ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

決算報告書(10/21~22)

2012-12-31 00:10:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第10次被災地支援活動(2012年10月21日~22日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 70,871円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     銀行口座募金(ボラ扱い)     15,000円
     預金利息(ボラ扱い)        11円
     石巻市立女子高等学校
      卒業生還暦を祝う会さまより   70,000円        収入計  188,382円
                           内訳:ボラ 155,882円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費   52,381円
     (新幹線3名分          39,180円)
     (在来線              960円)
     (レンタカー            4,935円)
     (ガソリン代            2,086円)
     (有料道路通行料         2,750円)
     (タクシー            970円)
     (駐車料金             1,500円)
    ◎宿泊費   15,000円
     (JALシティ仙台        15,000円)       支出計   67,381円

 【収支差引残額】                         残額    121,001円
                           内訳:ボラ 88,501円 ギエ 32,500円

※注※
・プロジェクトの活動にかかる資金はすべて募金によって賄われている。「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に 充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。
・ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階にあると考え、現在はとくに募金者の要望によるもの は受け入れるが、プロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」 と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援
 団体に寄付する予定である。
・今回の活動では「石巻市立女子高等学校卒業生還暦を祝う会」さまより交通・宿泊費として70,000円のご提供 を頂いた。この収入と上記今回の支出金額との収支は2,619円の黒字である。
・今回の宿泊は未成年者もいることからビジネスホテルを利用した。
・また交通についても東京での公演スケジュールの関係から新幹線およびレンタカーを利用した。ホテルからレン タカー営業所までの移動にはやむなく一部タクシーを利用した。
・食費については例の如く旅行がなくても掛かる費用であること、遊興との誤解を招くこと、酒食の区別がつき
 にくいことから自費負担とした。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・今回は関係者のご厚意により公演チラシの印刷配布を行って頂いたため支出はなかった。
・今回は「石巻市立女子高等学校卒業生還暦を祝う会」さまのご支援によりプロジェクトの活動資金を賄うことが できた。しかし銀行口座への募金はすでに皆無に近いであり、今後も厳しい活動状況が予想される。あらためて みなさまに資金的援助をお願い申し上げる次第である。
 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成24年12月30日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)


↓領収証は次頁以下に添付






活動報告書(10/21~22)

2012-12-30 16:20:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト

能楽の心と癒しプロジェクト
第10次被災地支援活動(2012年10月21日~22日)


 〔活動報告書〕

【趣旨】
東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒しプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに9度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市および大崎市にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田は、去る10月21日と22日の2日間に渡り宮城県・松島町および女川町の計3カ所にて能楽の上演を行いました(※注3)。

今回特筆すべきなのは、松島町での活動です。実際には松島町の住民さんへの支援活動ではなく、石巻市立女子高等学校の還暦記念同窓会が、同町のホテル「大観荘」にて開催され、これにプロジェクトが招聘されて能楽の上演を行ったものです。被災地の団体から招聘を受けての訪問活動はこれが初めてで、我々プロジェクトの活動が被災地、わけても石巻市で浸透してきた証しと申せましょう。還暦記念の同校同窓会は本来昨年開催されるはずでしたが震災によって中止となり、1年後の今回、満を持しての開催となりました。同窓生の中には震災の犠牲者もあり、追悼と、還暦のお祝いと、二つの性格を持った同窓会とのことで、中心メンバーの方とご相談のうえ、未来への希望を託して祝言の能『嵐山』を上演させて頂きました。活動の期間は東京でも舞台公演で忙しい時期でプロジェクトのメンバーは八田以外すべて差し支えで、長男・和弥と家内・佳子の八田の家族による活動となりました。被災地で活動するプロジェクトメンバーの家族が実際に被災地を訪れて現状を目にする事は、今後の活動への意思の共有に意味があると考えます。

八田も活動の前日には東京で大きな舞台があり、終演後に東北地方へ深夜走行するのは無理な状況でしたが、同窓会関係者からは交通費・宿泊費の援助を頂きました。さらには、せっかく東北地方を訪問する機会ですので、同窓会の翌日に活動をしたい旨お願いしましたが、これも快く了承頂き、6月に活動し、また8月にも表敬訪問を行った女川町での活動が実現致しました。同校同窓会関係者の方々には厚く御礼申し上げます。

また女川町では町民野球場仮設住宅での活動を予定していましたが、訪問直前に女川町商工会、観光協会さまより「きぼうのかね商店街」(仮設商店街)での活動を依頼されました。我々の活動が信頼を受けている事を喜び、活動の機会を与えてくださった女川町の関係各位のご厚情に深謝申し上げます。

