデアで、プラネタリウムを持たない同市に、PCとプロジェクターを用いて擬似的なプラネタリウムを現出させ、その下で能楽を上演する、という試みでした。もともとのアイデアを出された小林氏には今回も共催としてご協力頂きましたが、能楽にも天体にも造詣の深い氏の星空解説はこの催しには不可欠で、今後もご協力をお願いする次第です。

じつは今回の被災地訪問活動では久しぶりに、そして珍しく活動の場を探すのに困難がありました。もともとプロジェクトの活動は、受け入れして下さる現地団体があって初めて実現が可能で、活動当初は八田が昨年夏に避難所で清掃活動ボランティアとしたのがキッカケで、この避難所で公演活動を行ったのが始まりです。その後避難所は解消され、避難者は仮設住宅に移り、プロジェクトの活動の場もこうした仮設住宅の集会所や仮設商店街に自然に場を移して行きました。

ところが今回は何カ所かの仮設住宅で活動のお断りがありました。それというのも、特に僻地の漁村の仮設住宅で、漁業が復興してきたため、昼間には多くの住民さんが仕事のため外出していて、せっかく仮設住宅にプロジェクトメンバーが行っても人が集まりにくくて申し訳ないから、という理由でした。これは被災地の復興が順調に形をなしている事を意味し、喜ばしい事でもあります。そこでプロジェクトとしては支援の方法を再検討し、仮設住宅・仮設商店街への支援活動は続けるものの、一方で今後は「文化の復興」という新しい形態での支援活動を展開していこう、という思いに至りました。

「文化の復興」とは、被災地がその呼称から脱却し、市民が普通に芸術を楽しめる、いわば通常の市民生活を取り戻すことを目標とする活動です。芸術活動を展開する実演者側も、被災地への支援という気持ちではなく、市民に自分たちの通常の活動をご覧頂いて評価を問う、通常の行動を行います。これは元よりいつかは来るべき活動の転換で、プロジェクトとしてもその予想は漠然とは立てていましたが、小林氏の提案によって実現したこの2月の大崎市での「星と能楽の夕べ」公演の成功から、これを石巻市に導入してプラネタリウムを持たない同市に「星と能楽の夕べ」を再現することを計画し、もってプロジェクトの「文化の復興」活動の嚆矢とする事に致しました。この活動は今後もいろいろ展開を考えていますが、当面の目標としては、やはり被災地支援活動を展開してきた気仙沼市で「星と能楽の夕べ」公演を実現させたいと考えています。

もう一つ特筆すべきは女川町での活動です。前述のように公演の場の受け入れ先に困った今回の活動で、はじめて女川町に活動の場の提供を打診しました。女川町は昨年9月頃から視察には行っていましたが、現地に知人もいない状態で、活動の場を見つけられないでいました。今回はこれまでの経験を頼りに現地ボランティアセンターの統括組織などにコンタクトを取り、2箇所での公演の実現に至りました。

ところが反響は予想以上で、とくに仮設住宅での公演では過去最多の数十人の住民さんに能楽『羽衣』をご覧頂き、終演後の装束の着付け体験では涙を流す方もおられ。。東京に帰ってからも、これとは別の住民さんから心のこもったお礼状を頂戴しました。昨年石巻で感謝の寄せ書きを頂いて以来、二つ目の勲章は、飛び込みで訪れた女川町の住民さんから頂くことになりました。

さらに印象的だったのはチーム神戸を通じて石巻市の民生委員さんから出演の依頼を受けた「福祉のつどい」という敬老会への出席でした。出演の交渉当初こそ、オカリナの演奏やフラダンス、そして幼稚園児のお歌の披露。。といった中での出演ということで戸惑いもありましたが、実際に会場に赴くと、100名の地域の独居老人を集めての賑やかな敬老会でした。こういう地道な活動を民生委員さんは続けておられ、昨年は震災で中止された敬老会の復活を、多様な演目で飾ろうとされる積極的で有意義な活動のお手伝いでした。このような立派な活動のお手伝いができることを喜びにも、誇りにも思います。

この「福祉のつどい」のほかにも、今回は滞在以前からプロジェクトに直接、この秋頃の出演依頼も頂き、滞在中に打合せをすることもできました。だんだんと現地でプロジェクトの活動が浸透してきた証でもあろうかと自負もしておりますし、また今後の活動の展開に希望を持つこともできました。

