群馬県前橋市文京町3丁目151-6の台地縁辺部にあります。
JR前橋駅の東、そう遠くないところです。
「カチカチ山古墳」とか「前橋市2号墳」と呼ばれることもあります。
全長54.5m、 後円部径31.5m・高さ7m、 前方部先端幅35m・高さ6m の前方後円墳です。
昭和30年ころからの宅地開発で、前方部と後円部の一部が削平されています。
(前方部先端)
(後円部端)
墳丘の周りには盾形をした幅3mと4mの二重の周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や器財埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和29年群馬大学史学研究室による、後円部南側にある石室の調査が行われています。
石室は、角閃石安山岩で築かれた両袖型横穴式石室でした。
全長8.8m、羨道の長さ4.1m・前幅1.28m・奥幅1.53m、玄室の長さ4.7m・前幅2.6m・奥幅3.05mあります。
石室は盗掘を受けていましたが、それでも冠や直刀、鉄鏃、槍、鉄鎌、耳環、須恵器などが出土しています。
冠は「金冠山古墳」に次ぐ二例目です。
これらの出土品は、現在群馬大学に保管されています。
現在石室は閉じられています。
「朝倉・広瀬古墳群」を構成しています。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
平成9年4月21日、前橋市の史跡に指定されています。
JR前橋駅の東、そう遠くないところです。
「カチカチ山古墳」とか「前橋市2号墳」と呼ばれることもあります。
全長54.5m、 後円部径31.5m・高さ7m、 前方部先端幅35m・高さ6m の前方後円墳です。
昭和30年ころからの宅地開発で、前方部と後円部の一部が削平されています。
(前方部先端)
(後円部端)
墳丘の周りには盾形をした幅3mと4mの二重の周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や器財埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和29年群馬大学史学研究室による、後円部南側にある石室の調査が行われています。
石室は、角閃石安山岩で築かれた両袖型横穴式石室でした。
全長8.8m、羨道の長さ4.1m・前幅1.28m・奥幅1.53m、玄室の長さ4.7m・前幅2.6m・奥幅3.05mあります。
石室は盗掘を受けていましたが、それでも冠や直刀、鉄鏃、槍、鉄鎌、耳環、須恵器などが出土しています。
冠は「金冠山古墳」に次ぐ二例目です。
これらの出土品は、現在群馬大学に保管されています。
現在石室は閉じられています。
「朝倉・広瀬古墳群」を構成しています。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
平成9年4月21日、前橋市の史跡に指定されています。