女川町では商工会と観光協会、女川町復興支援センターさまより上演活動の宣伝、機材の提供から運搬まで全面的なご協力を頂きましたほか、野球場仮設にお住まいで「きぼうのかね商店街」にて釣具店を経営されておられる佐々木英子さまに楽屋の提供、開演前と上演中の後見のお手伝いを頂きましたが、さらには出演者の昼食までご用意頂くなど、大変心のこもったご支援を頂きました。また松島町での活動では、同町在住の協力者Fさん(匿名を希望しておられます)が出演者の移動、公演の後見としての献身的なお手伝いを頂きました。併せてご報告申し上げます。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただしスケジュールの都合により今回は八田の家族での活動となった。
※注2 今回の上演場所は①松島町・ホテル大観荘②女川町・きぼうのかね商店街③女川町・町民野球場仮設住宅の3箇所。

【活動記録】
10月21日(日)
八田達弥、八田和弥、八田佳子の3名は早朝に東京を出発、新幹線にて仙台を経由して東北本線にて松島町に到着。F氏に送迎頂き同窓会会場のホテル「大観荘」へ。同窓会関係者にご挨拶ののち上演準備。

17:30より「石巻市立女子高等学校卒業生還暦を祝う会」開催。隣室にて犠牲者追悼の法要が営まれたあと、お祝いのパーティーとなる。能『嵐山』の一部を上演。

終演後、F氏のご協力によって石巻に至り、石巻観光協会、チーム神戸さまにご挨拶。翌日のスケジュールがタイトであるため。門脇、湊地区視察の後仙台に移動してF氏とお別れし、ビジネスホテルに投宿。

10月22日(月)
早朝起床して仙台駅近くにてレンタカーを借り、一路女川町へ。

「きぼうのかね商店街」にて関係者にご挨拶の後、佐々木釣具店を楽屋に拝借。11:00より「能楽鑑賞会」として能『嵐山』の一部を上演。拡声機器の貸し出しなど女川町の強力な支援協力を頂いた。上演には石巻市在住の協力者・相澤利喜子さん、東松島在住の能面作家木村健人氏もお出まし頂き、終演後に旧交を温めた。町民野球場仮設住宅へ移動。途中女川町中心部の被災地域を視察。

町民野球場仮設では前回の上演場所である集会所ではなく「坂本龍一マルシェ」の巨大なテントの中での上演とさせて頂いた。ボランティア出身の伊藤恵悟氏、矢竹拓氏に今回も事前の交渉から当日の上演のお手伝い、住民さんのご案内など多方面でのご協力を頂いた。集会所での上演準備のあと時間があったので佐々木英子さんのお部屋にお邪魔させて頂き、震災によって亡くなった夫君・貝廣さまのご位牌にお線香と独吟『江口』を手向けさせて頂く。13:30より「能楽の心と癒やしをあなたに」公演 能『嵐山』の一部を上演。終演後は集会所に場所を移して住民さんに装束の着付け体験など行う。

終演後、女川町より急いで仙台へ戻り、レンタカーを返却。今回は活動費の節約のため鉄道には格安チケットを利用し、そのため利用できる新幹線の便が限られていた。女川町での活動機会が直前に増えたため、移動スケジュールはかなり厳しくなったが、当日は余裕を持って仙台駅に到着することが出来た。予定通りの新幹線に乗って夜遅めに東京に戻り、今回の活動を無事に終えることが出来た。

【収入・支出】
プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として 103,371円(内訳:ボラ 70,871円 ギエ32,500円)があるほか、前回第9次支援活動のあと銀行口座へおふた方より計15,000円を頂戴し、また11円の預金利息があったため、計118,382円(内訳:ボラ85,882円 ギエ32,500円)が第10次活動の前に計上されております。

今回は上記の通り「石巻市立女子高等学校卒業生還暦を祝う会」さまの招聘による活動で、交通・宿泊費として70,000円の資金提供を頂きました。活動による支出は後掲の通り交通費52,381円、宿泊費15,000円で、この結果 収支の差額は2,619円の黒字となりました。支出の明細につきましては別紙「決算報告書」にて改めてその内訳を明示致しますが、今回の活動終了時で残額 121,001円(内訳:ボラ88,501円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。関係者各位に対し、厚く御礼申し上げます。

これに対してプロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費につきましては高速道路の通行料、ガソリン代の全額をプロジェクトの負担としておりますが、交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するようにしました。

宿泊につきましても通常は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊を旨としております。しかしながら今回は八田長男(未成年者)の参加もありましたため、被災地での活動という過酷な状況の影響も考慮し、ビジネスホテルでの投宿とさせて頂きました事をご報告申し上げます。

