のら猫の三文小説

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香奈とコシロ No.22

2013-03-27 00:00:18 | 香奈とコシロ

治部一族の危機


清彦、洋之助 相次いで亡くなる!

長生きした清彦であったが、病院に検査入院しているうちにそのまま亡くなった。真智子も気落ちしていた。半年も経たないうちに今度は洋之助も風邪を引き、念のため入院していると突然亡くなった。美佳も寂しくなった。そのせいか、「小さな命を救おう」財団とそれに連携を持つ乳幼児施設に協力してくれた。 


洋之助は、清彦の死後、かなりの自己名義資産を各管理会社に移していた。それでも相続税などの税金は多かった。  

 



恭助と和子、突然の事故死!

恭助と和子は元気だった。二人を慰めていた。そして動ける内に、旅行しようとよく海外に行っていた。珍しくコシロは、海外旅行に行く前日の晩に、恭助や和子に、にゃーにゃーと話しかけたが、和子と恭助はヨーロッパに行き、ドイツのフランクフルト郊外で空港に急いで帰るタクシーに乗って、大きな交通事故に巻き込まれ、二人とも亡くなった。
 


「香奈さんも大変だったね。突然の事故で。」
香奈コシロが不安そうな顔をしていたけど、いつもの旅行と言ってたのよ。本当に大変だった。ドイツまで遺体を取りに行って、葬儀もしたし、会社も混乱していたわ。もうあまり出ていないけどね、やっぱりいるのといないのは違うのよ。実際には、ほとんど何もしていない資源開発でも、混乱していたの、創業者だからね。徹さんも存在の大きさを痛感したと言っていたわ。

機械はもっと大変だった。役員会でも何も決まらないのよ。海外関係はお母さんの顔で繋がっていたらしいの。ドイツでは日本よりも大きな記事で報道されたらしい。勝がドイツに行って動揺を抑え、これからも協力していくとか買収した会社でも、これまでと同様にしていく事をみんなの前で話したらしい。

ドイツはファミリー企業が多いからね。マダム和子の息子の勝が役員になっていて、みんな漸く納得したらしいの。お母さんは観光だけで行っていたみたいな事言っていたけど、みんなとよく話もしていたのよ。 勝もこれからヨーロッパへ、特にドイツに行くと言っていた。真理さんもロンドンに行って、話もしてきたらしい。」
「お義父さんの時はとっくに引退していたけど、会社関係は、大変だったの。それに鉄鋼の株を多く持っていたのは、洋之助おじさんだったから、おじさんが亡くなった時も大変だったの。洋治さんが、株は処分しないし、今までと同様経営陣を支持すると言ってくれた。お義兄さんと健次郎さんが役員になって一段落したけどね、お母さんも美佳伯母さんも気落ちして大変なのよ。運動には協力してくれているけどね。私と真美さんがお義母さんを旅行に誘っているの。美佳伯母さんは清香さんが誘っているけど、俊子さんが動くと洋太郎さんがついてくるし、有希さんは洋治さんを連れて行く。みんな忙しいから、時間調整も難しくなるのよ。」
香奈
「もうみんないい年なのに、変わらないのね。」

「貴金属と時計は、和子伯母さんの直轄で、大変じゃなかったの。」
香奈
「衝撃はあったけどね。貴金属はお店を含めて、真理さんと小百合がやっているし、真理さんはあまり表に出たくない人だから、小百合を出すでしょう。それは変わらないし、時計は道之助さんに任せるとお母さんが言っていたし、それほど大きくもないしね。遺産関係はこれからよ。色々と考えていたみたいだけど、突然だったからね。相当お金を出す事になると思うのよ。」
「これからは、香奈さんが纏め役になるのね。」

香奈
「それは無理だよ。色々多すぎて、みんなでやっていくしかないよ。洋之助おじさんも洋太郎さんを商会に入れたかったけどね、結局お仕置きがお仕置じゃなくなって、紡績でしょう。今は有希さんが出ているけどね。計画してもそのまま行かないよ。」

運動も少し停滞ね。みんな動けなくなって。
香奈
「乳幼児施設は動いているし、財団も動いているわよ。私たちはまだ動けないけどね。俊子さんはそういう運営をしていく人だよ。」、
「さすがだね。俊子さんが入ってよかったね。」 


とは云え、盛んに活動していた中核メンバーの活動が落ちて、既存の施設だけが動き、他の組織との連携も出来なくなってしまった

俊子は乳幼児施設には、当面の赤字は問題は別に、スタッフの育成などを進めるに指示していたが、洋之助亡き後の整理を洋治ともに行っていた。洋太郎はみんな俊子に一任する癖がついていたし、有希も、会社以外の事は洋治に一任する習性になっていた。

洋之助は、現金も多かったが、洋之助は数多くの会社に関係し、管理会社も多かった。洋之助は敗戦後の混乱期に金を儲け、多くの会社の株も持ち、その株も管理会社に分散し、子分だった人たちの面倒もよく見て、不動産も貸したり、借りたり、利益を上手く分散させていたので、相続の処理は複雑を極めた。  


和子の管理会社の数も多く、それに和子の父の功二郎や母の静香が遺産として貰っていた土地、恭助名義の土地なども多かった。和子も恭助も現金を多く持っていたし、和子の非上場の株もほとんど管理会社が保有もしていた。

しかし、諏訪の土地や長府の土地など和子が遺産として貰っていた不動産の個人名義は、予想外に多く、そこまでは和子も完全に把握していなかった。香奈や真理以外には多く稼いでいる人もいなかったので、処分できない土地などは、香奈が多く相続するようになった。和子が、香奈のお金を取り上げ、香奈名義で預金していた金は、運用会社からの配当も入り、大きく膨らんでいたが、計ったようにほとんど消えた。和子や恭助の残した遺産も膨大なものだった。

和子が運営していた機械は世界的な規模の会社にまで成長し、和子の個人名義にまだ残っていた株や個人名義の不動産の評価額は膨大だった。
それでも和子の香奈相場禁止令によって、香奈が各会社や管理会社へ大きく出資していた事も効いて、なんとか乗り切る事ができた。


清彦もそれなりに資産があり、恵は義母の真智子の指示で、分からないまま、走り回っていた。しかし真智子の方が資産は多かったので、税金で苦しむ事はなかった。

これらの三家族がこれらもどこまで持ちこたえる事が出来るのか、俊子、香奈、恵たちにも分からなかった。お金も無くなり、一族を牽引してくれた洋之助や和子たちも亡くなり、一族は、過去の遺産やファミリー企業の稼ぎで暮らすようになるのだろうか。資本の力はあっても、上場会社では、会社を指導するのは難しい。本来、企業を大きくする事も出来た、俊子、香奈、恵たちは、多くの時間とかなりの利益機会を、これらの運動にはつぎ込んでいた。そして、彼女たちも本来の利益を稼ぐ自分の事業を見る時間も必要であった。企業や財団も世代交代の波や判断基準の更新が必要となっていくだろう。それらの波を乗り越える事が出来るだろうか。不安は残っていた。 




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