1月16日(土)は、川崎市宮前区にある聖マリアンナ医科大学病院に行く用事があったので、帰りに辺りを散策してみることにしました。
インターネットで、聖マリアンナ医科大付近のハイキングコースを調べると、多摩区観光協会「長沢の里 寺社・石仏めぐり」があったので、参考にして次のように歩いてみました。
小田急線向ヶ丘遊園駅-(バス)-聖マリアンナ医科大病院-秋月院-盛源寺-昭和道路改修記念碑-大山道の道標-諏訪社-(バス)-小田急線新百合ケ丘駅
<聖マリアンナ医科大学病院>
向ヶ丘遊園駅北口のバス乗り場(乗り場1番)からバスに乗ると20分程で聖マリアンナ医科大病院に着きました。
折角なので、アップで撮ってみました。
用事が済んだので、病院外来棟の入り口を撮ってみました。
階段を下りていると、右側に中華四川料理「飛鳥」があったので撮ってみました。
中華四川料理「飛鳥」から上に、外来棟とエレベーター塔を結ぶ渡橋が見えたので渡ってみることにしました。
渡橋に出たので、振り返って、外来棟の入り口を撮ってみました。
渡橋を渡ってエレベーターを降りたので、エレベーター塔を撮ってみました。
ついでに、エレベーター塔と一緒に渡橋を撮ってみました。
坂道を下りると、分岐に聖マリアンナ医科大学の案内が出ていたのでアップで撮ってみました。
交差点「聖マリアンナ医大前」に出ると、平瀬川支川に架かる橋がありました。
橋の上から平瀬川支川の下流(東)方面を撮って、川沿いの右側を歩いて下流の方に行ってみました。
隣にある幸福橋に着いたので、平瀬川支川の上流(西)方面を撮ってみました。
<秋月院>
幸福橋を渡って暫く歩くと、秋月院の入り口が見えました。
交差点<秋月院前>の横断歩道を渡ると、秋月院の参道が見えたので撮ってみました。
折角なので、寺標石をアップで撮ってみました。
寺標石の後ろ祠に「いぼ取り地蔵尊」があったので撮ってみました。
折角なので「いぼ取り地蔵尊」をアップで撮ってみました。
参道の右側に、ご覧のような巨木があったので根元を撮ってみました。
参道の先にも、巨木があったので根元を撮ってみました。
参道の先に、ご覧のように剪定されたイチョウ(?)があったのでアップで撮ってみました。
山門の近くに、枝垂れ梅(?)があったのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、山号「長澤山」が掛かっている山門を撮ってみました。
山門を通ると、ご覧のような本堂がありました。
左側に、手水があったので撮ってみました。
手水の左側に、子育地蔵尊があったので撮ってみました。
又、向かい側に三宅松露(直行)の石碑があったので撮ってみました(詳細不明)。
取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。
お参りしてから本堂の扁額をアップで撮ってみました。
本堂の前にあった梅の木に鳥(鳩?)が留まっていたのでアップで撮ってみました。
山門に戻ると、枝が横に伸びている松の木があったので撮ってみました(入る時は気が付きませんでした)。
珍しかったのでアップで撮ってみました。
折角なので、松の木越しに本堂を撮ってみました。
秋月院からは、参道の寺標石「秋月院」に戻って、右に曲がりご覧のような坂道を上ります。
坂道の先に行くと、左側に聖マリアンナ医科大学が見えたのでアップで撮ってみました。
坂道の先は、三叉路に分かれていたので左(西)の方に行ってみました。
道路の右側に、ロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。
広い道路に出て暫く歩くと、右側に盛源寺がありました。
<盛源寺(せいげんじ)>
取り敢えず、盛源寺の参道を撮ってみました。
参道の右側に、ご覧のような庚申塔があったのでアップで撮ってみました。
この庚申塔は、川崎市指定重要郷土資料で、寛文10年(1670)に建てられたものです。
