友人が大和市深見に深見城があったと言っていたので、3連休の最終日(10月9日)は深見城跡を探しに行ってみました。
インターネットで調べると、深見城跡は大和市/北部浄化センターの近くにあったので、運動不足の解消も兼ねて境川沿いを北上してみました。
<深見神社(ふかみじんじゃ)>
取り敢えず、地元の深見神社にお参りしてから行くことにしました。
深見神社は氏子なので奉仕活動などではよく来ていますが、今日は西側の鳥居をくぐって境内に入ってみました。
説明案内板には、『「深見」という地名は「倭名類聚抄」(931〜937)に「相模国高座郡深見郷」と記されており、市内の地名が初めて文献に登場したものです。しかし、この時の深見の範囲は現在地を含めてかなり広い範囲を総称していたもののようです。・・・』と書いてありましたが、深見城に関する記述はありませんでした。
境内を撮ってみましたが、もう祝七五三の祭事が始まっているのですね!
左側にある手水舎で身を清めて、拝殿に向いました。
拝殿で、道に迷わないで深見城跡に着けますように参りをしました。
お参りしてから、向拝と”深見神社”と書かれた扁額を撮ってみました。
拝殿の隣りにあった、御神木のハルニレ(樹高30m、樹齢約400年)を撮ってみました。
ハルニレは、「かながわの名木100選」、大和市天然記念物に指定されています。
尚、以前は樹種が分からなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていました。
ついでに、境内社の靖國社(厚木空神社、摂社)と御倉稲荷神社(おくら稲荷)を撮ってみました。
ハルニレを中央に神楽殿と拝殿を撮って境内を後にしました。
狛犬のいるご覧のような参道を通って、深見神社を後にすることにしました。
鳥居の脇に、寛政3年(1791)に建立された社号標があったので撮ってみました。
<佛導寺(ぶつどうじ)>
深見神社の北側に佛導寺があるので、ここでもお参りをすることにしました。
佛導寺は浄土宗のお寺ですが、訪れたことは殆どありません。
石段を上ると山門から本堂が見えたので撮ってみました。
尚、山門には、山号「親縁山」の扁額がかけられていました。
山門をくぐると、ご覧のような本堂が見えたので撮ってみました。
左側に、幼年時代の法然上人の勢至丸(せいしまる)の座像がありました。
隣りに、法然上人の和歌『月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ』がありました。
下の句『眺むる人の 心にぞ済む』に味わいがありますね!
勢至丸さまをアップで撮ってみました。
本堂と一緒に大きな欅(?)を撮ってみました。
大きな欅の下に、ご覧のような平和観音があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような立派な本堂で、無事に深見城跡に着けますようにお参りをしました。
大和市指定重要文化財になっている鐘楼があったので撮ってみました。
鐘楼台に「一人一撞 鐘は心を込めて丁寧て撞きましょう。 」 とあったので、鐘は誰でも撞けるみたいです。
又、この梵鐘は元禄11年(1698)に鋳造された市内で最も古い梵鐘です。
山門の傍に、徳本念仏塔(?)があったので撮ってみました。
佛導寺を後に、ご覧のような相鉄線のガードをくぐって境川に向います。
<境川沿いを北上>
ガードをくぐって右に曲がり、道なりに暫く進むと境川にかかる入村橋に着きました。
入村橋から、これから北上する境川を撮ってみました。
入村橋の向こう側に、コスモスが咲いていたので見に行ってみました。
又、民家の庭先には、秋の七草のオミナエシが咲き始めていました。
境川の両側に遊歩道はありますが、日陰が多そうな左側の遊歩道を歩くことにしました。
遊歩道を暫く進むと、対岸に瀬谷本郷公園のグランドが見えてきました。
更に遊歩道を進むと、川岸にご覧のようなカンナが咲いていました。
素晴らしいカンナだったのでアップで撮ってみました。
入村橋から遊歩道を10分程歩くと、ご覧のような境川親水広場に着きました。
広場にベンチがあったので一休みすることにしました。
説明案内板には、「境川は県内では相模川に次ぐ2番目に長い川」と書いてありました。
一休みしてから遊歩道を更に進むと、左側に玩具のような建物がありました。
気になったので正面に回ってみると、特別養護老人ホーム「ル・リアンふかみ」でした。
先の方に深瀬橋が見えましたが、いつの間にか遊歩道は「藤沢大和自転車道」になっていました。
⇒ 自転車が後ろから来るのに気が付かないとヒヤッとしますね!
