古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

岡山県赤磐市・和田茶臼山古墳

2016-06-25 08:49:32 | Weblog
岡山県赤磐市和田川原田、両宮山古墳の後円部外濠に接するようにした北側・田圃の中にあります。
両宮山古墳の陪塚です。








            (後円部墳頂)

全長55m、 後円部径42m・高さ4m、 前方部先端幅20m・高さ?m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
前方部を南西方向に向けています。

1990年に発掘調査が行われています。
現在は径約30mの円墳ですが、調査の結果帆立貝形の前方後円墳と判明しました。




               (左手奥に見えるのが両宮山古墳です)

墳丘の周りには二重の周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造(両宮山古墳に続く...)と推定されています。

1978年(昭和53年)、国の史跡に指定されています。

岡山県赤磐市・両宮山古墳

2016-06-25 08:18:35 | Weblog
岡山県赤磐市和田穂崎、備前国分寺跡のすぐ東側にあります。

全長206m、 後円部径116m・高さ23.9m、 前方部先端幅145m・高さ25.1m  三段構築の前方後円墳です。
前方部が後円部に対し発達している特徴があります。
岡山県内で3番目、全国でも30番目の大きさです。


                        (後円部)


                         (前方部)

前方部には両宮神社の社が建っています。



参拝用の道も設けてあります。



2002年(平成14年)から2004年(平成16年)にかけて確認調査が行われています。
その結果外濠(今は埋没)の存在が確認されています。
現在は内濠(幅21~24m)だけが残っています。
西側から南側にかけては、前方部を守るようにして今も水を湛えています。
後円部北側の一部は田圃になっています。
内濠の外側には幅28mの周庭があります。
くびれ部の両側には造り出し(かなりの高さ)があります。
墳丘に葺石は施されていません。





埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
未調査につき、埋葬施設がどのような埋葬かまた副葬品の有無については不明です。

この古墳は、国内最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」の5分の2のサイズで造られています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和2年4月8日、国の史跡に指定されています。

岐阜県各務原市・柄山(からやま)古墳

2016-06-18 08:22:47 | Weblog
岐阜県各務原市那加柄山町154、独立丘陵・柄山の山頂にあります。
ここから西方約800mのところに「琴塚古墳」(岐阜市)があります。



全長83m、 後円部径54m・高さ8.4m、 前方部先端幅38m・高さ4.9m  前方部二段、後円部三段構築の前方後円墳です。


                      (後円部墳頂)




                        (前方部)



墳丘の周りには幅2mの周濠があります。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていたとみられます。
鶏形埴輪の頭部(高さ11.6cm)などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1988年(昭和63年)発掘調査が行われています。
主体部については不明です。

前方部が後円部に比べ小規模などの特徴から、古墳時代前期・4世紀末頃の築造と推定されています。

昭和32年12月19日、岐阜県の史跡に指定されています。

墳丘へは、山の裾部から急な石段を登って行くことになります。


岐阜県各務原市・坊ノ塚古墳

2016-06-18 07:52:22 | Weblog
岐阜県各務原市鵜沼羽場町5丁目26にあります。
各務原台地の東縁部になります。
名鉄・各務原線羽場駅の北、そう遠くないところです。


                         (後円部)


            (後円部墳頂)


       (後円部から前方部を見ています)

全長120m、 後円部径72m・高さ10m、 前方部先端幅66m・高さ7.8m  二段構築の前方後円墳です。
前方部の南が道路によって一部削平されています。


前方部を南西方向に向けています。

               (前方部西側から後円部を見ています)

岐阜県内二番目の大きさです。

墳丘の周りには周濠があります。
後円部東側で幅16m、前方部南側で幅24mあります。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されています。


円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1988年(昭和63年)発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は竪穴式石室です。
石室は全長2m、幅1.45m、高さ0.23mあります。
勾玉・管玉・臼玉・斧・刀子 などの石製模造品が出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和32年3月25日、岐阜県の史跡に指定されています。

岐阜県各務原市・的場古墳

2016-06-11 08:54:30 | Weblog
岐阜県各務原市蘇原東島町3丁目の中位段丘にあります。

全長30~40m、 後円部径?m・高さ?m、 前方幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
津島神社の境内に飲み込まれていて消滅状態です。
わずかに墳丘裾部と思われる部分が残っているだけです。

1988年(昭和63年)に発掘調査が行われています。

この古墳については資料がほとんどなく、築造時期を含めて詳細は不明です。








岐阜県各務原市・大牧1号墳

2016-06-11 08:20:58 | Weblog
岐阜県各務原市鵜沼大伊木町4丁目、陵南小学校の校門を入ってすぐ左手にあります。
大牧台地の北端部になります。
「ふな塚古墳」の東、約300mのところです。

径40m・高さ4m の円墳とされていますが、前方後円墳の可能性があるといわれています。








                    (前方部先端部?)

1982年(昭和57年)、陵南小学校建設に伴い発掘調査が行われています。
埋葬施設は、南に開口する両袖型横穴式石室です。



石室は玄室が奥行き約4.5m、幅約2.5m、高さ約3.5mあります。
組合式家形石棺が収められていました。
長さ約2.4m、幅約1.2m、高さ1.3mの凝灰岩製です。



石室内からは数多くの副葬品が出土しています。
副葬品の中で特筆されるのが金色に輝く馬具類です。
金銅張の飾り馬具や三葉文心葉形杏葉、雲珠、辻金具 などです。
その他にも刀子や須恵器などとともに、直刀・鉾・鉄鏃・鎧・胡六などの武具、ガラス製丸玉、耳環(金環)、銀製空玉 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

陵南小学校の先生に、通常は施錠されている石室を開けていただき、羨道や石棺をまじかに観察することができました。

出土した豪華な副葬品の数々や石室の規模などを考えると、この古墳が前方後円墳だと信じたくなりました。

岐阜県各務原市・洞ひさご塚古墳

2016-06-04 08:42:28 | Weblog
岐阜県各務原市各務東町5丁目の低段丘にあります。









全長30m、 後円部径15m・高さ3m、 前方部先端幅11m・高さ1.5m  の前方後円墳です。
墳丘はかなりの削平を受けています。

1988年(昭和63年)3月2日、発掘調査が行われています。

この古墳については資料がほとんどなく、築造時期を含め詳細は不明です。

すぐ近くは工業団地になっています。

岐阜県各務原市・ふな塚古墳

2016-06-04 08:20:57 | Weblog
岐阜県各務原市鵜沼大伊木町3丁目の独立丘頂にあります。

全長45m、 後円部径30m・高さ6m、 前方部先端幅29m・高さ4.2m  二段構築の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
前方部を北に向けています。

造り出しはありません。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったものとみられます。








              (後円部墳頂)


                  (右側が後円部で左側が前方部)


              (前方部墳頂)

1984年(昭和59年)に各務原市教育委員会による発掘調査が行われています。
主体部が二つ確認されています。

後円部にある埋葬施設は横穴式石室です。
鉄剣、杏葉 などが出土しています。

前方部にある埋葬施設は両袖型横穴式石室で、組合式家形石棺が収められていたそうです。
ガラス製小玉、空玉、鉄刀、鉄鏃、長頸鏃、刀子、土師器、須恵器の壺・瓶・坏 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀末から7世紀はじめにかけての築造と推定されています。