古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

佐賀県佐賀市・船塚古墳

2012-10-27 07:58:36 | Weblog
佐賀県佐賀市大和町大字久留間字東、標高35mの平地上にあります。

全長114m、 後円部径63m・高さ10m、 前方部先端幅62m・高さ9m 3段構築の前方後円墳です。
佐賀県内最大の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。

古墳の周りには幅12m~18mの盾形をした周濠(現在は水田になっています。)があります。
西側くびれ部には造り出しがあります。
墳丘には花崗岩円礫の葺き石が施されています。


本格的な発掘調査が行われていないため、内部主体部や副葬品などは不明です。
ただ後円部西側には明治期の盗掘跡があり、竪穴式石室に箱形石棺2基が収められていて、硬玉製の大形勾玉が出土したと伝えられています。
後円部頂付近からは、倉庫を模した家形埴輪が出土しています。

本古墳の北側から東側にかけて、11基の陪塚がありました。
現在は7基が残っています。
そのうちの1基から円筒埴輪が出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。

昭和28年11月3日、佐賀県の史跡に指定されています。

ほぼ完全な状態で残っていて、その墳形をはっきりとらえることができます。
美しく見栄えのする古墳です。


       (南東側からみています)


       (北側からみています)


       (南西側からみています)

佐賀県佐賀市・小隅山古墳

2012-10-20 08:07:19 | Weblog
佐賀県佐賀市大和町川上字小隅2691、60mほどの独立した丘陵の尾根にあります。
丘陵は個人の所有でミカン畑になっています。
墳丘は一部損傷を受けています。

全長63m、 後円部径30m・高さ5m、 前方部先端幅37m・高さ4.75m 3段構築の前方後円墳です。

造り出しはありません。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や人物埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1997年、発掘調査が行われています。
埋葬施設は横穴式石室です。

古墳時代後期・6世紀中葉ころの築造と推定されています。

平成9年5月9日、佐賀県の史跡に指定されています。

覚正寺の西、天満宮の横の道を登って行きましたが、結構きつい坂道でした。
尋ねた時が、ご両親と息子さん夫婦の4人でミカンの木の消毒作業をやっておられる時でした。
畑には結構沢山の土器片が落ちていました。
奥さんの勧めで、その土器片の何点かを持ち帰りましたが....!!

高台で周りを遮るものが何もなく、とても眺めのよい場所でした。






佐賀県佐賀市・前隈山古墳

2012-10-13 08:17:48 | Weblog
佐賀県佐賀市大和町久池井城山3596の丘陵上にあります。
長崎自動車道・佐賀大和インターの北側、大きな2基の貯水タンク(?)の横(西側)です。
高城寺東南古墳と呼ばれることもあります。

全長60m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘は損傷を受けていて、その形状を確認するのは難しい状態です。

造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

1988年、発掘調査が行われています。
埋葬施設は竪穴式石室で、舟形石棺が収められていたそうです。

古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。

佐賀市教育委員会の担当者に何度も電話で尋ね、かなり急な道を苦労して登りました。
貯水タンクの点検用の細い道をようやく見つけ、やっとの思いで辿り着きました。
眼下に自動車道を見下ろす眺めのよい所でした。
途中の山道でたくさんの「野イチゴ」を見つけ、渇いたのどを潤しました。






佐賀県佐賀市・築山古墳

2012-10-13 07:54:53 | Weblog
佐賀県佐賀市大和町尼寺築山1378の築山公園内にあります。
春日小学校の東側の扇状地です。
桧原2号墳と呼ばれることもあります。

全長60m、 後円部径40m・高さ6m、 前方部先端幅52m・高さ7m の前方後円墳です。

造り出しはありません。
墳丘に葺き石が施されています。
円筒埴輪や鎧形埴輪片などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

明治年間に盗掘され、その時、勾玉や管玉・直刀などが出土したそうです。
内部主体部は、横穴式石室と言われていますがはっきりしていません。

昭和43年(1968年)の児童遊園地造成工事で、前方部が削られています。

築造時期など詳しいことは、資料が少なくはっきりしていません。
桧原古墳群を構成しています。


   (削られた前方部から後円部への登り口)



     

     (後円部墳頂付近)

佐賀県佐賀市・金立銚子塚古墳

2012-10-06 08:38:43 | Weblog
佐賀県佐賀市金立町金立八本杉2355の扇状地にあります。

全長98m、 後円部径58m・高さ8m、 前方部先端幅32m・高さ4.6m  前方部2段・後円部3段構築の佐賀県内唯一の柄鏡式前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘の周りには幅11.5m~28mの盾形をした周濠があります。
造り出しはありません。
墳丘に花崗岩円礫の葺き石が施されています。
壷形埴輪に極めて近い形態を持つ、土師器二重口縁の底部穿口壷形土器6個体分以上が、くびれ部2段目のテラス付近から出土しています。
奈良県桜井市・茶臼山古墳出土のものと酷似しているそうです。

埋葬施設は竪穴式石室と推定されていますが、はっきりしていません。
盗掘は受けていないようです。

昭和51年(1976年)、測量調査が行われています。

現在後円部墳頂には「忠魂碑」が建てられています。
前方部は戦中戦後の開拓と土取りのため一部損傷を受けています。
そのため斜面部は石垣で補強されています。

古墳時代前期・4世紀末ころの築造と推定されています。

昭和53年3月11日、国の史跡に指定されています。

古墳への進入路が分からず、あちこち聞きまわりようやくのことで、理容店横の細い道から後円部を望む地点に辿り着くことができました。




        (後 円 部)


   (後円部への登り口から前方部を見ています)