現地のニーズは日々刻々と変わり、復興の兆しも見えれば、またすぐに必ずしも楽観を許さない状況も見え隠れしています。これらの変化に敏感に対応しながら、今後も息の長い支援を続けていけるよう努力を重ねてゆく所存です。どうぞ今後も変わらぬお力添えを賜りますよう伏してお願い申し上げます。


平成24年8月20日
                             「能楽の心と癒しプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)

石巻・女川町を訪問して参りました(その20…南相馬)

2012-08-12 08:37:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、そうこうしているうちに第9次の東日本大震災被災地支援活動がスタートしてしまいました。今回の訪問地は石巻市・雄勝町と気仙沼、そして5月にも訪れた気仙沼大島で、すでに一昨日はラジオ石巻への出演と市内での公演、昨日は雄勝町での公演を終えまして、本日は気仙沼に移動する予定です。

とは言っても今回の…6月活動のご報告は滞在最終日。すでに石巻・女川での活動を終えて東京に帰る途中のお話です。まずこちらのご報告を完了せねば。。

今回の訪問のもう一つの目的。。それはこの4月に警戒区域を解除された福島県・南相馬市を訪ねることでした。震災後、原発事故の影響で市内の一部区域が警戒区域に指定された同市では、ボランティアなどによる瓦礫撤去や泥だしの作業もまったく行われていません。海岸線の近くで津波に遭ったその被害のまま時が止まってしまっているのでした。
地盤沈下のため水没している土地、壊れたままに放置されている家屋。。





そうしてこちらでは、地震のしわざか津波の威力か、道路がずれてしまっています。



あまりに凄まじい光景ですが、1年と3ヶ月が過ぎてもそのままの手つかずである事が恐ろしい。
ぬえは昨年6月に初めて石巻や気仙沼などを訪れたわけですが、そのときに見た光景となんら変わりのない状態でした。
6月に石巻を訪れたとき、「ああ、なんでもっと早くここに来てあげなかったんだろう」、と思いました。そんな気持ちもあって、震災直後のまま被害状況が残されている場所に立つことで、当時の有様を感じ取りたかったのです。

。。帰京もしなければならないために南相馬での滞在の時間が限られていることもあって、ぬえが見たのは南相馬のほんの一部分でしかありませんが、それでも凄まじい被害状況に圧倒されてしまいました。

いまこの地域は住民の立ち入りや商店の営業もできるのですが、宿泊することができないそう。それでは活動の範囲はぐっと狭くなってしまいます。そうして、空には放射線を測定する機器をぶら下げているのでしょうか、一機のヘリコプターがあちこちをゆっくりと旋回していました。

そうしてさらに。。ぬえたちが車を走らせてゆくと、とうとう福島の原発事故による警戒区域の検問所にまで到ってしまいました。当然通行はできず、大きく引き返して、ようやく東京に帰って参りました。



前述のように、いま ぬえたち能楽師有志一行は石巻に滞在しております。この滞在中には2度の花火大会イベントへの参加があって、だんだんと夏まつりが復活してきた様子に喜びを感じております。その一方、やはりいまだに被災建物の撤去が進んでいない地区があったり、原発事故の影響が深刻だったり、複雑な思いもあります。

とりあえずは。。今日の公演を成功させられるよう、がんばって勤めて参ります。。

(この項とりあえず了)

石巻・女川町を訪問して参りました(その19…敬老会。。素晴らしい催しでした)

2012-08-06 00:01:28 | 能楽の心と癒しプロジェクト
石巻の「敬老会」への出演ということで、会場に指定されていた湯殿山神社の剣道場に向かいました。

事前に主催者である民生委員の方からは催しの詳細を伺ってはおりましたが、どうもあまりよくわかりませんでした。対象となるお客さまは石巻市民の高齢者の方で、なんと100名以上のご参加、とのこと。いろいろなイベントが計画されていること。。オカリナ演奏、フラダンス、幼稚園児のお歌の披露。。なんだか能の上演は似合わないような、少々雑然としたイベントの中で、能の出演は10分間とのことでした。う~ん、これはどうなんだろうなあ。。

まあ、石巻のご高齢の方々に能をご覧頂くのは ぬえにとっても本望ではありますし、何よりお招き頂いた催しなので、ありがたくお引き受けし、全体の中で能の位置づけがどのようになるのかよくわかりませんでしたが、能の上演の部分だけは精一杯勤める所存でした。

