古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

長野県飯田市・代田獅子塚古墳

2017-06-24 06:15:42 | Weblog
長野県飯田市松尾代田の天竜川中流右岸の河岸段丘上にあります。
JR飯田線と国道151号線に挟まれたところです。
「代田1号墳」とも呼ばれています。

全長61m、 後円部径40.6m・高さ7m、 前方部先端幅25m・高さ4m  の前方後円墳です。
宅地などで東側は大きく削平されています。
後円部は公園(?)、前方部は果樹園になっています。










                         (後円部)

墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
刀剣、鈴、玉類 などが出土しています。
後円部には横穴式石室があったといわれています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・代田山狐塚古墳

2017-06-24 05:49:51 | Weblog
長野県飯田市松尾代田1403-71、天竜川中流右岸の河岸段丘端部・標高約460mの南南東に向かって傾斜する斜面上です。
飯田女子短大のある丘陵先端部です。
「代田山2号墳」とも呼ばれています。

全長約44.5m、 後方部一辺長28m・高さ5.3m、 前方部先端幅28m・高さ1.5m  の前方後方墳です。
後方部はほぼ正方形をしています。



傾斜のある自然地形を利用して造られているため、前方部のある南側と後方部の東側との高度差がかなりあります。


                         (後方部東側)


                         (奥が前方部)



                         (奥が後方部)

墳丘の西側及び北側には幅6~7mのL字型をした周濠があります。
深さは西側で約80cm、北側で約60㎝です。


               (左側が後方部、右側が前方部、手前が周濠)


この古墳は従来古墳時代後期の築造とみられていましたが、1993年7月の測量調査の結果、古墳時代前期・4世紀代の築造と判明しました。
伊那地方最古の前方後方墳です。

平成6年2月17日、長野県の史跡に指定されています。

長野県飯田市・水佐代(みさじろ)獅子塚古墳

2017-06-17 06:21:48 | Weblog
長野県飯田市松尾水城3457の河岸段丘端にあります。
「水城獅子塚古墳」とか「水城1号墳」とも呼ばれています。


                     (右奥が前方部)


全長約60m、 後円部径27.4m・高さ4.2m、 前方部先端幅21.4m・高さ4m  の前方後円墳です。
墳丘の東側は宅地で大きく削平を受けています。
前方部には樹齢350年以上といわれ、飯田市の天然記念物に指定されているエドヒガン桜があります。





後円部は平たく削られていて、天神様や秋葉山大権現・金毘羅大権現など6つの祠や石碑が祀られています。





墳丘の周りには周濠(後円部北側に原形が残る)があります。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
後円部にある埋葬施設は横穴式石室のようですが、詳しいことはわかっていません。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

平成12年11月22日、飯田市の史跡に指定されています。
飯田古墳群を構成する1基として、平成28年10月3日国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・御射山(みさやま)獅子塚古墳

2017-06-17 05:48:00 | Weblog
長野県飯田市松尾久井284の河岸段丘上にあります。
国道153号線沿いの墓地隣です。

全長約63m、 後円部径32m・高さ5.5m、 前方部先端幅43m・高さ6.5m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を南西方向に向けています。
前方部の幅が後円部径より広くかつ1m以上高くなっています。


                    (左側が前方部、右側が後円部です)


                          (前方部)



                          (後円部)


これまで正式な発掘調査は行われていません。
そのため埋葬施設や副葬品などの詳細は不明です。
かって後円部に横穴式石室があったものの、明治時代に破壊されたと言い伝えられています。
ただ確認はされておらず詳細は不明です。
墳丘の周りには周濠があります。
その周濠跡は墓地になっています。



茶柄山古墳群を構成しています。
JR飯田線・下村駅の南東300mほどの台地上に分布しています。
5世紀代の古墳とともに馬を埋葬した墓が10基確認されています。
この地は当時国内屈指の馬生産地として、大和政権を支えていました。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

飯田古墳群を構成する1基として、平成28年10月3日国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・おかん塚古墳

2017-06-10 06:26:46 | Weblog
長野県飯田市松尾上溝2802-1にあります。
上溝天神塚古墳の西約100m、国道151号線(遠州街道)添いです。
「上溝1号墳」とも呼ばれています。

全長現状約41.8m(推定50m)、 後円部径?m・高さ6m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。





この古墳には前方部と後円部にそれぞれ横穴式石室がありました。
昭和41年、市道と宅地造成工事で前方部(石室を含む)が消失しています。
その折、飯田市教育委員会による発掘調査が行われています。
前方部にあった石室は、無袖型の横穴式石室だったそうです。

昭和57年筑波大学による後円部石室の測量調査が行われています。
花崗岩でつくられた両袖型の横穴式石室で、全長9.2m、玄室長4.5m・幅3.2m・高さ3.2m、羨道の長さ6.05m・幅1.6m・高さ1.9mあります。
入り口(羨道)より玄室のほうが広く、そして高くなっています。
南南西方向に開口しています。









古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

飯田古墳群を構成する1基として、平成28年10月3日国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・上溝(あげみぞ)天神塚古墳

2017-06-10 06:02:51 | Weblog
長野県飯田市松尾3384にあります。
上溝集会所のとなりです。
「上溝5号墳」とも呼ばれています。


                         (後円部)


全長約41.5m、 後円部径25m・高さ5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  二段構築の前方後円墳です。
前方部は消失しています。
墳丘上には天神社が祀られています。





1985年、発掘調査が行われています。
墳丘の周りには二重の周濠があります。
後円部中央にある埋葬施設は、大型の自然石を積み上げた細長い無袖型横穴式石室です。
南南西方向に開口しています。





花崗岩の割石でつくられていて、全長10.7m、幅2.1m、高さ1.8mあります。
鏡、四鈴鏡、鉄剣、鉄鏃、金環、玉類、須恵器、土師器などが出土しています。
なお墳丘の底部から5世紀代の竪穴住居址が発見されています。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

飯田古墳群を構成する1基として、平成28年10月3日国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・姫塚古墳

2017-06-03 06:08:57 | Weblog
長野県飯田市松尾3366の台地縁辺にあります。
「上溝6号墳」とも呼ばれています。


                  (左が前方部、右の茂みが後円部です)

全長約40m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
後円部には愛宕神社の小さな祠が建っています。




                      (奥が前方部です)

その後円部には、南に開口している右片袖型横穴式石室があります。



愛宕神社への参道下です。


               (石段を登り切ったところの下が石室開口部です)

花崗岩製で、全長2.9m、幅1.1m、高さ1.4mあります。
石室内は朱塗りされていたようです。



1985年、発掘調査が行われています。
造り出しはありません。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土もありません。
七鈴鏡などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

飯田古墳群を構成する1基として、平成28年10月3日国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・羽場獅子塚古墳

2017-06-03 05:43:56 | Weblog
長野県飯田市松尾3187の松尾上溝児童公園内にあります。
「上溝15号墳」とも呼ばれています。
卸売団地の南側の丘陵東端です。







全長44.3m、 後円部径21m・高さ3m、 前方部先端幅13.6m・高さ2.5m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく破壊されていて、後円部がわずかに残っているだけです。
児童公園になっているところが前方部です。



造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていたようです。





埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
埋葬施設は、未調査につきはっきりしていませんが、竪穴式石室とみられています。

この古墳については、前方後方墳との説もありましたが、2012年の範囲確認調査で前方後円墳と確認されました。
あわせて周濠も検出されました。

古墳時代中期・5世紀前半頃の築造と推定されています。