古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

福岡県福津市・在自剣塚古墳

2014-11-29 08:02:01 | Weblog
福岡県福津市在自剣塚(あらじつるぎづか)の丘陵尾根上にあります。
野口池の近くです。
前方部そばを走る農道からは少し高いところです。
福津市には「神功皇后伝説」が数多く残っているそうですが、この古墳も神功皇后の剣を納めた剣塚だと伝わっているそうです。


                       (奥が前方部です)


                       (奥が後円部です)


                       (後円部墳頂)


全長101.7m、 後円部径36.5m・高さ7m、 前方部先端幅57.5m・高さ5.5m  二段構築の前方後円墳です。
津屋崎古墳群中最大規模の前方後円墳です。
一説には全長85mとも言われています。
ほぼ良好な状態で残っています。
ただ墳丘のあちこちに「筍」が生え出していて、それをイノシシが食べるために掘った穴が後円部墳頂を中心に数多くみられました。






           (前方部墳頂)

造り出しはありません。
周濠はなかったようです。
墳丘には葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったとみられています。
須恵器の大甕や高坏形器台が出土しています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

須多田古墳群を構成しています。
見つけるのにやや苦労しました。


「津屋崎古墳群」
福津市北部の丘陵や台地にあって、玄界灘を見下ろす東西2Km・南北8Kmの範囲に分布する古墳群の総称です。
「勝浦高原古墳群」「勝浦古墳群」「新原・奴山古墳群」「生家古墳群」「大石岡ノ谷古墳群」「須多田古墳群」「宮司古墳群」などからなります。
前方後円墳16基、円墳39基、方墳1基 の計56基が残っています。
平成17年3月2日、一括して国の史跡に指定されています。

福岡県福津市・須多田ミソ塚古墳

2014-11-23 11:21:15 | Weblog
福岡県福津市須多田ニタ塚675の低丘陵上(標高16m)にあります。
「須多田16号墳」とも呼ばれています。
「須多田下ノ口古墳」のすぐ近くです。


     (左が後円部で右が前方部です。後方の山は「対馬見山-標高243m」です。)

    (左上に見えるのが須多田天降天神社古墳で後円部右が須多田下ノ口古墳です。)




               (後円部墳頂) 
   
全長67m、 後円部径22m・高さ4m、 前方部先端幅25m・高さ4m の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平を受けています。

造り出しはありません。
周濠があったかどうかは確認されていません。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
須恵器の「脚付壺」や「脚付はそう」などが出土しています。
埋葬施設についてははっきりしていません。

国道495号線を東へ、須多田集落へ抜ける道路交差点手前の田圃の中に、ポツンと1基残っています。
墳丘はかって墓地だったようで、あちこちに墓石が積まれていました。





すぐ近くには円墳「須多田ニタ塚古墳」ー上記写真の右上に小さく見えていますーがあります。

古墳時代後期・6世紀中頃から後半にかけての築造と推定されています。

須多田古墳群を構成しています。

福岡県福津市・須多田下ノ口古墳

2014-11-15 08:05:51 | Weblog
福岡県福津市須多田ニタ塚の低丘陵上にあります。
「須多田15号墳」とか「津屋崎54号墳」とも呼ばれています。

全長82.8m 後円部径44m・高さ5.6m、 前方部先端幅53m・高さ?m の前方後円墳です。
現在、前方部は田圃になっています。


                    (右手前の水田が前方部です)





後円部は削平され2棟のお堂(須多田地蔵堂と釈迦堂?)と戦没者鎮魂碑が建っています。
道路から階段で登れるようになっています。







墳丘の周りには二重の周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
後円部には横穴式石室の埋葬施設があります。
須恵器の高坏や甕、勾玉、土師器などが出土したといわれていますが、資料が少なく詳細は不明です。

1992年に測量調査が行われています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

須多田古墳群を構成しています。

福岡県福津市・須多田上ノ口古墳

2014-11-08 08:07:33 | Weblog
福岡県福津市須多田上ノ口445の低丘陵縁辺部にあります。
須多田公民館の近くです。
「須多田10号墳」とも呼ばれています。

全長43m、 後円部径22m・高さ8m、 前方部先端幅30m・高さ7m  二段構築の前方後円墳です。
民家の裏にあり、墳丘全体が竹林で覆われていて、わかり難くなっています。
墳丘に登るのはやめにしました。











墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていました。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

1995年に測量調査が行われています。

資料が少なく、古墳の築造時期など不明ですが、墳丘の形から5世紀後半頃の築造と思われます。

須多田古墳群を構成しています。

福岡県福津市・須多田天降天神社古墳

2014-11-01 07:59:29 | Weblog
福岡県福津市須多田下ノ口の低丘陵縁辺部にあります。
須多田集落の外れです。
「須多田11号墳」とか「津屋崎53号墳」とも呼ばれています。




                         (前方部墳丘)


                         (後円部墳丘)


       (この神社の後ろが古墳です)

全長83m、 後円部径54m・高さ10m、 前方部先端幅56m・高さ8m 二段構築の前方後円墳です。
後円部には須多田地区の産神である「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る「天降神社(あまふりじんじゃ)」があります。





造り出しはありません。
墳丘の周りには二重の周濠があります。
周濠の外側には周庭があります。
四方に門が設けられていた痕跡があるそうです。
墳丘には葺石が施されています。
高坏形器台や円筒埴輪・形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

大和政権と深いかかわりを持った人物(宗像族)の墓と言われています。
ただ一説には、筑紫の国造・磐井の孫「須多田麻呂」ではないかとの話もあるそうです。
この地の須多田はそこからついた地名ということです。

古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。

前方後円墳5基、円墳20基が残る須多田古墳群を構成しています。
古墳群中最大で、盟主墓的存在と言われています。
荘厳さと神秘さを感じさせる古墳です。