参道の先に、山門が見えたのでアップで撮ってみました。
参道の左側に、クチナシがあったので撮ってみました。
クチナシは初夏に白い花を咲かせますが、今はご覧のような実が生っていました。
向かい側に、ご覧のような供養塔があったので撮ってみました。
山門の近くに遣って来たので、石柱「不許葷酒入山門」が建っている山門を撮ってみました。
折角なので、山門をアップで撮ってみました。
山門に掛かっている山号「清水山」を撮ってみました。
山門の先に行くと、ご覧のような松の木がありました。
松の木の右側に、河合平蔵の碑があったので撮ってみました。
山門の左側の奥に、ご覧のような合同墓所があったので撮ってみました。
合同墓所の右隣に、椿が咲いていたので撮ってみました。
境内から山門先の参道に戻って、取り敢えず、本堂に行ってみることにしました。
参道に戻ると、参道の先に本堂が見えたので撮ってみました。
参道の右側には、ご覧のような石灯籠がありました。
石灯籠の後ろに、十三層供養塔があったので撮ってみました。
参道に、ご覧のような盛源寺の境内案内図があったのでアップで撮ってみました。
参道の先に行くと、左側に、延命地蔵があったのでアップで撮ってみました。
又、右側には仏足石と説明案内板がありました。
立っている仏足石は初めてなのでアップで撮ってみました。
又、梅の古木の下にマンリョウ(万両)があったので一緒に撮ってみました。
本堂は、ご覧のような門の先にありました。
門を通ると、手水舎があったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂をアップで撮ってみました。
本堂で、お参りしてから扁額「盛源禅寺」をアップで撮ってみました。
本堂の右側手前に、道元禅師御尊像があったのでアップで撮ってみました。
本堂に左側に、不動閣があったので行ってみました。
不動閣の左側に、観音堂があったのでお参りに行ってみました。
観音堂の入り口の左側には、板札「準西国稲毛三十三所観音霊場 第十番 盛源寺」がありました。
お参りしてから、本堂に掛かっていた扁額「大悲殿」をアップで撮ってみました。
観音堂の左側奥に、案内「福寿長命 ぼけ封じ 寿老人」が出ている寿老堂がありました。
寿老堂の手前には、ご覧のような鹿がいました。
折角なので、鹿をアップで撮ってみました。
取り敢えず「ぼけ封じ」のお参りをして、寿老堂の扁額をアップで撮ってみました。
ご覧のような貴山堂があったので行ってみました。
お参りしてから貴山堂の扁額をアップで撮ってみました。
貴山堂について、境内案内図には「歴代住職檀信徒先祖への報恩 水子無縁一切精霊への供養」と記されていました。
貴山堂の屋根の頂上に、ご覧のような物があったのでアップで撮ってみました。
弁財天が祀られている弁天堂があったので行ってみました。
弁天堂は、ご覧のような橋を渡って行きます。
折角なので、お参りしてから堂内をアップで撮ってみました。
弁天堂に掛かっている扁額「弁財尊天」をアップで撮って、弁天堂を後にしました。
境内を一回りしたので、気になっていた寿老堂の後ろにあった石段の下に行ってみました。
急な石段の下には、ご覧のような石柱「交通安全 火防厄除 秋葉大権現」がありました.。
石段を上ると、秋葉大権現があったので撮ってお参りをしました。
お参りしてから扁額「秋葉大権現」をアップで撮ってみました。
尚、秋葉大権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様です。
秋葉大権現からは、右側の奥の方にあった緩やかな石段で下りました。
石段の下の方に行くと、左側に盛源寺の本堂が見えたので撮ってみました。
本堂の前に戻って来たので、参道を通って山門に向いました。
参道を戻っていると、左側に藤棚があって下にミカンがありました。
近くに行ってみると、柚子(?)が生っていました。
又、藤棚の右側には、ご覧のように剪定された素晴らしい松の木がありました。
