ワキの文句を受けて舞台に入る前シテですが、このところ、能の中でも珍しいほど長い時間無音の場面ですね。シーンとしてしまった中を歩むのはシテにとっても気を遣うところでしょう。なんせ通常であればお囃子のアシライがあったり、誰かほかの演者や地謡が謡ってくださっている中を歩む事が多いのですが、『山姥』はまったく音がありません。シテの歩む姿をお客さまに じいっと見つめられてしまうわけで、こういう曲はあまりほかに例が少ないように思います。ちょっと考えて思いつくのは『恋重荷』ぐらいかなあ。。
さてシテが舞台に入り、ツレに向かって正中に着座すると、ツレ・ワキ・ワキツレも同時に着座します。扉を開けるでもなく、家に上がるのをシテが勧めるでもなく、この着座をもって一同はシテの住処である小屋(なのでしょう)の室に車座になって(なのでしょう。。)、落ち着いた事を表現します。
このところ、ぬえが小鼓をお習いした故・穂高光晴先生は「ここは長いねえ。。20分は待たされるな」とおっしゃっておられましたが、なるほど、ここからのシテとワキ、ツレとの会話は本当に長いですね。よく上演される『山姥』なので、地謡に座って聞いていたりで自然に謡は耳に入っていますが、いざ実際にきちんと覚えようとすると、その長大な会話に驚かされます。謡を間違えないようにしなくちゃ。。
シテ「今宵のお宿参らすること、とりわき思ふ子細あり、山姥の歌の一節謡ひて聞かさせ給へ、年月の望みなり鄙の思ひ出と思ふべし、そのためにこそ日を暮らし、御宿をも参らせて候へ、いかさまにも謡はせ給ひ候へ。
さて着座した前シテは、いきなり こう切り出します。このセリフ、ふだん地謡に座って聞いている時にはあまり気に留めなかったのですが、じつはかなり考えられて作られた文章だと今回、気がつきました。
初対面であるシテとツレ一行。ツレやワキにとっては、突然日が暮れたところに 渡りに舟で宿を貸す事を申し出たシテの出現は、そのタイミングがあまりに良すぎる事を除けば、親切な里女の登場にしか過ぎないはずで、ところが彼女の家に到着したところ、開口一番シテが申し出たことは、ツレ百万山姥の持ち芸の披露であったのです。
これは、まあ良い。現代でも人気タレントであれば、プライベートな旅行中に正体を看破されてサインを求められるなどは日常茶飯事でしょう。テレビもなく、遠方ではタレントの顔さえ知る手段がない時代であっても、その高名がこのような山中にまで響いていたとしても それほど驚くには当たらないでしょう。ましてやツレ百万山姥は遊女でありながら自らの足では歩かずに「乗物」に乗り、あまつさえ従者を伴うほどの人気者で、おのずからその行列は目を引いたはずです。
問題はシテの言う「そのためにこそ日を暮らし、御宿をも参らせて候へ」という文句で、型どおりに読めば「山姥の歌を聴くことをただ一つの願いとして、都からは遠く離れたこんな辺鄙な片田舎ながら日を送っていた。それだからこそいま偶然にも難儀しておられる姿をお見かけして、急いで宿を貸したのです」と読めるはずで、少なくとも山中で助けられたツレやワキの耳にはそのような意味に響いたはず。
ところが、よくこの文章を読んでみると。。「山姥の歌を聴くために天空を操って日暮れにし、それにより あなた方一行が困ったところにタイミング良く現れて、この宿に誘導したのです」と読む方がむしろ自然であるはずです。おっかないけど。。
しかしシテのセリフを聞いて直感的にそのようには聞こえないのは、そのまま読んだこの内容があまりに非現実的で、実生活とはかけ離れた言動だからでしょう。しかもシテはその前に「年月の望みなり鄙の思ひ出と思ふべし」と言っていて、彼女は都で高名な百万山姥の熱烈なファンで、百万山姥の謡う「山姥の歌」を聞くチャンスが訪れる、という絶望的な可能性を、長い年月の間信じ続けていた事を想像させます。それだからこそツレもワキもシテの言葉を、疑うことなく前者の意味に理解したのです。
ところが山姥の化身である前シテの発言の真意はそうではなくて後者の意味だったはずで、しかし初対面のツレやワキに対しては警戒や畏怖をされないよう二つの意味に解せるように言ったのです。その意味でのこのセリフは、この前シテが山姥の化身だと すでに気づいているお客さまに対して、シテ山姥の真意をくみ取って頂くよう『山姥』の作者から投げかけられた仕掛けにほかなりません。
