魚沼の散歩道

魚沼での、無農薬での野菜作りと四季の変化を徒然にお知らせします。

魚沼の朱鷺のその後

2009-01-31 20:20:44 | 野生の動植物(朱鷺、)
今日は、雨。雨で随分雪が減りました。
夕方から、雪の予報ですがまだ降っていません。
昨日、旦那様が魚沼の朱鷺を初めて観たそうです。
車の中からですが、木に止まっていたそうです。
近くには、環境庁の方たちが、観察されていたそうです。
3日ほど前にも、TVで放映されていました。
人家の近くを飛んでいたり、電線に止まったりの様子が映っていました。
すっかりその場所が気に入ったようです。
餌場も近くにあるそうです。
朱鷺は、小魚などは、食べず、ドジョウなどの泥の中の生き物を食べるようです。
できれな、オスの朱鷺も放鳥してもらって、ツガイになり、雛の誕生などと夢が広がります。
でも、佐渡の人たちは、佐渡に連れて帰って欲しいようです。
でも、鳥インフルエンザなどのことを考えれば、いろいろな所で暮らせるほうがいいような気がします。
朱鷺に任せておくのがいいような気がします。
お天気がよければ、また、観察に出かけたいと思っていましたが、お天気が悪いので、中止しました。残念。
お天気がいいとき、また出かけてみたいと思っています。
場所は、秘密にします。
静かに、過ごさせたいようなので。

打ち豆

2009-01-30 10:10:15 | 枝豆、落花生、空豆、その他の豆類
今日は、曇り一時雨。こんなには、水は凍らない。

先日、スベルベさんが打ち豆を作られていました。
我が家も作ってみました。
豆は、「匂い早生」と言う大豆です。
毎年、姑が自家採取してきた豆です。
秋に取れる豆で実が大きく、香りがとてもよく美味しい大豆です。

生の大豆を熱いお湯に五分ぐらい漬けて、ふやかして、ザルに開けて、半日ぐらい乾燥させます。
それを木槌で叩いて潰していきます。
あまり、強く叩くと、実がばらばらになるようです。
我が家は、石臼の上で叩きました。
旦那様にしていただきました。
その後、まだ乾燥させます。
味噌汁に入れたり、煮物に入れたりします。
旦那様が言いました。
「何で、こんな物を作るようになったのだろう?」
私は、「打ち豆にすると、大豆がすぐに煮えるし、丸のままより消化にもいいからじゃないの」
と答えておきました。
そんなこと、私に聞くことではないのではと内心思いました。
だって、私は、愛媛生まれだし、打ち豆なんて魚沼に来るまで知らなかったのですから。
反対に旦那様に聞き返したいぐらいのものですから。
でも、打ち豆は、先人の知恵だと思います。
大豆は、畑の肉と言われるぐらい良質の植物性のたんぱく質です。
でも、加工しないと、消化には、よくありません。
豆腐や黄な粉などになると消化がよくなります。
でも、この打ち豆だと、潰しているので、随分消化にもいいし、味もすぐしみます。
手軽に大豆を使えるようになります。
新潟だけでなく、全国的に広まれば、大豆の消費も伸びるし、肉を食べるより健康にもいいですよ。

寒い朝 

2009-01-29 20:36:50 | 自然の変化、お天気


昨日、今日も晴れました。
今まで、日の出前が一番気温が下がって、太陽が出ると、気温は上がると思っていました。
でも、家の前の畑の水は、太陽が昇ってから、凍ってきます。
昨日の気温を調べてみると、午前九時頃に一番気温が下がっていました。
今日も日の出の後で氷が張ってきました。
今日は、空気中の水分が凍るダイヤモンドダストできらきらと光っていました。
庭木も樹氷になっていました。
八時に小出は、-6,5度だったようです。
昨日よりも冷えたようです。
雪が降らないで晴れる朝は寒い日が続きます。

雪中キャベツ

2009-01-28 20:49:07 | キャベツ、白菜、ブロッコリー
秋に収穫し、蔵の棚に新聞紙に包んで保存していたキャベツも萎びてきました。
雪もほどほどにあるので、一週間ほど前に、雪の中にキャベツを埋めておきました。そろそろ、活き活きしたのではと掘り出しました。