前述の通り収支差額として 121,001円(内訳:ボラ88,501円 ギエ32,500円)が出、これは今後の被災地訪問の活動資金として活用させて頂きますが、今後の活動にはますます資金的に困難な状況が予測されます。引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして第10次となる今回の支援活動は、被災地の民間の団体からの招聘という名誉を頂きました。活動資金も頂戴したうえ、喜ばしい還暦記念の同窓会に一役を頂戴したことは復興のひとつの象徴とも思え、大変ありがたく拝承させて頂きました。同窓会では震災犠牲者のための法要も行われましたが、その後は旧友や恩師との再会に大変賑やかで笑いの絶えない催しとなり、お手伝いすることができて良かったと思います。

女川町では当方からの活動場所提供のお願いに対して現地の関係者さまより、初めての活動となる「きぼうのかね商店街」での活動の場も与えて頂き、宣伝や機器の利用・運搬まで、手厚いご支援を頂きました。また住民さんの佐々木英子さまにも個人の立場から上演楽屋の提供、後見としてのご助力など、心細やかなご協力を頂きました。さらに佐々木さまには特にお許しを頂き、仮設住宅のお部屋にお邪魔させて頂き、亡きご主人さまにお手向けをさせて頂いたのも感慨深いことです。松島町での活動で献身的なご協力を頂いたF氏や、わざわざ女川町の活動にお出まし頂いた石巻の相澤利喜子さん、東松島市の木村健人さんなど、市民のみなさまの信頼を得てご協力を頂きながら活動できるようになった事は、1年4ヶ月前に知人ひとりいない状況で活動を開始した頃のことを考えれば隔世の感があります。各位のご厚情に改めまして深謝申し上げます。

今回の活動では多忙の時期でもありプロジェクトメンバーがまったく参加できませんでした。そのため活動は八田の家族が参加することになりました。現地の状況を考え、宿泊はビジネスホテルを利用したり、経費の面で難しい問題もありますが、支援活動を行っている八田を支える家族が実際に被災地に赴いて現状を実見することは今後の活動についても、また個人としてボランティア活動について考える機会としても意味のある事だったと思います。

滞在、活動はわずか2日間のことではあり、またスケジュールはかなりタイトなものだったと思いますが、このように活動の内容は相当に充実したものとなりました。これもひとえに現地関係者および住民さんや友人など多方面の献身的な協力により実現できたものです。プロジェクトとしては「文化の復興」というひとつの指針をもっての活動を指向しておりますが、感謝の心をもって息長い活動を続けてゆければ、と考えております。今後とも各位のご支援をお願い申し上げる次第です。


平成24年12月30日




                             「能楽の心と癒しプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                               (住所)
                               (電話)

第10次支援活動<松島町・女川町>(その8)

2012-12-19 19:34:49 | 能楽の心と癒しプロジェクト
急いで上演準備を整え、佐々木さんのお手伝いを頂いて装束も着付けを完了、13時より『嵐山』を上演しました。
まずは上演準備が整ったところで佐々木さんと一緒に記念撮影を1枚~

昼食は例によってコンビニ弁当か?と思いましたが、なんと佐々木さんが おにぎりを作って差し入れしてくださいました! そのうえ当地や山形地方の? お漬け物やら果物やら、いろんなおいしいものを頂戴しちゃって、あら豪華なボランティアだわあ。

能の会場は集会所の中ではなくその外に建てられた巨大なテント「坂本龍一マルシェ」です。またまたアスファルトの上での上演ですが、こういう華やかな大きい曲には広い会場が似合います。吹き抜ける風も清々しく、野外で舞う機会の多くなった東北地方ですが、案外室内よりこっちの方が ぬえは好きかも。





終了後は控室にも使わせて頂いた集会所に場所を移して恒例の装束着付け体験~





ぬえたちに残されている時間は短かったのですけれども、時計と睨めっこしながらお二人の住民さんに天女の姿になって頂きました~。とっても喜んで頂けたようですが、いやいや、モデルが良いから天女さんそのままですよ~

その後佐々木さんやミネさんとも歓談して、ようやく女川町を後にしました。
もう、ここからは時間と勝負! という感じで仙台を目指します。



前述しましたが、今回は活動費の節約のため宿泊地の仙台でレンタカーを借り、そこから片道2時間の行程で女川町を目指しました。なんせ新幹線は格安きっぷを使ったため乗り遅れることは許されない。。女川町を午後3時に出発して、夕方の渋滞を考えて余裕を見て2時間半かけて仙台に帰り着き、レンタカーを返して駅にたどり着くのに30分、それで6時過ぎの新幹線に乗ろうという。。ホントに綱渡りのスケジュールでした。