境内の東側の奥に、柚子(?)と葉牡丹が植えられていたので近くに行ってみました。
取り敢えず、柚子をアップで撮ってみました。
又、葉牡丹の列も撮ってみました。
折角なので、素晴らしい葉牡丹をアップで撮ってみました。
山門に戻って来たので、山門を撮って盛源寺を後にしました。
<諏訪社に向かう>
ご覧のような道路に戻って、取り敢えず、昭和道路改修記念碑に向いました。
暫く歩くと、ご覧のようなお地蔵様がいる祠がありました。
祠の両側には石標(武州橘〇〇〇、子孫繁栄 交通安全)がありましたが、左側は読めませんでした。
折角なので、お地蔵様をアップで撮ってみました。
道路の先に行くと、曲がり角に、ご覧のような石(大山道の道標?)があったので撮ってみました。
交差点「東長沢」に着くと、ご覧のような昭和道路改修記念碑が建っていました。
この交差点から生田駅方面に向かう新道は、幅2m程の山の中を通る山道を村人達が資金援助して出来た道路で、昭和10年(1935)に記念碑を建立されました。
横断歩道を渡って暫く歩くと、ご覧のような看板「長沢商店会」が出ていました。
盛源寺からは15分程で、交差点「生田高校入口」に着きました。
横断歩道の先には、ご覧のようなお地蔵様のいる祠がありました。
取り敢えず、近くに行って祠を撮ってみました。
ついでに、お地蔵様をアップで撮ってみました。
祠の前には、微かに”大山”が判読できる「大山道の道標」がありました。
取り敢えず、「大山道の道標」を撮って交差点を左(南)に行ってみました。
平瀬川の橋を渡ると、左側に、ご覧のような擁壁の県立生田高校がありました。
<諏訪社 (すわしゃ)>
右側に、諏訪社の入り口があったので撮ってみました。
取り敢えず、石鳥居を撮って参道に向いました。
石鳥居の先には、ご覧のような赤い鳥居がありました。
鳥居の台石の上に、ご覧のような龍(?)がいたのでアップで撮ってみました。
鳥居の先は、ご覧のような長い参道で両脇には大きな木が並んでいました。
この長い参道は、明治の頃まで農家の人達が農耕馬を競争させる馬掛けが行われていました。
参道の先に行くと、ご覧のような根元の木があったので撮ってみました。
又、参道の右側に、竹林があったので撮ってみました。
参道の先に、諏訪社の社殿が見えたので撮ってみました。
ついでに、アップで撮ってみました。
手水舎があったので撮ってみましたが、ご覧のように周囲は縄で囲まれていました。
立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りすることにしました。
社殿に行くと、向拝に立派な龍の彫り物があったのでアップで撮ってみました。
ついでに、扁額「諏訪社」を撮ってみましたが、神鈴は使えないようになっていました。
下を見ると、ご覧のような注意書がありましたが、お参りは出来ました。
社殿でお参りを済ませたので、社殿を斜めから撮ってみました。
境内に、ご覧のような石碑(出征記念碑、諏訪社改築之碑、〇〇〇)があったので撮ってみました。
ご覧のような参道を戻って鳥居に向かいました。
参道に、庚申供養塚と庚申塔があったので撮ってみました。
鳥居の前に戻って来たので、反対側から鳥居を撮ってみました。
諏訪社の向かい側にある県立生田高校の擁壁が見える場所に戻って来ました。
交差点「生田高校入口」に戻ると、新百合ヶ丘駅行きのバスが遣って来たので運良く乗ることが出来ました。
新百合ヶ丘駅に着いたので、隣の柿生駅にある馴染みの「食べもの家 ろと」に行って飲んで帰りました。
今回の「長沢の里の寺社・石仏めぐり」は、聖マリアンナ医科大病院の帰りだったのですが、道に迷わないで寺社や石仏を見ながら回れたので満足しています。
川崎市の西側(多摩区、麻生区)には、魅力ある散策エリアがあって楽しめそうなので、これからも回ってみたいと思っています。
又、小田急線の各駅(向ヶ丘遊園駅・生田駅・百合ヶ丘駅・新百合ヶ丘駅)と聖マリアンナ医科大病院を行き来するバスが多いのには驚きました。
