のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

箸供養

2016年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 11月11日午前11時11分から始まる箸供養。予報では10時前後に雨が上がるはずだったのですが、結局一日降り続いてました。

 日ごろ使っているはしに感謝をしようと飲食店や旅館が割りばしをためて、この日に供養しています。

 近所の幼稚園の子供たちも参加するので餅つきもやっていましたが、今年は雨なので餅つきをやめてけんちん汁を振る舞いました。

 修験道の法院様が祈祷をするのにヒノキの葉っぱを軽トラに一つ採ってきました。ヒノキの林も荒れたままが多いのでちょうどよい枝払いです。

 もともとこの付近はヒノキに向かない土地なのか?私が幼少の頃はあまりヒノキ林もなく、苗木も過ぎよりははるかに高かったのでヒノキを植林した林もあまり見かけませんでした。昭和40年代後半ごろになると帆の木の苗木も入手しやすくなったようで、休耕田にヒノキを植える農家が増えましたが、結果的にそれが育つと畑を日陰にしてしまい、切って売るにも市場価格が下落。需要の多いサイズを通り越して育ってしまったためにさらに売りにくくなる負のスパイラルに陥ってます。

 まだヒノキが少なかった子供の頃はこうしたゴマ炊きに杉の葉っぱを代用していたこともありました。

 割りばしも多くは杉の端材で、製材所から出るバタと呼ばれる端材で割りばしを作っている家もありましたが、現在の割りばしのほとんどは中国やベトナムからの輸入物です。

 祈祷が終わり、火が落ち着いてきたら使用済みの割りばしをゴマの中に放り込みます。

 幼稚園児も参加します。

 ネットニュースを見たら歌手のりりィさんが肺がんで亡くなったそうです。64歳。

 「私は泣いてます」がヒットした頃はぶっとんだねえちゃんでした。今でこそハーフタレント全盛ですが、あの時代は「混血」と言えばどこか影があって素直に生きられないような窮屈さを漂わせていました。当時はまだロックと言うジャンルが表に出て来るような時代ではなかったので、フォークに分類されていましたが、アングラ的で退廃的で70年代J-ブルーズって感じでしたね。浅川マキも死んじゃったんだっけかな?

 ロックではUSAでスージー・クワトロと言うねえちゃんがベース引きながら出てきて、女性でもロックと騒がれましたが、それより先にりりィはベース引きながら歌っていました。若い人にはわからないLPと言うレコードで「たまねぎ」「ダルシマ」「たえこ」の初期の3枚を持っています。実は隠れファンでした。

 あの時代のアングラ系は不摂生な生活がたたって早死にする人が多いみたいですね。

 りりィが金八先生に女優として出てきた時には若かりし頃の姿を知っていただけに驚きましたが、上戸彩の母親役でいい演技してました。この少し前に復活してライブをやったので見に行ったことがあります。余計なツッパリ感が抜けて、こういうのが大人の雰囲気なんだなと発見しました。

 カルメン・マキなんか今でもカルメン・マキのままオトナにならずに突っ走っているからこれも大したもんです。

 力も気も抜けた日々を送っているにといたしましてはうらやましい限りです。

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