当初は野球場仮設住宅だけの活動を予定していたので、スケジュールは余裕があったのですが、出発直前に「きぼうのかね商店街」での活動をお引き受けしたので、一挙に忙しい移動になってしまいました。でも「きぼうのかね商店街」での活動は有意義でした。また町民野球場仮設でも旧知の住民さんともふれあいを持つことができ、時間に追われている割には充実した活動ができたと思います。

もしも道路が渋滞して新幹線の時間に間に合わない恐れが出た場合には、途中の駅で家族を降ろして鉄路で仙台に向かわせ、ぬえはレンタカーを返したあと、もしも新幹線に間に合わなければ仙台にもう1泊する覚悟でしたが、渋滞にも遭わず無事に仙台に帰り着き、新幹線に乗ることができました。相変わらず装束を抱えたまま東北地方に鉄道で向かうのは体力的にしんどかったですけれども。



女川町のやさしい住民さんたち、献身的なボランティアさん。これらが一体となって、とっても温かい空気が女川町にはみなぎっていますね。またまた女川町が好きになっちゃったじゃないか~

   ★  ☆   ★  ☆   ★  ☆   ★  ☆   ★  ☆   ★  ☆   ★  ☆

今日は気仙沼の児童劇団「うを座」の子どもたちが出演するミュージカル「被災地の子どもたちによる平和宣言3.11」の東京公演を見てきました~。あの子たちもがんばってる!迫力のある舞台でした。

来年の支援活動の計画も着々と進んでおります。まずは1月、そうして3月に。活動資金の調達が急務ではありますけれども、息長い活動を来年も続けていけたら、と考えています~       【この項 了】

第10次支援活動<松島町・女川町>(その7)

2012-12-14 21:51:01 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の町民野球場仮設住宅では6月の活動以来プロジェクトにお手紙を寄せてくださっているエノキさん。。もうこの頃は佐々木さんの言い方にならってミネさん、とお呼びしていますが、そのミネさんとも再会することができました。



さて今回は、6月に上演した会場。。仮設住宅の集会所ではなくて、その前にある大きなテント。。「坂本龍一マルシェ」で上演することを、ぬえからの希望で実現して頂きました。





これは6月に撮った画像ですが、坂本龍一さんが資金援助をして建てられたこのテント、名前の通り支援物資のバザーのために使われたり、イベントスペースにもなるし、普段は子どもたちの遊び場にもなっています。下はアスファルトなのですが、まあこれも仮設商店街で舞うのと一緒ですからさして問題ではなし。むしろ『嵐山』のようなスケールの大きい曲にはできるだけ広いスペースの方が合うものですから、今回はあえて無理をお願いして、集会所を楽屋に、この坂本龍一マルシェを上演会場に使わせて頂くことになりました。なんでも、女川町の中で仮設住宅の集会所とこのマルシェは所属担当が違う部署であるそうで、毎度プロジェクトの活動を受け入れてくださっている伊藤さんや矢竹さんにはご無理をお願いしたことと思います。







ところが。今回の活動のための交渉中に意外な事実を知ることになりました。伊藤さんや矢竹さんは、ともに女川町の出身の方ではなくて。。なんとボランティア出身なのですって(!)。。半年間をテントで暮らしながら住民さんの支援を続け、その後は活動の業績を認められて町の職員のような立場になり。。矢竹さんはその後女川町の女性と結婚されて、この奥様は被災された方だったのでご実家は流されているため、今は仮設住宅にお住まいなのだとか。。

テントで暮らしながら支援活動を続ける若いボランティアさんは、ぬえも大勢見てきました。石巻には専修大学の校庭にテント村のようなものができたし、東松島と大槌町では避難所の外に張られた多くのテントもありました(避難所の中には泊まらずに、外のテントで暮らしながら避難所の住民さんのお手伝いをしておられたのでしょう)。。が、震災から1年7ヶ月が過ぎた現在でも当地に残って、市民のようになってしまった方は、それほど多くはないでしょう。まあ、ほかにもボランティアさん同士で結婚して、いまも石巻で活動している方など、ぬえも何人か、知らないわけではないですが。

まさに献身的な活躍ですね。一方では住民さんとのふれあいがうまく行かずに、最後は住民さんを恨んじゃったりする事例も ぬえは見てきたし、また一方、復興が進むほどに自分の居場所をなくしてしまったボランティアさんもいるように聞いています。いずれにせよ震災のあとに支援のために現地に駆けつけて、そのまま住み続けて現在でも活動を続けておられるボランティアさんもあるのです。ボランティア団体ならそういう事も理解できるが、個人ボランティアさんとなると、これは献身としか言いようがない。若いからできる事でしょうが、誰にでもできることではありませんね。

