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占星術から見る宗教

2010-02-18 12:19:50 | のんきの宗教観~総集編
宗教的なものが目立たず、西洋では哲学的なものを「宗教」として受け止めているのに対し
て、、中国ではこれを「学問」として受け止められています。

「儒教」「道教」などがその代表ですね。

そんな中国の中で、唯一宗教的な性格を持っているのが、「陰陽五行説」。
しかし、その陰陽五行説ですら、「インド」の影響を受けているのではないか、というのは
のんきの宗教観~総集編Vol.3でお伝えしたとおり。

その元と成ったインドの思想が、「ヴァーストゥ・シャーストラ」。
この「ヴァーストゥ・シャーストラ」こそ、アーリア人が侵入する前。ドラヴィタ人の間で
信仰されていたのではないか、と思われる、「土着の宗教」だと思うのです。

例えば、このヴァーストゥ・シャーストラの中で五大元素とされている「地・火・空・水・
風」のうち、「火」を表す「アグニ」。この名前は雷神インドラに次いで、火神として重要
な位置に据えられています。
また、「風」を表す「ヴァーユ」は、風神ヴァーユとして、インドラと共に空界を占める存
在として位置づけられています。

また、ヴァーストゥ・シャーストラと共に、インド土着の概念として登場するのが「ナク
シャトラ」。月の通り道のことです。この名前はリグ・ヴェーダ(インド神話)の中に、ブ
ラフマンを擬人化したものである「ブラフマー」の息子、「ダクシャ」の娘として登場しま
す。

元々このナクシャトラという概念を用いて行われていたのが「インド占星術」。

ってことで、「占星術から見る宗教」。「ヴェーダ」と「アヴェスター」の続きです。

インド占星術がギリシャ占星術の影響を受けているのは1週間でお伝えした通り。

メソポタミア時代の大国、古代バビロニアでは、大規模な天体観測が行われ、この時代に、
天の星々を神々と結びつけることが行われ、同時に黄道(太陽の通り道)を12分割し、そ
れぞれの位置に属する12の星座の名を取って、「黄道十二宮」が設定されました(順序や
名前は現在のものとは若干異なるようです)。

こういったバビロニアの考え方を組み入れて、紀元前1500年頃のギリシャで、「ギリシャ神
話」が誕生します。口承されてきたギリシャ神話は文字化され、紀元前8世紀頃、詩人ヘシ
オドスらによって、初めてギリシャ神話は体系的にまとめられることとなります。

1千年紀中ごろにに黄道十二宮は占星術と結び付けられ、「バビロニア占星術」が誕生します。

この「バビロニア占星術」は紀元前三世紀頃ギリシャに伝わります。ギリシャに伝えられた
バビロニア占星術は、アレクサンダー大王の占領か、「ヘレニズム時代」を迎え、初めてホ
ロスコープを用いた手法が登場します。

このギリシャで生まれた「ホロスコープ占星術」は紀元後2世紀頃までにインドにも伝えら
れ、インド土着の占星術と融合され、独自の発展を遂げたのが現在の「インド占星術」です。

同じ頃、中国でも「六壬神課(りくじんしんか)」と呼ばれる占術が登場します。
元々、中国にも「天文」と呼ばれる占星術のようなものが存在したのですが(三国志や
項羽と劉邦の話などで天体の事象から戦況を占ったりする逸話を見たことがあると思いま
す)、本来星の配置よりも天体の現象(流星とか、月食とか、日食とか、彗星とか)を重要
視していましたから、いわゆる西洋の天文学とは異質なものです。

ですが、この「六壬神課(りくじんしんか)」。明らかにホロスコープ占星術の影響が見ら
れるのです。成立したのは今からちょうど2千年前ころ。インドにホロスコープ占星術が伝
わったのと同じ時期です。

六壬神課で興味深いのは、中国のそれよりも、これが日本に伝えられた後の話。

有名な「奇門遁甲」。そして「太乙神数」という術法とともに日本へ伝えられ、日本の「陰
陽道」が生まれたのです。六壬神課は陰陽師必須の占術とされ、有名な陰陽師、「安倍晴
明」は子孫のため、その術法を書物にて書き残しています。


こちらは安倍晴明によって封じられた鬼が晴明の子孫たちと共に戦うお話です。
作品的には、のんきの中ではB級なので、お勧め度は低いですが…

しかし、このバビロニアと中国の関わり。 実は、もう少し興味深い話があるの
です。


ちょっとインドのお話が飛んじゃってますが、次回はそんな「バビロニアと中国」のお話。

お楽しみに~。


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