古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

京都府木津川市・椿井大塚山古墳

2008-07-26 09:37:44 | Weblog
京都府木津川市椿井三階、木津川東岸の段丘上にあります。
JR奈良線・棚倉駅と上狛駅のほぼ中間です。
全長175m、 後円部径110m・高さ20m、 前方部幅76m・高さ10m 前方部二段、後円部四段構築の前方後円墳です。
後円部の一段目は花崗岩の岩盤を削って造られ、二段目から上は盛り土で造られていて、葺き石が施されていました。
山すその斜面を利用して造られているため、後円部は正円ではなくラクビーボール状になっています。
全国で48番目の大きさです。
この古墳が全国に知れ渡ったのは、昭和28年(1953)後円部を横断する現JR奈良線の法面改良工事が行われた際、竪穴式石槨が見つかり、30数面の三角縁神獣鏡を含む40面近い大量の鏡が発見されたからです。
三角縁神獣鏡はすべて中国製とされています。
埋葬施設は、竪穴式石槨で割竹形木棺が納められていたそうです。
石槨は、内側6.9m、高さ約3m、北端幅1.15m、南端幅1.03mあるそうです。
内行花文鏡2・方格規矩四神鏡1・画文帯環状乳神獣鏡1・三角縁神獣鏡31点ほか数点を含む36面以上の鏡、小札革綴冑1、短甲1、環頭太刀1、刀7点以上、剣を含む槍10数点、鉄鏃200点以上、銅鏃16点以上、鉄鎌3、鉄斧10、鉄製刀子17、ヤス3、釣り針1、花弁形装飾付鉄製品などが出土しています。
また、前方部二段目・北側のほぼ中央から土器がまとまって出土しています。
器台・高杯・台付椀・壷などの祭祀用と思われる土器や、甕が見つかっています。
特筆すべきは、庄内式土器(弥生時代末期)と布留式土器(奈良県天理市布留遺跡から出土した、古墳時代初頭の土師器)が混在して見つかったことです。
このことから、この古墳の築造は、3世紀後半と推定されています。
いわゆる邪馬台国の時代の古墳です。
最古の前方後円墳で、卑弥呼の墓ではないかとも言われている、奈良県桜井市の箸墓古墳の3分の2の大きさです。
現在、前方部には数軒の民家が建っています。
平成12年9月6日、国の史跡に指定されています。

京都府長岡京市・井ノ内稲荷塚古墳

2008-07-19 09:24:10 | Weblog
京都府長岡京市井ノ内小西40にあります。
後円部にお稲荷さんが祭られていることから、この名前で呼ばれるようになったそうです。
全長46m、 後円部径29.5m・高さ4m、 前方部幅29.5m・高さ?m の前方後円墳です。
この古墳は、ほとんどを盛り土で造られていて、葺き石や埴輪の配列はなされていません。
墳丘の周りには空堀となっている周濠が、一部だけあります。
主体部は2つあります。
後円部にある埋葬施設は、右肩袖型横穴式石室で、砂岩と緑色岩で造られていて全長10.2mあります。
石室は盗掘を受け破壊されていますが、4基の木棺があったと見られているそうです。
耳環・管玉・鉄刀・鉄剣・鉄鏃・鉄斧・刀子・環状鏡板付轡・雲珠・辻金具・鞍金具・壷鎧・飾鋲・土師器・須恵器など多くの出土品があります。
前方部中央にある埋葬施設には、組合式箱型木棺が直葬されていたそうです。
向日市・物集女車塚古墳とともに、横穴式石室をもつ乙訓地方最古の古墳だそうです。
古墳時代後期(6世紀前半)ころの築造と推定されています。
平成9年11月3日、長岡京市の史跡に指定されています。

