古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

群馬県安中市・流敵塚古墳

2017-12-30 06:35:14 | Weblog
群馬県安中市板鼻毘沙門387、県道10号線・上毛三山パノラマ街道(前橋・安中・富岡線)の安中市側です。
高崎市との境界近くの丘陵上です。
「立的塚古墳」とか「荒木塚古墳」とも呼ばれています。

全長約20m、 後円部径20m・高さ5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  段築された帆立貝形の前方後円墳です。













円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

その他資料がほとんどなく、遺物の出土の有無など詳細は不明です。

築造時期は5世紀代と推定されています。

後円部墳頂には、小さな祠と安中市指定史跡になっている「荒木寅三郎」の墓があります。








群馬県安中市・簗瀬二子塚古墳

2017-12-30 05:50:32 | Weblog
群馬県安中市簗瀬756-1ほか、碓氷川右岸中流域の河岸段丘上にあります。
原市小学校の南、約400mほどのところです。
「原市町13号墳」とも呼ばれています。

全長80m、 後円部径52m・高さ8m、 前方部先端幅60m・高さ7m  二段構築の前方後円墳です。


                  (右が後円部)


                  (右が前方部)


                    (前方部)



                    (後円部)


墳丘の周りには二重の盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や盾形埴輪・形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部のやや東寄りに埋葬施設・両袖型横穴式石室があります。
石室は全長11.5m、羨道の長さ7.47m・幅0.95m・高さ1.7m、玄室は長さ4.07m・幅2.32m・高さ2.2mあり、単室構造です。
玄室壁全面がベンガラで朱塗りされているそうです。
羨道から玄室に向かって2段低くなっています。
南方向に開口しています。
この石室は明治12年に発見されたそうで、群馬県内最古の横穴式石室といわれています。
現在石室内部には入れません。



硬玉製勾玉、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、滑石製臼玉、金銅製丸玉、水晶製丸玉、ガラス製丸玉、ガラス製小玉、琥珀製小玉、水晶製算盤玉、金銅製耳環、石製模造鏡、石製模造鎌、石製模造刀子、石製模造斧、石製模造剣、鉄刀、鉄鏃、長頸鎌、挂甲小札、鉄地金銅張辻金具、轡、鞍、須恵器、土師器 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀初めころの築造と推定されています。

平成24年(2012年)11月27日、安中市の史跡に指定されています。

この古墳は以前個人所有の竹林だったのを、安中市が買収し2015年7月史跡公園として整備、公開されたものだそうです。
後円部墳頂には明治19年、「黒田清綱」氏が建てた「布多古塚碑」があります。






群馬県安中市・ほうり塚古墳

2017-12-23 06:15:26 | Weblog
群馬県安中市西上秋間田入道、秋間川右岸の梅林に囲まれた丘陵上です。
自然丘陵を利用して造られていて、そう遠くないところに「秋間梅林」があります。
「秋間村1号墳」とも呼ばれています。









全長約30.3m、 後円部径18.2m・高さ?m、 前方部先端幅15.2m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘上にはたくさんの庚申塔や墓石が建っていて、かなり削平を受けています。









資料がほとんどなく築造時期や遺物の出土の有無など詳細は不明です。

地主の方の好意で、畑のあぜ道を歩いて観察することができました。

群馬県富岡市・妙部塚古墳

2017-12-23 05:53:37 | Weblog
群馬県富岡市、上信電鉄・東富岡駅の東すぐのところです。
上信電鉄の線路を挟んで富岡農協会館の南側・線路近くにあります。

全長約20m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
その墳丘上は梅林になっています。

築造時期は6世紀末から7世紀初めころとみられていますが、資料がほとんどなく遺物の出土を含め詳細は不明です。

(後円部)













(前方部)






群馬県富岡市・高瀬行人塚古墳

2017-12-16 01:30:24 | Weblog
群馬県富岡市中高瀬天ノ間にあります。
「疱瘡山古墳」とか「高瀬村23号墳」とも呼ばれています。

全長約48.5m、 後円部径?m・高さ7.3m、 前方部先端幅?m・高さ5.1m  の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。






                 (奥が前方部)




                    (後円部)




墳丘には葺石が施されていたようです。



埋葬施設は横穴式石室とみられています。

資料がほとんどなく詳細は不明です。

高瀬桐淵古墳群を構成しています。

群馬県富岡市・粘土(ねばつち)山古墳

2017-12-16 01:02:52 | Weblog
群馬県富岡市中高瀬神田にあります。
上信電鉄・西富岡駅の南約1.4Kmほどの鏑川右岸の河岸段丘上です。
世界遺産に登録された「富岡製糸場」は鏑川を挟んでこの古墳の北側にあります。
「高瀬村30号墳」とも呼ばれています。





全長約62m、 後円部径約39m・高さ?m、 前方部先端幅44m・高さ?m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を西方向に向けています。