これほどの知的な、二重の意味構造を持ったセリフが数百年前に練り上げられていたのです。作者の意図は ぬえは本当には理解していないのかも知れませんが、ぬえが正しいとしたら、この作者はとんでもない才能を持ってこの戯曲を書いたのだと言うことができるのではないかと考えさせるのです。
さてシテが舞台に入り、ツレに向かって正中に着座すると、ツレ・ワキ・ワキツレも同時に着座します。扉を開けるでもなく、家に上がるのをシテが勧めるでもなく、この着座をもって一同はシテの住処である小屋(なのでしょう)の室に車座になって(なのでしょう。。)、落ち着いた事を表現します。
このところ、ぬえが小鼓をお習いした故・穂高光晴先生は「ここは長いねえ。。20分は待たされるな」とおっしゃっておられましたが、なるほど、ここからのシテとワキ、ツレとの会話は本当に長いですね。よく上演される『山姥』なので、地謡に座って聞いていたりで自然に謡は耳に入っていますが、いざ実際にきちんと覚えようとすると、その長大な会話に驚かされます。謡を間違えないようにしなくちゃ。。
シテ「今宵のお宿参らすること、とりわき思ふ子細あり、山姥の歌の一節謡ひて聞かさせ給へ、年月の望みなり鄙の思ひ出と思ふべし、そのためにこそ日を暮らし、御宿をも参らせて候へ、いかさまにも謡はせ給ひ候へ。
さて着座した前シテは、いきなり こう切り出します。このセリフ、ふだん地謡に座って聞いている時にはあまり気に留めなかったのですが、じつはかなり考えられて作られた文章だと今回、気がつきました。
初対面であるシテとツレ一行。ツレやワキにとっては、突然日が暮れたところに 渡りに舟で宿を貸す事を申し出たシテの出現は、そのタイミングがあまりに良すぎる事を除けば、親切な里女の登場にしか過ぎないはずで、ところが彼女の家に到着したところ、開口一番シテが申し出たことは、ツレ百万山姥の持ち芸の披露であったのです。
これは、まあ良い。現代でも人気タレントであれば、プライベートな旅行中に正体を看破されてサインを求められるなどは日常茶飯事でしょう。テレビもなく、遠方ではタレントの顔さえ知る手段がない時代であっても、その高名がこのような山中にまで響いていたとしても それほど驚くには当たらないでしょう。ましてやツレ百万山姥は遊女でありながら自らの足では歩かずに「乗物」に乗り、あまつさえ従者を伴うほどの人気者で、おのずからその行列は目を引いたはずです。
問題はシテの言う「そのためにこそ日を暮らし、御宿をも参らせて候へ」という文句で、型どおりに読めば「山姥の歌を聴くことをただ一つの願いとして、都からは遠く離れたこんな辺鄙な片田舎ながら日を送っていた。それだからこそいま偶然にも難儀しておられる姿をお見かけして、急いで宿を貸したのです」と読めるはずで、少なくとも山中で助けられたツレやワキの耳にはそのような意味に響いたはず。
ところが、よくこの文章を読んでみると。。「山姥の歌を聴くために天空を操って日暮れにし、それにより あなた方一行が困ったところにタイミング良く現れて、この宿に誘導したのです」と読む方がむしろ自然であるはずです。おっかないけど。。
しかしシテのセリフを聞いて直感的にそのようには聞こえないのは、そのまま読んだこの内容があまりに非現実的で、実生活とはかけ離れた言動だからでしょう。しかもシテはその前に「年月の望みなり鄙の思ひ出と思ふべし」と言っていて、彼女は都で高名な百万山姥の熱烈なファンで、百万山姥の謡う「山姥の歌」を聞くチャンスが訪れる、という絶望的な可能性を、長い年月の間信じ続けていた事を想像させます。それだからこそツレもワキもシテの言葉を、疑うことなく前者の意味に理解したのです。
ところが山姥の化身である前シテの発言の真意はそうではなくて後者の意味だったはずで、しかし初対面のツレやワキに対しては警戒や畏怖をされないよう二つの意味に解せるように言ったのです。その意味でのこのセリフは、この前シテが山姥の化身だと すでに気づいているお客さまに対して、シテ山姥の真意をくみ取って頂くよう『山姥』の作者から投げかけられた仕掛けにほかなりません。
これほどの知的な、二重の意味構造を持ったセリフが数百年前に練り上げられていたのです。作者の意図は ぬえは本当には理解していないのかも知れませんが、ぬえが正しいとしたら、この作者はとんでもない才能を持ってこの戯曲を書いたのだと言うことができるのではないかと考えさせるのです。