尚、万歩計は12,000歩を超えていました。
インターネットで、聖マリアンナ医科大付近のハイキングコースを調べると、多摩区観光協会「長沢の里 寺社・石仏めぐり」があったので、参考にして次のように歩いてみました。
小田急線向ヶ丘遊園駅-(バス)-聖マリアンナ医科大病院-秋月院-盛源寺-昭和道路改修記念碑-大山道の道標-諏訪社-(バス)-小田急線新百合ケ丘駅
<聖マリアンナ医科大学病院>
向ヶ丘遊園駅北口のバス乗り場(乗り場1番)からバスに乗ると20分程で聖マリアンナ医科大病院に着きました。
折角なので、アップで撮ってみました。
用事が済んだので、病院外来棟の入り口を撮ってみました。
階段を下りていると、右側に中華四川料理「飛鳥」があったので撮ってみました。
中華四川料理「飛鳥」から上に、外来棟とエレベーター塔を結ぶ渡橋が見えたので渡ってみることにしました。
渡橋に出たので、振り返って、外来棟の入り口を撮ってみました。
渡橋を渡ってエレベーターを降りたので、エレベーター塔を撮ってみました。
ついでに、エレベーター塔と一緒に渡橋を撮ってみました。
坂道を下りると、分岐に聖マリアンナ医科大学の案内が出ていたのでアップで撮ってみました。
交差点「聖マリアンナ医大前」に出ると、平瀬川支川に架かる橋がありました。
橋の上から平瀬川支川の下流(東)方面を撮って、川沿いの右側を歩いて下流の方に行ってみました。
隣にある幸福橋に着いたので、平瀬川支川の上流(西)方面を撮ってみました。
<秋月院>
幸福橋を渡って暫く歩くと、秋月院の入り口が見えました。
交差点<秋月院前>の横断歩道を渡ると、秋月院の参道が見えたので撮ってみました。
折角なので、寺標石をアップで撮ってみました。
寺標石の後ろ祠に「いぼ取り地蔵尊」があったので撮ってみました。
折角なので「いぼ取り地蔵尊」をアップで撮ってみました。
参道の右側に、ご覧のような巨木があったので根元を撮ってみました。
参道の先にも、巨木があったので根元を撮ってみました。
参道の先に、ご覧のように剪定されたイチョウ(?)があったのでアップで撮ってみました。
山門の近くに、枝垂れ梅(?)があったのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、山号「長澤山」が掛かっている山門を撮ってみました。
山門を通ると、ご覧のような本堂がありました。
左側に、手水があったので撮ってみました。
手水の左側に、子育地蔵尊があったので撮ってみました。
又、向かい側に三宅松露(直行)の石碑があったので撮ってみました(詳細不明)。
取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。
お参りしてから本堂の扁額をアップで撮ってみました。
本堂の前にあった梅の木に鳥(鳩?)が留まっていたのでアップで撮ってみました。
山門に戻ると、枝が横に伸びている松の木があったので撮ってみました(入る時は気が付きませんでした)。
珍しかったのでアップで撮ってみました。
折角なので、松の木越しに本堂を撮ってみました。
秋月院からは、参道の寺標石「秋月院」に戻って、右に曲がりご覧のような坂道を上ります。
坂道の先に行くと、左側に聖マリアンナ医科大学が見えたのでアップで撮ってみました。
坂道の先は、三叉路に分かれていたので左(西)の方に行ってみました。
道路の右側に、ロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。
広い道路に出て暫く歩くと、右側に盛源寺がありました。
<盛源寺(せいげんじ)>
取り敢えず、盛源寺の参道を撮ってみました。
参道の右側に、ご覧のような庚申塔があったのでアップで撮ってみました。
この庚申塔は、川崎市指定重要郷土資料で、寛文10年(1670)に建てられたものです。
参道の先に、山門が見えたのでアップで撮ってみました。
参道の左側に、クチナシがあったので撮ってみました。