これまで円墳と考えられていましたが1970年の調査で、西側の前方部は失われていたものの二段構築の前方後円墳と確認されました。
墳丘の周りには幅9mの周濠があることも判明しました。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
後円部中央にある埋葬施設は、西南方向に開口する横穴式石室です。
ただ調査時点では天井石は持ち去られ、後円部もかなり破壊されていたそうです。









石室内の詳細ははっきりわかっていません。
現在墳丘は復元整備されています。

古墳時代終末期・7世紀初めころの築造と推定されています。

高瀬桐淵古墳群を構成しています。

群馬県富岡市・桐淵双子塚古墳

2017-12-09 06:30:00 | Weblog
群馬県富岡市中高瀬桐淵、鏑川中流右岸の河岸段丘上にあります。
「高瀬村22号墳」とも呼ばれています。





全長約46m、後円部径27m・高さ4m、 前方部先端幅19m・高さ2m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
墳丘はかなり削平を受けています。









墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。



後円部中央にある埋葬施設は、横穴式石室と推定されています。

古墳時代の終末期・7世紀初めころの築造と推定されています。

前方後円墳3基を含む全45基からなる、高瀬桐淵古墳群を構成しています。

群馬県富岡市・一ノ宮4号墳

2017-12-09 05:56:46 | Weblog
群馬県富岡市一ノ宮町田島343-1、群馬県富岡合同庁舎の中庭に復元保存されています。





全長約48m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。



群馬県富岡合同庁舎の建設に伴い、平成10年~11年にかけて発掘調査が行われました。
発掘調査時には墳丘の大部分は削られていたそうです。
調査の結果墳長が約48mで、幅6~8mの周濠が廻っていることが判明しました。
埋葬施設は無袖型横穴式石室です。
幅は1m強と狭いものの、入り口からは奥行き12m以上あったようです。
天井石はなくなっていたものの、周りの壁の石積みは良好な状態で残っています。
入り口は普段は施錠(ガラス扉)されているそうですが、県税事務所の職員の方が開錠のうえ中を見せてくださいました。
石室内は赤い色(朱?)が塗られています。
横穴式石室が東日本に導入され始めたころの初期の横穴式石室で、貴重なものです。








鎧や太刀片、土器、埴輪片などが周濠跡から出土しています。

古墳時代後期・6世紀初めころの築造と推定されています。

平成13年4月13日、富岡市の史跡に指定されています。

群馬県富岡市・堂山稲荷古墳

2017-12-02 06:36:42 | Weblog
群馬県富岡市一ノ宮町南平、鏑川左岸の河岸段丘上にあります。
国道254号線と県道192号線の交差点近く、上信電鉄・上州一ノ宮駅の南西の線路脇です。
線路を挟んで南側には群馬県富岡合同庁舎があります。
「堂山古墳」とか「一ノ宮3号墳」とも呼ばれています。











全長約48m、 後円部径約30m・高さ6.5m、 前方部先端幅38m・高さ5.5m  二段構築の前方後円墳です。
墳丘は公園化されたり一部梅林として利用されるなどして、変形や削平されています。
後円部墳頂には堂山稲荷神社が建っています。







また「とみおか名木十選」に選ばれている樫木の巨木もたっています。





墳丘の周りには二重の楯形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や人物(楯持人)埴輪・馬形埴輪・器材埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1980年に測量調査が、1981年に発掘調査が行われています。
埋葬施設がどのようなものか不明ですが、横穴式石室とみられています。
須恵器などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。

昭和59年2月29日、冨岡市の史跡に指定されています。

群馬県富岡市・太子堂塚古墳

2017-12-02 05:55:05 | Weblog
群馬県富岡市一ノ宮本宿の鏑川左岸の河岸段丘上にあります。
上信電鉄・上州一ノ宮駅の北すぐの、国道254号線と上信電鉄に挟まれたところです。
「旅寝塚古墳」とか「下り松古墳」・「一ノ宮1号墳」とも呼ばれています。

全長約57.6m(推定約80m)、 後円部径?m・高さ10.5m、 前方部先端幅59m・高さ7.5m  二段構築の前方後円墳です。




                         (後円部)





                         (前方部)


墳丘の周りには幅18mの楯形をした周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1974年に測量調査が、1981年に発掘調査が行われています。
後円部は国道254号線によって大きく削られるなどして、かなり削平を受けています。
後円部中央に埋葬施設、両袖型横穴式石室があったようですが今は破壊されて残っていません。
後円部墳頂には、寛延4年(1751年)に地元の俳人たちが建てた芭蕉の句碑があります。
「芭蕉翁 花の蔭 諷に似たる 旅寝かな」という句が刻まれているそうですが、判読できませんでした。



そばには芭蕉の句碑造立に尽力した「雲裡房」の句碑もたっています。





古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和49年5月13日、富岡市の史跡に指定されています。