もう一つ、この前日「石巻かほく」に掲載されたプロジェクトの活動についての記事が反響を呼びまして、前日から上演の詳細についてのお問い合わせを多数頂いておりました。ところが新聞に記事が掲載されたのは女川町での公演の日で、それ以後に残された公演はこの湯殿山神社での敬老会だけしかありませんでした。。が、言うまでもなくこちらの敬老会の催しは ぬえらプロジェクトの主催公演ではなく、民生委員のみなさんが主催者なので、ぬえらの公演のお問い合わせを頂いても、勝手に敬老会にご招待するわけにもいかず。。そこでお問い合わせを頂いた方には、この敬老会の楽屋にお出でをお勧めし、そこで簡単な能楽ワークショップを行うこととし、これは主催の民生委員の方に許可を頂くことができました。

こうして楽屋。。といっても六畳ほどの小さな和室で上演の準備を進め、また何人か楽屋にお出ましくださった市民の方には面や楽器の説明と体験をして頂きました。。じつはこの中に面を打つことを趣味としておられる方があって、ぬえがお話しした感じでは、なかなか面についての造詣も深い方とお見受けしました。次回はぜひこの方の打たれた面を拝見したいと思いますね~。



と言っているうちにこの日の上演の時間が迫ってきました。急いで装束を着けて。。準備もできて、さて楽屋で開演を待っているのがトップ画像。なんだか能の楽屋とは思えない雰囲気ですね~。いや、別に装束を着けて談笑しているわけではありませんが。。でも ぬえも緊張せずに舞台を迎えられた催しでした。

そして敬老会で舞った『羽衣』の画像がトップ画像です。ふだんは剣道場ですから大きな掛け軸や木刀が並ぶ中での演能。。



。。で、この敬老会、なにが驚くべき催しだったのかというと、この日に参加された高齢者の方々。。100名を超えるお客さまのすべてが、お一人住まい。。いわゆる独居老人だ、ということなんです。これを聞いて ぬえは驚いた。。

つまり民生委員さんは、常に地域の住民さんに気を配っていて、お一人住まいの方には、こうして楽しみの1日を過ごして頂く機会を設けていたのですね。送迎、会場の設え、食事や飲み物の用意、イベントの手配。。100名の参加者ともなると気の遠くなるような準備作業が必要だったでしょう。幼稚園児はお歌の披露だけではなくて、おじいちゃん・おばあちゃんとのふれあいの時間もあったようですし、オカリナやフラダンス、そうして能。。一見バラバラに見えるイベントも、大勢のお客さまの、いろいろなご趣味やお好みを考えてバラエティに富んだ催しになさりたかったのですね。

昨年は震災の影響で中止になったこの敬老会。今年はぜひ復活させたい、という意気込みの民生委員さんが「チーム神戸」にイベントの相談に訪れてくださったところから、ぬえらのお手伝いが実現できました。その熱意。そうして毎年 この敬老会のために会場の提供を続けてこられた湯殿山神社さま。素晴らしいことだと思います。お手伝いできた ぬえたちも誇らしく思います。

。。こうして石巻と女川町での活動を終えた ぬえたちは、関係者にご挨拶をして石巻を後にしました。まだ日の高いうちに帰途につくのは珍しいですが、それは東京に戻る前に、原発事故以来 警戒区域に指定されていた福島県の南相馬市が、この4月に区域指定が解除されたことに伴い、この地域を視察しようと考えたからでした。

伊豆の国市「子ども創作能」、花火大会イベントに出演してきました~

2012-08-05 22:34:04 | 能楽
さてさて昨日8/4は伊豆の国市の「子ども創作能」の公演がありました。
それも花火大会のステージイベントへの出演ですっ

夏は子ども能にとってイベントが多い季節。6月には稽古が終わってから みんなで蛍を見に行きましたが、8月1日には地元・大仁のみなさんと観光協会のご好意によって、毎年花火大会の高額な桟敷席に子どもたちをご招待頂いております。

この夏休みの前に子ども能では参加者募集を行いましたが、なんと10名もの子どもたちが新たに参加してくれました! 今回ははじめて伊豆の国市の外。。伊豆市からも参加してくれた子もいまして、久しぶりに大所帯の子ども能になりました。この子たちも参加して、まずは大仁の花火大会へ。

伊豆の国市では旧町のイベントがそのまま引き継がれて3日間も花火大会がありまして、その最初が8月1日の大仁の花火大会です。ちょうど満月に近い大きな月も出ていて、なんとも幻想的な雰囲気になりました。