深瀬橋から、これから北上する境川を撮ってみました。
深瀬橋の向こう側には、長い名前の「境川激甚災害対策特別緊急整備事業竣工記念碑」がありました。
遊歩道に戻って先に進みます。尚、左に見える白い建物は市立大和東小学校です。
遊歩道を更に進むと、今度は県立大和東高等学校がありました。
大和東高校を過ぎて遊歩道を歩いていると、左側に栗林とオミナエシの群生がありました。
折角なので、栗の木とオミナエシをアップで撮ってみました。
今度は、ご覧のような中島橋がありました。
中島橋から、ご覧のように整備されている境川の川岸を撮ってみました。
中島橋を後に、再び境川沿いを北上します。
川岸に、白サギ(?)がいたのでアップで撮ってみました。
遊歩道を暫く進むと、左側はご覧のような田んぼ畑になってきました。
遊歩道に、ご覧のような水門があったのでアップで撮ってみました。
田んぼ畑の奥の繁みの後は、東名高速道路が通っています。
中島橋から遊歩道を15分程歩くと、大きなクスノキのある東名高速道路の手前に着きました。
近くに、コスモスとビデンス(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
左側に、日差しが遮られる藤棚があったので一休みすることにしました。
一休みしていると遊歩道の脇に、ご覧のような花が咲いていたので撮ってみました。
一休みしてから遊歩道に戻り、東名高速道路下のトンネルを通って先に進みます。
トンネルを越えると、ご覧のような上瀬谷橋がありました。
東名高速道路には、横浜町田ICまで2kmの案内が出ていました。
上瀬谷橋から境川の上流方面を撮ってみました。
左側に、こんもりとした森が見えたので、深見城跡がありそうな感じがしました。
⇒ いずれにしても、国道246号線の大和橋までが勝負です。
上瀬谷橋から遊歩道を10分程歩くと、ご覧のような東屋がありました。
⇒ 途中に案内がなかったので少し不安にはなりました。
東屋で一休みしていると、左側の道路にご覧のような支柱パイプ(?)が立っていました。
案内板はありませんでしたが、気になったので道路を渡ってみました。
<深見城跡>
支柱を越えると、ご覧のような散策路(?)になっていたので行ってみました。
散策路の先は、ご覧のようなかなり急な山道になっていました。
歩き易い山道に出ると、右側に「天竺坂」の地名標柱が建っていました。
標柱の横には、『てんじくさか。深見城築城の際につくられた空堀にあたる道。この坂と交差する南北方向の道は鎌倉古道と呼ばれ、市域では公所から境川右岸を川沿いに南下し、藤澤宿(藤沢市)に至り東海道に合流していた古道です。』と書いてありました。
折角なので、標柱と一緒に上ってきた天竺坂を撮ってみました。
天竺坂を上り切ると、左側に深見城跡の説明案内板がありました。
取り敢えず、説明案内板をアップで撮ってみました。
説明案内板によると、深見城は16世紀戦国時代に造られたものみたいです。
天竺坂の上の道は3方向に分かれていました。
取り敢えず、左側(東南方向)の説明案内板の後の緑地に行ってみましたが、史跡らしきものはありませんでした。
右側(北西方向)の道路に行ってみると、北部浄化センターの外れに着きました。
折角なので、フェンスの間から水処理施設を撮ってみました。
ここからは、ご覧のような真ん中の道(南西方向)を通って藤沢街道(国道467号線)に出ることにしました。
道路右側の森を撮ってみましたが、「城山史跡公園」ではなく「深見歴史の森」になっていました。
<八雲神社(やくもじんじゃ)>
深見城跡を後に、山道を道なりに10分程下ると、東西方向に走る急な坂道に出ました。
急な坂道を西の方に行ってみると、立派な石垣のある家の先に八雲神社がありました。
取り敢えず、社殿でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部を撮らせていただきました。
