古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良県高取町・市尾墓山古墳

2015-08-29 08:06:27 | Weblog
奈良県高市郡高取町市尾墓山の段丘平坦面にあります。
近鉄吉野線・市尾駅の北西約250mのところです。

「宮司塚古墳」と呼ばれることもあります。

全長66m、 後円部径39m・高さ10m、 前方部先端幅49m・高さ10m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を北西に向けています。











墳丘の周りには幅約8mの盾形をした周濠が、その外側には幅約12mの堤があります。
左右のくびれ部には造り出しがあります。
墳丘には葺石が施されていたとみられます。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・蓋形埴輪・盾形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
周濠からは、鳥や笠、岩見型 などの木製品も出土しています。
これら埴輪列や木製品は平成16年から18年度に行われた調査の際に出土したものです。

1978年(昭和53年)に発掘調査が行われています。
後円部中央から南西方向に開口する右片袖型横穴式石室が見つかっています。
二上山産の凝灰岩製刳抜式家形石棺が収められていたそうです。
棺蓋には左右両側4ケ所に縄かけ突起があります。
また石室内のほぼ全面と石棺の内部には赤い顔料が塗られていたそうです。
石室内は盗掘を受けていますが、石棺の裾部からは土器類が、石棺と石室右側壁の間から馬具類が、石棺内には鉄刀・刀子・玉類が収められていたようです。
主なものとして水晶玉3、ガラス製小玉513、ガラス製飾玉23、銀製空玉、鉄刀、刀子若干、刀飾り金具1、鉄鏃約200、細身長頸鏃・弓金具1、シオデ、カコ、轡、鉄地金銅張雲珠辻金具、鉄製環状雲珠、辻金具、鉄地金銅張花弁形杏葉、土師器、須恵器 など多数が出土しています。
現在石室内には入れないようになっています。

古墳時代後期・6世紀初頭ころの築造と推定されています。

昭和56年3月31日、国の史跡に指定されています。

奈良県明日香村・平田梅山古墳

2015-08-22 08:05:16 | Weblog


奈良県高市郡明日香村平田梅山にあります。
近鉄吉野線・岡寺駅と飛鳥駅のほぼ中間の所です。
「石山古墳」とか「猿山古墳」と呼ばれることもあります。






                   (左手前が前方部で、右奥が後円部です)

全長140m、 後円部径75m・高さ15m、 前方部先端幅110m・高さ15m 3段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
明日香村唯一の前方後円墳です。

墳丘の周りには盾形をした周濠が、その外側には堤があります。
周濠は「文久」の修復で大幅に改変されているようです。
その際、もともと双円墳だったのを前方後円墳に改造したのだとの見方もあるそうです。
墳丘には葺石が施されていたとみられています。
陵墓に指定されているため、発掘調査は行われていません。

古墳時代後期の築造とみられています。

宮内庁が、第29代欽明天皇の陵墓「檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)」として管理しています。


欽明天皇陵とされていますが、この古墳から北西方向約800mの所にある「見瀬丸山古墳・・・2011年3月12日紹介」を欽明天皇陵とする学説が現在では有力となっているそうです。
この梅山古墳の被葬者は「蘇我稲目」だとする説もあるそうです。

現地にある説明板によると
 《「日本書紀」によれば、欽明天皇は32年(571年)4月になくなり、9月に檜隈坂合陵に埋葬されたとある。欽明天皇の后で推古天皇の母、堅鹽媛(きたしひめ)を推古天皇20年(612年)に合葬し、28年(620年)10月には砂礫を檜隈陵の上に葺き、土を積みて山を成し、氏ごとに大柱を土の山の上に建てさせるという記事が見える。》
                                 とあります。

奈良県広陵町・モエサシ3号墳

2015-08-15 08:04:23 | Weblog


奈良県北葛城郡広陵町大塚モエサシの丘陵上にあります。
新山古墳の西側・「みささぎ公園」内にあります。
公園内には他に円墳の1号墳と2号墳も保存されています。
また近くの「黒石13号墳」の横穴式石室が移築保存されています。




                  (後円部から前方部をみています)





全長80m、 後円部径40m・高さ5.5m、 前方部先端幅25m・高さ2.5m の前方後円墳です。
ほぼ良好な状態で保存されています。

葺石の有無ははっきりしていません。
円筒埴輪片などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
未調査につき、後円部にある埋葬施設がどんな埋葬なのかはっきりしていませんが、粘土槨の可能性も取りざたされています。


                (中央窪んでいるところの下が埋葬施設です)

後円部に比べ前方部が低くて長い特徴から、この古墳の築造時期は古墳時代前期と推定されています。

奈良県広陵町・新山(しんやま)古墳

2015-08-08 07:44:49 | Weblog
奈良県北葛城郡広陵町大塚新山の丘陵縁にあります。
馬見丘陵の南端・東麓の自然丘陵上です。
近鉄大阪線・築山駅から北方向へ500mほど行ったところです。
宮内庁が「大塚陵墓参考地」として管理しています。
全国に46か所ある陵墓参考地の一つです。
被葬者は「第25代武烈天皇」とも言われています。




                    (南東側から見た前方部)


               (後方部)




                         (後方部)

全長137m、 後方部一辺長67m・高さ10m、 前方部先端幅66m・高さ8m の前方後方墳です。
前方部を南南東に向けています。

墳丘の周りには幅2.5mの周濠があります。
現在は墳丘の東側と北側に、今も水をたたえ溜池として拡張利用されている濠が残っています。

墳丘には葺石が施されていたようです。
1981年(昭和56年)の発掘調査で、後方部北側から多数の円筒埴輪などが採取され、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
1885年(明治18年)、当時の持ち主によって偶然竪穴式石室が発見されました。
組合式石棺が収められていて多くの副葬品が出土しました。
銅鏡34面(中国製画文帯環状乳神獣鏡などの画文帯神獣鏡3面、中国製三角縁銘帯式二神二獣鏡・中国製三角縁獣帯式四神四獣鏡・中国製三角縁銘帯式四神四獣鏡・倭製三角縁獣帯式三神三獣鏡など三角縁神獣鏡9面、倭製内行花文鏡14面、倭製直弧文鏡3面、倭製流雲文縁方格規矩八獣鏡・倭製獣文縁方格規矩四神鏡など方格規矩鏡4面 など)、碧玉製管玉20個、車輪石5個、石釧9個、鋤形石、勾玉127個、斧、鉄剣16振、鉄刀16振、刀子40本、中国・晋時代の金銅製帯金具24個 などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。
馬見丘陵の中では最初に造られた古墳と考えられています。

奈良県広陵町・安部山1号墳

2015-08-01 08:15:01 | Weblog
奈良県北葛城郡広陵町安部道入の丘陵上にあります。
西谷公園内です。













全長42m、 後円部径25m・高さ4m、 前方部先端幅20m・高さ2m の前方後円墳です。

葺石は施されていなかったようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1971年に調査が行われていて、後円部頂にある埋葬施設には木棺が直葬されていたそうです。
木棺の西小口で集水され、石組暗渠で南側のくびれ部に排水するようになっていたそうです。
硬玉製勾玉、金環、鉄槍、ヤリガンナ、鑿、紡錘車、須恵器 などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

広陵町の史跡に指定されています。
西谷公園の道路を隔てた南西側すぐの9号児童公園内には、円墳・4号墳~6号墳が保存されていて、これらを含め安部山古墳群を構成しています。