京都府長岡京市・井ノ内車塚古墳

2008-07-19 09:00:13 | Weblog
京都府長岡京市井ノ内向井芝にあります。
京都市と境を接しています。
全長37m、 後円部径18.5m・高さ4m、 前方部幅12.6m・高さ2.5m の前方後円墳です。
一部破壊を受けています。
墳丘の周りには周濠があります。
1997年、測量調査が行われています。
墳丘には葺き石は施されていなかったようです。
また種類ははっきりしていませんが、埴輪の配列がなされていました。
古墳時代後期(約1500~1400年前)の築造と推定されています。
この古墳のある台地上やその周辺で、古墳時代後期の竪穴式住居跡や須恵器、土師器、木製品などが見つかっています。
ほぼ何所からでも観察できます。

京都府長岡京市・今里大塚古墳

2008-07-12 09:04:30 | Weblog
京都府長岡京市天神5丁目10の扇状地端にあります。
全長80m、 後円部径45m・高さ5.5m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
現在は後円部のみが残っています。
墳丘の周りには盾形をした濠がめぐらされています。
墳丘には葺き石は施されていなかったようです。
また埴輪の配列もなされていませんでした。
南東部に開口した埋葬施設があり、両袖型横穴式石室で組合式の家型石棺が納められていました。
奈良県ニ上山産の凝灰岩で作られています。
石室の構造は、奈良県明日香村の石舞台古墳と同じだそうで、緑色岩で造られ全長が約13mだそうです。
羨道と玄室に分かれていて、玄室は長さ5.5m、幅3m、高さ3.6mの単室です。
耳環、短刀、刀子、須恵器などが出土しています。
7世紀前半の築造と推定されています。
この古墳の巨石や石棺の一部が、長岡京造営のおり持ち去られていたことが、発掘調査で判明しています。
長岡京市の史跡に指定されています。

「長岡京」
784年(延暦3年)から794年、京都市西京区・向日市・長岡京市にまたがる地に造られた首都。
桓武天皇が平城京(奈良)から遷都して造営された。
わずか10年後、794年(延暦13年)平安京(京都)へ再び遷都された。

京都府長岡京市・恵解山古墳

2008-07-05 09:18:24 | Weblog
京都府長岡京市勝竜寺地内にあります。
「いげのやま」と呼びます。
JR東海道線のすぐ側にあり、長岡京駅からあまり離れていません。
長岡第八小学校のグラウンドに接しています。
全長120m、 後円部径69m・高さ8m、 前方部幅66m・高さ6.5m 三段構築の前方後円墳です。
乙訓地方で最大級の古墳です。一部破壊を受けています。
墳丘の周りには幅30mほどの盾形をした周濠(一部水田になっている)があり、その外側には外庭があります。
墳丘には葺き石が施されていました。
2008年2月14日、長岡京市埋蔵文化財センターが、鉄製の農具や工具26点が見つかったと発表しました。
前方部の2段目から斧、鎌、小刀などがまとまって出土し、すぐ近くからは円筒埴輪9個(直径21~24センチ)も、1列に並んだ状態で見つかったそうです。
また葺き石が、くびれ部の斜面に敷き詰められていたそうです。
(2月17日、現地説明会が行われています。)
これまでにも鉄製の武器約700点や、16個の埴輪列が見つかっています。
主体部が2つ確認されています。
後円部にある第一主体は竪穴式石室です。
前方部にある第二主体は組合式木棺で埋葬されていたそうです。
鉄剣、鉄刀、鉄槍、鉄鏃、蕨手刀子などが出土しています。
5世紀前半の築造と推定されていて、乙訓全域をおさめていた首長の墓とされています。
昭和56年10月13日、国の史跡に指定されています。
現在、墳丘の一部はお墓(現代の)になっています。

「追記」
長岡京市埋蔵文化財センターは、3月11日「これまで確認されていなかった東側くびれ部にも「造り出し」があった。」と発表しました。
1段目の後円部から、埴輪列や葺き石が見つかったそうです。
直径が20~24cmの、14個ずつ並んだ円筒埴輪が2箇所で見つかったそうです。

                     (2009年3月13日)