古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

愛知県名古屋市・白鳥塚古墳

2014-03-29 07:57:32 | Weblog
愛知県名古屋市守山区上志段味東谷2107の段丘先端にあります。
東谷山(とうごくさん)山麓と庄内川の河岸段丘が交わる地点です。
愛知県立看護大学とは「東谷山フルーツパーク」への道を挟んだ西側に相対しています。

全長115m、 後円部径75m・高さ北側15.2m、南側12.6m、 前方部幅40m・高さ北側6.7m、南側5m、 前方部二段、後円部三段構築の柄鏡式前方後円墳です。





愛知県下では断夫山古墳、犬山・青塚古墳に次ぐ3番目の大きさです。
行燈山古墳(崇神天皇陵)に酷似していることで知られています。
前方部は一部川に面していて崖状になっています。

墳丘の周りには周濠があります。


前方部北側や後円部に造り出しの痕跡の可能性が指摘されています。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
後円部墳頂部の周りには、白色硅石の割石による葺石が施されていて、光に当たると硅石が白く輝くことから「白鳥塚古墳」の名前が付けられたといわれています。
ただその硅石も、製陶の材料として取り出されたため、現在は少ししか残っていません。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
内部主体は不明です。

須恵器・土師器片・はそう・甕・坏蓋 などが出土しています。

大正時代に、後円部の墳頂が1.8m四方にわたって陥落したそうです。

古墳時代前期・4世紀前半ころの築造と推定されています。
愛知県では最も古い時期の古墳です。

昭和47年11月6日、国の史跡に指定されています。

志段味古墳群を構成しています。


                          (後 円 部)



                          (くびれ部)


                          (前 方 部)

愛知県名古屋市・志段味大塚古墳

2014-03-22 08:02:25 | Weblog
愛知県名古屋市守山区上志段味大塚1306の段丘上にあります。
王塚古墳とか大塚1号墳とも呼ばれています。

全長51.5m、 後円部径40m・高さ7m、 前方部幅15m・高さ0.8m 二段構築の帆立貝式前方後円墳です。
前方部を北東方向に向けています。


                         (後 円 部)


                         (前 方 部)



墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
右側くびれ部に造り出しがあります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
土師質円筒埴輪・蓋形埴輪・朝顔形埴輪・鶏形埴輪・水鳥形埴輪 などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

大正12年(1923年)、京都帝国大学の梅原末治先生による発掘調査が行われています。
その際、後円部墳頂から粘土槨による埋葬施設が発見されています。
倭製五鈴蕨手文鏡・金銅製帯金具・鉄鏃・挂甲小札・肩甲小札・木芯鉄板張輪鎧・鋳銅五鈴杏葉・五鈴鏡板付轡・三環鈴・はそう・高坏 などが出土しています。

平成20年(2008年)、名古屋市教育委員会の発掘調査で墳丘主軸とほぼ平行した(梅原先生発見の主体部に並列)主体部が新たに確認されました。
墓壙の長さは5.8m、幅が3mあり、前方部側に幅0.9mの通路遺構があるそうです。
刳抜式木棺が直葬されていたものとみられています。
木棺そのものは残っていなかったそうですが、赤色顔料が見つかっています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

志段味古墳群を構成しています。






        (後円部から前方部をみています)


愛知県名古屋市・勝手塚古墳

2014-03-15 08:01:15 | Weblog
愛知県名古屋市守山区上志段味(しだみ)中屋敷1463の河岸段丘上(低地)にあります。
集落に近いところで、上志段味公民館が隣接しています。


                  (右側の赤い屋根の建物が公民館です。)




                     (勝手神社ー墳頂ーへ上る階段)

全長53m、 後円部径40m・高さ6.5m 前方部幅20m・高さ2.3m 二段構築の帆立貝式前方後円墳です。
後円部墳頂には勝手神社の社殿が建っています。





墳丘の周りには馬蹄形をした二重の周濠があります。
周濠の外側には周堤があります。
現在は内濠西側の周堤だけが残っています。


平成20年(2008年)3月、名古屋市教育委員会が行った発掘調査で、墳頂部から築造当時を思わせる直立した状態の10基の円筒埴輪が見つかっています。
また前方部からは蓋型埴輪が、くびれ部からは須恵器片が出土しています。
内部主体がどんなものかは不明です。

5世紀末から6世紀初頭の築造と推定されています。

志段味古墳群を構成しています。


愛知県名古屋市・小幡茶臼山古墳

2014-03-08 08:01:00 | Weblog
愛知県名古屋市守山区小幡小林の、標高50mほどの段丘先端にあります。
長塚古墳の北東方向約250mほどのところです。
自衛隊小幡北山宿舎の南東側出入口前です。

全長63m、 後円部径40m・高さ6m、 前方部幅35m・高さ6m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘は宅地造成や道路工事などで、後円部西側から前方部にかけて大きく削平を受けています。








墳丘の周りには幅6mの盾形をした周濠があります。
くびれ部左側に造り出しがあります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。

1989年(平成元年)発掘調査が行われています。
後円部中央に埋葬施設があります。
東側に開口した片袖型横穴式石室があり、組合式家形石棺が収められていたそうです。
石室の大きさは全長が4.8m、幅が2.1mあるそうです。
鉄剣・鉄刀・鉄鉾・斧・ガラス製小玉・金環・銀環・鉄環・挂甲・小札・辻金具・馬鈴・飾り金具・土師器・須恵器 などが出土しています。
大正時代に盗掘を受けています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

守山古墳群を構成しています。






愛知県名古屋市・小幡長塚古墳

2014-03-01 08:05:40 | Weblog
愛知県名古屋市守山区小幡小林の小幡原にあります。
喜多山幼稚園の隣です。

全長81m、 後円部径38m・高さ6.5m、 前方部幅42m・高さ5.5m の前方後円墳です。
前方部が発達した古墳です。


                  (後円部・・・左側が前方部)




               (前方部・・・手前が喜多山幼稚園です))

昭和11年(1936年)、愛知県による調査で墳丘の周りに盾形をした二重の周濠が廻っていることがわかりました。
現在は埋め戻されています。
くびれ部右側に造り出しがあります。
円筒埴輪や形象埴輪(水鳥形、馬形、家形、人物)などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
内部主体は不明です。

墳丘のあちらこちらに、先の大戦中に掘られた塹壕の跡が残っています。







古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

守山古墳群を構成しています。