でも ぬえにとってニフティの会議室が最もありがたかったのは、なんと言ってもここでできた友人たちが、いろんな意味で ぬえを支えてくれたことです。
自分が多少なりとも進歩しているのか。。じつは実演者はそれが実感としてなかなか掴みづらいのですよね。本当に愛情を込めてアドバイスしてくれる人というのは なかなか見つけるのが難しい。能楽師同士では遠慮もあるだろうし、お弟子さんは手放しで褒めてくださる。。なかなか損得ナシで評価をしてくれる友人を持つのは大変なことです。このニフティで、ぬえは はからずもそういう正直な評価をしてくれる友人たちに巡り逢うことができました。ダメならダメと言ってもらえるのは本当にありがたいことです。
そうして。。2001年になりますが、ぬえは初めて自分で主宰する「第一回 ぬえの会」を立ち上げることになりました。命名は、もちろんニフティの会議室の友人に育てて頂いてここまでようやく進んできた、という思いがあったからです。本名で師匠や先輩に学ぶことはもちろんなのですが、それと同等に ぬえは「ぬえ」としてネットの友人たちに育てて頂いた、と信じております。
そして、その「第一回」の「ぬえの会」で ぬえは『道成寺』を披かせて頂くことになりました。『道成寺』。。この時はとんでもなく大変な思いをして稽古を積みました。もう体重はどんどん落ちてゆくし、精神的にもかなり参りながらの稽古になってしまいましたです。
でも、その「ぬえの会」には、それこそ日本中。。と言っては大げさかもしれませんが、北は北海道から南は愛媛県、西は山口県から、ニフティの会議室の友人たち、それから書き込みこそしないけれども会議室を愛読しておられる方々が、うち揃ってご来場頂きました。これはありがたいことでしたね~。
そのうえ「お祝い」まで頂いてしまって。。これは後年、能面「十六」を買う際に、その代金の一部として ありがたく使わせて頂きました。さらにまた何年か後に、ぬえは『朝長』を勤めさせて頂く機会がありまして、この「十六」はこのときに初めて舞台で使いました。「第一回 ぬえの会」から数年後に、ぬえの『道成寺』はようやくこの『朝長』で完結したような気がします。
そういえば、この「第一回 ぬえの会」が終わってから、今度は ぬえが日本中を。。といっても福岡~山口~岡山~広島~京都でしたが、『道成寺』のビデオを片手にこれら会議室の友人たちを訪ねて廻ってご来場のお礼を申し上げました。ああ、忘れもしない。山口市の湯田温泉に泊まって、その近くの友人たちが集まってくれて、ぬえはお礼を言い、みんなは宴会を開いてくれて。その深夜、温泉に一人でつかっているとき。。ふと大きな磨りガラスの窓を見上げると、そこにヤモリが歩いていました。これを見た ぬえはなぜか。。ああ、生還したなあ。。と本気で思ったのでした。今は。。あの『道成寺』のテンションがその後の舞台に再現できないことに焦りを感じておりますが。。
ともあれ、パソコン通信というのは、ぬえにとって最高なタイミングで出会ったツールだったと思います。今のインターネットの掲示板ともブログとも違う。ミクシイなどとも、ちょっと違いを感じます。現在はミクシイなどに限らずいろいろなところに書き込みができますから、当時のパソコン通信のような密度の濃さは もう期待できないのかもしれません。
それほど、ある意味では一時期とはいえこの国の文化の一端を、ニフティは担っていた、と思います。大げさですかね?? ですから、インターネットの普及につれてニフティが一方的に会議室を縮小~閉鎖~サービス終了としてしまったのは ぬえにはショックでした。もうその頃にはすでに会員も自分のサイトを持ったり、2ちゃんねるが台頭したりと、会議室自体の発言数も減少していたので、サービス終了は時間の問題という予感はありましたのですが。。
それでも、当時から ぬえにはインターネットの広野はあまりに広大すぎてしまって。2~3年でしょうか、まったく書き込みをしない時期がありました。当時まだブログは一般的ではなく、書き込みをすべき場所が見つからなかったのも理由ですし、また自分のサイトを作る技術も、運営する自信もありませんでしたし。。
その後、両さん(←やはりニフティの会議室時代からの友人で、アクティブ同士でご結婚もされました!)の勧めもあって、ようやく3年前からこのブログの書き込みを始めた。。というようなワケです。なんだか長い道のりをたどって来たものだなあ、ぬえ。
そうこうしているうちに今年もとうとう大晦日になりました。今年一年のご愛読に感謝申し上げ、また来る年が皆さまにとりましてより良い年でありますように、祈念致しております。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます~~Y(^^)ピース!
