のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

スマホ依存症

2022年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 現代の若者がスマホをなくしたら?

 人生はほぼ終わるかも知れない。

 まず、友人縁故知人の住所や電話番号がわからなくなり、今まで過ごしてきた映像や写真も消え、クラウドに預けてある知識も引き出せなくなる。当然わからないことをググる検索もできなくなるから、もとより空っぽの頭はなんの記録もなくなっている。やがて家族も家の住所も自分の名前も忘れ、中有に迷うこと七回目の七日の日、つまり、四十九日で生きながら冥土へと入ってしまう。

 なんか小説のネタになりそうだが、この世とあの世の構図がここに現れているのかも知れない。

 成仏とは何か?

 拙著「猫と座敷童」では仏壇=パソコン、位牌=スマホ。と仮定して、日本人はコンピューター時代が来る遙か前から仏壇と位牌に問いかけて答えをいただいていたと座敷童目線で語っていますが、コンピュータというのはある意味人間の知的能力を形にしたようなもの。

 CPUの演算速度は頭の回転の速さ。メモリーはいくつのことを同時にこなせるか?多角的な判断能力。ハードディスクやクラウドは知識の保有量。と、例えると、人の能力も数値化できるのかな?

 嫌な性格だなぁと思いつつもスキー場のバイトの大学生眺めながら、こいつは一つのことしかできないからメモリー不足、とか、スマホでググらないと会話が成り立たないからディスクの容量不足。こんな簡単のことも考えられないのか?とCPUの演算速度を疑いつつ、冷ややかに眺めてます。

 スマホで意味のわからない言葉を検索しながら会話している学生はまだまともな方で、そこにさえ気がつかず何を話しているのかもわからない子供並みのコモンセンスの学生も結構おります。ラインやって写真眺めて動画見ているだけ。さすがにこういうレベルの学生は社会に必要なかろうから、私学助成金を国庫に返せ!と言いたくなる。

 「腑に落ちる」って意外と重要なことで、その時は意味がわからなかったけど、心や記憶にとどめておくと何かのきっかけで意味やその周辺が理解できる時がある。ただ単に嬉しいだけですが、これって意外と人生で重要な思いがします。

 スマホに預けてそこで記憶から吹き飛んでしまうと、「腑に落ちる」事は無い。その時わかったような気になるだけ。

 そう言えば、カーナビ使うと便利だけど、道を憶えなくなったな。しかも、カーナビの案内って目的地に近づいてここが一番重要ってところで「案内を終了します」が多いので、ここまで連れてきて見放すのか!と、愕然とすることがある。

 便利な道具なのか?退化の改新にならなきゃいいけど。

コメント
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