古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県高鍋町・持田15号墳

2007-10-27 09:33:00 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田西ヶ原の台地上にあります。
14号墳と並ぶようにしてあります。
石舟塚古墳とも呼ばれています。
全長45m、 後円部径25m・高さ5.3m、 前方部幅26m・高さ5m 二段構築の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていたと見られています。
円筒埴輪や形象埴輪などが採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜式舟形石棺で埋葬されていました。
船形石棺は、日向中央平野部では極めて珍しいものだそうです。
この石棺は以前は後円部上におかれていました。私も実際に見たことがあります。
江戸時代末期の安政年間に掘り出されたもので、1965年・石川恒太郎によって発掘調査が行われました。6つの縄掛突起があったと思われています。内側には朱が付着していたそうです。
出土品は盗掘を受けているのではっきりしません。
持田古墳群を構成しています。
この古墳の築造時期は特定されていません。

宮崎県高鍋町・持田14号墳

2007-10-27 09:16:32 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田西ヶ原の台地上にあります。
全長40m、 後円部径21m・高さ3.9m、 前方部幅23m・高さ3.6m の前方後円墳です。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていたと見られています。
円筒埴輪や形象埴輪などが採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
後円部頂にある埋葬施設には木棺が直葬されていたそうです。
出土品としては盗掘を受けているのではっきりしませんが、画文帯神獣鏡・直刀・鉄鏃・硬玉製勾玉・硬玉製管玉・勾玉・ガラス製小玉などが知られています。
持田古墳群を構成しています。
この古墳の築造時期は特定されていません。

宮崎県高鍋町・持田1号墳

2007-10-20 14:09:58 | Weblog
宮崎県児湯郡高鍋町持田計塚の台地西端にあります。
別名 計塚(はかりづか)古墳とも呼ばれています。
全長120m、 後円部径65m・高さ10.5m、 前方部幅36m・高さ5.5m の柄鏡式前方後円墳です。古式古墳として知られ、宮崎県内で5番目の大きさです。





造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
埴輪の出土は確認されておらず、埴輪の配列はなかったものと思われます。
埋葬施設は竪穴式石室で、割竹形か組合せ式の木棺が収められていたそうです。
ただ竪穴式石室でも、畿内を中心に見られる天井石で囲む大型石室ではなく、前後両側を石積みして固めた簡単な構造です。
出土品として鏡2面・鉄鏃・硬玉製勾玉などが知られています。
2面の鏡の一つは、盤龍鏡です。面の径12.4cm、縁の厚さ8mmで周囲の銘帯には
「青蓋作竟四夷服 多賀国家人民息 胡子殄 滅天下復大吉乎」 との銘文が記されているそうです。「王は鏡を作って、四夷(東夷・西戒・南蛮・北狄)を服従させ、住み良い国とさせ人民は安息に暮らした。北方の胡族も討ち滅ぼしたので天下はまた大いに善くなった。」との意かと・・・
もう1面の鏡は、獣文縁獣帯鏡です。面の径18cm、縁の厚さ4mmの鉛白銅色の鏡です。
この2面の鏡は現在宮崎県総合博物館が所蔵しています。
持田古墳群を構成しています。
4世紀後半の築造と推定されています。
昭和36年2月25日、国の史跡に指定されています。

「持田古墳群」
宮崎県のほぼ中央を流れる、小丸川下流左岸台地上にあります。
前方後円墳10基を含む85基の古墳があります。
昭和4~5年ごろ、ほとんどすべての古墳が盗掘されています。
そのため出土品(特に鏡などは)ほとんど県外に散逸したと言われています。
昭和36年2月25日、この古墳群は一括して国の史跡に指定されています。



(余談)
持田古墳群のある高鍋町は、旧秋月藩2万7千石の城下町です。
米沢藩・上杉15万石の深刻な財政危機を、大胆な行政改革で乗り越えた「上杉鷹山」はこの秋月藩の生まれです。宝暦10年、上杉家の養子になりました。

福岡県広川町・善蔵塚古墳

2007-10-13 13:43:28 | Weblog
福岡県八女郡広川町六田善蔵塚の丘陵上にあります。
八女市と接しています。
全長100m、 後円部径57m・高さ9m、 前方部幅60m・高さ7m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘は一部破壊されています。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
墳丘の周りには、周溝(空堀)があります。
円筒埴輪や人物埴輪が採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
八女古墳群中3番目の大きさです。
国の史跡に指定されています。

福岡県八女市・丸山古墳

2007-10-13 13:33:21 | Weblog
福岡県八女市大字本字蓮池2795の八女丘陵東部の丘陵斜面にあります。
全長46m、 後円部径28m・高さ5m、 前方部幅16m・高さ3.7m 二段構築の前方後円墳です。
立山丸山古墳と呼ばれることもあります。
造り出しはありません。
墳丘には葺き石が施されていました。
円筒埴輪や人物埴輪が採集されおり、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は、未調査のため不明です。
八女古墳群を構成しており、また国の史跡にも指定されています。
古墳時代後期、6世紀中ごろの築造と推定されています。






福岡県八女市・釘崎4号墳

2007-10-06 09:31:15 | Weblog
福岡県八女市豊福豊福の丘陵上にあります。
全長30m、 後円部径14m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
後円部墳丘上に庚申堂があることから、庚申堂古墳とも呼ばれています。
前方部は削平されており、そのため不明な点もあります。
造り出しはありません。
円筒埴輪などが採集されています。
釘崎古墳群を構成しています。

福岡県八女市・釘崎2号墳

2007-10-06 09:23:31 | Weblog
福岡県八女市豊福釘崎の丘陵上にあります。
1号墳に接するように並んでいます。
全長47m、 後円部径27m・高さ?m、 前方部幅28m・高さ?m 二段構築の前方後円墳です。
造り出しはありません。
円筒埴輪や盾(?)形埴輪などが採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
古墳は一部、破壊をうけているため詳しいことは不明です。
1977年には測量調査が行われています。
釘崎古墳群を構成しています。

福岡県八女市・釘崎1号墳

2007-10-06 09:14:24 | Weblog
福岡県八女市豊福釘崎の丘陵上にあります。
全長57m(現存するもの)、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
造り出しはありません。
円筒埴輪などが採集されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていたものと思われます。
古墳は破壊をうけているため、詳しいことは不明です。
釘崎古墳群(八女古墳群の支群)を構成しています。
鶴見山古墳からそう遠くないところにあります。