古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

滋賀県長浜市・北山塚古墳

2020-05-30 05:23:50 | Weblog
滋賀県長浜市堀部町の平地(集落内)にあります。

全長29m、 後円部径20m・高さ2m、 前方部幅6m・高さ?m  の前方後円墳です。

(後円部)







               (手前が前方部)

1989年に発掘調査が行われています。
資料がほとんどなく詳細は不明です。
前方部はかなり削平されているようです。

個人のお宅(所有者?)敷地内にあり、住宅の裏側から墳丘に上る道がありその上(後円部墳丘上)に社が祀られています。
住人の方が大事に祀られているようでした。










滋賀県長浜市・西塚古墳

2020-05-23 05:27:28 | Weblog
滋賀県長浜市堀部町の丘陵頂にあります。
丸岡塚古墳の東、そう遠くないところです。

全長29m、 後円部径20m・高さ2m、 前方部先端幅6m・高さ2m  の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。

48基以上からなる横山(南部)古墳群を構成しています。

1989年に発掘調査が行われているようですが、資料がほとんどなく築造時期を含め詳細は不明です。


(道路脇に立つ古墳の案内標柱、文字はほとんど判読できません)


(上記標柱脇の階段を登ったところにある社務所・階段上が古墳です)


         (社務所前広場隅の紅葉)

(前方部)

 
(後円部)



               

               

滋賀県長浜市・丸岡塚古墳

2020-05-16 05:24:00 | Weblog
滋賀県長浜市堀部町の平地にあります。
長浜市立東中学校のすぐ北側です。
周りは田圃で囲まれています。

全長130m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部はすでに消滅していますが、湖北最大の前方後円墳です。

48基以上からなる横山古墳群(南部古墳群)を構成しています。
資料がほとんどなくそのほかの詳細は不明です。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。
























滋賀県長浜市・越前塚39号墳

2020-05-09 05:25:17 | Weblog
滋賀県長浜市加納町越前塚の平地にあります。
白山神社の北側、「北菱モールド」社の敷地入ってすぐのところです。

全長32.7m、 後円部径19.9m・高さ4m、 前方部幅12m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平されているようです。













1981年~1982年(昭和56年~57年)、工場用地の造成に先立ち長浜市教育委員会が15,500㎡を発掘調査しました。
その際多くの古墳が見つかり、唯一この古墳だけが前方後円墳でした。
墳丘の周りには幅2.8m~11mの周濠があります。
須恵器が出土しています。
資料が少なくそのほかの詳細は不明です。

古墳時代後期に築造されたものと推定されています。

滋賀県米原市・息長広姫陵古墳

2020-05-02 05:10:39 | Weblog
滋賀県米原市村居田の平地にあります。
長浜市との境界(横山丘陵)すぐです。
宮内庁が第30代敏達天皇(538~585)の皇后・息長広姫の陵墓として管理しています。


「村居田古墳」とも呼ばれています。

全長60m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅13m・高さ3m  の前方後円墳です。
但し墳丘は、陵墓指定されている後円部とみられる小さな円墳部(現状)を除いて消滅しています。
そばを通る道に墳形の名残を感じ取ることができます。


                (背後は横山丘陵の北端です)









元禄9年(1696年)、光運寺の本堂改築のためこの地を開拓した際、石槨と家形石棺(長さ約2.19m・幅約1.07m・高さ約0.48mの4基の縄掛突起を持つ)が発見されたそうです。
『延喜諸陵式』に「息長墓 舒明天皇の祖母・名臼広姫、在近江国坂田郡」との記載があることにより、息長姫の陵墓に比定されたのだそうです。
広姫の時代(6世紀後半)とは、年代的に相違することが指摘されているそうです。

近年、光運寺本堂裏の陵墓に隣接する基壇石垣の改修工事が行われた際、5世紀末頃のものと考えられる多数の円筒埴輪片が出土しました。
このことから、本堂の基壇が古墳の墳丘の一部だと判明したそうです。
光運寺本堂の南側にある古墳(息長陵付属地・息長姫陵古墳群)は陪塚と考えられています。







               (手前は光運寺の鐘楼)





出土した埴輪から、5世紀末頃の築造と推定されています。