古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県国富町・本庄古墳群27号墳

2011-09-24 08:27:23 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄宋仙寺4147の台地上にあります。
「猪の塚古墳」とも呼ばれています。
26号墳のすぐ南側です。
墳丘全体が杉林に覆われていて、古墳群中唯一墳丘の全体像がはっきりつかめない古墳です。

全長50m、 後円部径30m・高さ5m、 前方部先端幅30m・高さ5.2m の前方後円墳です。

資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。

一部観察しにくい所があります。







宮崎県国富町・本庄古墳群26号墳

2011-09-24 08:03:30 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄下馬場4441の丘陵上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「てんの塚古墳」とも呼ばれています。

全長63m、 後円部径48m・高さ6.1m、 前方部先端幅36m・高さ5.8m の前方後円墳です。

円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

資料が少なく、築造時期など詳しいことは不明です。

前方部墳頂には金刀比羅神社が祀ってあります。
墳丘に登る階段があり、肥後街道(本庄の町を東西に貫く旧道ー県道26号線の一筋南側)に面した登り口には神社名を記した立派な鳥居が立っています。

ほぼどこからでも観察できます。


   (墳丘上の建物が金刀比羅神社)


   (後円部から前方部をみています)


     ( 前 方 部 )

宮崎県国富町・本庄古墳群18号墳

2011-09-17 08:45:48 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄東ノ原4529の市街地にあります。
15号墳のすぐ西側、パチンコ店の駐車場隅です。
墳丘は一部損傷を受けています。
西銚子塚古墳とも呼ばれています。
後円部頂に15号墳同様銘を記した石碑が立っています。

全長80m、 後円部径42m・高さ5.5m、 前方部先端幅6m・高さ1.5m の柄鏡式前方後円墳です。

3基ある柄鏡式前方後円墳の一つです。
資料が少なく築造時期等詳しいことは不明です。
ただ柄鏡式ということから、13号墳や15号墳同様4世紀後半ころではないかと推定されています。

広いパチンコ店の駐車場の北側隅にひっそりとたたずんでいます。
ほぼどこからでも観察できます。


      (後円部墳頂)




   (手前が前方部です。)

宮崎県国富町・本庄古墳群15号墳

2011-09-17 08:14:44 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町東ノ原4592の市街地にあります。
13号墳とは県道26号線を挟んで北側に並んでいます。
墳丘は一部損傷を受けています。
東銚子塚古墳とも呼ばれています。
後円部頂に銘を記した石碑と仏さんを祭った祠が建っています。

全長73m、 後円部径40m・高さ4.8m、 前方部先端幅9m・高さ1.2m の柄鏡式前方後円墳です。

3基ある柄鏡式前方後円墳の一つです。
上記写真の右側、木が生い茂っている方が前方部です。

資料が少なく築造時期等詳しいことは不明です。
ただ柄鏡式と言うことから、13号墳同様4世紀後半ころではないかと推定されています。

一部観察しにくい所もあります。






     (後円部墳頂)

宮崎県国富町・本庄古墳群13号墳

2011-09-10 08:52:02 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄六日町4389の市街地にあります。
12号墳のすぐ西側、県道26号線に面しています。
墳丘はくびれ部で道路により切断されています。
上記写真は2基の古墳に見えますが、奥が後円部、手前が前方部です。
観音山塚古墳とも呼ばれています。

全長75m、 後円部径44m・高さ5.5m、 前方部先端幅10m・高さ1.2m の柄鏡式前方後円墳です。

3基ある柄鏡式前方後円墳の一つで、最も原初的な形をしています。

資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。
ほぼどこからでも観察できます。
前方部南側は、墳丘に接するようにして駐車場があります。


   (県道側より見た後円部)


   (南側より見た後円部)


(切断されたくびれ部そばに建つ祠ー左側奥が先端部です)

宮崎県国富町・本庄古墳群12号墳

2011-09-10 08:37:16 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄六日町4368の市街地にあります。
県道26号線、六日町交差点傍の「セブンイレブン」の南隣です。
墳丘は前方部が削平されていて、かって民家が建っていました。
上記写真手前が削平された前方部で、かって民家が建っていた場所です。
上山塚古墳とも呼ばれています。

全長30m(現存値)、 後円部径32m・高さ5.8m、 前方部幅?m・高さ2.3m の前方後円墳です。

資料が少なく築造時期など詳しいことは不明です。

一部観察しにくい所があります。


   (後円部墳頂に立つ墓標)




   

宮崎県国富町・本庄古墳群

2011-09-10 08:10:03 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町の本庄川と深年川に挟まれた本庄台地、東は宮王丸から西は飯盛にかけての市街地の中に混在しています。
昔から本庄四十八塚と呼ばれていました。
昭和9年8月9日(1934年)、前方後円墳17基・円墳37基・横穴墓2基・地下式横穴墓1基 合計57基が国の史跡に指定されました。
4世紀後半から6世紀にかけての古墳群です。

学術的発掘調査は行われていません。
この古墳群の特徴として、市街地の中に混在していることと共に17基の前方後円墳の中に3基の柄鏡式古墳があること、高塚式古墳と南九州特有の地下式横穴墓が混在していることなどがあげられます。
前方後円墳はそのほとんどが前方部を西に向けています。
地方豪族・牛諸井(景行天皇の孫にあたる久邇止美比古命ークニトミヒコノミコトーの孫)が諸県君としてこの地一帯を支配していましたが、この本庄古墳群はその諸県君の歴代の墓と考えられています。
諸県君牛諸井(モロカタノキミウシモロイ)の娘、髪長媛は仁徳天皇の妃になった人物です。

因みに国富町(くにとみちょう)の町名の由来は、久邇止美比古命がここ本庄の地におられたとの言い伝えを基に付けられたそうです。

愛知県名古屋市・白鳥古墳

2011-09-03 07:56:47 | Weblog
愛知県名古屋市熱田区白鳥1丁目2の台地端にあります。
「白鳥山法持寺」の東隣、白鳥公園内にあります。
熱田神宮からそう遠くない(西寄り)所です。
断夫山古墳の南側です。

全長74m、 後円部径45m・高さ7.5m、 前方部幅55m・高さ7m 二段構築の前方後円墳です。
前方部と後円部の東側が削り取られていて、原型が損なわれています。

墳丘の東側から北西側に、幅9~10mの周濠の痕跡があります。
造り出しはありません。
円筒埴輪、冑形埴輪、楯形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

「尾張名所図会附録」の記録によると、天保8年(1837年)の台風で、墳丘上の樹木が倒れ石室が露出したそうです。
石室は竪穴式石室で、全長約3.7m・幅1.2~1.5m・深さ1.5~1.8mあり、5枚の蓋石で覆われていたそうです。
その際出土したしたものとして、倭製銅鏡・六鈴鏡、直刀、鉄鉾、小刀、馬具であるf字形鏡板、心葉形杏葉、剣菱形杏葉、その他勾玉、切子玉、管玉、須恵器(器台・高坏・器台付三連坩・蓋付小坩など)などが知られています。
これらの出土品は記録されたのち、石室へ戻され墳丘も元通り修復されたそうです。

古墳時代後期・6世紀初め頃の築造と推定されています。
かって法持寺が管理していたのを明治9年(1876年)から熱田神宮が、戦後は名古屋市が管理しています。

三重県亀山市の能煩野(のぼの)の地で崩御された日本武尊が、「白鳥となって飛んできてこの地に降り立ったことから白鳥御陵と名付られた」と言い伝えられています。
実際はこの地方の豪族、尾張氏一族の墓だと考えられています。

墳丘は寺域のため一部からしか観察できません。