岡山県岡山市北区新庄下にあります。
造山古墳の南西約200mの所で、造山古墳の6基ある陪塚の一つです。
造山5号墳と呼ばれることもあります。
全長74m、 後円部径54m・高さ6.8m、 前方部幅(先端幅)25m・高さ2.3m 三段構築の帆立貝式前方後円墳です。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1987年に発掘調査が行われています。
主体部が二つ確認されています。
後円部にある埋葬施設は横穴式石室です。
吉備地方では最古の横穴式石室で、玄室は長さ3.45m・幅2.5m・高さ2.7mあり、板石を積み上げて造られています。
石室内からは直弧文が刻まれた石障が見つかり、一躍注目されることになりました。
この直弧文や石室の構造が、九州・肥後地方に見られる装飾古墳に似ていることが分かっています。
石室の壁に積みあげられた板石も、九州から運ばれた(佐賀県・松浦砂岩)可能性が高いそうです。
石障とは、石室内で遺体を安置する場所を区切るベッドのような横に長い石材のことを言います。
倭製半円方形帯変形五獣鏡、碧玉製勾玉、ガラス製小玉、鉄鏃などが出土しています。
後円部頂にあるもう一つの埋葬施設は、どのようなものだったのかはっきりしていません。
ただ粘土槨の一部が露出しています。
変形五獣鏡、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄剣、鉄刀、草綴短甲、斧などが出土しています。
5世紀中ころの築造と推定されています。
大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。
2009年10月呪術文様の一部の剥落が見つかり、また2010年5月には調査のため水没していた石室の水を抜いた際、白カビが発生したことでニュースになりました。
造山古墳の南西約200mの所で、造山古墳の6基ある陪塚の一つです。
造山5号墳と呼ばれることもあります。
全長74m、 後円部径54m・高さ6.8m、 前方部幅(先端幅)25m・高さ2.3m 三段構築の帆立貝式前方後円墳です。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1987年に発掘調査が行われています。
主体部が二つ確認されています。
後円部にある埋葬施設は横穴式石室です。
吉備地方では最古の横穴式石室で、玄室は長さ3.45m・幅2.5m・高さ2.7mあり、板石を積み上げて造られています。
石室内からは直弧文が刻まれた石障が見つかり、一躍注目されることになりました。
この直弧文や石室の構造が、九州・肥後地方に見られる装飾古墳に似ていることが分かっています。
石室の壁に積みあげられた板石も、九州から運ばれた(佐賀県・松浦砂岩)可能性が高いそうです。
石障とは、石室内で遺体を安置する場所を区切るベッドのような横に長い石材のことを言います。
倭製半円方形帯変形五獣鏡、碧玉製勾玉、ガラス製小玉、鉄鏃などが出土しています。
後円部頂にあるもう一つの埋葬施設は、どのようなものだったのかはっきりしていません。
ただ粘土槨の一部が露出しています。
変形五獣鏡、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄剣、鉄刀、草綴短甲、斧などが出土しています。
5世紀中ころの築造と推定されています。
大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。
2009年10月呪術文様の一部の剥落が見つかり、また2010年5月には調査のため水没していた石室の水を抜いた際、白カビが発生したことでニュースになりました。