古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

岐阜県岐阜市・明音寺古墳

2016-05-28 06:27:01 | Weblog
岐阜県岐阜市西郷上西郷の独立した丘頂にあります。
白山神社の裏山です。

全長53.1m、 後円部径29.4m・高さ6m、 前方部先端幅?m・高さ4.2m  二段構築の前方後円墳です。

墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
埋葬施設は横穴式石室です。

この古墳の築造時期は資料が少なくはっきりしていませんが、埋葬施設が横穴式石室であることから、古墳時代中期から後期にかけてとみられます。













岐阜県岐阜市・琴塚古墳

2016-05-28 05:58:25 | Weblog
岐阜県岐阜市琴塚3丁目ー5-37、木曽川の低位段丘上にあります。
岐阜市の東部、各務原市との境界近くです。
琴塚古墳公園として保存されています。
墳丘の周りには中に入れないよう柵がしてあります。




                    (前方部先端部)







全長115m、 後円部径68.6m・高さ10.5m、 前方部先端幅72.2m・高さ7.5m  三段構築の前方後円墳です。
岐阜県内で3番目の大きさです。
前方部を南南西に向けています。

未発掘のため内部主体部がどんなものか不明です。
勾玉、銅鏡、石槍、鏃、金環耳輪 などが出土したとも伝えられていますが、はっきりしていません。
墳丘の周りには、幅18~20mの内濠と幅7.5mの外濠(現在は埋め立てられている)の二重の周濠があります。


周濠の間には幅14.5mの堤があります。
くびれ部両側に径6mの造り出しがあります。
ただもともとはなかったようです。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和9年8月9日、国の史跡に指定されています。

被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命(いごとひめのみこと)と言い伝えられていて、そこから琴塚の名前が付けられたとのことです。

岐阜県本巣市・宗慶大塚古墳

2016-05-21 08:48:56 | Weblog
岐阜県本巣市宗慶390-1、宗慶大塚古墳公園(平成27年4月11日開園)内にあります。







全長63m、 後円部径42m・高さ4.2m、 前方部先端幅25m・高さ2.7m  二段構築の前方後円墳です。
後円部墳丘上には田辺神社の小さな祠があります。



1950年(昭和25年)、岐阜大学による発掘調査が行われています。

墳丘の周りには盾形をした周濠(幅13.41m・最大深度0.89m)があります。



1988年(昭和63年)、当時の真正町(2004年2月に本巣市と合併)教育委員会による周濠範囲確認調査が行われています。
この調査で、その周濠内から3世紀後半頃の土器多数が出土しています。
さらにくびれ部の周濠底からは底部穿孔壺も出土しています。
他にも別の層からS字状口縁台付甕や高坏、小型器台なども出土しています。

造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和31年2月24日、岐阜県の史跡に指定されています。


岐阜県大垣市・米糠山古墳

2016-05-21 08:20:19 | Weblog
岐阜県大垣市青墓町1丁目の平地にあります。
昼飯大塚古墳の西約500mの所、県道216号線とJR東海道本線立体交差点のすぐ西です。
中山道69宿の一つ、青墓宿があったところです。
墳丘上は現代の墓地になっています。











全長100m、 後方部一辺長50m・高さ5.5~6m 前方部先端幅45m・高さ4m  二段構築の前方後方墳です。
前方後方墳では、全国10番目の大きさです。

前方部を西に向けています。


墳丘の周りには幅10~15mの長方形をした周濠があります。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1987年(昭和62年)発掘調査が行われています。
後方部中央にある埋葬施設が、どのような埋葬かははっきりしていません。
既に破壊されている可能性が高いそうです。
鉄刀5本や珠文鏡などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和42年9月1日、大垣市の史跡に指定されています。

岐阜県大垣市・昼飯大塚古墳

2016-05-14 08:23:10 | Weblog
岐阜県大垣市昼飯町東大塚の平地にあります。
標高25mの牧野台地上です。







全長150m、 後円部径99m・高さ13m、 前方部先端幅80m・高さ9.5m 三段構築の前方後円墳です。
前方部を南西方向に向けています。
岐阜県最大の前方後円墳で、全国でも70番目の大きさです。
現在、前方部・後円部とも墳頂は平坦になっています。

             (後円部)


             (前方部)