子どもたちも喜んで。。今はみ~んな携帯扱えるのね~。



ぬえ家でもこの日に合わせて伊豆に海水浴に行っています。この日は子どもたちも海に一緒に行ってくれまして、花火大会にも一緒~。そうして、なんと ぬえ家の泊まった宿に泊まりに来ちゃった子どもいたという。(^◇^;)

翌日2日は 2日後に迫った長岡の花火大会イベントへの出演に向けて最終稽古です。まあ、立ち方の役の子は何度も上演曲『伊豆の頼朝』には出演していますので、まあ慣れたものですね。今回新しく参加してくれた子たちは 最初は地謡から始めます。動かずに正座して、大きな声で謡うのは最初はなかなか難しいと思いますが、だんだんと形になってきました。



このあと、ぬえは前述の「女性だけの写真展」出演のために一旦東京に戻り、4日の公演当日に再び伊豆に向かいました。はじめて浴衣を着る子もあっただろうし、初めての子ども創作能への出演。新人さんはさぞ緊張しただろうと思います。。

トップ画像は着替えをした控室の前での記念撮影~。舞台の様子は。。保護者が誰か撮影してくれたかなあ??

広い舞台を縦横に走り回って、まずは良い出来の舞台でした。中之舞を舞う難しい北条政子の役にはじめて挑戦したユカべ~、その弟のケイゴは2年生ながら、なんと今回は地頭の大役。どちらも見事に勤めることができました。今回の殊勲賞はこの姉弟と、行儀良く地謡を勤めた新人さんかなあ。
主役の頼朝役のヒトミ、山木兼隆役のリサ、武士役の子どもたちも頑張りました~。

終演後はまた着替えてみんな花火大会の鑑賞へ。









さあて、次は8月17日に「第一回 頼朝挙兵祭」と銘打ったイベントに子ども創作能は出演させて頂きます!
それが終わったら、いよいよ新人さん(のうち高学年の子)にも立ち方に挑戦してもらいます!
頑張りや~~~!

女性だけの写真展オープニングパーティーと金曜デモ

2012-08-04 01:56:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今日は霞ヶ関のプレスセンタービルで行われた「第35回 女性だけの写真展」オープニングパーティーに出演させて頂きました。

「女性だけの写真展」とは佐藤仁重さんが主宰される、文字通りアマチュアの女性カメラマンだけによる写真展です。朝日新聞社が後援する全国的な写真愛好家の団体・全日本写真連盟の東京・女性支部の会員さんたちが集う写真展ですが、まあ、その規模の大きいこと。この日のオープニングパーティーでも、ざっと200名くらいの参加者がおられたのではないでしょうか。

じつは ぬえが佐藤さんのお招きでこの催しに出演させて頂くのは2回目でして、前回は昨年のクリスマス頃のことでした。ご紹介によって知った佐藤さんが ぬえらのプロジェクトの活動に賛同してくださり、このときは活動内容を報告する程度の出演でしたが、ぬえはここに出演してそのまま一人で東北道を走り、プロジェクトメンバーとは現地で落ち合って、年末年始にかけて9日間・14公演の活動を行ったのでした。今から考えるとずいぶん無茶なスケジュールだったような気もするが。。

今回のオープニングパーティーではプロジェクトの活動資金を調達するため募金箱を置かせて頂き、ぬえは被災地での活動を再現する形で上演しました。まずは ちょっと以前の活動の記録になるのですが、去年9月に石巻の湊小学校避難所で上演した『羽衣』の映像をプロジェクターで壁面に映し出し、その前で ぬえが紋付のままで映像とシンクロさせて舞う、という趣向。これ、昨年末にも行った上演形式ですが、あたかもお客さまがそのまま避難所にいるかのような臨場感があって、我ながら良いアイデアだと思います。

上演後には現地の状況や我々の活動についてちょっとお話をさせて頂き、募金をお願いしました。会食の時間には ぬえも気仙沼で買ったTシャツを着て会員さんの中に混じって話をさせて頂き。。終演してみたら、なんと募金は。。

74,804円も集まりました!

