徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

おはら節 と いも焼酎

2015-05-11 13:37:26 | 音楽芸能
 今から47、8年ほども前の話だが、仕事で南九州を車で巡る旅をした。水俣から霧島の方に山道を進むと、大口を過ぎたあたり、川内川沿いに菱刈温泉という小さな温泉場があった。日も暮れてきたので、その日は温泉場の古い旅館に泊まることにした。夕食も終わり、温泉で疲れを癒した後、さて就寝しようとしたのだが、どこかの部屋で行われている宴会の歌声や手拍子、そして小さな旅館内に、燗したいも焼酎の匂いが充満してとても眠れる状態ではなかった。実は後年、僕もいも焼酎を好んで飲むようになるのだが、その頃は「熊本の男は酒(日本酒)!」みたいな教育を受けていたので、焼酎は一切口にしたことがなく、燗した焼酎の匂いが当時の僕にはキツかった。やがて宴会の席では「おはら節」を唄い始め、座はますます盛り上がっているようだった。そのうち酔っぱらった女中さんらが入れ代わり立ち代わり僕の部屋に転がり込んできたりして、とても寝ていられる状態ではなくなってきた。やむなく何度も温泉に退避するしかなかった。こうして菱刈温泉の夜は更けていった。

 ところで、「おはら節」はお座敷のさわぎ唄として流布したが、その由来は諸説あるようだ。関ヶ原前夜の慶長4年(1599)、島津氏領の日向安久(やっさ:現在の宮崎県都城市安久町)の侍が琉球に攻め入った時、陣中で唄い始めた「ヤッサ節」が、鹿児島の伊敷村原良(はらら)に伝わって「原良節」になり、さらに、上に小の字を加えて「小原良節」になったとの説が有力な一つの説のようだ。薩摩文化の影響を受けていた天草の牛深にも「牛深おはら(神輿かつぎ唄)」として伝わっている。
 しかし、「おはら節」が全国的に知られたのは昭和8年頃、鹿児島種子島出身の芸者歌手新橋喜代三の唄で制作された「鹿児島おはら節」のレコードが世に出てからである。また、その4年前、開局間もない九州初の熊本放送局(今のNHK熊本放送局)の特別番組で九州各県の民謡が紹介された時には、喜代三も出演し、「おはら節」を含む鹿児島民謡を全国に紹介している。
 彼女に一目惚れした作曲家の中山晋平(後に結婚)らの力もあって、一躍大スターとなった喜代三は後に映画にも出演、山中貞雄監督の名作「丹下左膳余話 百万両の壺」などが有名である。
※右の写真は「丹下左膳余話 百万両の壺」に出演した時の喜代三



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