古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良市・小奈辺古墳

2008-02-23 09:25:01 | Weblog
奈良県奈良市法華寺町小那辺1804、航空自衛隊駐屯地西側にあります。
全長204m、 後円部径126m・高さ20m、 前方部幅129m・高さ17.5m の三段構築の前方後円墳です。
全国で32番目の大きさの巨大古墳です。
宮内庁が小奈辺陵墓参考地として管理しています。
墳丘東西のくびれ部に造り出しがあります。
墳丘の周りは、宇和奈辺古墳ほどの水量ではありませんが、今も水を湛えた周濠になっています。
外堤からは円筒埴輪列が見つかっています。
同じように墳丘からも円筒埴輪などが採集されていて、埴輪の配列がなされていました。
前方部北側から後円部にかけて、10基の陪塚が整然と並んでいるのが知られています。
1基を除てあとはすべて方墳で、そのうち7基は陵墓参考地になっています。
古墳時代中期の築造と推定されています。
ほぼ何所からでも観察することが出来ます。
宇和奈辺古墳ともども、奈良盆地を見下ろす最高の場所にあります。

奈良市・宇和奈辺古墳

2008-02-16 09:44:54 | Weblog
奈良県奈良市法華寺北町宇和奈辺1289、航空自衛隊駐屯地東側にあります。
全長270m、 後円部径140m・高さ20.6m、 前方部幅140m・高さ19.6m 三段構築の前方後円墳です。
全国で13番目の大きさを誇る巨大古墳です。
宮内庁が宇和奈辺陵墓参考地として管理しています。
墳丘西側のくびれ部に造り出しがあります。
そこから祭祀が行われた痕跡を示す、土器や魚形・容器などの土製品が採集されています。また、蓋坏・高坏・はそう・器台・壷なども出土しています。
墳丘の周りは今も水を湛えた周濠(ウワナベ池)になっています。
さらにその外側にも周濠があった可能性があるそうです。
外堤上(幅24~30m)から円筒埴輪列がみつかっています。
墳丘には葺き石が施されていたと見られています。
また円筒埴輪や蓋形埴輪等が採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
古墳北側には、かって5基の陪塚があったそうですが、現在は1基残るのみだそうです。
古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と推定されています。
ほぼどこからでも観察することが出来ます。
水面に映る姿は歴史の重さを感じさせるものでした。

奈良市・塩塚古墳

2008-02-09 09:43:13 | Weblog
奈良県奈良市歌姫町塩塚の低台地縁辺にあります。
瓢箪山古墳から500mほど北に行ったところです。
全長113m、 後円部径70m・高さ9m、 前方部幅55m・高さ2m の二段構築の前方後円墳です。
前方部が著しく低平なのは、奈良時代・平城宮の施設、松林苑(平城宮に匹敵する広大な規模だった。)の中に塩塚古墳があり、しかも一番高い場所で眺めの良い所だったため、削って建物の基壇としたようです。奈良時代の瓦が大量に出土しています。
墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
円筒埴輪の破片が出土していて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
後円部頂にある主体部は、割竹形木棺が粘土槨で覆われた状態で埋葬されていました。この粘土槨は長さ6.8m、幅1.3m~1.45mあったそうです。
出土品として、鉄製工具類、斧頭、鎌、蕨手刀子などがあります。
蕨手刀子は、奈良県下では、五条市・塚山古墳出土と2例しかない珍しいものだそうです。
墳丘の周り東側だけ、後円部北半分まで幅12~20mの濠があり、後円部西側にくびれ部までの幅1~2mの空濠がありました。
古墳時代中期(5世紀前半)の築造と推定されています。
昭和50年6月27日、国の史跡に指定されています。
雑木林に囲まれているため、一部からしか観察できません。
傍に説明板が建っています。

奈良市・瓢箪山古墳

2008-02-09 09:10:11 | Weblog
奈良県奈良市佐紀町衛門戸3233の低台地縁辺にあります。
近鉄京都線・平城駅東500m、郵便局の先を南に折れ、200mほどいった所にあります。
佐紀陵山古墳のすぐ東側です。
全長96m、 後円部径60m・高さ10m、 前方部幅45m・高さ7m の二段構築の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
また埴輪の配列がなされていました。
古墳前方部に小さな粘土槨があって、琴柱形石製品が出土したそうです。
墳丘の周りには周濠があります。
ただ前方部南西には他の古墳があったため、その部分は周濠が欠けています。
古墳時代前期(5世紀前半)の築造と推定されています。
昭和46年5月27日、国の史跡に指定されています。
傍には説明板もあり、ほぼどこからでも観察できます。
訪ねた日、女性のグループが古墳上で弁当を食べていました。

奈良市・佐紀陵山古墳

2008-02-02 09:35:08 | Weblog
奈良県奈良市山陵町御陵前、近鉄京都線・平城駅の東すぐにあります。
3基の陵墓が並んでいて、その中で一番東側にあります。
全長207m、 後円部径131m・高さ18m、 前方部幅87m・高さ12.3m の三段構築の前方後円墳です。
全国で26番目の大きさの巨大古墳です。
宮内庁が第11代垂仁天皇(イクメイリヒコ)の皇后、日葉酢媛命狭木之寺間陵として管理しています。
墳丘の周りは今も水を湛えた水濠になっています。
さらに周濠の外側には幅8~10mの周庭があります。
墳丘には葺き石が施されていたとみられています。
円筒埴輪や家形埴輪・盾形埴輪・蓋形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
後円部頂中央にある埋葬施設は竪穴式石室で、南北に長さ8.55m、幅1.09m高さ1.48mの大きなものだそうです。
東西の側壁は割り石を小口積みし、南北の短い側壁は大きな1枚岩でもって作られているそうです。
石室内から流雲文縁変形方格規矩鏡、倭製内向八花紋鏡など鏡4面、車輪石・石釧・琴柱形石などの石製模造品が出土しています。
石室の真上から出土した埴輪のなかで、きぬがさ形埴輪は高さが1.5m、幅2mもある巨大なものでした。
この古墳は古墳時代前期の築造と推定されています。
ほぼ何所からでも観察できます。


「追記」
平成21年2月20日、考古学・歴史学系の15学会の代表による墳丘の立ち入り調査が行われました。
最下段部を観察するだけで、発掘や遺物の採取は行われていません。
約2時間かけて調査されたそうです。
陵墓への立ち入り調査は、昨年2月のすぐ近くにある五社神古墳についで2例目です。                         
                                                
                    (2009年2月22日記)