さて。。さきほど「きぼうのかね商店街」で後見を勤めてくださった佐々木さんは この町民野球場仮設住宅に住んでおられるので、こちらでもお手伝いをお願いしています。商工会さんも音響機器を設置してくださり、装束などの準備もできると、もうちょっと開演まで時間があります。

ここで、ちょっとお節介かもしれませんが、佐々木さんのお部屋にお邪魔させて頂き、ご主人の貝廣さんのご位牌にお線香を手向けさせて頂くことをお願いし、佐々木さんも快諾頂きました。





とてもきれいなことで有名になった仮設住宅ですが、じつはこれはコンテナを改造したものなのだそうです。お一人住まいの佐々木さんは1部屋とバス・トイレがついたお部屋でしたが、家族構成によって最大4部屋の規模の住宅が割り振られるとのこと。家族で佐々木さんのお部屋にお邪魔しましたが、女性らしく整ったお部屋。笑顔で写っている貝廣さんの写真に手を合わせ、お線香をあげ、そうして ぬえは『江口』のキリを謡って手向けさせて頂きました。

第10次支援活動<松島町・女川町>(その6)

2012-12-12 23:37:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の「きぼうのかね商店街」では前日に引き続いて能『嵐山』のダイジェスト・バージョンを上演しました。観光協会さんや商工会の方も大変ありがたくご協力頂いて、楽屋に姿見を用意くださるやら、音響設備をこの商店街と午後に予定されている町民野球場仮設住宅での上演の2カ所に貸し出しから設置までして頂くやら、大活躍でした。

「きぼうのかね商店街」での上演は、もう仮設商店街では恒例になっていますが、店舗の中ではなく通路のアスファルトの上が舞台になります。アスファルトの上で舞うのはもう慣れちゃったな。上演のたびに足袋が一足ダメになるのですけれども。

このとき、なんでもどこぞからの視察で大型バスで乗り付ける団体さんがいらっしゃるとのこと。案の定、上演中に巨大な観光バスが上演場所のすぐ後ろをバックで通りすぎて行きました。(^_^;)。。お客さまはさぞや驚かれたことでしょう。

終演後、急いで片づけをしているところに東松島の能面作家、木村健人氏もわざわざお出まし頂き、久しぶりに旧交を温めましたけれども、午後の上演があり、さらに時間との戦いで仙台に戻らなければならないので、あまり ゆっくり語り合うこともできないままに、町民野球場仮設住宅に向かいました。

途中。。女川町のかつての中心部を通ります。マリンパルこそ撤去されたけれども、倒壊したビルや交番は相変わらずそのまま。







ビルが横倒しになったことは津波では説明できず、まず地震で液状化現象が起こって建物が地表から浮き上がった状態になり、ついで津波がその建物を土台ごとなぎ倒した、と考えられているようですが、世界的にみても他に例を見ない被害なのだそうで、そんな特殊性もあって、このビルや交番は震災の被害を伝える資料として保存しよう、という動きもあるのだそうですね。

ぬえもかつては、復興が進むにつれて被災地域が更地になっていくのを見て、それは喜ばしい事なのだけれども、震災の記憶を伝えるものがなくなって行くことには複雑な感情を持っていました。被害を伝える建物をいくつか残していくべきではないのか。。? でも、いまは ぬえは考えが変わりまして、すべて取り壊して新しい街を再建する方が良いと思っています。こんなひどい状態の建物、もしこれが自分が住む街だったら、見たくないもの。。思い起こせば、ぬえにこういう考えを持たせたのは、今年の6月にここ、女川町で初めて活動をする際に、昼食を摂りに高台の町立病院からこの倒壊したビルを眺め下ろした時でした。

こちらは町民野球場仮設住宅がある運動公園に続く道。ここ、じつは女川町のガレキ置き場になっています。



被災地域全体を覆い隠していたガレキが一時的な保管所としてここに積み上げられ、やがて人の手によって分別されてから最終的に処分されることになります。もちろんここに住んでおられた記憶の品は、ずっと以前に入念に、大切に選り分けられています。

こうしているうちに町民野球場仮設住宅に到着しました。

第10次支援活動<松島町・女川町>(その5)

2012-12-07 20:42:23 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今日は東京でもずいぶん揺れましたが、東北が震源で現地では震度5弱、津波警報や避難勧告も出される、久しぶりの大きな地震でした。警報が解除されてから石巻の関係者にお電話してみましたが、みなさんご無事でした! それにしても石巻の人も「びっくりしました」という程の揺れだったそうです。そういえばこの夏に活動のために石巻に早朝に到着した際、牛丼屋さんで朝食を摂っていたら震度4の揺れが!…この時は地元の方はこの程度の揺れではだ~れも気にもかけていないようで、フツーに時間が流れてゆきました。。それにしても今でも震災の余震が続いているなんて。。