(了)
自分が多少なりとも進歩しているのか。。じつは実演者はそれが実感としてなかなか掴みづらいのですよね。本当に愛情を込めてアドバイスしてくれる人というのは なかなか見つけるのが難しい。能楽師同士では遠慮もあるだろうし、お弟子さんは手放しで褒めてくださる。。なかなか損得ナシで評価をしてくれる友人を持つのは大変なことです。このニフティで、ぬえは はからずもそういう正直な評価をしてくれる友人たちに巡り逢うことができました。ダメならダメと言ってもらえるのは本当にありがたいことです。
そうして。。2001年になりますが、ぬえは初めて自分で主宰する「第一回 ぬえの会」を立ち上げることになりました。命名は、もちろんニフティの会議室の友人に育てて頂いてここまでようやく進んできた、という思いがあったからです。本名で師匠や先輩に学ぶことはもちろんなのですが、それと同等に ぬえは「ぬえ」としてネットの友人たちに育てて頂いた、と信じております。
そして、その「第一回」の「ぬえの会」で ぬえは『道成寺』を披かせて頂くことになりました。『道成寺』。。この時はとんでもなく大変な思いをして稽古を積みました。もう体重はどんどん落ちてゆくし、精神的にもかなり参りながらの稽古になってしまいましたです。
でも、その「ぬえの会」には、それこそ日本中。。と言っては大げさかもしれませんが、北は北海道から南は愛媛県、西は山口県から、ニフティの会議室の友人たち、それから書き込みこそしないけれども会議室を愛読しておられる方々が、うち揃ってご来場頂きました。これはありがたいことでしたね~。
そのうえ「お祝い」まで頂いてしまって。。これは後年、能面「十六」を買う際に、その代金の一部として ありがたく使わせて頂きました。さらにまた何年か後に、ぬえは『朝長』を勤めさせて頂く機会がありまして、この「十六」はこのときに初めて舞台で使いました。「第一回 ぬえの会」から数年後に、ぬえの『道成寺』はようやくこの『朝長』で完結したような気がします。
そういえば、この「第一回 ぬえの会」が終わってから、今度は ぬえが日本中を。。といっても福岡~山口~岡山~広島~京都でしたが、『道成寺』のビデオを片手にこれら会議室の友人たちを訪ねて廻ってご来場のお礼を申し上げました。ああ、忘れもしない。山口市の湯田温泉に泊まって、その近くの友人たちが集まってくれて、ぬえはお礼を言い、みんなは宴会を開いてくれて。その深夜、温泉に一人でつかっているとき。。ふと大きな磨りガラスの窓を見上げると、そこにヤモリが歩いていました。これを見た ぬえはなぜか。。ああ、生還したなあ。。と本気で思ったのでした。今は。。あの『道成寺』のテンションがその後の舞台に再現できないことに焦りを感じておりますが。。
ともあれ、パソコン通信というのは、ぬえにとって最高なタイミングで出会ったツールだったと思います。今のインターネットの掲示板ともブログとも違う。ミクシイなどとも、ちょっと違いを感じます。現在はミクシイなどに限らずいろいろなところに書き込みができますから、当時のパソコン通信のような密度の濃さは もう期待できないのかもしれません。
それほど、ある意味では一時期とはいえこの国の文化の一端を、ニフティは担っていた、と思います。大げさですかね?? ですから、インターネットの普及につれてニフティが一方的に会議室を縮小~閉鎖~サービス終了としてしまったのは ぬえにはショックでした。もうその頃にはすでに会員も自分のサイトを持ったり、2ちゃんねるが台頭したりと、会議室自体の発言数も減少していたので、サービス終了は時間の問題という予感はありましたのですが。。
それでも、当時から ぬえにはインターネットの広野はあまりに広大すぎてしまって。2~3年でしょうか、まったく書き込みをしない時期がありました。当時まだブログは一般的ではなく、書き込みをすべき場所が見つからなかったのも理由ですし、また自分のサイトを作る技術も、運営する自信もありませんでしたし。。
その後、両さん(←やはりニフティの会議室時代からの友人で、アクティブ同士でご結婚もされました!)の勧めもあって、ようやく3年前からこのブログの書き込みを始めた。。というようなワケです。なんだか長い道のりをたどって来たものだなあ、ぬえ。
そうこうしているうちに今年もとうとう大晦日になりました。今年一年のご愛読に感謝申し上げ、また来る年が皆さまにとりましてより良い年でありますように、祈念致しております。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます~~Y(^^)ピース!
(了)