墳丘の周りには幅9~23mの前方後円形をした周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・楯形埴輪・靫形埴輪・蓋形埴輪・甲冑埴輪・家形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
楯形埴輪・靫形埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪 などは後円部にある主体部の上に並べられていたようです。
後円部の一部に葺石や円筒埴輪などが復元されています。


昭和55年名古屋大学による初めての発掘調査が行われています。
平成6~11年度にかけて大垣市教育委員会による範囲確認調査が行われています。
後円部頂中央に主体部があります。
一つの墓壙に砂岩で造られた竪穴式石室(北寄り)と粘土槨(南寄り)があり、さらに西寄りに木棺が直葬されています。
明治10年代に盗掘を受けています。
石室は長さ4.5m、高さ0.8mあります。
管玉・ガラス製小玉・水晶製算盤玉・滑石製算盤玉・滑石製勾玉・滑石製臼玉・碧玉製釧・滑石製釧・刀子模造品・斧模造品・鉄剣・針・笊形土器・土師器 などが出土しています。
粘土槨がどのような埋葬かははっきりしていませんが、直刃鎌・鉄剣・鉄刀・刀子・蕨手刀子・有袋鉄斧・鉄柄付手斧 などが出土しています。
木棺外からは、鉄刀・鉄剣・鉄鎌・鉄斧・刀子 などの鉄製品が出土しています。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

この昼飯大塚古墳は、昭和31年に旧赤坂町の史跡に、昭和42年には合併後の大垣市の史跡に、平成12年9月6日には国の史跡に指定されています。

現在古墳公園としてきれいに整備されています。

岐阜県大垣市・荒尾1号墳

2016-05-07 06:38:00 | Weblog
岐阜県大垣市荒尾町中牧野の平地にあります。













全長27.5m、 後円部径19m・高さ2.1m、 前方部先端幅8.5m・高さ?m  帆立貝式の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平を受けていて、現在は後円部が残るだけです。

墳丘の周りには幅3mの盾形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。

1973年(昭和48年)発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設が、どのような埋葬かははっきりしていません。
土師器や須恵器などが周濠から出土しています。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

この荒尾1号墳を含む荒尾古墳群は、昭和31年10月9日大垣市の史跡に指定されています。



「荒尾古墳群」
牧野町から荒尾町にかけて分布しています。
かっては十数基あったそうですが、現在は荒尾町にある御首(みくび)神社境内などに5基が残るだけです。
6世紀から7世紀にかけての古墳群です。

岐阜県大垣市・矢道長塚古墳

2016-05-07 05:53:35 | Weblog
岐阜県大垣市矢道町権現前の水田の中にあります。
「ぬくもりの郷」の東隣です。


                         (左が後円部)


                         (右が後円部)


                         (前方部先端)


         (竹林になっている前方部)

  
          
全長89m、 後円部径65×54m・高さ4.2m、 前方部先端幅43m・高さ2.7m  三段構築の前方後円墳です。
後円部は昭和4年に土取りのため消滅しています。
現在消滅した後円部の跡地には、地元の人々によって顕彰碑が建てられています。


墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

昭和4年の土取りの際の発掘調査で、主軸と直交する2基の粘土槨が発見されています。

後円部東側にあった粘土槨(全長5.45m、幅0.45m)は割竹形木棺による埋葬です。
棺内から中国製三角縁獣文帯三神二獣鏡・中国製三角縁波文帯三神三獣鏡・中国製唐草文帯二神二獣鏡・硬玉製勾玉3・碧玉製管玉48・ガラス製小玉多数・鍬形石3・鉄刀2・素環頭太刀1・銅鏃 などが出土しています。
棺外から鉄刀5・鉄斧・鉄鏃14 などが出土しています。

後円部西側にあった粘土槨(全長1.76m、幅0.3m)は箱形木棺による埋葬です。
棺内からは倭製内行花文鏡・倭製三角縁獣文帯三神三獣鏡・硬玉製勾玉3・碧玉製管玉245・ガラス製小玉多数・石釧76・鉄刀2 などが出土しています。
棺外からは石製合子1・石杵2 などが出土しています。

これら出土品は、東京国立博物館に収蔵されています。
なお石釧の出土数は、奈良県・櫛山古墳に次ぐ多さだそうです。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

岐阜県の史跡に指定されています。