さて女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」は女川高校の高低2つあるグラウンドのうち高台にある第2グラウンドに建てられていまして、およそ50弱の店舗が寄り集まって営業しているほか、交番や郵便局(ともに海に近い低地にあって被災)、銀行までありました。仮設の交番とういうものは初めてみたなあ。。

中心部では8割の建物が流失してしまったという女川町。仮設商店街はこの6月にお邪魔させて頂いた「コンテナ村商店街」と、この「きぼうのかね商店街」があり、もう解体されてしまったマリンパル女川の「おさかな市場」も万石浦に面して店舗を開いています。この中では「きぼうのかね商店街」が一番最近に、今年の春にオープンしたようですね。

「きぼうのかね」とは、跡形もなく流されてしまった女川駅にあった からくり時計に付けられていた鐘なのだそうで、ガレキの中から一つだけ無傷で発見され、復興の象徴としてここに置かれたのでした。見たところ、鐘はフレームに取りつけられていましたが、ボルトで固定されているようで、実際に鳴らすことはできないのかもしれません。

ここでの楽屋は、商店街の中で釣具店を開いておられる佐々木さんのご厚意で、お店を拝借させて頂くことになりました。

佐々木さんは、すでに6月にお目にかかっているのです。この時の活動で『羽衣』を上演した後、恒例で住民さんに装束を着付ける体験コーナーをしたのですが、この際にモデルとなって唐織を着て頂いたのが、この佐々木さんです。

この時は「もとは日舞のお師匠さんだから」ということで、ほかの住民さんに推薦されるようにモデルを引き受けてくださったのですが。。終了後、佐々木さんは ぬえのそばに寄って来られて。。大粒の涙を流されました(!)

伺えばご主人を津波で失われ、それ以来 日舞はおろか着物を着る気持ちもなくなってしまわれたのだそう。。「あれ以来、はじめて和服を着ました。。」と。。

この佐々木さんに、今回は舞台の後見を勤めて頂くのが ぬえの当初からの計画でした。本当は日舞か何か、佐々木さんとのコラボでの上演を希望していたのですけれども。

…というのも、佐々木さんが亡くされたご主人さまは貝廣(かい・ひろし)さんという方で、昭和初期に女川町を訪れてその時の印象を文に残した高村光太郎を記念する文学碑を建て、その後は「女川・光太郎の会」を立ち上げ、毎年「光太郎祭」の開催に奔走された方なのでした。震災によって貝さんは犠牲となり、文学碑も倒壊しましたが、奥様も尽力され、光太郎の会の努力によって、震災直後の昨年も、そして今年も「光太郎祭」は見事に開催されたのだそうです!

このような文化・芸術に造詣の深い方なら、能の催しのときにご一緒に何か。。と考えたのですが、それは ぬえの浅慮でした。「踊りは。。無理です。あの日がフラッシュバックしてしまう。。」お電話で打合せをした佐々木さんはこう答えられて ぬえは絶句。それで能の後見をお勧めしてみましたが、それなら喜んで、とお言葉を頂いて、今回の上演となりました。

そうしたら、佐々木さんは上演会場の「きぼうのかね商店街」に店舗を構えておられる、と、驚くべき偶然も重なって、楽屋の提供から後見まで一手に引き受けて頂くことになりました!

※今回は画像がありません。。代わりに次のサイトをご紹介しておきますね~

きぼうのかね商店街
「光太郎祭」について
ありし日の「光太郎祭」の様子
亡くなった貝廣さんへ寄せられた言葉

第10次支援活動<松島町・女川町>(その4)

2012-12-03 13:48:33 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【10月22日(火)】

翌日、宿泊した仙台でレンタカーを借りて、この日は女川町での支援活動です。

もともと石巻市立女子高の同窓会へのお呼ばれ出演が今回の訪問の目的ではありますが、終演後に無理に東京に戻るよりも、せっかくの訪問の機会ですから、この夏からお世話になっている女川町まで足を延ばして活動をしよう、と考えついたのですが。。

問題は交通手段の確保でした。なにせ仙台から女川町まで行くにしても、まず仙石線が津波の被害で壊滅的な打撃を受けて運休していますから松島より先はバスに頼るしか方法はないし。。いや、正確には海岸線を通らずに迂回して石巻に至る鉄道便も震災後に作られてはいるのですが、本数が少ないうえにだいぶ遠回りになってしまい、時間のロスも懸念されます。そのうえ石巻から女川町までも、これまたバス路線しかないという有様で。。装束の運搬の問題もあるので、ここはプロジェクトの活動としては初めてレンタカーを利用することにしました。