境内に、ご覧のような地神塔や庚申塔などがあったので撮ってみました。
又、境内には「谷戸坂」の地名標柱もありました。
標柱には、『やとざか。地域の人々に古くから親しまれた呼び名で八雲神社前の坂道のこと。また、この坂の南側近くにはやはり境川へおりる大坂(おおさか)と呼ばれる坂もあります。』と書いてありました。
<一ノ関公園>
八雲神社を後に、大坂を探しながら道路を南下すると一ノ関公園に着きました。
大きな公園ではありませんが、取り敢えず、公園を撮ってみました。
公園の前にあった広域避難場所案内板で現在地を確認しました。
西に行けば藤沢街道に出れそうなので、境川へ下りる大坂を探すのは諦めて藤沢街道に向いました。
途中、少し道に迷いましたが一ノ関公園からは20分程で藤沢街道に出れました。
昼食も食べていなかったので、食事処を探しながら藤沢街道を南下しました。
結局、適当な食事処がなかったので、自宅近くのファミレスで喉を潤しながら遅い昼食を取りました。
今回の「深見城跡を目指して境川沿いを北上」は、深見城跡に着けて良かったのですが、入口付近に目印になるようなものがあれば有難かったです(北部浄化センターの前から行くのがベスト?)。
又、城跡は古墳と同じで、整備されていないと物足りない感じがしますね!?
それでも、万歩計は22,000歩近くになっていたので運動不足の解消にはなりました。
インターネットで調べると、深見城跡は大和市/北部浄化センターの近くにあったので、運動不足の解消も兼ねて境川沿いを北上してみました。
<深見神社(ふかみじんじゃ)>
取り敢えず、地元の深見神社にお参りしてから行くことにしました。
深見神社は氏子なので奉仕活動などではよく来ていますが、今日は西側の鳥居をくぐって境内に入ってみました。
説明案内板には、『「深見」という地名は「倭名類聚抄」(931〜937)に「相模国高座郡深見郷」と記されており、市内の地名が初めて文献に登場したものです。しかし、この時の深見の範囲は現在地を含めてかなり広い範囲を総称していたもののようです。・・・』と書いてありましたが、深見城に関する記述はありませんでした。
境内を撮ってみましたが、もう祝七五三の祭事が始まっているのですね!
左側にある手水舎で身を清めて、拝殿に向いました。
拝殿で、道に迷わないで深見城跡に着けますように参りをしました。
お参りしてから、向拝と”深見神社”と書かれた扁額を撮ってみました。
拝殿の隣りにあった、御神木のハルニレ(樹高30m、樹齢約400年)を撮ってみました。
ハルニレは、「かながわの名木100選」、大和市天然記念物に指定されています。
尚、以前は樹種が分からなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていました。
ついでに、境内社の靖國社(厚木空神社、摂社)と御倉稲荷神社(おくら稲荷)を撮ってみました。
ハルニレを中央に神楽殿と拝殿を撮って境内を後にしました。
狛犬のいるご覧のような参道を通って、深見神社を後にすることにしました。
鳥居の脇に、寛政3年(1791)に建立された社号標があったので撮ってみました。
<佛導寺(ぶつどうじ)>
深見神社の北側に佛導寺があるので、ここでもお参りをすることにしました。
佛導寺は浄土宗のお寺ですが、訪れたことは殆どありません。
石段を上ると山門から本堂が見えたので撮ってみました。
尚、山門には、山号「親縁山」の扁額がかけられていました。
山門をくぐると、ご覧のような本堂が見えたので撮ってみました。
左側に、幼年時代の法然上人の勢至丸(せいしまる)の座像がありました。
隣りに、法然上人の和歌『月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ』がありました。
下の句『眺むる人の 心にぞ済む』に味わいがありますね!
