のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.847

2016-07-16 00:22:12 | 新しい子猫たち 

香奈の家の猫たちにとって 香奈は飼い主と云う意識が強かった









コシロは 香奈を同志 友達とみていた節があったが ココとかチャでは飼い主だった









香奈は コシロの事もあって 猫は人間と同じ いやもっと知的な生き物としてみていた。コシロはまさしくそうだった。ココやチャたちの投資にもドーンと金を出したし、リトルチャたちがドーンと増やした資産も 猫たちの資産と見ていた。相談にはのったが あくまで猫たちが稼いだ金だった。リトルチャなどは使う時にはドーンと使うが香奈はなんにも言わなかった。猫たちが稼いで猫たちが使うのだと本気で思っていた。









ただ 猫には猫権も人権もないので 猫たちの資産とは出来ないので 法的な名義はあくまで香奈の資産、香奈の資産管理会社の資産であった









香奈が元気な間はそれでいいが 香奈も不死身ではない。









徹彦や瑠璃は 香奈の家の猫たちにとって 軽くみていた。コシロは瑠璃を長い間 認めなかった









今は タマミ は 瑠璃をお母さんとも思う程 慕っていたし 瑠璃も立派な猫好きと変っていた









世界を代表するハゲタカといわれた 瑠璃でさえ 軽く見ていた 香奈の家の猫たちにとっては









徹彦は単なる事務屋  日本の金融の黒幕と言われた 正人も事務屋としか思わなかった









リトルチャは 色々な交渉をした結果 正人はナカナカ食えん男 穏やかそうな風貌とは別に




色々な事を考えている男とは知っていた









ただ それ以外の香奈の家の人間は ジイサンやバアサンはそこそこでも トリワケ 若い奴らは取るに足らない人間としか見えなかった。あくまで 尺度の基準は香奈だった









ただ香奈が永遠に元気でない事はわかってきた。もう一つ 香奈の家の猫たちでも リトルチャ、チャタロウの世代 リトルホワイト リトルチャタロウたちの世代 そしてそれ以降の世代とを比較すると









専門的な知識はさておき 人間 いや 猫 として小さくなっている、専門馬鹿になりつつある傾向も判っていた。



リトルチャやチャタロウのようにごっそりと稼ぐ猫は出てくる事は期待できない。維持できるようにリトルチャとチャタロウは頑張ってはいるが、維持するだけの体制をつくるだけで精一杯との読みもあった。









猫たちとして香奈の家の人間の質 人間の大きさを高めないと 猫たちの資産すら狙われるかもしれない









猫たちも 香奈以降 香奈の家の人間たち とりわけ 若い世代の育成が重要と云う結論に達した









そしてその計画のキャップとして リトルチャタロウがあたる事になった。









リトルチャタロウが選んだのは 実はアイツだった。









色々と比較してみると 若い奴らの頭はみんなそこそこ良かった。香奈の家 神太朗系列は大学といえば 東大、 ナニ学部にするか悩む事はあって大学をどこにするかが話題すらならない家系であった。勝が工学では有名なある東大以外の大学にいったが 香奈の系列は全て東大に行っていた。









リトルチャタロウには 大学は関係なかった。人間としての大きさ 正義を愛し 不正義を憎む、理不尽さを憎む気持ちがもっとも人間としては大切な要素であると思っていた。









理不尽な事をそのままあっさりと現実的な前提として認めるような奴らはそもそも 人間としての資格すらないとの信念を持っていた。言葉遣いは時間をかけたら直せるが 根性はなかなか直らない。









リトルチャタロウ が 認めたのは アイツの理不尽な事を憎む心だった。




























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