先日も、テレビで観たのですが、北海道では、凍らないように、直接には雪に埋めないようです。
でも、ここ魚沼では、北海道ほど、気温が下がらないのか、直接雪の中に埋めても凍らないようです。
それとも、水分の差か?
毎年、私は、直接雪の中に野菜を埋めておきます。
今年は、大根は、雪下に埋めましたが、やっぱり掘り出すのが大変です。
来年は、秋に畑から掘り出して、保存して、雪が降ったら、雪の中に埋めることにします。
キャベツは、掘り出して、上の葉を取り除くと、こんなにしゃきりしていました。
使う分だけ取り出します。
キャベツは、新鮮で甘くなります。

冬のコンポストと酵母液

2009-01-27 13:57:18 | 台所発酵酵母液肥の作り方、利用法

昨年の冬から、コンポストを二つ使い、雪のある間は、生ゴミを入れ、堆肥作りをしています。
昨冬は、日陰に置いたのですが、今年は、場所を変えました。
日当たりがいい梨と柿の木の下にしました。
冬は、日当たりのいいほうが、発酵も進むと思ったし、コンポストに積もる雪も消えるのが速いと思ったからです。
寒くても、発酵しているので、蓋を開けて、手をかざすと温かいです。
雪が積もっても、発酵熱でか、雪も消えます。
昨年は、コンポストの上に雪避けをつけましたが、今年はそのままです。

秋に、集めた枯れ葉を下に入れました。
酵母液を何度も掛けたり、米糠や鶏糞、油粕なども振り掛けました。
十二月の末頃になり、雪が畑に積もってからは、生ゴミを入れています。
ENボカシ用の生ゴミバケツに台所の野菜くずや残飯などを捨て、米糠を降りかけます。
バケツに生ゴミが一杯になったら、米のとぎ汁の酵母液に使う前の排液を、この生ゴミに掛けます。
しばらく置いてから、コンポストに、生ゴミを飽けます。
こうして、雪が消えるまで、コンポストに生ゴミを入れ続けます。
春になり、畑に野菜を植える前に、土の中に埋めます。
まだ、充分、堆肥化していないので、この堆肥を入れた場所の上には、すぐ野菜は植えません。
昨年は、三月に畑に埋めて、五月までそのままにしておいて、里芋を植えました。
里芋は、すくすくと育ちました。
今年は、別の場所に埋めようと思っています。
昨年、酵母液は、冬になる前に、畑に撒いて片付けて、春に、また作り直しました。
でも、今年は、捨てずに、樽にそのまま置いています。
生ゴミも入れたままです。
冬は、気温が低いので、発酵が穏やかに進みます。
毎日かき回さなくても、変な臭いもしません。
それで、春まで、そのままにしておくことにしました。
春には、酵母液と言うよりは、酵素液に変化していると思っています。
これを田んぼに使う米糠ボカシを発酵させるために使いたいと思っています。
菌が充分発酵しているので、畑にもすぐに使えます。
酵素液は、害虫対策にも使えます。
今年は、昨年より、元気で美味しい野菜を作りたいと思っています。

雪道のドライブ

2009-01-26 22:39:40 | 自然の変化、お天気
昨日、久しぶりのお天気になったので、朱鷺を捜しがてら、ドライブしてみました。
駒ケ岳、八海山もきれいでした。

お昼前に、三十分ほどですが、山のほうに親子で行ってみました。



道は除雪が上手なので、スムーズに走れます。

守門岳もすっきり見えました。
残念ながら、朱鷺は見当たりませんでした。
こんなに雪が積もっていると、餌も捜せないのでは?と心配になります。
でも、何処かに、いるのでは?と思います。
帰り道、橋を渡りかけて、まだ道が凍っていて、車がスリップして、橋の欄干にぶつかりそうになりました。
でも、旦那さまがハンドルを切り返して、無事でした。
子供たちも、ビックリしたようです。
死ぬかと思ったなんて言ってました。
私は死ぬとは思いませんでしたが、ぶつかるかな?と思いました。
やっぱり、雪道、特に橋の上などは、凍りやすいので、気をつけないといけないと改めて思いました。
スピードも結構出していました。
やっぱり減速して、走ったほうがいいようです。
対向車があれば、完全にぶつかっていましたが、幸運なことに、車は全然走っていませんでした。
三十分ほど、走って帰ってきました。

