魚沼の散歩道

魚沼での、無農薬での野菜作りと四季の変化を徒然にお知らせします。

子供の日は餅つき

2008-05-05 21:52:13 | 手作り(米粉パン、ケーキ、その他)
今日は、子供の日でした。
天気予報では、雨が降る予報だったので、畑にお湿りが欲しいので、期待していたのですが、降りませんでした。
夜になり、あきらめたら、突然の大雨でした。
明日は、野菜の苗を畑に植えたいと思っています。

お正月に使ったもち米がまだ、残っています。
それで、旦那さまが、餅でも搗こうといいますので、ちょっと面倒かな?と思ったのですが、搗く事にしました。

もち米を洗い、水につけておこうと米を取り出して見るとちょっと変です。
お米の色が白くありません。玄米のままでした。
田んぼから帰ってきた旦那さまに、米搗きに行ってもらいました。

ヨモギ餅にするために数日前にヨモギを摘んで茹でました。
包丁で刻んで、すり鉢で擂り細かくします。
白い餅とヨモギ餅と両方作りました。
白い餅を搗いて、半分取り出し、それからヨモギを入れてしばらく搗きました。
小豆餡、大根下ろし、胡桃味噌、すりゴマのしょう油味、きな粉を付けて食べました。

白い餅だけでお腹がいっぱいになったので、ヨモギは伸し餅にしました。
旦那さま、伸し棒で伸ばしていて、何を勘違いしたのか、伸し棒に餅を撒きつけて伸ばし過ぎました。
薄い餅になり、薄いので、私がキッチンバサミで餅切りしました。

ミミも食べたそうにしています。

サラダ野菜、初摘み。

2008-05-04 23:28:30 | レタスなどのサラダ菜類
このところ、毎日忙しい。
5月になった途端に、真夏になってしまいました。
小布施に行った時は、まだ、山も芽吹いたばかりだったのに、この暑さで、あっという間にもう、新緑の青々とした山になり、残雪の白と目に鮮やかな緑の山とのコントラストがとても美しい季節になりました。
でも、高い山は、雪がまだまだいっぱいです。
急に暑くなったので、家の中の模様替えをしたり、夏物を出して、お天気もいいので、洗濯機を4回も廻したり、、干したりしまったりして、冬物を片付けたりしています。
おまけに、山菜採りに行って、それを洗ったり、料理したり。
畑のことをしたりで、ちょっと、暑さと両方で、バテ気味です。

そうそう、ミミも毛皮が暑そうなので、毛をカットしてやったりして、さっぱりしました。
まったく、毛を刈るとまた違った犬になってしまいます。

さっぱりしてうれしかったのか?歯を出して笑ったような顔をしていました。

そんなこんなで、ブログも更新、毎日出来ないのです。
みなさんの所にも、お邪魔できていません。すみませーん。

睡魔に勝てません。 
前置きが長くなりました。

今年、種をまいた野菜の初収穫をしました。
ハウスの中の畑に、間引いて植えたサラダ菜セットが摘めるぐらいになったので、昨日、手巻き寿しに使うために、摘みました。
余り大きくしないで、これからは、摘んでは食べようと思っています
 畑で育った様子。

 まだ、プランターにこんなに残っています。近所の方にも、分けて上げたのですが、とにかく、多量に芽吹いたので、これも、畑に植えようと思っています。

小さいほうが、いろいろ便利です。切る手間が要らないからです。大きさも一口大で食べやすいです。柔らかくて美味しかったです。
種まきから、収穫までの記事をまとめてみました。
クリックして、見てください。

種まき、3,23
芽吹き3,30

植え替え 4,7

初めて植えたので、これが、早いのか遅いのかは分かりません?
大きくしないで、食べるのも良い物です。


北斎と小布施

2008-05-02 22:37:46 | お出かけ
晩年の北斎のようです。北斎館の前に立っていました。

小布施(おぶせ)は、以前から、行って見たい町でした。
あの有名な葛飾北斎の「北斎館」に行って見たいのと、栗の美味しいお菓子を作る町を見たかったからです。
まだ、若かりし頃、スキーに長野に来ると、小布施の栗羊羹や、栗100パーセントの栗きんとんや栗かのこなどがお土産として、売っていました。
栗かのこは、よく買いました。あまり甘くない上品な甘さとこうばしさが好きです。
行ってみて驚きました。


北斎館の周りは、しっかり観光化されていました。
北斎館を中心に、老舗の和菓子屋が、何軒も昔の風情で建っています。
しゃれた町並みです。
私が抱いていたイメージは、北斎館がポツンと建っている寂れた町並みを想像していました。
でも、違いました。きれいで洒落ていました。観光客も沢山いました。

まず、北斎館をゆっくり見て、その後、高井鴻山記念館、おぶせミュージアムを見て周りました。
三館セットで、千円のチケットを買いました。
子供たちは、無料でした。
小布施と北斎の縁が今回、北斎館で分かりました。
晩年、何度も弟子(高井鴻山)に招待されて、小布施に逗留しています。
屋台の天井に絵を描いたりしています。
90歳の長生きだったのですが、「後10年生きたかった」と亡くなる時、悔しがったそうです。
晩年になっても、創作意欲は衰えることがなかったそうです。
若い頃は浮世絵を描いていますが、晩年は肉筆で描いたようです。
老人パワーが凄いと思いました。
現代の後期高齢者医療のことを知ったなら、怒り心頭だったのではないかと思います。
北斎の絵に対する、執念の凄さを感じました。
江戸から、80歳を越した北斎が長野の小布施まで、歩いてきたのでしょうか?
それだけでも、すごいなーと思います。
エネルギッシュな人だなーと絵も人物にも、感嘆しました。