古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

群馬県前橋市・塩原塚古墳

2018-07-28 05:41:53 | Weblog
群馬県前橋市田口町千手堂582-7の住宅地にあります。
旧利根川河岸段丘の端です。

全長28.2m、 後円部径14m・高さ3m、 前方部先端幅12.7m・高さ1m  の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。















墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、榛名山二ツ岳産の角閃石安山岩を削って築かれた両袖型横穴式石室です。
全長6m、羨道の長さ2.85m・幅1.25m、玄室の長さ3.15m・幅2.1mの単室構造です。
北方向に開口していますが側壁の崩落が進んでいて、現在は土嚢を詰めて保存してあります。







骨、歯、直刀2、小刀1、刀子3、鉄鏃15、耳環16、素環状鏡板付轡2、鐙吊り金具、辻金具2、飾り金具2、須恵器など101点が出土しています。
出土した副葬品の数から、埋葬された人数は7~8人と推定されています。

昭和58年4月25日、前橋市の史跡に指定されています。

なおこの古墳は、径14m・高さ3mの小円墳とも言われています。

群馬県前橋市・伊勢森神社古墳

2018-07-28 05:26:58 | Weblog
群馬県前橋市粉川町上東田面伊勢森の丘陵上にあります。
上毛電鉄・善駅の南そう遠くないところ、伊勢の森・下沼のそばです。
「粉川村70号墳」とも呼ばれます。

全長30m、 後円部径?m・高さ2.4m、 前方部先端幅21.6m・高さ?m  帆立貝形の前方後円墳です。
墳丘は大きく破壊されていて、墳頂には「神明宮神社」が建っています。





墳丘の周りには周濠があります。

資料がほとんどなく築造時期など詳細は不明です。
















群馬県前橋市・五代大日塚古墳

2018-07-21 05:59:54 | Weblog
群馬県前橋市五代町214の平地にあります。
「芳賀村11号墳」とも呼ばれています。

全長33m、 後円部径14m・高さ3m、 前方部先端幅10m・高さ2m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平されていますが、一部が残っています。





明治38年(1905年)発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型の横穴式石室です。
現存する墳丘の南側に石室材と思われる石が残っています。









おそらく後円部の墳丘は消滅し、現存する墳丘は前方部だと思われます。







円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
倭製渦巻鏡、金環、大刀、馬具などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀末から7世紀前半頃の築造と推定されています。

平成17年4月19日、前橋市の史跡に指定されています。

群馬県前橋市・オブ塚古墳

2018-07-21 05:30:33 | Weblog
群馬県前橋市勝沢町西曲輪420の道路脇にあります。
赤城山南麓の緩やかな傾斜地です。
「大塚古墳」とか「芳賀村48号墳」とも呼ばれています。

全長35m、 後円部径20m・高さ5m、 前方部先端幅13m・高さ2.5m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
その前方部は一部県道で削られています。

















墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や馬形埴輪・人物埴輪・玉纒大刀形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1951年(昭和26年)、群馬大学による発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、無袖型横穴式石室で埋葬部と閉塞部に分かれています。
自然石の乱積みでつくられていて、全長5.5m、幅1.8mあります。
南南西方向に開口しています。
但し今は中に入れぬように竹柵がしてあります。







人骨、土玉、耳環、直刀、小刀、鉄鏃、刀子、鐙、須恵器などが出土しています。

この古墳の築造時期は古墳時代後期・6世紀後半頃と推定されています。

昭和48年9月24日、前橋市の史跡に指定されています。

群馬県前橋市・大稲荷古墳

2018-07-18 05:27:30 | Weblog
群馬県前橋市西大室町大稲荷の丘陵頂にあります。
「荒砥村68号墳」とも呼ばれています。

全長44m、 後円部径32m・高さ7.5m、 前方部先端幅20m・高さ1m  帆立貝形の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。















造り出しがあったようです。
墳丘の周りには馬蹄形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土もありません。
後円部中央にある埋葬施設は、横穴式石室です。