昨日の気温を調べてみましたが、やっぱり小出のAM5時で-10度になっていました。
最高気温で三度ぐらいなので、昨日は、一日中冷凍庫と冷蔵庫に入っているような気温だったようです。
今日も日中、雪は降りませんでしたが、寒い一日でした。
子供は、明日から通学できることになりました。

今年、一番の冷え込み。

2009-01-25 16:53:02 | 自然の変化、お天気
昨夜、星空なので、今朝は冷え込むだろうと思っていました。
何もかも、凍っていました。
-7度の時には、野菜など、凍りませんでした。
廊下に置いていた野菜たちが、凍っていました。
これは、きっとー10度以上になったのだと思います。
玄関の活花の水まで、薄い氷が張っていました。
家の横の水を入れた畑もほとんど凍って白くなっていました。
娘が大きな氷を掴んで見せてくれました。



中学生の娘が畑の氷の上を歩いていました。
氷は割れませんでした。
これを見て、私も歩いてみました。
だって、私の方が体重は少ないのですから。
歩けました。スケートを久しぶりにしたくなりました。
シミワタリをしてみましたが、これは駄目でした。
川沿いに何か動物の足跡を見つけました。
イタチか狸か?

雪の中に足がめり込んでしまいますが、でも埋まりながらも歩けました。


インフルエンザから考えたこと。

2009-01-24 14:38:51 | ご挨拶、その他
一週間ぶり?ぐらいでしょうか。
昨夕からの雨が雪になりました。
廿cmほど降ったでしょうか?

魚沼もインフルエンザが流行しているようです。
我が家の小学生の娘も罹ってしまいました。
三年ぶりです。
木曜日に発熱し、翌日には、解熱しました。
タミフルは、服用禁止になっていました。
でも、タミフルにも、耐性のできたインフルエンザ菌もいるようだし、
やっぱり、服用禁止になってよかったのではと思います。
娘たちの学年も、先生を含めて、昨日は八名が休んだそうです。
娘は、このままなら、月曜日からは、登校できるようになります。
でも、熱は下がりましたが、咳と鼻水などの症状があります。
あまり無理をさせないで、風邪の症状が軽快してから登校させたいと思っています。
魚沼は、雪が積もるので、冬は家の中の湿度は高いのです。
冬に我が家で活躍するのは、加湿器ではなく、除湿機です。
お風呂の脱衣所と台所で活躍しています。
除湿機を使っても、湿度は五十パーセント以下になりません。

この前、東京の病院で院内感染が拡がった記事がありました。
そこの湿度は十五パーセントだったそうです。
全館冷暖房はいいのですが、冬には乾燥します。
病院や学校などには、加湿器を置く様にすれば、
インフルエンザの流行も随分減るのではと思うのですが。
インフルエンザに使う医療費のことを思えば、
公共の建物の中の湿度を保つ設備を整えたほうが、医療費削減になると思うのは、私だけでしょうか?

今の国の医療費対策は、予防にはあまり力を入れていません。
医療費を削減するために、受信抑制することばかり考えて、受診料をどんどん上げています。
私は、以前のように、受診料は下げて、本人負担を少なくするべきだと思っています。
早期発見早期治療のほうが、重症化して、治療するよりもはるかに医療費はかかりません。
昨年から、健診にも、随分自己負担が重くなりました。
健診を受けない人も出てくると思います。
二十年ほど前から、医療費を削減するために病院潰しやベット数を減らす政策がとられてきました。
その政策がいき過ぎて、今のような医者不足、病院がどんどん潰れることになってしまったのです。
二兆円のお金があれば、国民の安心、安全のための医療の充実にあてればと思います。
公共の建物の加湿する設備にあててもらいたいと思います。
かってな独り言でした。

魚沼にも朱鷺がやってきた

2009-01-21 21:38:57 | 野生の動植物(朱鷺、)