佐藤さん、ご紹介頂いたYさん、会員のみなさま、本当にありがとうございました。

第35回 女性だけの写真展

さて夜9時近くになって散会して、プレスセンターの外に出てみると。。なんだか地下鉄の駅の方がやたらに賑やかです。



これは厚生労働省前で行われていた 反原発のデモでした。あ、そういえば今日は金曜日でした。これが世に言う「金曜デモ」か。



ぬえもしばし輪の中に入っておりました。でも、ぬえは原発はない方が良いとは思うけれど、政策を変えさせる、というような大きな活動よりは、むしろ苦しんでいる東北の方々に寄り添っていて差し上げる、というような小さな活動の方が性に合っているかなあ。。

石巻・女川町を訪問して参りました(その18…敬老会への出演へ)

2012-08-01 00:54:55 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の町民野球場仮設を後にして石巻の宿所に帰る頃にはもう陽も傾きはじめて、朝には冠水して通行止めだった道路も開通していました。いろいろな思いを持った女川町での活動はこうして終わりました。

実際、女川町は深く ぬえの心に印象を残しました。飛び込みで活動をさせて頂いたにもかかわらず。。ぬえらの活動を快く許して頂いた関係者には厚く御礼を申し上げたく思います。また次回の訪問時にも、女川町はぜひ表敬訪問だけでもさせて頂きたいと思っています。

石巻に戻り、スーパー銭湯「元気の湯」で汗を流して、食材を買い込み、「ふれあいサロン」で金田さんと一緒に会食。金田さんはその後も深夜まで電話で打合せ。後で知った事ですが、金田さんは1年に渡る石巻に駐在しての活動に一応の区切りをつけ、今は本拠地は神戸に戻られたのですが、関西で活動報告会があったようで、こうして時には石巻に戻って(?)活動を続けながら、報告会の準備にも奔走しておられるのでした。相変わらず多忙な方。。それでもせっかくの機会ですから鼓を打って頂いたり、ちょっと能の世界にも触れて頂きました~。

そうそう、金田さんの石巻での活動について大阪で行われた講演会の映像が Youtubeにありました。
こちらはその講演の第2部ですが。。ぬえのこともちょこっとだけ話題に出してくださっています!(開始4’40くらいから)
Part2/4混迷の状況下における究極のリーダーシップ チーム神戸金田氏

。。被災地支援について、かなり鋭いお話もあります。ぜひ視聴して頂きたいと思います。

【6月21日(木)】

いつの間にやら眠り込んで翌朝。今回の活動の最終日です。

でも、この日の ぬえはリラックスモードでした。だってこの日は公演がたった一つで、しかもそれは ぬえらの主催公演ではなく、イベントへの出演だったのです。そのうえそのイベントは敬老会への出演で、ぬえらのほかにもフラダンスやらオカリナ演奏やら、幼稚園児のお歌の披露まであるそうです。なんだかごった煮のイベントのようですから、ぬえらもあんまりシビアに考えることなく臨んだ方がよさそう。

どうして ぬえらがこのイベントに出演することになったのかというと、これがなんと、前述の「チーム神戸」のリーダー・金田真須美さんからのオファーだったのです。今回の活動の期間をプロジェクトのメンバーほか能楽師とスケジュールの摺り合わせを終え、さてそれでは現地と活動の場を求めて交渉をはじめた、その矢先だったと思います。突然 ぬえの携帯に金田さんからお電話を頂きました。「ぬえさん、こういう話が来ているんやけどな。。そうそう、主催者が今目の前にいるの。こういう話なんやけどな。これは ぬえさんたちのプロジェクトが一番適任やと思うて。日取りはこうなんやけど、可能性はあるかなあ?」と。それがまた、ぬえたちのプロジェクトの活動期間とピッタリ一致しているではありませんか! 。。こういうのも何かのご縁かなあ。

伺った話はこういうものでした。毎年行われている敬老会があるが、去年は震災の影響で中止に。今年こそはその敬老会を復活させたい、ということで、それならばそれにふさわしい出し物を求めている。。こういう話が金田さんの元に持ち込まれ、それが ぬえにもたらされたわけです。その後、この話はチーム神戸からは離れて ぬえが主催者さんと独自に交渉して内容を詰めてゆきました。。が、その中で前述のようにいろいろな出し物が出され、能はその中のひとつの演目にしか過ぎない(失礼!)ということがわかってきて、あまり ぬえたちの活動が前面に出過ぎてもよくない、いうなれば主催者さんの考えるイベントの理想像に沿う形で、イベントのパーツとして演じることの方が重要な催しだったのです。

こんな感じで、責任が ぬえたち自身にはあまりない催しなのか、と思って、なんだか気が楽になりました。
。。実際に ぬえらの上演の位置づけはその通りだったのですが、ところがこの催し、驚くべきものだったのです。