勢至丸さまをアップで撮ってみました。
本堂と一緒に大きな欅(?)を撮ってみました。
大きな欅の下に、ご覧のような平和観音があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような立派な本堂で、無事に深見城跡に着けますようにお参りをしました。
大和市指定重要文化財になっている鐘楼があったので撮ってみました。
鐘楼台に「一人一撞 鐘は心を込めて丁寧て撞きましょう。 」 とあったので、鐘は誰でも撞けるみたいです。
又、この梵鐘は元禄11年(1698)に鋳造された市内で最も古い梵鐘です。
山門の傍に、徳本念仏塔(?)があったので撮ってみました。
佛導寺を後に、ご覧のような相鉄線のガードをくぐって境川に向います。
<境川沿いを北上>
ガードをくぐって右に曲がり、道なりに暫く進むと境川にかかる入村橋に着きました。
入村橋から、これから北上する境川を撮ってみました。
入村橋の向こう側に、コスモスが咲いていたので見に行ってみました。
又、民家の庭先には、秋の七草のオミナエシが咲き始めていました。
境川の両側に遊歩道はありますが、日陰が多そうな左側の遊歩道を歩くことにしました。
遊歩道を暫く進むと、対岸に瀬谷本郷公園のグランドが見えてきました。
更に遊歩道を進むと、川岸にご覧のようなカンナが咲いていました。
素晴らしいカンナだったのでアップで撮ってみました。
入村橋から遊歩道を10分程歩くと、ご覧のような境川親水広場に着きました。
広場にベンチがあったので一休みすることにしました。
説明案内板には、「境川は県内では相模川に次ぐ2番目に長い川」と書いてありました。
一休みしてから遊歩道を更に進むと、左側に玩具のような建物がありました。
気になったので正面に回ってみると、特別養護老人ホーム「ル・リアンふかみ」でした。
先の方に深瀬橋が見えましたが、いつの間にか遊歩道は「藤沢大和自転車道」になっていました。
⇒ 自転車が後ろから来るのに気が付かないとヒヤッとしますね!
深瀬橋から、これから北上する境川を撮ってみました。
深瀬橋の向こう側には、長い名前の「境川激甚災害対策特別緊急整備事業竣工記念碑」がありました。
遊歩道に戻って先に進みます。尚、左に見える白い建物は市立大和東小学校です。
遊歩道を更に進むと、今度は県立大和東高等学校がありました。
大和東高校を過ぎて遊歩道を歩いていると、左側に栗林とオミナエシの群生がありました。
折角なので、栗の木とオミナエシをアップで撮ってみました。
今度は、ご覧のような中島橋がありました。
中島橋から、ご覧のように整備されている境川の川岸を撮ってみました。
中島橋を後に、再び境川沿いを北上します。
川岸に、白サギ(?)がいたのでアップで撮ってみました。
遊歩道を暫く進むと、左側はご覧のような田んぼ畑になってきました。
遊歩道に、ご覧のような水門があったのでアップで撮ってみました。
田んぼ畑の奥の繁みの後は、東名高速道路が通っています。
中島橋から遊歩道を15分程歩くと、大きなクスノキのある東名高速道路の手前に着きました。
近くに、コスモスとビデンス(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
左側に、日差しが遮られる藤棚があったので一休みすることにしました。
一休みしていると遊歩道の脇に、ご覧のような花が咲いていたので撮ってみました。
一休みしてから遊歩道に戻り、東名高速道路下のトンネルを通って先に進みます。
トンネルを越えると、ご覧のような上瀬谷橋がありました。
東名高速道路には、横浜町田ICまで2kmの案内が出ていました。
上瀬谷橋から境川の上流方面を撮ってみました。