今朝、我が家の庭木に止まっている雀たち。
雪の中でえさ探しも大変だと思います。
今日は、晴れ。
昨日は、前日の雨で、雪がザクザクになっていたが、今日は、水分を含んでガリガリに凍っていた。

朱鷺が放鳥された時、魚沼にも何年か経ったら、飛んできたらいいなーと思っていました。
しかし思いがけず、佐渡の一羽のメスがこちらにどんどん向かって来ていました。
でも、魚沼は雪が降り積もっています。
きっと来ないだろうなーと半分あきらめていました。
でも、十日町市で見た、魚沼市で見たなどの情報が流れていました。
昨日、確認されました。
魚沼市の川や池にいたそうです。
今日の新聞にも写真が載っていました。
写真を見て、やっぱり朱鷺は美しい鳥なのだなーと再認識しました。
このまま、山を越えて、福島県に飛んでいってしまうのでしょうか?
佐渡の仲間の所に帰ることはできないのでしょうか?
まだまだ、魚沼は、これからも雪が降ります。
ちょっと心配ですがうれしいニュースでした。
朱鷺が魚沼市に落ち着いてくれると、あの美しい鳥を本当に見られることになります。
元気に空を飛んで欲しいと思います。

母方の祖父母、伯父。

2009-01-19 10:12:04 | 思い出
今日は、昨日と打って変わって雨です。
こんな時期に雨が降るとは、やっぱり温暖化でしょうか?

この写真は、母の兄、実家の跡取りが軍隊に昭和十九年に入営する前に記念に撮影したようです。
祖父と母、叔父が一緒に写っています。
伯父は、幸いなことに無事に帰ってきました。
母の実家は、村の中では、その頃は裕福な家だったようです。
昔から住んでいたので親戚の家も沢山ありました。
どの親戚の家も私の実家より立派でした。
子供の頃、思ったものです。

我が家が親戚の中では、一番貧乏で家も狭いと。

子供の頃は、よく遊びに行き、従兄弟たちとも遊びました。
我が家には、小学校になる頃まで、お風呂がなく、お風呂に入れてもらうためにも出かけていました。
五右衛門風呂でした。
祖父は、何故かベットが好きで、その頃ベットで寝ていました。
祖父は、子供たちが煩くしていても、怒ることもなく、ベットで寝ころがってみていました。
実家の祖父のようには、背も高くなく、恐くもありませんでした。
よく昭和天皇と同じ歳だと言っていました。
この写真は、叔父の結婚式の時の写真です。
お嫁さんと母と叔母と祖母です。
昭和30年代です。

祖母は、口やかましくて、実家の祖母ほど好きではありませんでした。
姑につかえ、商売は忙しく、子供は十人もいれば、大変で口やかましくもなると母が言っていましたが、確かに大変だったと思います。
こちらの祖母も実家の祖母とは違った苦労をしています。

戦後すぐに最愛の娘を若くして亡くしましたが、どちらも長生きで、八十を越して亡くなりました。

祖父(母の父)は商才があり、戦前には、人も使っていたようです。
煮干などの製造をしていたようです。
戦前は、魚も沢山取れて、順調だったようですが、戦争が始まり船の燃料なども手にはいらなくなって、上手くいかなくなったようです。
戦後は、沖で大型船が魚を取る様になり、沿岸では、魚が取れなくなりました。
それでも私が小さい頃もまだ細々と続けていました。
イワシを茹でて、浜に干して、煮干にしたり、メジカを茹でて干して削り節にしたりして売っていました。
兄たちも忙しい時には手伝ったりしていました。
しかし、魚も取れなくなってきて、止めたようです。

この写真は、昭和二十五年ぐらいだと思います。
商売が上手くいかなくなったので、伯父がオーストラリアに出稼ぎに出かける前に記念に撮ったようです。
祖父と伯父の妻子とまだ結婚前の叔母と何故か?父が一緒に写っています。

その後伯父は私が子供の頃には、由良半島に船で通って郵便配達をしていましたが、臨時のままで正社員にはなれなかったようです。
その後は、伯父たちは、真珠養殖の母貝作りをしています。