クチナシは初夏に白い花を咲かせますが、今はご覧のような実が生っていました。
向かい側に、ご覧のような供養塔があったので撮ってみました。
山門の近くに遣って来たので、石柱「不許葷酒入山門」が建っている山門を撮ってみました。
折角なので、山門をアップで撮ってみました。
山門に掛かっている山号「清水山」を撮ってみました。
山門の先に行くと、ご覧のような松の木がありました。
松の木の右側に、河合平蔵の碑があったので撮ってみました。
山門の左側の奥に、ご覧のような合同墓所があったので撮ってみました。
合同墓所の右隣に、椿が咲いていたので撮ってみました。
境内から山門先の参道に戻って、取り敢えず、本堂に行ってみることにしました。
参道に戻ると、参道の先に本堂が見えたので撮ってみました。
参道の右側には、ご覧のような石灯籠がありました。
石灯籠の後ろに、十三層供養塔があったので撮ってみました。
参道に、ご覧のような盛源寺の境内案内図があったのでアップで撮ってみました。
参道の先に行くと、左側に、延命地蔵があったのでアップで撮ってみました。
又、右側には仏足石と説明案内板がありました。
立っている仏足石は初めてなのでアップで撮ってみました。
又、梅の古木の下にマンリョウ(万両)があったので一緒に撮ってみました。
本堂は、ご覧のような門の先にありました。
門を通ると、手水舎があったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂をアップで撮ってみました。
本堂で、お参りしてから扁額「盛源禅寺」をアップで撮ってみました。
本堂の右側手前に、道元禅師御尊像があったのでアップで撮ってみました。
本堂に左側に、不動閣があったので行ってみました。
不動閣の左側に、観音堂があったのでお参りに行ってみました。
観音堂の入り口の左側には、板札「準西国稲毛三十三所観音霊場 第十番 盛源寺」がありました。
お参りしてから、本堂に掛かっていた扁額「大悲殿」をアップで撮ってみました。
観音堂の左側奥に、案内「福寿長命 ぼけ封じ 寿老人」が出ている寿老堂がありました。
寿老堂の手前には、ご覧のような鹿がいました。
折角なので、鹿をアップで撮ってみました。
取り敢えず「ぼけ封じ」のお参りをして、寿老堂の扁額をアップで撮ってみました。
ご覧のような貴山堂があったので行ってみました。
お参りしてから貴山堂の扁額をアップで撮ってみました。
貴山堂について、境内案内図には「歴代住職檀信徒先祖への報恩 水子無縁一切精霊への供養」と記されていました。
貴山堂の屋根の頂上に、ご覧のような物があったのでアップで撮ってみました。
弁財天が祀られている弁天堂があったので行ってみました。
弁天堂は、ご覧のような橋を渡って行きます。
折角なので、お参りしてから堂内をアップで撮ってみました。
弁天堂に掛かっている扁額「弁財尊天」をアップで撮って、弁天堂を後にしました。
境内を一回りしたので、気になっていた寿老堂の後ろにあった石段の下に行ってみました。
急な石段の下には、ご覧のような石柱「交通安全 火防厄除 秋葉大権現」がありました.。
石段を上ると、秋葉大権現があったので撮ってお参りをしました。
お参りしてから扁額「秋葉大権現」をアップで撮ってみました。
尚、秋葉大権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様です。
秋葉大権現からは、右側の奥の方にあった緩やかな石段で下りました。
石段の下の方に行くと、左側に盛源寺の本堂が見えたので撮ってみました。
本堂の前に戻って来たので、参道を通って山門に向いました。
参道を戻っていると、左側に藤棚があって下にミカンがありました。
近くに行ってみると、柚子(?)が生っていました。
又、藤棚の右側には、ご覧のように剪定された素晴らしい松の木がありました。
境内の東側の奥に、柚子(?)と葉牡丹が植えられていたので近くに行ってみました。
