のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

修辞学

2022年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 夢の中で雪かきをしていたら、目が覚めてから疲労感と筋肉の張りを感じました。夢の中で過酷な肉体労働をしても、日当は出ない。

 昨夜、「鬼滅の刃・遊郭編」の最終回を見に行ってきましたが、感動の最終回でしたね。鬼にもそれぞれ事情がある。ええ話でおました。

 もっと感動したのはテレビの持ち主の賢ちゃんが宇随天元さんの日輪刀フィギュアを予約したそうで、煉獄さんの刀も5月頃には納入されるので、中々素晴らしいコレクションになる。宇随さんの刀は2本なのでお値段もお高いみたいですが、還暦とは言え一生懸命働いているから買えるのですね。

 鬼滅グッズをコレクションしているのと、裏ビデオをコレクションしていた時代。どちらが健全かわかりませんが、テレビがもたらす経済効果の断末魔かも知れません。

 実は私も昨年末に煉獄さんのマントをネット注文したのですが、なんか、押し間違えたみたいで胡蝶しのぶさんのマントが来てしまいました。女性もののマントを着て村を歩いていたら変な人と思われてしまうので、世を忍び家の中でつけてブログの書き込みしてます。やっぱ、煉獄さんのマントを買おう。

 説教というわけではないのですが、学生バイトに「修辞学」について説きました。お堅く言うとこうなりますが、簡単に言えば「ものの言い回し」ですね。

 スキー場のおじさん達、田舎の人ですから独特の言い回しで理解できないことも少なくない。同様に、彼ら若者の言い回しも世間一般には稚拙すぎて使えない語り口が多い。こうした齟齬が軋轢になることも多々あるので、限定的な社会生活だけど、こういうことを学ぶ機会になるよ。と教えました。

 やはりこう言うときには煉獄さんのマントを着ているともっと説得力があったかも知れない。

 人を「自由」に押し上げるリベラルアーツに、なぜ、レトリック(修辞学)が入っているのか?なんてことを説明しましたが、果たして何処まで理解できたことか?

 ホームワークで対面授業が少ないこともあって、人と接する学び方の機会が少ない。座学は座学でしかない。疫病のもたらす弊害の一つですが、案外大きいかも知れない。

 曾根崎では病院に火を放った事件、埼玉では猟銃立てこもり事件などがこの冬にありましたが、どちらも人と接することに難を持った人達が犯人でした。

 おもえば、世界できな臭い動きを見せている国も閉ざされた世界の人達の国。己が姿が見えていない。

 八咫鏡、草薙剣、勾玉が三種の神器の日本。知性を象徴する八咫鏡は己が姿を写す鏡。

 鏡に映る自分を見て得た知性。やっぱり、煉獄さんのマントが欲しい。

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