古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県西都市・三財40号墳

2021-05-01 09:32:38 | Weblog
宮崎県西都市下三財宮迫3476の台地東端にあります。

全長40.5m、 後円部径23m・高さ2.2m、 前方部先端幅6.5m(現状)・高さ1.2m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
後円部には盗掘坑とみられる大きな窪みがあります。


三財古墳群を構成している1基で、古墳群中一番南にあります。

墳丘には葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなかったようです。

発掘調査が1996年に行われています。
築造時期など詳細は不明です。





(後円部)










(後円部)





               (奥が後円部)
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宮崎県西都市・三財13号墳

2021-04-24 10:37:02 | Weblog
宮崎県西都市下三財亀塚屋敷2449-63にあります。
6号墳の北西方向すぐ近くです。

全長30.5m、 後円部径17m・高さ1.8m、 前方部先端幅10m・高さ1m  の前方後円墳です。
前方部を東に向けています。

墳丘には葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

発掘調査が1996年に行われているようですが、築造時期など詳しいことは不明です。

三財古墳群を構成しています。















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宮崎県西都市・三財6号墳

2021-04-17 09:48:33 | Weblog
宮崎県西都市下三財亀塚屋敷2455にあります。
5号墳のすぐ近くにあり寄り添うようにして、同じ方向(南東)を向いています。



全長38m、 後円部径28m・高さ2.8m、 前方部先端幅14m・高さ1.4m  簿前方後円墳です。
墳丘上には無数の狐の巣がありました。





墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく配列はなされていなかったようです。

発掘調査が1996年に行われているそうですが、築造時期など不明です。

三財古墳群を構成しています。












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宮崎県西都市・三財5号墳

2021-04-10 09:50:55 | Weblog
宮崎県西都市下三財亀塚屋敷2453にあります。
近くで農作業をされていた方の話では、ここ数十年この古墳を訪ねて来た人はないそうです。
またその方からは、「狐が繁殖してあちらこちらに穴を掘っているので、気を付けた方がいいですよ。」とアドバイスを受けました。
道路(車が1台通れるくらいの幅)からそう離れていない場所にありながら、倒木や枯れて横たわる竹・雑草などで行く手を遮られ、探し当てるのは勿論のこと辿り着くのに苦労しました。

全長45m、 後円部径22m(現状)・高さ3.5m、 前方部先端幅9m・高さ1.5m  の前方後円墳です。
前方部を南東方向に向けています。
墳丘上には無数の狐の掘った穴(巣?)があります。




墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

築造時期は不明です。

三財古墳群を構成しています。

















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宮崎県西都市・三財2号墳

2021-04-03 11:24:09 | Weblog
昨年9月末から脊柱部に起因する足と腰の痛みで約2か月入院、現在もリハビリ中です。
また新型コロナウイルス感染防止の観点から、県をまたぐ外出を極力控えるよう要請されていることと相まって、新規の古墳観察ができない状況です。
このような状況下ですが、まだ紹介していなかった何基かの古墳がありましたので、案内したいと思います。

宮崎県西都市下三財亀塚屋敷の台地上にあります。
周りは灌木や竹・雑草などが生い茂っていて、古墳の場所もはっきりしなく近づくことさえ容易ではありません。





全長51m、 後円部径30m・高さ2.2m、 前方部先端幅?m・高さ1.2m  の前方後円墳です。
墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の配列はなかったようです。

築造時期は不明です。
三財古墳群を構成しています。

「三財古墳群」
あの西都原古墳群から数キロ南に行った前原地区に23基、月中地区に26基、亀塚地区に15基、久米田地区に6基(うち横穴墓4基) 計77基が点在しています。
大半が円墳ですが、亀塚地区には柄鏡形古墳を含む5基の前方後円墳があります。
昭和19年12月15日、宮崎県の史跡に指定されています。
他にも小豆野原台地には、ほかの群集墓から離れて孤立した、国指定の方墳「常心塚古墳」があります。

(常心塚古墳)
昭和55年(1980年)3月24日、国の史跡に指定された方墳・常心塚古墳は、三財川北側の周りを畑に囲まれた常心原台地にあります。
墳丘の周囲に沿うようにして、方墳としては国内唯一の土塁を持っています。
墳丘の規模は、南北25m・東西23.8m、土塁間で南北約40m・東西37.5mあります。
7世紀前半頃の築造と推定されていて、終末期の古墳です。
この古墳の発掘調査は行われていませんが、内部主体部は横穴式石室と推定されています。
この古墳の名前の由来は、常心という僧侶が石室内に入り、即身成仏を遂げたという伝説に由来するものだそうです。




                (右側が土塁で左側が墳丘です)

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大分県豊後大野市・坊ノ原古墳

2020-09-26 05:26:03 | Weblog
大分県豊後大野市大野町桑原字羽部534、標高約250mの桑原地区を見下ろす丘陵上にあります。




「ひょうたん塚古墳」と呼ばれることもあります。

全長45m、 後円部径?m・高さ5m、 前方部先端幅40m・高さ2m  の柄鏡形前方後円墳です。







(前方部)




(後円部)










