群馬県前橋市文京町3丁目151-6の台地縁辺部にあります。
JR前橋駅の東、そう遠くないところです。
「カチカチ山古墳」とか「前橋市2号墳」と呼ばれることもあります。
全長54.5m、 後円部径31.5m・高さ7m、 前方部先端幅35m・高さ6m の前方後円墳です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f0/1a4ef32a8dcb60095cb12d5300025a54.jpg)
昭和30年ころからの宅地開発で、前方部と後円部の一部が削平されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/8e/2d6117485c5fd05c49d31536aac39e51.jpg)
(前方部先端)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0c/78a3fc894fc87a7928b72195df35a117.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/dc/3d85db6a723fdfb0720235da19a1ccf0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/84/15b2466373e954744ada92be39e8057f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/32/c18faf53f5c7843adeb4b72b29b86e3f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/bf/ee2198f7a6695df9dda47cc7f1e04a81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/e4/df1d16306be7e3fd99102700225547f3.jpg)
(後円部端)
墳丘の周りには盾形をした幅3mと4mの二重の周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や器財埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和29年群馬大学史学研究室による、後円部南側にある石室の調査が行われています。
石室は、角閃石安山岩で築かれた両袖型横穴式石室でした。
全長8.8m、羨道の長さ4.1m・前幅1.28m・奥幅1.53m、玄室の長さ4.7m・前幅2.6m・奥幅3.05mあります。
石室は盗掘を受けていましたが、それでも冠や直刀、鉄鏃、槍、鉄鎌、耳環、須恵器などが出土しています。
冠は「金冠山古墳」に次ぐ二例目です。
これらの出土品は、現在群馬大学に保管されています。
現在石室は閉じられています。
「朝倉・広瀬古墳群」を構成しています。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
平成9年4月21日、前橋市の史跡に指定されています。
JR前橋駅の東、そう遠くないところです。
「カチカチ山古墳」とか「前橋市2号墳」と呼ばれることもあります。
全長54.5m、 後円部径31.5m・高さ7m、 前方部先端幅35m・高さ6m の前方後円墳です。
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昭和30年ころからの宅地開発で、前方部と後円部の一部が削平されています。
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(前方部先端)
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(後円部端)
墳丘の周りには盾形をした幅3mと4mの二重の周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や器財埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和29年群馬大学史学研究室による、後円部南側にある石室の調査が行われています。
石室は、角閃石安山岩で築かれた両袖型横穴式石室でした。
全長8.8m、羨道の長さ4.1m・前幅1.28m・奥幅1.53m、玄室の長さ4.7m・前幅2.6m・奥幅3.05mあります。
石室は盗掘を受けていましたが、それでも冠や直刀、鉄鏃、槍、鉄鎌、耳環、須恵器などが出土しています。
冠は「金冠山古墳」に次ぐ二例目です。
これらの出土品は、現在群馬大学に保管されています。
現在石室は閉じられています。
「朝倉・広瀬古墳群」を構成しています。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
平成9年4月21日、前橋市の史跡に指定されています。
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