取り敢えず、柚子をアップで撮ってみました。
又、葉牡丹の列も撮ってみました。
折角なので、素晴らしい葉牡丹をアップで撮ってみました。
山門に戻って来たので、山門を撮って盛源寺を後にしました。
<諏訪社に向かう>
ご覧のような道路に戻って、取り敢えず、昭和道路改修記念碑に向いました。
暫く歩くと、ご覧のようなお地蔵様がいる祠がありました。
祠の両側には石標(武州橘〇〇〇、子孫繁栄 交通安全)がありましたが、左側は読めませんでした。
折角なので、お地蔵様をアップで撮ってみました。
道路の先に行くと、曲がり角に、ご覧のような石(大山道の道標?)があったので撮ってみました。
交差点「東長沢」に着くと、ご覧のような昭和道路改修記念碑が建っていました。
この交差点から生田駅方面に向かう新道は、幅2m程の山の中を通る山道を村人達が資金援助して出来た道路で、昭和10年(1935)に記念碑を建立されました。
横断歩道を渡って暫く歩くと、ご覧のような看板「長沢商店会」が出ていました。
盛源寺からは15分程で、交差点「生田高校入口」に着きました。
横断歩道の先には、ご覧のようなお地蔵様のいる祠がありました。
取り敢えず、近くに行って祠を撮ってみました。
ついでに、お地蔵様をアップで撮ってみました。
祠の前には、微かに”大山”が判読できる「大山道の道標」がありました。
取り敢えず、「大山道の道標」を撮って交差点を左(南)に行ってみました。
平瀬川の橋を渡ると、左側に、ご覧のような擁壁の県立生田高校がありました。
<諏訪社 (すわしゃ)>
右側に、諏訪社の入り口があったので撮ってみました。
取り敢えず、石鳥居を撮って参道に向いました。
石鳥居の先には、ご覧のような赤い鳥居がありました。
鳥居の台石の上に、ご覧のような龍(?)がいたのでアップで撮ってみました。
鳥居の先は、ご覧のような長い参道で両脇には大きな木が並んでいました。
この長い参道は、明治の頃まで農家の人達が農耕馬を競争させる馬掛けが行われていました。
参道の先に行くと、ご覧のような根元の木があったので撮ってみました。
又、参道の右側に、竹林があったので撮ってみました。
参道の先に、諏訪社の社殿が見えたので撮ってみました。
ついでに、アップで撮ってみました。
手水舎があったので撮ってみましたが、ご覧のように周囲は縄で囲まれていました。
立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りすることにしました。
社殿に行くと、向拝に立派な龍の彫り物があったのでアップで撮ってみました。
ついでに、扁額「諏訪社」を撮ってみましたが、神鈴は使えないようになっていました。
下を見ると、ご覧のような注意書がありましたが、お参りは出来ました。
社殿でお参りを済ませたので、社殿を斜めから撮ってみました。
境内に、ご覧のような石碑(出征記念碑、諏訪社改築之碑、〇〇〇)があったので撮ってみました。
ご覧のような参道を戻って鳥居に向かいました。
参道に、庚申供養塚と庚申塔があったので撮ってみました。
鳥居の前に戻って来たので、反対側から鳥居を撮ってみました。
諏訪社の向かい側にある県立生田高校の擁壁が見える場所に戻って来ました。
交差点「生田高校入口」に戻ると、新百合ヶ丘駅行きのバスが遣って来たので運良く乗ることが出来ました。
新百合ヶ丘駅に着いたので、隣の柿生駅にある馴染みの「食べもの家 ろと」に行って飲んで帰りました。
今回の「長沢の里の寺社・石仏めぐり」は、聖マリアンナ医科大病院の帰りだったのですが、道に迷わないで寺社や石仏を見ながら回れたので満足しています。
川崎市の西側(多摩区、麻生区)には、魅力ある散策エリアがあって楽しめそうなので、これからも回ってみたいと思っています。
又、小田急線の各駅(向ヶ丘遊園駅・生田駅・百合ヶ丘駅・新百合ヶ丘駅)と聖マリアンナ医科大病院を行き来するバスが多いのには驚きました。
尚、万歩計は12,000歩を超えていました。