それでは仙台で宿泊せずに松島や石巻に宿泊する方が効率的では? これも往路と同じく、交通手段の問題があって不可能です。仙台と女川町の間の町。。多賀城市とか石巻でもレンタカーは借りれるのですが、それらの町に宿泊してレンタカーを借りても、帰途この町に車を返してから仙台に至る交通手段がバスや本数の少ない列車に頼って、装束を抱えながら乗り換えを重ねるのは相当に危険で、帰りの新幹線に乗るためには仙台に宿泊してそこでレンタカーを借り、片道2時間をかけて女川町に至り、帰路も急いで仙台に帰って新幹線に飛び乗る、という手段が最も確実、という結論でした。いろいろ考えたけれどこれがベストだと思います。

しかも、ですね。当初は6月に活動した女川町の町民野球場仮設だけで活動する予定だったところ、訪問の直前に女川町から仮設商店街でも上演できないか? という打診を頂きまして。仮設住宅だけなら余裕のあるスケジュールを組めたのですが、2カ所となるとこれは大変! 着替え~会場への移動~また着替え。。と上演準備に必要な時間を計算すると。。分刻みのスケジュールになってしまいました!

このため仙台では早朝から営業しているレンタカー屋さんに予約をし直し、訪問スケジュールを綿密に練り直して、ようやく綱渡りの訪問スケジュールが出来上がった、という訳です。帰路の渋滞を少な目に計算して、迂回路も調べて。。なんせ、経費の節約のために、新幹線も速い「はやぶさ」や「はやて」ではなくて停車駅の多い「やまびこ」を利用、それも割引きっぷを買ったため乗り遅れると紙きれになってしまうという。。もしも帰りに渋滞につかまったら、家族だけは最寄りの駅に降ろして鉄路で仙台駅を目指してもらい、ぬえはレンタカーを返してから仙台にもう一泊する覚悟でした。

こうして心は不安を抱えながらの活動でしたが朝早くホテルで朝食を摂ってレンタカー会社に行き、スムーズに車を借りることが出来ました。2時間の女川までの道路も渋滞につかまることもなく快適に到着~~!

松島の住民のFさんのご協力によって、前日に石巻の関係者にご挨拶できて良かったです。そしてまた、今回初めて現地で活動する家族のために、石巻の被災地区を案内することも前日に済ませることができました。









まだまだ帰りに仙台に予定通りに到着できるか、その不安はありましたけれども、まずは時間通りに女川町に到着して、最初の公演地「きぼうのかね商店街」に入りました。

ここでは、町民仮設住宅にお住まいの住民さん、佐々木英子さんが釣具店を経営しておられて、ここが ぬえらの楽屋として提供して頂けることになっていました。まずは佐々木さんと久しぶりのご対面~。

第2弾!炊き出しプロジェクトin埼玉for福島~Hot Meals for People from Fukushima~

2012-12-02 02:06:35 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、最初にお断りしておきますが、トップ画像は ぬえではありません(笑)

第10次の活動のご報告の途中ではありますが、昨日、ぬえと笛のTさんの二人はタイトルの支援活動に参加させて頂きました。プロジェクトとしては第11次の支援活動ということになりますが、ほかの支援団体の活動の中の一員として参加させて頂いたのは今回が初めてです。

震災からもうすぐ1年と9ヶ月。ぬえが活動の拠点としている石巻市では昨年10月にすべての避難所が解消されて、住民さんは仮設住宅に移られました。そこから数えてもすでに1年2ヶ月。ところが日本で唯一残っている避難所があるのです。

それは埼玉県・加須市にある旧・騎西高校(統合により現在は廃校)でして、これを避難所として原発事故のため全域が警戒区域となり避難を余儀なくされた町民と、町役場機能全体が移り住んでいます。避難所開設当初よりだいぶ人数は減ったというものの、いまでも185人(11月現在)の住民さん。。その多くが高齢者の方々。。が不自由な生活を強いられています。さらには今年9月からは支給されていた食事が有償となり、住民さんは平和な生活から追い立てられた上に、さらに負担を求められています。

この現状を憂いたボランティアさんが炊き出しプロジェクトを計画、今回はその2回目の活動でした。ぬえは主催者の一人と石巻で知り合い、活動への参加のご招待を受けまして、第1回は舞台スケジュールの都合で欠席となりましたが、今回晴れて二人でお邪魔させて頂くことになりました。

早朝に新宿を出発するバスも仕立てられて、facebookを通じて呼び掛けられた今回の活動には、なんと50名ほどの参加者が! この人数で、しかも会場となった高校の学食には大人数に対応できる調理機器もしっかり備え付けられている好条件で、それでも朝9時頃から支度を始めて昼食にようやく間に合う、という感じでした。いかに炊き出しが大変な作業か、がよくわかります。ぬえの実感として、被災地でも自衛隊が駐留しているときはコンビニ弁当並の食事が避難所や在宅避難の住民さんに供給されていましたが、その自衛隊が撤退した途端に おにぎりと牛乳という粗末な食事に変わって びっくりした思いがあります。この内容の食事が3食、避難所が解消されるまでずうっと続いていたのです。