左側に、こんもりとした森が見えたので、深見城跡がありそうな感じがしました。
⇒ いずれにしても、国道246号線の大和橋までが勝負です。
上瀬谷橋から遊歩道を10分程歩くと、ご覧のような東屋がありました。
⇒ 途中に案内がなかったので少し不安にはなりました。
東屋で一休みしていると、左側の道路にご覧のような支柱パイプ(?)が立っていました。
案内板はありませんでしたが、気になったので道路を渡ってみました。
<深見城跡>
支柱を越えると、ご覧のような散策路(?)になっていたので行ってみました。
散策路の先は、ご覧のようなかなり急な山道になっていました。
歩き易い山道に出ると、右側に「天竺坂」の地名標柱が建っていました。
標柱の横には、『てんじくさか。深見城築城の際につくられた空堀にあたる道。この坂と交差する南北方向の道は鎌倉古道と呼ばれ、市域では公所から境川右岸を川沿いに南下し、藤澤宿(藤沢市)に至り東海道に合流していた古道です。』と書いてありました。
折角なので、標柱と一緒に上ってきた天竺坂を撮ってみました。
天竺坂を上り切ると、左側に深見城跡の説明案内板がありました。
取り敢えず、説明案内板をアップで撮ってみました。
説明案内板によると、深見城は16世紀戦国時代に造られたものみたいです。
天竺坂の上の道は3方向に分かれていました。
取り敢えず、左側(東南方向)の説明案内板の後の緑地に行ってみましたが、史跡らしきものはありませんでした。
右側(北西方向)の道路に行ってみると、北部浄化センターの外れに着きました。
折角なので、フェンスの間から水処理施設を撮ってみました。
ここからは、ご覧のような真ん中の道(南西方向)を通って藤沢街道(国道467号線)に出ることにしました。
道路右側の森を撮ってみましたが、「城山史跡公園」ではなく「深見歴史の森」になっていました。
<八雲神社(やくもじんじゃ)>
深見城跡を後に、山道を道なりに10分程下ると、東西方向に走る急な坂道に出ました。
急な坂道を西の方に行ってみると、立派な石垣のある家の先に八雲神社がありました。
取り敢えず、社殿でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部を撮らせていただきました。
境内に、ご覧のような地神塔や庚申塔などがあったので撮ってみました。
又、境内には「谷戸坂」の地名標柱もありました。
標柱には、『やとざか。地域の人々に古くから親しまれた呼び名で八雲神社前の坂道のこと。また、この坂の南側近くにはやはり境川へおりる大坂(おおさか)と呼ばれる坂もあります。』と書いてありました。
<一ノ関公園>
八雲神社を後に、大坂を探しながら道路を南下すると一ノ関公園に着きました。
大きな公園ではありませんが、取り敢えず、公園を撮ってみました。
公園の前にあった広域避難場所案内板で現在地を確認しました。
西に行けば藤沢街道に出れそうなので、境川へ下りる大坂を探すのは諦めて藤沢街道に向いました。
途中、少し道に迷いましたが一ノ関公園からは20分程で藤沢街道に出れました。
昼食も食べていなかったので、食事処を探しながら藤沢街道を南下しました。
結局、適当な食事処がなかったので、自宅近くのファミレスで喉を潤しながら遅い昼食を取りました。
今回の「深見城跡を目指して境川沿いを北上」は、深見城跡に着けて良かったのですが、入口付近に目印になるようなものがあれば有難かったです(北部浄化センターの前から行くのがベスト?)。
又、城跡は古墳と同じで、整備されていないと物足りない感じがしますね!?
それでも、万歩計は22,000歩近くになっていたので運動不足の解消にはなりました。