徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

女性能楽師のはなし。

2017-02-15 15:08:36 | 音楽芸能
 先日の「ホワイエ薪能」の番組の中で、観世流仕舞「松風」が女性能楽師たちによって演じられた。仕舞が菊本澄代、地謡に今村宮子、長宗敦子、菊本美貴、多久島法子という面々。熊本は、金春流と喜多流が細川家の御流儀だった歴史があり、今日でも観世流を見る機会は少ない。そんな中で菊本澄代さんはいろんなイベントでお見かけし、活躍されている印象がある。今回の「松風」も朗々とした謡が耳に残った。「構えの観世、運びの喜多」とはシテ方喜多流の人間国宝・友枝昭世師の言葉だが、まだ素人の僕には舞の違いはよくわからない。機会があれば、シテとしての能を拝見したいものだ。
 女性能楽師がシテを務めた能を見たのは、2014年の熊本城薪能において、喜多流初の女性能楽師である大島衣恵さんがシテを務めた「枕慈童」の一回きりである。今回の「ホワイエ薪能」では大島さんが休演となり残念だった。
 女性能楽師と言えば、僕の愛読書「近江山河抄」など多くの随筆の著者であり、女性能楽師の先駆者でもある白洲正子を忘れるわけにはいかない。4歳の時、靖国神社の能舞台、松明の灯りで観た「猩々」に魅入られ、観世流 二世梅若実に弟子入りし、14歳で舞台に立った。女人禁制だった能舞台に立ったことで、奇異の目で見られたこともあったようだが、能楽師としての技量は高く評価されていたらしい。50歳を超えて免許皆伝となるや、女性にお能は無理だときっぱりと諦めた潔さでも知られている。「能」を知り尽くし、好きでたまらなかっただけに妥協できなかったのだろう。
 女性が能楽師として認められ、能楽協会に入会できたのは、戦後の昭和23(1948)年のことだそうである。能を大成させた観阿弥・世阿弥の時代から数えても600年もの間、男性だけで連綿と演じ続けられてきた能楽の舞台に、女性が堂々と上がれるようになったことは、考えてみれば凄いことだ。一方、400年前に、出雲阿国という女性芸能者のかぶき踊りから始まったといわれる歌舞伎は、その20数年後には女性が舞台からシャットアウトされ、いまだに女性は歌舞伎の舞台に上がることはできない。この能と歌舞伎という日本の代表的な伝統芸能における女性に対する考えの違いは何なのだろうか。


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