昭和51年に測量調査が行われています。
後円部の一部に段築らしい平坦面が、墳丘北側には墳端テラスと推定される地形が確認されています。

後円部墳頂には盗掘らしい窪みがあります。


前方部には箱型石棺の一部とみられる板石3枚が置かれています。




墳丘には円礫による葺石が施されていたようです。
埴輪の出土はありません。
遺物などの出土品については不明です。

古墳時代前期・4世紀ころの築造と推定されています。

昭和51年3月30日、大分県の史跡に指定されています。
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大分県豊後大野市・大久保1号墳

2020-09-19 05:23:46 | Weblog
大分県豊後大野市越生大久保、旧緒方町越生区の大野川沿岸を見下ろす丘陵尾根上にあります。

全長35m、 後円部径20m・高さ5m、 前方部先端幅5~8m・高さ2m  の前方後円墳です。
前方部を南東方向に向けています。






               (手前が前方部)


               (奥が前方部)



               (後円部墳頂)



               (奥が後円部)

この尾根地形上には他に3基の円墳があり、漆生古墳群と呼ばれています。
尾根北側から南側に向かって城山古墳・大久保2号墳・大久保1号墳・大久保3号墳と並ぶように4基が分布しています。




平成4年に前方後円墳(大久保1号墳)が発見されたことにより、平成24年度に第1次調査・平成25年度に第2次調査・平成26年度に第3次と第4次調査・平成27年度には第5次調査が行われています。
大久保1号墳は段築構造の墳丘に葺石が施されていましたが、出土遺物が少なく築造時期は不明です。


2号墳(円墳)からは石棺蓋が検出され主体部の存在が確認されました。

平成26年3月27日、豊後大野市の史跡に指定されています。
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大分県豊後大野市・立野古墳

2020-09-12 05:30:49 | Weblog
大分県豊後大野市三重町上田原立野444、大野川近くの河岸段丘西端にあります。

全長65m、 後円部径38.5m・高さ6.5m、 前方部幅20m・高さ4m  の柄鏡形前方後円墳です。
豊後大野市内2番目の大きさです。


墳丘南側は大きく削平されています。






(後円部)








(前方部)








前方部西側には陸橋部があります。
後円部裾には造り出し部があります。
墳丘の周りには馬蹄形をした周濠があります。
墳丘には円礫による葺石が施されています。
後円部から円筒埴輪や朝顔形埴輪・壺形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
主体部についてははっきりしていませんが、後円部墳頂には盗掘跡と思しき窪みがあります。


古墳時代前期・4世紀末頃の築造と推定されています。

平成4年3月27日、大分県の史跡に指定されています。
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大分県豊後大野市・赤嶺竜ヶ鼻古墳

2020-09-05 04:09:26 | Weblog
大分県豊後大野市三重町赤嶺松久保2621-1の台地先端にあります。
JR豊肥線・三重町駅から、玉田川に架かる御幸橋を渡ってすぐ右手の台地上です。
大原つつじ公園の西側です。


全長35m、 後円部径18m・高さ3m、 前方部幅?m・高さ1.5~2m  の前方後円墳です。







(後円部)








(前方部)






墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
主体部についてははっきりしていませんが、後円部墳頂には盗掘跡と思しき窪みがあります。


古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

平成14年3月29日、大分県の史跡に指定されています。

南側崖下には6世紀以後のものとみられる横穴墓群があります。
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滋賀県長浜市・小松古墳

2020-08-29 05:32:09 | Weblog
滋賀県長浜市高月町西野、古保利丘陵稜線上の一つの頂部にあります。
「古保利古墳群B-6号墳」とか「古保利103号墳」と呼ばれることもあります。

全長約60m、 一辺長37×29m・高さ4.2m、 前方部先端幅22m・高さ3m  の前方後方墳です。



岩盤を含む自然地形を削り出して造られています。
前方部はやや短く先端部に行くほど低くなっていて、その先端部はバチ形にひらいています。





二段構築の後方部は長方形をしています。















墳丘に葺石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もありません。
1984年に測量調査が行われています。
1998年~99年にかけて確認調査が行われています。
後方部墳頂でそれぞれ二つの盗掘坑と土坑が見つかっています。







地下レーダー探査の結果、盗掘坑周辺には三つの埋葬施設があったようです。
盗掘を受けている埋葬施設がどのようなものだったのかはっきりしていませんが、木棺直葬と推定されています。
中国製内行花文鏡、中国製方格規矩鏡、銅鏃、鉄鏃、刀子・削り刀子・水銀朱、壺や高坏・器台・甕などの土器類 が多数出土しています。
土器の中には北陸系の小型壺や美濃地域の壺や高坏、吉備か丹後の影響を受けたとみられる底部に孔のある高坏なども含まれています。
一つの土坑からは40個体以上の土器が、破砕された状態で見つかっています。
葬送儀礼が行われたのち破砕され埋納されたようです。

古墳時代発生期・3世紀中葉頃(箸墓古墳と同じころ)と推定されています。

古保利古墳群を構成する1基で、古墳群中最大であり滋賀県内でもトップクラスの前方後方墳です。


◉ここで足を痛めてしまい残りの古墳群観察はやむなく断念、又の機会に訪ねたいと思います。
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