金環、小刀、鉄鏃、長頸鏃、鮫具などが出土しています。

この古墳の築造時期は資料が少なくはっきりしていませんが、横穴式石室であることから古墳時代中期以降とみられます。

群馬県前橋市・荒砥村355号墳

2018-07-14 05:49:21 | Weblog
群馬県前橋市富田町にあります。

全長50m、 後円部径?m・高さ5m、 前方部幅?m・高さ2m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平されていて、古墳の面影はほとんど残っていません。











墳丘上には、前橋市の措定文化財になっている「富田の宝塔(室町時代?)」がたっています。







人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

資料が少なく、築造時期を含め詳細は不明です。

群馬県前橋市・少将塚古墳

2018-07-14 05:31:11 | Weblog
群馬県前橋市富田町高見皆戸乙452、荒砥川右岸の堤防すぐ横にあります。


 (手前の道が荒砥川の堤防で、奥の竹林の中に古墳があります。)



西約600m先には前橋東高校があります。
「荒砥村336号墳」と呼ばれることもあります。

全長50m、 後円部径?m・高さ1.8m、 前方部先端幅15m・高さ1.8m  の前方後円墳です。
全体が笹竹に覆われていて、墳丘を確認することもできませんでした。

この古墳については資料がほとんどなく、築造時期を含め詳細は不明です。














群馬県前橋市・九十九山古墳

2018-07-11 05:38:21 | Weblog
群馬県前橋市富士見町原之郷九十九山、標高172mの独立丘陵・九十九山の頂部にあります。
「富士見村16号墳」と呼ばれることもあります。

全長60m、 後円部径35m・高さ5.5m、 前方部先端幅45m・高さ5.5m  の前方後円墳です。




       (中央の一番高いところが墳丘・・手前は農村公園)

前方部には八幡宮、後円部には石塔がたっています。

(前方部)






(後円部)








墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、南方向に開口している無袖型横穴式石室です。
河原石と割石でつくられていて、全長が8.3m・奥壁幅1.95m・奥高1.46mあります。
金環4などが出土しています。
現在石室周りは柵がしてあり、近づけないようになっています。







古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和49年12月1日、前橋市(旧・富士見村)の史跡に指定されています。

群馬県前橋市・伊勢山古墳

2018-07-07 05:47:59 | Weblog
群馬県前橋市西大室町伊勢山にあります。
「五社稲荷古墳」とか「荒砥村122号墳」と呼ばれることもあります。

全長67m、 後円部径42m・高さ5.5m、 前方部先端幅47.5m・高さ5m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。





後円部墳頂には「五社稲荷社」がたっています。







墳丘の周りには幅約7mの盾形をした周濠が、その外側には周堤があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
1981年に発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、片袖型横穴式石室です。
自然石の乱積みでつくられています。
南方向に開口しているとのことでしたが、見つけることはできませんでした。
金環3、銀環7などが出土しています。

前方部を中心に、樹齢100年を超えるといわれているヤマツツジ200本ほどが植栽されています。






                    (前方部先端)



墳丘上には「御大典記念植樹」「稲荷神社社殿改築寄付者芳名」「絹笠大明神 安永二歳」などの石碑が立っています。







古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。

群馬県前橋市・遠見山古墳

2018-07-07 05:22:03 | Weblog
群馬県前橋市総社町総社甲1410、乙1410の平地にあります。
利根川の西(右岸)約200mのところです。
「総社町6号墳」と呼ばれることもあります。

全長70m、  後円部径39m・高さ6m、 前方部先端幅31m・高さ5.5m  三段構築の前方後円墳です。
墳丘はくびれ部を中心に一部削平を受けています。

(後円部)






(くびれ部)






(前方部)










墳丘の周りには幅約10~20mの盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や器材埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は、未調査につきはっきりしていませんが竪穴式石室とみられています。

総社古墳群を構成していて、古墳群中一番最初につくられた前方後円墳です。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

平成22年3月29日、前橋市の史跡に指定されています。

この古墳は、関ケ原の戦い後の慶長9年(1604年)・秋元長朝により総社城が築造されたとき城域に取り込まれ、遠見の櫓が置かれたそうです。
そこから古墳の名前が付けられたようです。