この日訪れた騎西高校の避難所は、校舎全体を避難所(および町役場)として利用しているため、まあまあ ゆったりした居住空間ではあるかもしれませんが、教室や体育館が居所、仮設の風呂。。と、ご自宅での生活を考えれば不自由この上ない環境です。故郷から遠く離れ、それでも希望を失わず笑顔の住民さんたちのお姿には ぬえは感銘を受けました。





さてこの日の炊き出しのリーダーさん(お名前は石巻でかねがね、でありながらこの日初対面となったイギリス人のディーンさん、ナナオさん、やはり石巻でお世話になっている良太郎さん。。)やボランティア・バスも到着、すぐに一つの部屋を借り切って調理の下ごしらえが始まりました。ディーンさんの関係からか、今回のボランティアさんは外国人の方の方が日本人より多いほど。すでに11月に第1回の炊き出しを行っていたためか分担もスムーズに分かれて、食材の切り分けから準備が進んで行きます。



これらの食材が運ばれると学食の方では早速 調理に取りかかります。この日の献立は メインが豚丼ととん汁、つけあわせに数種の漬け物や煮物、デザートに柿。。あれ? いま気がついたけど、これは笛のTさんがこの日に差し入れたもの? 。。と、盛りだくさんのメニューになりました。ぬえは盛りつけを手伝った程度。。あれ、Tさんは? あれあれ、しっかり調理に加わっていました。さすが。



装束など上演準備もしながら、ちょっと息抜きに建物の外に出た ぬえ。そこに石巻の住民ボランティア・明友館のリーダーの千葉恵弘さんが偶然到着されました。なんでもこの日に合わせて支援物資のティッシュや使い捨てカイロを持参された由。石巻市の住民が双葉町の人を助ける。。復興はそこまで進んできたのですね。



支援物資の配給があり、炊き出しの昼食が配られ、みるみる学食は住民さんでいっぱいに。



昼食が一段落したところで ぬえとTさんの二人で能『菊慈童』の一部を上演しました。住民さんも大勢集まってくださり、外国人のボランティアさんも興味を持って見てくださいました。終演後は『高砂』をみんなで謡い。。これが最初から大きな声が出ました。身体の中の筋肉を使うから大声を出すことは健康にも良いのです。集団生活の中ではなかなか実行できないかもしれませんが、カラオケでも何でも、住民さんには大きな声を出してほしいです。


(画像は参加者さまより拝借しました)

終演後、仮設住宅での活動ではいつもは住民さんに装束の着付け体験コーナーを作るのですが、今回はまだ模様眺めの状態で、着付け体験用の装束も別には用意していませんでした。。ところが パーテーション1枚で食堂と隔てられた楽屋に外国人のボランティアさんが写真の所望に現れまして。。すでに装束を脱いでいた ぬえは、それならば、と このボランティアさんに『菊慈童』の装束を着付けて差し上げて。これはボランティアのみなさんにも喜んで頂けました。


(画像は参加者さまより拝借しました)

で、着付けを終えた彼女がご主人と一緒に記念撮影をしていたときに、不意に チュッ!とキスを交わしたのがトップ画像でした。装束を着た状態でのキス、という光景を ぬえは初めて見ました。。これは ぬえではないぞとよ。(゜_゜;)

このあとようやく ぬえらボランティアさんも食事にありつき、他に用事があるボランティアさんも ちらほらと家路につき。。ぬえとTさんも会場を後にしました。。このあと集合写真を撮ったらしい! ぐやじいぃぃ


(画像はfacebookの当該ページより拝借しました)

次回、ぬえは1/13(日)に同じ場所で予定されている第3弾の炊き出しプロジェクトにも参加予定です。今回の活動の中でボランティアさんと話したところでは、被災地にもなかなか行く機会もなく、今回が初めてのボランティア活動です、という人も多くありました。リーダーの上手な采配と人海戦術で うまくいった活動だったと思います。次回の活動は「餅つき大会」となるらしいので、お時間のある方、東京近郊でならボランティア活動ができるのに、と思われたアナタ! ぜひこの活動にご参加ください!

最後に、今回の炊き出しプロジェクトのリーダーさん方の努力、この日集ったボランティアさんたちの献身、そうして双葉町の、すべての双葉町の住民さん方のがんばりに ぬえは感謝と尊敬の念をお伝えしたいと思います。