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平安時代の熊本(3)

2023-06-30 17:07:45 | 歴史
 平安時代の熊本の3回目。平安中期の「三十六歌仙」の一人であり、肥後国司を務めた清原元輔(清少納言の父)と、世阿弥の能「檜垣」のモデルでもある檜垣媼。交流があったとも伝えられるこの二人は歌人としての足跡を残している。

 清原元輔の歌として肥後に関係があるものは、

      藤崎の軒の巌に生ふる松いま幾千代の子の日過ぐさむ


藤崎八旛宮(熊本市中央区井川淵町)境内の清原元輔歌碑

   音にきく鼓の瀧を打ち見ればたゞ山川の鳴るにぞありける


鼓ヶ瀧(熊本市西区河内町野出)

前者は藤崎八旛宮――今の藤崎台上――で、新春の子ノ日の遊びに、小松曳きを催して詠んだ歌である。後者は金峯山中、巌殿山――俗称「岩戸の観音」――のうしろの谷なる鼓ヶ瀧――を詠んだもので、まことに巧妙な歌であるが、これは元輔の作ではなく檜垣の作であるということにもなっており、その他異説もある。檜垣の「岩戸観音」信仰は有名なもので、彼の山中にいろいろ伝説も残っているし、また天明年中に発見せられた「檜垣自作の像」というのも国文学者の間には名高く、現に寺宝となっている。


岩戸観音(熊本市西区松尾町平山)

檜垣は毎日、国府のほとりから、この岩戸の観音へ日参していたと伝えられている。彼女は府中長谷山のほとりにも住んでいたことがあるが、その主なる住居は白川のほとり――今の蓮台寺――であったと信ぜられ、同寺境内には今なお檜垣が水を汲んだ井戸というのが残っている。なお同寺に檜垣の塔および同女の木造も祀られている。


白川の流れ。檜垣はこのほとりに草庵を結び、今日の蓮台寺(熊本市西区蓮台寺)の前身となった。


檜垣が毎日、閼伽の水を汲んだと伝えられる井戸の跡

 同女の歌として有名なものは、

  年ふればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな

  糸島をかけて飛ぶ鳥まてや鳥尾にも羽根にもこと伝へせむ

  身をうしと思ふ心に懲りねばや人をあはれと思ひそむらむ

なお横手町下北岡には、清原元輔を祀った「清原神社」という小さな石祠がある。いつの頃から奉祀せられたものか不明であるが――それほど古くからあるというが――珍しいことである。


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