日韓のみならず日中も怪しい雰囲気になってきましたが、元々言葉も民族性も異なる人々なんですから。お互いの「常識」も違う。変に相容れようとしてきたから今日に至ってその安っぽい妥協が問題を大きくしているようにも思えます。
異なることは異なるとはっきり主張すべきでしょう。違うことがわかってからスタートすることも多いのです。
「一日千秋」は「詩経」に出てくる言葉ですが、中国では「一日三秋」と言います。日本に来て一日千秋なってしまった言葉です。
三国志で有名な漢の劉邦が軍師諸葛孔明を迎え入れるにあたって、諸葛孔明の庵を三回訪ねて承諾を得たことから、お願いして頭を下げてでも来てもらうことを「三顧之礼」と呼びますが、中国では「三顧草慮」と表現します。
「料理」は中国語では世話をするとか処理するという意味合いです。日本の料理に相当する言葉は「菜」と表現します。「○○菜館」(あるいは飯館)などとレストランの名前に用いられていますが、日本料理なら「日本菜」と表記します。ホテルのレストランなどで「西式快餐」という看板を見かけますが、「快餐」は「菜館」より軽い食堂の意味です。「西式快餐」といえば「麥當勞」・マクドナルド、「肯徳基家郷鶏」・ケンタッキー・フライド・チキンが有名です。文字を見ると奇妙な食べ物ですが、「方便面」・インスタントラーメン、「多士」・トースト、「三文治」・サンドウィッチです。
日本語の「言う」は「説」や「講」ですが「告訴」という表現も使います。日本人が「告訴」などというとよほど意を決した場合ですが、中国人にすれば「主張する」程度のニュアンスでしょう。
職業「女護士」とかかれると「女弁護士」かと思えてしまいますが、看護婦さんのことです。「薬剤師」は「調薬師」なので、中国のほうが的を得ている気がします。
中国に入国する時最初に出会う異なる表現が「護照」(「護」は簡体字で書かれる)でこれはパスポートのことです。菜館に行くと箸は「筷子」になっていますし、茶碗は「飯碗」です。店主は若くても「老板」です。
似たような文化でもこれだけ違います。